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オペラからのメッセージ
 
第9章 グロテスクなものは美しい――R・シュトラウス「サロメ」

 原作文学とリブレットの違いばかりをあげつらってきましたが、ここでほぼ原作の言葉通りに作曲されたオペラの例としてR・シュトラウス「サロメ」を鑑賞しましょう。このオペラは私の格別のお気に入りです。
  といいますのも、「七つのヴェールの踊り」がありますからね。この踊りはサロメがヘロデ王の懇願に応じ、ヨカナーンの首を所望しようと心に決めて踊るものですから、なかなかすさまじいものがあります。ここでは主演のソプラノ歌手はヴェールを1枚ずつ脱いでいって、最後にはまるはだかにならなければなりません。
  まるはだかといっても、演出の手心もありますし、歌手の要望もあるでしょうし、そこへ映像のテクニックというものが介在しますから、どこまで見せてもらえるかはひとえにオペラ製作者映像製作者のサービス精神にかかっています。

 私は何枚かの「サロメ」のLDを持っていますが、表現はマチマチです。カール・ベームが振ったLDの演奏は本当にすばらしいものですが、映像には失望させられます。いよいよまるはだかが見られるはずのシーンで、画面に映し出されるのは、何と投げ捨てられた7枚目のヴェールだけですからね。これではあんまりです。
  ソプラノ歌手が、上から下まで思い切ってスッポンポンになるLDがあります。私としては文句をいうわけではありませんが、これはどういうわけか「人体模型」のようで、いまいちエロチシズムに欠けます。

 「サロメ」は、原作者オスカー・ワイルドによって最初から戯曲として作られた作品です。ワイルドは、この作品をフランスの大女優サラ・ベルナールに演じさせるつもりで、最初にフランス語で書いたといわれています。この作品が書かれたのが1891年、サラ・ベルナールは当時47才でした。やはり大女優ともなると、50才近くなっても、ワイルドにこの役を演じてもらいたいと思わせ、期待させるものがあるのですね。
  もっともワイルドの原作では、「七つのヴェールの踊り」がどの程度過激なものであるべきかについては指定されていません。
  踊りが始まる前にサロメはヘロデ王にこういいます。「奴隷たちを待っております。やがて香料と七つのヴェールをもってまいりましょう。そして、このサンダルを脱がせてくれましょう」そしてト書きではわずかに「サロメ、七つのヴェールの踊りを踊る」と書かれているだけです。察するにワイルドには、サラ・ベルナールの演技力に期待したのであって、彼女をまるはだかにするつもりはなかったのでしょう。

 ところで、ワイルドが選定したこの主題の出どころはご存じのように新約聖書「マタイ伝」と「マルコ伝」です。この二つの記録は大筋においてはほとんど同じですが、細部では微妙に違っています。まず原典がどうなっているのかをチェックし、その後ワイルドが、この物語りをどのように料理したのかを見てみましょう。
  「マタイ伝」「マルコ伝」に共通しているストーリーは次の通りです。ヘロデ王は、預言者ヨハネを捕らえて牢獄につなぎました。なぜならヨハネが、ヘロデ王が兄弟の妻だったヘロディアスをめとったことを非難する発言をしていたからです。しかし預言者ヨハネが民衆に人気があったので、民衆を恐れ、殺しはしませんでした。

 ヘロデ王の誕生日のパーティがあり、このときに娘がとても魅力的に踊りました。ヘロデ王は娘の踊りを非常に喜び、娘に「褒美に願うものは何でもやろう」といいました。娘はヨハネの首を所望し、ヘロデ王は心を痛めましたが客の前で誓った手前もあるので、やむなくヨハネの首を切らせ、盆に載せて娘に渡しました。
  マルコ伝では、ヘロデ王のヨハネに対する殺意が「ところが(ヨハネを殺す)よい機会が訪れた」というように、強く表現されています。また娘の踊りが王だけでなく客をも喜ばせたということになっています。また「お前が願うなら、この国の半分でもやろう」というように万事詳細に、誇張気味に表現されています。
  マルコ伝とマタイ伝のもっとも大きな違いは、マタイ伝では娘が「母親にそそのかされて」ヨハネの首を求めたのに対し、マルコ伝では「少女が座を外して、母親に『何を願いましょうか』というと・・」というように、娘の意志よりも母親の意志が前面に、具体的に押し出されている点でしょう。

 ヨセフスが書いた「ユダヤ古代史」では洗礼者ヨハネが、ヘロデ王に殺されたことは記述されていますが、娘の踊りの褒美として与えられた、ということは書かれていません。ヨセフスによれば「(人間としての)ヨアンネースは(根からの)善人であって、ユダヤ人に対して徳を実行して互いに正義を求め、神に対しては敬虔を実践して、洗礼に加わるように教えすすめていた」とあります。
  そして、「・・さてその他の(人びと)も(ヨアンネース)の説教を聞いて大いに動かされ、(その周囲に)群がった。そこでヘローデースは、人々に対する彼のこの大きな影響力が何らかの騒乱を引き起こすのではないか、と警戒した。事実、人びとはヨアンネースがすすめることなら何でもする気になっているように思われた」ので、ヨハネを逮捕しました。
  「ついにヨアンネースは、ヘローデースのこの疑惑のため、前述した要塞のマカイルースへ鎖につながれて送られ、そこで処刑された」とあります。どのように処刑されたかは定かでありません。

 このヨセフスの「ユダヤ古代史」は、「もう一つの旧約聖書」とでも呼ぶべきもので、じつに興味深い本です。そしてもっとも興味深いのは、旧約聖書の記述が終ったあたりから、その後のユダヤ民族の滅亡までの歴史、いうなれば新約聖書とその後の時代を、自分自身の体験をも加えて、連続的に詳しく記述しているということです。
  このようにユダヤ正史を記述することに生涯をかけ、ささいな事件もしっかり記録したヨセフスが、新約聖書が記している、ヘロデの娘サロメによるヨハネの首切り事件という猟奇的なできごとを伝えていないのは残念です。

 これに関連してひとこといわせていただきます。ヨセフスはキリストの存在について、ほんのわずかしか記述していません。それもどうも本人が書いたらしくないのです。古い本は写本の段階で加筆・改作されることが多いのです。
  「ユダヤ古代史」には、「さてこのころ、イェースースという賢人――実際に、彼を人と呼ぶことが許されるならば――があらわれた。彼は奇跡を行う者であり、また喜んで真理を受け入れる人たちの教師でもあった。多くのユダヤ人と少なからざるギリシャ人とを帰依させた。彼(こそ)はクリストだったのである。・・」と記しています。
  この部分が後の人々による加筆だとする学者たちは、文体や用語などの点から「ヨセフスの原文とは思われない」としています。ヨセフスのキリストに関する記述の真偽は、今日でも論争の種になっているそうですが、それは「ユダヤ古代史」に書かれることによって、イエス・キリスト存在の歴史的な重みが増し、キリスト教の権威が高まるからにほかなりません。

 私もこの部分を翻訳文で何度も読んでみましたが、受ける印象はいかにも唐突で、前後の関係で見てもとってつけたような感じがしますね。「ユダヤ古代史」全体の書き方からしてもこれだけの大人物が出現したなら、ヨセフスならもっと詳しく記述するはずです。かんじんのキリストについてはこの文章とこれに続く数行しか書いていないのです。
  なお訳注は「〈彼こそはクリストだったのである〉。この一節は後代のキリスト教徒による加筆である」と断定しています。
  以上のことは、イエス・キリストという人物の存在について、情報通のヨセフスもほとんど知らなかった可能性があることを意味します。新約聖書にとってはキリストの誕生、地上への来訪を予言し、「私など、その方の靴のひもをとく値打ちさえない」といってキリストの先触れをつとめた洗礼者ヨハネはきわめて重要なキャラクターです。

 ですからそのヨハネが権威者の手によって殺されたということは、キリストに先立つ殉教であり、キリストの受難の前触れを意味します。そこでマルコ、マタイの二つの記録がしっかり残っているわけです。
  けれどヨセフスがイエス・キリストの存在を知らなかったのだとしたら、ヨハネがキリストとの関係でどのように処刑されたか、ということは興味の対象から外れてしまいますね。このことが、ヨセフスが「ユダヤ古代史」の中にサロメの奇行を記さなかった理由の一つであり、同時に例の部分が「偽筆」であるという根拠の一つになるかもしれません。

 さて本題に戻ってワイルドは、サロメに美しく、淫らな女性というイメージを与えました。それだけでなく、彼女が異様にヨハネ(ヨカナーン)の肉体に執着するという設定を作り出しました。新約聖書ではヨハネの首を所望した本当の人物は、母親のヘロディアスということになっていますが、ワイルドは、あくまでこれをサロメ自身の快楽追及の意志ととらえます。
  次にワイルドが設定したのは、ヘロデ王がこのサロメに、ことのほか好色な関心を持ったということです。このことによって、ヘロデが、どんなに高い犠牲を払ってもサロメの踊りを見たいとする執着の原因を説明しています。
  「たとえこの国の半ばをといわれようとも、踊りを見せてくれさえすればな」とヘロデはいいますが、この言葉は現在の后のヘロディアスを追い出して、娘であるお前と結婚してもいいぞというようにも聞こえます。

 ワイルドは物語りにもう一つ劇的な端役をつけ加えました。それはサロメに恋する隊長の存在です。この隊長は再三の侍童の制止にもかかわらず、サロメの蠱惑的な姿に魅せられ、サロメのいいなりになります。ついに彼はヘロデ王の禁を破って、ヨハネを地下牢から引き出して、サロメに見せてしまうのです。
  サロメはヨハネを引き出すことをためらう隊長にこういいます。「明日、橋のうえを吊り台の上に乗って通るとき、きっとお前のほうを見てあげるよ、モスリンのベールの奥からお前を見てあげるのだよ」。
  これがヨハネを地下牢から引き出すことに対するサロメの報酬です。「それは禁じられております」などと抵抗していた隊長も、こういうすばらしい報酬を約束されては抵抗できなくなり、そこでヨハネを地下牢から出すわけです。

 ところがヨハネを見たサロメはすっかりのぼせてしまい、鎖につながれた囚人に猥褻感たっぷりにいい寄ります。そして最後にはヨハネに向かって「おまえの口に口づけさせておくれ」といいます。これを見ていたさきほどの隊長はもうこらえ切れなくなり、自分の剣で自分を刺して倒れてしまいます。
  この部分は、演劇でもオペラでも、注意していないと見落としてしまうような一瞬の間に起こります。観客はサロメの、あまりに背徳的なせりふとしぐさにヨハネ(ヨカナーン)がどのように答えるか、こちらに注意が集中しています。もちろん、隊長の自殺などにサロメは目もくれません。
  ですから可哀想に、この若くハンサムなシリア青年の発作的な自殺は、実際にも舞台の上でもまったく無益な行為として示されるわけです。ただしあとで、彼の流した血の上でヘロデが足を滑らせるという場面があり、彼はちょっとだけ思い出してもらえます。

 ワイルドが新約聖書の物語に書き加えた最終的なポイントは、ヘロデ王がサロメのデモーニッシュな性質にいいしれぬ恐怖を感じ、兵士たちに命じて娘を殺させるということです。この殺し方も兵士たちが盾でサロメを押し潰すという、ショッキングな方法によっています。
  以上、ワイルドがもとの物語に加筆変更したポイントを整理すると次のようになります。
1.ヘロデはサロメに強い性的関心を持っていた。
2.サロメは自分の性的な欲求にもとづいてヨハネの首を所望した。
3.サロメを恋する若い隊長がいたが、サロメの所業を見ているのに耐えられなくなり、自殺した。
4.ヘロデは娘を殺させた。

 右記のうちもっとも重要なのが2.のポイントであることはいうまでもありません。サロメはどういうわけかヨハネに魅力を感じてしまいました。ところが、なにしろヨハネは預言者です。ユダヤ史における預言者といえば、神と交流できる特別の人物です。旧約聖書は、預言者の歴史といっていいでしょう。
  ヘロデ王もヨハネを捕らえてはみたものの、気味が悪くて殺すに殺せなかったのですね。その洗礼者ヨハネを、人目もはばからずに口説こうというのですから、サロメの無軌道ぶりも極点に達しているわけです。
  サロメは「大海原に抱かれた月の胸だって・・おまえの肌ほど白いものはどこにもありはしない・・さあ、おまえの肌に触れさせておくれ!」といいます。ところが相手は聖者ヨハネです。「さがれ、バビロンの娘! 女こそこの世に悪をもたらすもの。話しかけてはならぬ!」と叱咤します。これを聞くとサロメの態度は変わります。「おまえの肌はいやらしい。レブラの肌のよう・・」。

 サロメをひきつけているのはヨハネの聖性であり、そしてサロメを拒んでいるのもヨハネの聖性です。ヨハネの断固たる態度はサロメの自尊心を傷つけますが、同時に彼女を魅了します。
  彼女は自分が何にひかれているのかを理解することができず、彼女の中でそれはすべて性的に翻訳されるしかありません。ついに彼女はモノとしてヨハネを所有することによって、思いのままにできぬヨハネの意志に優越しようと考えます。そこで銀の盆に乗ったヨハネの首を所望するということになるのですね。
  自分のいうことを聞かない相手を殺してしまうというストーリーは、カルメンの物語に見られるように、比較的一般的です。たとえば「時の踊り」の音楽で有名なオペラ「ジョコンダ」は、自分の肉体に執心する敵に、ヒロインが自殺によって「死体」となった自分を提供するという結末になっています。そして憎たらしい男は、自分が所有できたのは、もはや一個の「モノ」に過ぎないことを知って絶望するという、結末になっています。

 ところが、ワイルドが作り出したサロメという女性は、首となったヨハネになおも執着し、これを愛撫し、これに口づけするという異常さを持っています。このことは、彼女が望んでいたのはヨハネとの正常な男女関係ではないこと、彼女が「愛情」などという人間的精神にもとづいて彼に執心していたのではないこと、彼女が支配したかったのは、人間の自由意志でさえなかったことを暗示しています。
  サロメが、まだ血のしたたるヨハネの首をもてあそぶ場面はビアズリーの有名な挿絵によってあますところなく表現されています。この場面の第一の絵は、サロメが銀の盆をテーブルとおぼしきもののうえにおいて、ヨハネの髪の毛をつかみ、顔を自分のほうに向けさせています。これには「舞姫の褒美」という題がついています。

 第2の絵は沼の上空に浮かんだサロメが、・・ここでどうしてサロメが浮遊の術を身につけたのかということは詮索しないことにしましょう・・ヨハネの首を両手にしっかり持って、いままさに口づけをしようとしているところです。これには「最高潮」というビアズリー自身の題がついています。
  サロメは生首に向かっていいます。「ああ、お前はその口に口づけさせてくれなかったね、ヨカナーン、さあ、今こそ、その口づけを。この歯で噛んでやる。熟れた木の実を噛むように。そうするとも、あたしはおまえの口に口づけするよ、ヨカナーン・・」。
  「サロメ」は、岩波文庫の翻訳分量にして90ページぐらいの小ぶりの本です。原書でもおそらくページ数はそうないものと思われます。ところがこの戯曲本にはビアズリーの挿絵が18枚も入っているのです。ある人物は「『サロメ』は挿絵が本文となっている劇だ・・なぜオスカーがそれを劇にしないのか不思議なくらいだ」などといっています。これを見ても、ビアズリーがこの作品の成功にどれほど貢献したか分かりません。

 ビアズリーは1872年に生まれ、わずか26才で世を去っています。ワイルドよりも18才年少でしたが、さすがのワイルドもビアズリーには少々手こずったようです。何しろビアズリーは自分の気に入らない人物がいると、例の悪魔的な絵の中にその人物を書き込んで発表してしまうのです。始末におえません。もちろんワイルド自身もしっかり「ヘロデ(エロド)の目」というカットの中に書き込まれました。
  「僕の目的はただ一つ――グロテスクであること。もし僕がグロテスクでなければ、僕はなにものでもない」とビアズリーはいい切りました。その彼が、最初はこの「サロメ」について挿絵よりも、フランス語から英語への翻訳のほうを強く希望していた、と聞いたらびっくりなさるでしょう。要するに世紀末に生まれ、世紀末に死んだこの若者は、単なる挿絵画家ではなく、頽廃的総合芸術の申し子でもあったのです。

 「サロメ」は本としては小冊子ですが、それでもオペラの台本としては長すぎます。そこでシュトラウスはこれを相当縮めました。そうですね、私の見るところざっと3分の1ぐらいのせりふがオペラ化の過程で削られています。
  しかし残されたせりふは、いい回しを変えることなくドイツ語に翻訳されているものと思われます。そのドイツ語ですが、私にはフランス語もドイツ語もまったく分からないのですが、このオペラほどドイツ語の音の響きがピッタリだと思う作品はありませんね。
  だれかが「フランス語は愛をささやく言葉、ドイツ語は犬を叱るときの言葉」といってドイツ語をバカにしたそうですが、この力量感あふれる猥褻さを表現できるのはドイツ語しかないのではないか、と思えるほど。

 とくにサロメがヨハネを口説いて迫ってゆく場面、そしてヨハネの首を抱いてこれとあそぶ場面、サロメの口がじつにみだらに動き、いかにも唾だらけのドイツ語の生々しさがあります。オスカー・ワイルドは、これを英語でなくフランス語で書いたわけですが、ドイツ語で書くという手もあったのではないでしょうか。
  ワイルドはこの本を、ドビュッシーの章でご説明したフランスの作家ピエール・ルイスに捧げています。そう思って見ると、「サロメ」は「ビリチスの歌」に一脈通ずるところがあるではありませんか。やはり、当時は「ドイツ語路線」はありえなかったのかも知れませんね。

 それではオペラを見ましょう。幕が開くとそこはヘロデ王の王宮の一角。サロメに恋する隊長が、サロメを遠くから見ながらしきりにその美しさに賛嘆しています。侍女が「あなたはさっきからサロメを見ている。度が過ぎます」といってとがめます。
  この侍女はじつは原本では侍童となっており、男の役ですが、オペラでは女に変えられています。オペラ化に際して行なったわずかな変更の一つです。この侍女は全体の流れを見ているとどうやら、この隊長を愛しているらしく思われます。こうしたさりげない変更と新しい要素の付加は、オペラだからこそ自然にできることであって、おそらく演劇としては不可能といっていいでしょう。
  もう一つ例をあげると、この隊長の名は原本にはありません。「若いシリア人」となっているだけです。ところがオペラでは、この隊長に「ラナボート」という立派な名前がつけられています。このようなことも、「サロメ」を舞台劇として上演する限りにおいては、ほとんど許されない越権行為となります。

 要するにオペラは「音楽的にする」という名目で、いろいろなことが可能になる芸術です。したがって芸術家はオペラだからこそ許されている表現方法を駆使して、原作に新しいリアリティを与えてゆくわけですね。この側面から見てゆくと、R・シュトラウスが、恐ろしいまでにこの種の音楽的表現に長けていたということが分かります。
  音楽を聴いてみましょう。同じR・シュトラウスの音楽でも「ばらの騎士」はとても聞きやすい、古典的な調性を持った音楽で構成されています。ところが「サロメ」のほうはずっと音の響きが現代的で、ときとして鋭い不協和音や調性を失ったかと思える響きに満たされています。

 この種の、現代的な響きの音楽を聴くときには、どこかにマトを絞って聞いてみるのがいいかもしれません。たとえば「サーローメ」という名前の旋律に注意してみるのも一つの聞き方でしょう。この3音節にはいろいろな旋律が当てられていますが、短3度で下がってくるパターン、ドレミの関係でいえば「ファーレーシ」という音形が比較的多く当てられています。
  短3度の連続は、長3度の連続と同じで、ドレミファ音階の主従関係を破壊する作用を持っています。これがサロメという女性の無気味な、破壊的な性格を表現するのに役立っています。
  これに対して、ヨハネ(ヨカナーン)が歌う歌はきわめて調性的でわかりやすい旋律です。覚えれば私たちでも歌えそうな歌です。ここでは古代の宗教家に敬意を表して、「讃美歌」のニュアンスが用いられているものと思われます。
  ヨハネが執拗に迫ってくるサロメを制しながら、「その方(キリスト)はいまガラリア海に小舟を浮かべ、弟子たちと話をしておられる。岸辺にひざまずき、その名を呼ぶがいい」と歌うメロディは単純で、朗々として美しく、私たちの胸に迫るものがあります。

 何度もいいますが、R・シュトラウスという作曲家は「音楽」という手段で何でもできた人です。たとえばヘロデ王が「ここは寒いな、寒い、風が吹いている」というと、音楽がぴゅうぴゅう吹きすさぶ風の音を再現します。こんなことはR・シュトラウスにとっては朝飯前です。
  もっともすごいのは、サロメがヨハネを口説くのに失敗し、ヨハネが「おまえは呪われているぞ」といって、自分からさっさと地下牢に戻ってしまった後のサロメの欲求不満を音楽で表現していることです。ここではサロメの身体を周期的に襲ってくる激情のけいれんを、音楽が表現しているのです。これはすさまじい。

 もう一つ。ヘロデの命を受けて兵士が、ヨハネの首を取りに地下牢に下りていった後の音楽です。サロメは暗黒の地下に耳を傾けながら、「音もしない。何も聞こえぬ。どうして声を上げないのだろう、あの男は?・・切っておしまい、切って、ナーマン。切れというのに・・」と独白します。このときオーケストラは鳴りを静め、ただ、ヴァイオリンのユニゾンが執拗に、間欠的に、同じ音を鳴らします。この響きは、私たちには時計の針の音のような、病院で臨終の病人の心臓のパルス音を聞いているときのような、異様な切迫感を与えます。
  もっとも音楽的効果が高まる瞬間に、楽音を極端に節約するこのやり方を駆使できたのは、私の知るかぎりモーツアルトとR・シュトラウスだけです。

 「サロメ」がフランス語で書かれた背景には、ワイルドの芸術を受け入れなかったイギリスの社会があります。ちょうど19世紀から20世紀初頭にかけて、イギリスにはビクトリア時代の清教徒的な価値観が支配していました。なにしろ「お尻」とか「腰」などという言葉を口にしたら大変、「足」とか「ズボン」という言葉さえいやらしく下品であるというのですから、その道徳的な規制は徹底しています。
  いったい何を考えていたのでしょうかね。「足」がいやらしいという人のほうが、よっぽどいやらしいですよね。しかし当時はテーブルの足が露出することさえ嫌って、これに布を巻きつけていたといいます。こんにちアパレル業界では、ズボンやスカートのことを総称して「ボトム」といいますが、これはビクトリア時代の呼び名の名残りです。
  この時代を生きたオスカー・ワイルドやビアズリーなどの芸術家が、どういう社会的なポジションにあったのかを考えてみることは有意義だと思います。
  「サロメ」を英訳するという名誉をビアズリーから取り上げたのは、アルフレッド・ダグラスです。そしてダグラスとワイルドとの関係は有名です。そしてこの関係はついにワイルドの投獄事件へと発展しました。これらは個人的な趣味や争いの問題に見えるかもしれません。しかし社会と芸術家との対立現象としてとらえることもできるのです。

 オペラ「サロメ」が私たちに発信している意味を改めて考えてみたいと思います。それは「危険でグロテスクなものは美しい」ということです。もちろんこのことを立証するためには、芸術家の天才を必要とします。
  「サロメ」に関わった芸術家はみなこの試みに成功しましたが、それぞれに代償を払わなければなりませんでした。もちろんオペラもいくども上演禁止となりました。
  サロメは、私たちの中にある何ものかの拡大像です。もちろん私たちは人の首など要求しません。ヘロデがヨハネの首の代わりにと提示した財宝のほうが、よっぽどましに思えます。しかし私たちが不利を承知のうえで我をはり続けたり、経済利益よりも欲望を優先させたり、エロチシズムに激しく興味をそそられたりするとき、私たちはサロメ側に近づきます。それが悪いとだれにいえるでしょうか。それは人間の普遍的な特性です。

 ワイルドもビアズリーもR・シュトラウスも、そのことは承知していたのです。テーブルの足に布を巻きつけるビクトリア時代的な価値観も、言葉をかえていえば人間の中に潜んでいる「深淵への恐れ」の態度にほかなりません。だからワイルドと清教徒的価値観は同根なのです。
  しかし芸術家のほうが超時代的です。彼等が芸術家であるのは、大衆よりも普遍的真理に対して開かれているからです。ときとして、芸術家たちがいわば命がけで仕事をしなければならないのはこのためです。

   
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