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オペラからのメッセージ
 
第14章 弱きもの、それは亭主――J・シュトラウス「こうもり」

 では、これから私のもっとも好きなオペラ「こうもり」の話をさせてください。「こうもり」はたいへん有名な作品ですから、ご存知の方も多いでしょう。昨年ウイーン歌劇が日本にやってきてこの「こうもり」を見せてくれました。せっかくの機会でしたので、わが家でも大枚をはたいて見に行ってきました。
  開幕を待っているとき、隣に座っていた真面目なサラリーマン風のおじさんが、さらに向こうの席のおじさんにこういっているのが聞こえました。「『こうもり』って、あの、動物のこうもりなの?」。
  すると聞かれたおじさんは答えに困って「そう、そうだよ」と答えていました。私が聞かれても同じようにあいまいに返事をしたと思います。「こうもり」は聴衆にとってオペラを聞いてみるまで謎であり、オペラの進行につれて、その謎が明らかになるようになっています。

 まずあらすじをご紹介し、それからみどころ、聞きどころを追ってみたいと思います。オペラの舞台はウイーン、時代は19世紀半ばです。ところで作曲者のヨハン・シュトラウスは親子でそれぞれ「ワルツの父」「ワルツ王」として有名ですが、この作品を書いたのはJ・シュトラウス二世です。
  「美しく青きドナウ」「ウイーンの森の物語」「皇帝円舞曲」「南国のバラ」「春の声」「朝の新聞」など、みな二世の作品です。二代目は初代に及ばないといわれますが、J・シュトラウスの場合は逆です。
  さて、「こうもり」のあらすじです。ここにアイゼンシュタインという下級貴族、それに友人のファルケ博士がいます。この2人は若い頃からのいわゆる悪友です。数年前に仮装舞踏会があり、そのときアイゼンシュタインは蝶々に扮装し、ファルケ博士はこうもりに扮装しました。
  これが「こうもり」の由来です。二人はパーティでお定まりのらんちき騒ぎをやって帰りましたが、その帰途、アイゼンシュタインはいたずらをしました。酔いつぶれたファルケ博士を、こうもりの扮装をしたままの状態で道端に置き去りにしたのです。

 じつは私の友人で酒癖の悪い男がいました。彼は会社の帰りに同僚と飲んで、いつもの通りへべれけに酔っ払いました。会社の同僚はついに彼を見捨てて帰りました。あくる朝、日が高くなってから目が覚めると、彼は神奈川県のある橋の上で寝ていました。彼はおなかを出して寝ていましたので、その幅30センチぶんだけきれいに日焼けになっていました。彼の奥さんはその幾何学的な日焼け痕を見て離婚を決意しました。
  ファルケ博士も私の友人とほぼ同じ経験をしたものと思われます。翌朝彼が気づいたとき、こうもりの扮装のままでした。彼は町中の子供や大人に笑われながら、すごすごと帰りました。ファルケ博士はこの件で友人のアイゼンシュタインを恨みました。いつか彼に復讐をしてやろうと心に誓い、チャンスを待つことにしたのです。

 華やかで堂々たる序曲が終ると第1幕が開きます。舞台はアイゼンシュタイン邸の居間です。舞台下手側に2階に通じる階段があります。部屋の調度品や雰囲気は、やたらと華美、豪華というほどではありませんが、粗末ではない。なかなか快適そうな、いい感じの居間です。舞台にはだれもおらず、外の方からテノールの、舟歌風のセレナーデが聞こえます。
  しばらくするとこの家で働いている女中のアデーレがエプロン姿、手にはたきをもって階段を下りてきます。アデーレは、このオペラでは副主役といってもいいほど大切な役割を担います。彼女は明るく、快活で、色気があり、多少の野心家、策略家でもあります。
  彼女は大変うきうきしています。というのも、踊り子をしている姉のイーダから今夜舞踏会に来ないか、という誘いがあったからです。奥様の晴れ着を借りてきれいにしてくれば、舞踏会に連れていってあげるという内容です。じつはこの手紙、ファルケ博士の策略の手紙です。彼の復讐計画がいよいよ実行に移されたのです。

 手紙を受け取ったアデーレとしては、どうしてもパーティにいきたい。そのためにはまず、奥様の許可を得なければなりません。できるなら衣装も拝借したい。そこへ奥様が階段からおりてきます。しかし、どうも奥様はあまりご機嫌がよくないらしい。「何といって今夜の休暇願いを切り出そうか?」。アデーレは思案します。
  アデーレは奥様と向き合い、突然泣き出します。女性にとって「泣く」というのは何しろ重要な活動の手段なのですね。だから神様は、悲しかろうと悲しくなかろうと、女性が必要を感じたときにいつでも泣ける才能をさずけて下さったのです。
  奥様がびっくりしてアデーレに聞くと、彼女は「おばさんが死にかかっているので、お見舞いをしなければならない。今晩お暇をいただきたい」と答えます。親近者の病気や死は欠席、欠勤の力強い理由になります。これも私の友人の例ですが、彼は職場を休むためにおじさんを3人も殺しました。

 ところが奥さんは全く動じません。「だめよ」のひとこと。理由は2つあります。1つは夫のアイゼンシュタインのためです。彼は人を殴ったとかの理由で、今晩から刑務所に五日間拘留されることになっています。その準備など、ごたごたしているので、今晩アデーレに休まれると困るからです。第2の理由は、恐らく女の直感でアデーレの話はくさいと思ったのでしょうね。女の涙も女が相手では有効性が薄れます。
  アデーレが悲しい歌を歌って引き下がると、バルコニーから一人の男が入ってきます。これはさっきから窓下でセレナーデを歌っていたアルフレート。奥さんの結婚前の恋人です。彼の職業はオペラ歌手ですが、大胆にも昔の恋人を慕ってやってきたのです。

 結婚した女性のところに昔の恋人が訪ねてゆく、これはあり得る話ですよね。ところがオペラの上のこととはいえ、窓辺で大声で歌を歌い、バルコニーから入ってくるというのは相当図々しいのではないでしょうか。
  さて、このような男が窓から侵入してきたら人妻はどう対応するでしょうか。当然のこととして、何はともあれ拒否するでしょう。この奥さん(ロザリンデ)も、びっくりし、ついで迷惑を表明します。
  こんなところに主人が帰ってきて、2人でいるところを見つかったら大変といいます。ところがアルフレートは、彼女のご主人がしばらく拘留され、彼女が「空家」になることをちゃんと知っているのです。主人の出現が心配で、ほとんどうわのそらで返事をする奥さんに向かって、アルフレートは再度の訪問を約束して、窓から引き上げます。

 新婚ホヤホヤならばともかくとして、結婚生活もややマンネリ気味になってきたとします。そんな時期に主人が5日間家をあけ、昔の恋人が訪ねてくる、このような人妻の状況を考えてみます。悪くありませんね。
  恋人との関係は、場合によってはちょっと煩わしいかもしれないけれど、旦那から開放されるというのは、ちょっとうれしい。分かりますね。ここで奥さんは考えます。「アルフレートはちょっと図々しいけれど、陽気でやさしくていいところもあった。あの人もちっとも変わっていない」。まあざっとこんな心境じゃないでしょうかね。

 そこへ当家の主人、アイゼンシュタイン氏が顧問弁護士ブリント氏と口論をしながら入って来ました。アイゼンシュタイン氏はぷりぷり怒っています。というのも、彼の顧問弁護士が少しも役に立たず、当初五日間拘留のはずのところを、八日にされてしまったからです。
  この弁護士、たしかに頼りなさそうな感じですね。風体も冴えないし、その上ひどいどもりなのです。ところで、「どもり」というのは差別用語でしたっけ? 私は差別用語でひどい目にあったことがあります。ある出版社で、刷り上がった私の著書を裁断し、全部印刷し直さなければならなくなったのです。

 出版社が私にクレームしてきた差別用語とは、「床屋」「農夫」「ブタ小屋」などの用語でした。ちなみにこれらは「理髪師」「農業従事者」「養豚施設」といいかえなければなりません。かりに「どもり」が差別用語だとすれば、ブリント氏は「言語に障害のある人」といわなければなりませんね。
  差別用語は現代ナンセンスのひとつです。なぜなら、このオペラでは、「どもり」の人をひどく傷つけているからです。のちに登場しますが、刑務所も看守もパロディの対象となります。パロディというものは、多少の毒を持ち、人を傷つけるのが狙いです。されば弱者の心に敏感なやさしい人々よ、J・シュトラウスの愉快なオペラ「こうもり」を禁止しなさい。

 アイゼンシュタイン氏と弁護士のおかしな二重唱が終り、弁護士が追い出されるようにして出てゆくと、入れかわりにファルケ博士が登場します。このファルケ博士こそ、アイゼンシュタインに恨みを抱く今回の事件の首謀者です。
  博士の風貌は男前で、上品で、知的でさえありますが、いずれにしても上流階級の遊び人という、ギャラントな雰囲気が漂っています。博士という肩書きにはなっていますが、彼の専門が何なのか、このオペラでは話題にさえのぼりません。
  ところでこのファルケ博士、アイゼンシュタインが刑務所入りをしなければならないことを承知の上で、今夜の舞踏会に誘いにきたのです。彼はロシアの大金持ちがパーティを開催するからそれに一緒に、偽名で参加しようというのです。彼は、「ブタ箱で二日酔いをさませばいいじゃないか。人生を楽しむには、ともかく陽気にやらなきゃだめさ。パーティにはカワイコちゃんがおおぜいくるぞ」とアイゼンシュタインをたきつけます。

 これから刑務所入りをしなければならないと気落ちしていたアイゼンシュタインも、この悪友の誘いを聞いてすぐさま有頂天になってしまいます。彼は女をひっかけるときの得意の小道具、それはかわいい女ものの時計ですが、それを取りだして博士に見せびらかします。それから心は早くもパーティに飛び、二人は部屋中を踊り狂い始めます。男を誘惑するのはじつに簡単ですねえ。
  奥さんが二階から下りてくると、主人がさっきと打って変わったニコニコ顔で、「ブタ箱に入るには盛装で行かなければならない」と主張するのでびっくり。ファルケ博士は復讐のしかけを完了し、そそくさと引上げます。

 ここからはアイゼンシュタインと奥さんと女中アデーレの、3人3様の、アリアとポルカが始まります。まず奥さんが、アイゼンシュタインとのしばしの別れを惜しむ悲痛なアリアを歌います。「これから8日は、あなたなしで暮さなければならないのね。この恐ろしいつらさは言葉ではいいあらわせません・・」などと歌います。
  ところが奥さんとしては、家庭の暴君からしばし開放されるうれしさと、昔の恋人とのアバンチュールを考えているのです。アデーレは、最初休暇願いを出したときは許可されませんでしたが、すでに許可を得ました。というのも、奥さんにとっては昔の恋人が家にたずねてきたとき、アデーレに家にいられては具合が悪いからです。
  アデーレは、おばさんの病気見舞をするという口実でパーティに行くのですから期待で胸がワクワク。そしてアイゼンシュタインは刑務所に行くと見せかけて舞踏会です。お互いに内心の喜びをおし隠し、表面上は悲しそうな顔をしなければならないのですから妙なことになります。悲しいはずのアリアが、何度やってもいつの間にか陽気な三重唱のポルカになってしまい、三人が気づくと一緒に腕を組んで踊ってしまっているのです。

 盛装したアイゼンシュタイン氏が、奥さんとつらい別れの挨拶をして出てゆくと、さっきのアルフレートが早くもやってきます。そしてご主人がいないことを幸いにさっきまでアイゼンシュタインが着ていたガウンをはおり、ナイトキャップをかぶり、自分が主人気取りです。奥さんは図々しいアルフレートのペースで、予期以上にことが進んでいるのでちょっとあわてています。
  正直のところ、彼女にはまだ心の準備ができていないのです。彼女は「人妻の私に恥をかかせるつもり?」などと弱々しく反撃していますが、アルフレートは「ここに、あなたと一緒にいたいだけです」などといいます。

 アルフレートは、ここでテーブルのうえにあるトカイ酒に目をつけ、これを二つのグラスについで奥さんにも一緒に歌うようにすすめながら、酒と愛を讃美する美しいアリアを歌います。
  ここで出てくる「トカイ酒」というのは、ハンガリーのトカイ地方に産する貴腐ワインのことです。ここでトカイ酒が出てくるのは第2幕への伏線の一つです。じつは奥さんは第2幕ではハンガリーの貴婦人に扮装するのですが、それはまた後ほど。
  奥さんはアルフレートの勢いに押されてグラスを片手に歌いながらも、「彼はここから出てゆこうとしない。ここで寝る気かしら、困ったわ」などといっています。このまま行けば当然、アルフレートは抵抗する奥さんを押し切って、初期の目的を遂げることができそうですね。

 ところがオペラ「こうもり」は、残念ながらアルフレートにはいい思いをさせないように作ってあります。奥さんが、アルフレートの押しの一手に負けそうな雰囲気になってきたとき、とつぜん来客が現われます。これは刑務所長のフランク氏が、アイゼンシュタイン氏を連行するためにやって来たのです。
  刑務所長から見れば、夜分にガウンを着てナイトキャップをかぶって、しかも奥さんと2人で歌っている男性は、まぎれもなくご主人です。奥さんは「これは私の主人ではない」といいかけるのですが、ハッとします。彼が主人でないとすれば、奥さんは刑務所長の目の前で不倫を認めたことになってしまいます。

 一方アルフレートにすれば、来客など自分に関係ありません。それに少々トカイ酒がきいてきていますから、さっきから大声で歌い狂っています。刑務所長にも「まあ、一杯」などとすすめる始末。とうとう彼は自分から「私はアイゼンシュタインではない」といってしまいます。
  そこで大いにあわてた奥さんはアルフレートに抱きつき、驚く刑務所長に向かってエクスキューズを歌います。「私が他の男と一緒にいるとでもお思いですか?こんなふうに2人だけで、親しく、こんな時間にこんななりをしているのは、主人以外にありえるでしょうか?」。
  このポルカとワルツのセットからなる歌は、奥さんの窮余の一策、いや窮余の一曲。楽しく美しい音楽です。

 ここで刑務所長が「犯人連行の歌」を歌います。これは私の大好きな歌の一つです。「私と一緒に来てください。私の鳥篭は大きく、すぐ近くにあります。たくさんの鳥が出入りしますが、宿賃はいりません。あなたは私のお客さんです。どうぞ私のお客になるためにご同行ください」
  いかがですか。日本の司法関係者にもこの程度の「おしゃれの精神」が必要ではないでしょうか。私は何度かたちの悪い冗談をいってお巡りさんを怒らせたことがありますが、一度など空港の警備員に「控え室」に連行されそうになったことがあります。
  手荷物検査で、私の持っているスライドの機械がひっかかりました。「これは何です?」という権柄づくの聞き方が気に入らなかったので、私は持ち前の反骨精神から、「ひょっとすると爆発するかもしれません」といってみました。この係員はよほど虫の居所が悪かったのでしょう。大変なけんまくでしたね。優雅でユーモア精神のあるフランク所長を見習わせたいですよ。

 オペラに戻ります。色男アルフレートは奥さんのとっさのお芝居に調子を合わせ、ご主人役を演じ切り、とどのつまり「アイゼンシュタイン氏」として刑務所に連れていかれることになりました。こうして奥さんの浮気の危機は一応回避されました。やれやれ。ここで第1幕終了。ファルケ博士のお膳立てがほぼととのったことになります。
  第2幕は華やかなパーティ会場。オルロフスキー公爵というロシアの大金持ちの屋敷です。そしてここがファルケ博士の復讐舞台です。大金持ちで、退屈しているオルロフスキーに「面白いドラマをお見せしますよ」とかなんとかいったのでしょう。どうやらこのパーティ企画をもちかけたのはファルケ博士のようです。

 ところで、このオルロフスキーを演じるのは、大抵の場合は女性(メッツォまたはアルト)です。歌い手は奇矯さと傲慢と優雅が入りまじった、個性的な独身貴族の役どころをこなさなければなりません。
  最初に登場するのは、奥様の晴れ着をちゃっかり着込んで貴婦人を装ったアデーレとその姉です。姉は「あなたどうしてここにきたの?」といえば、アデーレは「お姉さんが手紙くれたじゃない」「わたし手紙なんか出さないわよ」という具合。どうも変ですね。ここでアデーレは、女優の「オルガ嬢」というふれこみでオルロフスキーに紹介されます。次に登場するのはアイゼンシュタインですが、彼は「ルナール侯爵」というふれこみです。
  ここでさっそくアイゼンシュタインとアデーレが鉢合わせをします。アイゼンシュタインは自分が偽名を使っていることも忘れて、「オルガ嬢」があまりにアデーレに似ていることに驚きます。アイゼンシュタインが「オルガ嬢」を「うちの小間使そっくりだ」といったことからパーティ会場はちょっと騒がしくなります。

 ここでアデーレが歌うのが「人違いのワルツ」。このオペラのアリア中の白眉です。アデーレは歌います。
  「見て下さい、この上品な手、細い腰、かわいい足、この私が小間使に見えますか。伯爵様、おかしな間違いをなさるものではありませんか。滑稽ねハッハッハ、おかしいわハッハッハ・・ギリシャ彫刻そっくりな私の横顔、貴族に生まれついたこの顔形、もしかしたらあなたは、おたくの美しい小間使にぞっこん参っているんじゃありません?」という具合。
  アデーレの歌を景気づけるように、他の来客も「滑稽ねハッハッハ、おかしいねハッハッハ」というので、アイゼンシュタインはすっかりバツが悪くなり、彼女に「誤解と失礼を許してください」といわなければならなくなってしまいました。まずファルケ博士の復讐の小手調べです。もっとも本物の貴族のお嬢さんが、「ギリシャ彫刻にそっくりな私の横顔・・」などとぬけぬけというかどうかはこの際問題にしないことにします。

 次に登場するのは刑務所長のフランク氏です。彼はフランスの貴族「シュヴァリエ・シャグラン」ということになっており、さっそくアイゼンシュタインに紹介されます。
  アイゼンシュタインが「ルナール伯爵」になる、ということはフランス系ですね。一方フランク氏は「騎士シャグラン」とこれまたフランス人、二人ともフランス人ということになっているのですから、紹介されたら母国語で話すのが当然です。
  ところが、アイゼンシュタインもフランク氏も、フランス語なんてさっぱり分かりません。そこで2人が知っているかぎりのフランス語の単語で応酬しあうことになります。この場面はじつに滑稽です。こうした意地悪も、ファルケ博士の復讐の一環であることはもちろんです。この場面は演出によって自由にアレンジできます。
  いよいよ最後に登場するのは、仮面をつけて顔を隠した謎の貴婦人、「ハンガリーのさる伯爵夫人」ことロザリンデ、すなわちアイゼンシュタインの奥さんです。彼女はあのあと、ファルケ博士に呼び寄せられて仮面をつけてここに現れたのです。すると、刑務所に行っているはずの自分の夫が、こんなところで羽をのばしてパーティを楽しんでいるではありませんか。おまけにアデーレも黙って持ち出した奥さんの晴れ着を着て調子に乗っています。さあ、奥さんの怒るまいことか。

 そこへアイゼンシュタインがやって来ました。彼は、仮面をつけた謎のハンガリーの伯爵婦人を一目で好きになってしまいました。彼は、「今夜は、彼女はおれにまかせろ」とかいって、さっそく彼女に近づきます。
  アイゼンシュタインが女性を口説くときの小道具、覚えていますか? それは婦人ものの時計です。この時計はオルゴールのような仕掛けがあって、チン、チン、チン、と音を鳴らすことができます。
  今日ではこんな幼稚なしかけを見て、びっくりして寄ってくる女性なんていないでしょう。それに時計も安くなりましたからね。1800年代のなかばといったら、時計はまだすばらしい貴重品だったのでしょう。恐らく、「私の時計は1日に15分しか狂わないぞ」なんて自慢しあっていたのではないでしょうか。

 オペラでは、この時計が重要なカギとなります。それにしても時計に釣られて簡単にナンパされるような女性が果たしているのでしょうか。それを考えると、アイゼンシュタイン氏の「この時計で何人もの女性をモノにした」などとという話も、ちょっと疑問ですね。いくら時計が貴重品の時代とはいえ、彼の成果は「それで釣れる程度の女性だったのかな」という気もします。
  それはともかく、アイゼンシュタインが時計のベルを鳴らして伯爵夫人の気を引くと、ねらい通り彼女は引っかかってきました。ここで二人の二重唱。アイゼンシュタインが「何てかわいい腰付き、あの足をキスでおおってやりたい」と歌えば、伯爵夫人になりすました奥さんは、「彼は私がだれかも知らず、あんなにモノ欲しそうに私を見ている、何て悪い人」という具合。

 アイゼンシュタインは、謎の伯爵夫人をナンパしようとして努力しますが、結局徒労に終り、おまけにカンジンの時計を彼女に取り上げられてしまいます。奥さんとしては、この小道具を証拠に、あとで旦那をとっちめるつもりです。彼女は、この金の時計をアイゼンシュタインから取り上げ、すばやく胸の谷間に滑り落としてしまいました。
  やがて広間では来客が揃って食事の時間です。ここでオルロフスキー公爵はファルケ博士に向かって「君はたしか面白いものを見せてくれるといったが。たしか『こうもり』の・・」といいます。するとその話を引き取ってアイゼンシュタインがファルケ博士を「こうもり博士」と呼ぶようになった例のいきさつを、得意げに説明します。
  オルロフスキー公は「では、こうもりの復讐はどうなったのだね?」と聞きます。するとファルケ博士は「これからの仕上げをごらん下さい」。どうやら、クライマックスは第3幕に持ち越されるようですね。

 それにしても、自分の時計と謎の伯爵夫人をあきらめ切れないアイゼンシュタインは、彼女に「私の時計の新しい持ち主がだれか分かるように、どうぞ仮面をとってお顔を見せて下さい」と迫ります。ところが彼女はここで正体をあらわす気はなく、「鼻におできができていますので」などといって逃げます。ランチキ騒ぎのうちにいつのまにか時は過ぎ、午前6時を告げる大時計の鐘が鳴ります。
  パーティのゲストの中に、この午前6時をとても気にしている人が2人います。その1人はアイゼンシュタイン氏です。彼は刑務所にいかなければなりません。もう1人は刑務所長のフランク氏です。彼は職場に出勤しなければなりません。
  午前6時の大時計の時報は、このオペラの序曲の中にも取り入れられていますが、その同じ約束の音がなると、2人は一応別々に帰り支度を始めます。「どちらへ?」「おや、同じ方向ですな」などといいながら、二人がふらつきながら出てゆくところで第2幕は終ります。

 第3幕は刑務所の事務室です。右手奥には監獄につながる鉄格子が見えます。まず看守のフロッシュが入ってきますが、彼は相当に酔っている上、まだ手に焼酎の小瓶を持っています。この看守は歌を歌いませんが、舞台の上で1人芝居を演じ大いに観客を笑わせてくれます。監獄の奥のほうからは、ときどきオペラの名アリアの断片が聞こえますが、これはアイゼンシュタインの身代りに昨夜から拘禁されているアルフレートのようです。
  そこへこれまたべろべろに酔っ払った刑務所長が、パーティの主題歌を口笛で吹きながら入ってきます。アイゼンシュタイン氏はどこかで道を間違えたらしく、一緒でありません。ここで酔った看守と酔った刑務所長のおかしなかけあいが見物です。そのとき、来客を告げるベルが鳴ります。刑務所には珍しい女性の訪問客です。

 この女性の訪問客はアデーレと彼女の姉です。アデーレは、昨夜パーティでやさくしてくれたフランク氏を頼って「自分を女優にしてくれ」と依頼にきたのです。恐らくフランク氏は昨夜酔った勢いで、何か適当なことを約束したに違いありません。
  そこへ主役のアイゼンシュタインがやっと到着しました。アデーレたちは右手奥の鉄格子の奥に隠れます。ここでフランクとアイゼンシュタインはおたがいに実名を名乗りあいますが、フランクのほうはアイゼンシュタインのいうことを信じません。なぜなら彼は昨夜自分の手でアイゼンシュタイン氏を逮捕しているからです。
  「ほう、それは面白いね。彼はどこにいたんです?」とアイゼンシュタイン氏。フランク氏は「彼は奥さんとガウンを着て家にくつろいでいましたよ」。これを聞いてアイゼンシュタインが「私の妻と?」といえば、フランク氏は「いえ、彼の妻です」という具合で、話がかみ合いません。そこへ今度は、ロザリンデと名乗る貴婦人が来たと看守が告げます。いよいよ奥さんの出番です。

 この合間にどもりの弁護士ブリント氏があらわれますが、アイゼンシュタインは何を思ったかいきなりブリント氏におそいかかり、洋服、メガネ、かつらまではぎとって自分が着込みまんまと弁護士になりすまします。彼は弁護士を装って事情を聴取し、奥さんとそのけしからん間男の首根っこをおさえようと考えているわけです。
  奥さんと、満たされぬ恋人アルフレート、それに弁護士になりすましたアイゼンシュタインの3人が集合し、「弁護依頼の三重唱」が始まります。この三重唱も滑稽ながらとても美しく、親しみやすく、いつまでも心に残るものがあります。私はとくにこの三重唱の終わりの部分にあらわれる、「心をしずめて、ことにあたろう」の、減7度のハーモニーの組み合わせがとても好きです。
  奥さんとアルフレートは弁護士がほかならぬアイゼンシュタインとも知らずに、この事件がおかしな偶然で発生した誤解だということを説明しようとします。アイゼンシュタインはともかく弁護士になり切って、冷静に事情聴取をしようとつとめます。しかしときどき感情をおさえ切れなくなり、最後には爆発してしまいます。

 ついに彼はテーブルのうえに仁王立ちになり、「私がアイゼンシュタインだ! お前たち、悪業を恐れよ。復讐をしてやるぞ」と叫びます。そして彼は妻と間男を舞台のうえで追いかけ回します。彼が嫉妬の形相ものすごく妻につかみかかろうとしたとき、あの婦人ものの懐中時計のチンチンチンという、澄んだかわいい音が響き渡ります。ロザリンデの手には、アイゼンシュタインが取り上げられたあの時計がぶら下がっています。
  ここに至って、アイゼンシュタインはすべてを悟ります。自分が昨夜、しきりにナンパしようとしていたのは自分の妻だったのです。

 そこへにぎやか音楽が鳴りわたり、オルロフスキー公爵とファルケ博士を先頭とする昨夜のパーティ一行が監獄の事務所になだれ込んできます。ファルケ博士は、みじめな気持ちであっけにとられているアイゼンシュタインをつつき回し、シャンペンをぶっかけながら「こうもりの復讐だ」と叫びます。
  「どういうことなんだ、説明してくれ」と悲鳴を上げるアイゼンシュタイン。ファルケ博士は「これは全部君をやっつけるために仕組んだ冗談、こうもりの復讐なのだ」と説明すると、パーティの一行は「私たちも一緒にやった」と唱和します。
  アデーレもオルロフスキーもこの復讐劇にひと芝居打ったと唱和します。どさくさにまぎれてアルフレートもこのお芝居の仲間だと説明、これでアイゼンシュタインはやっと安心します。それからパーティの一行はこう歌います。「おお、こうもりよ、こうもりよ、おまえの犠牲者を許してやれ」。

 ここでアイゼンシュタインは、さいぜんからふてくされている妻の前にひざまづいて「ロザリンデ、君の忠実なガブリエルを許してくれ。これはすべてシャンペンのせいなのだ」と頭を下げます。
  ロザリンデは彼を許し、ハッピー・エンド。「こうもりの復讐」はすべて完成しました。ロザリンデがグラスを高く上げて音頭を取ると、一同が続いて景気のいいシャンペン讃歌を歌い華やかにオペラ「こうもり」全幕の終了となります。

 では、ここで「こうもり」が私たちに伝えているメッセージを解読しましょう。
  まずその第1は夫婦の危機ということでしょう。ここにはさまざまの真実とアイロニーが入り交じっていますが、それがポルカとワルツ、クプレなどのごく単純な音楽でつづられるので、課題は深刻なのに、少しも深刻でありません。
  どんな夫婦にも危機がないということはありえません。深刻にしようと思えば、どんな家庭でもいくらでもコトを深刻にできるのです。そこで、どんな危機もポルカとワルツでやっつけるという、この基本精神が必要でしょうね。
  ところでアイゼンシュタイン家の夫婦の危機ですが、おたがいに、うわべはともかくマンネリを感じていることはたしかのようです。夫が1週間以上、それもちゃんとたしかなところに拘束され、家をあけてくれる、これは妻には有難いなりゆきです。夫が家の中でどれほどうっとうしい存在になり得るか、このことを世の旦那さんたちはじっくり反省する必要があります。

 一方、女性は夫を煩わしいと思う反面、外の世界にいる夫をきっちり管理しておかねばならないという必要を感じます。女性は、外で羽を伸ばし、スキがあれば浮気を考える男性の特質を十分承知しているのです。ここに矛盾が発生し、舵取りの難しさが発生します。夫は尻尾をつかまれないようにうまくやりますが、ときどき見つかります。ファルケ博士の復讐のポイントはここです。
  このオペラでどうしても不自然なのは仮面、あるいは仮装、変装です。奥さんのロザリンデは目と鼻の部分を隠す、両側が跳ね上がった例の大型の眼鏡みたいな仮面をつけてパーティにあらわれます。だから口もとや額や髪の毛は見えているのです。だから夫であるアイゼンシュタインが、自分の女房を見抜けないというのは、いくらなんでもおかしな話です。

 次にアイゼンシュタインが弁護士の扮装をする場面ですが、これまた道具といっては服とかつらだけですからねえ。しかもこの弁護士はときどき感情を表に出してしまいます。観察眼の鋭い女性が、この相手を見抜けないというのもおかしなことです。
  それがオペラ、しかも喜歌劇さ、そこまで詮索するのはヤボというものじゃないか、といわれる方もいるかも知れません。たしかにそうだと思います。
  しかし私は、夫婦は身近かにいて相手をよく見ているようでいて、案外見ていないものだというように解釈してみたいと思います。たとえば奥さんが髪型を変えても、少しも気づかない旦那さんはいくらでもいます。私などもその口です。夫婦間のマンネリと相手への無関心は相関しています。
  アイゼンシュタインは、奥さんに対する関心よりも外部の女性に対する関心のほうが高くなっています。そして自分好みの女性を発見したと思ったら、それが自分の女房だったというのですから、悲しいですよね。

 デュルケムはその有名な「自殺論」の中で、夫婦の関係と自殺についても論じました。彼はこう書いています。「離婚の多い社会に認められる自殺率の上昇には、ただ夫の自殺のみが関わっている」。ということは、離婚した夫は自殺する可能性が高くなるということです。
  そういえばこのオペラの中で、奥さんは弁護士に、変装した夫とは知らずにこういいました。「私の夫は昨夜は若い女と過ごし、楽しみにうつつを抜かしていたのですよ。私は絶対に許さない。帰ってきたら目ん玉をくりぬいてやる、そして離婚だわ!」。すると弁護士に変装したアイゼンシュタインは、思わず首をすくめ、自分の目をガードします。
  この場合離婚をされては困るのは男性のほうです。離婚された男性は、その後のストレスには弱いことが証明されているのです。これに対して女性のほうはどうでしょうか。再びデュルケム先生にたずねてみましょう。先生いわく、「離婚がもたらすこのような帰結は男子に特有のものであって、女子には影響を与えない」。なるほど、やはり女は強いのですね。
  デュルケムがこれを書いたのは百年前ですが、近年離婚率が増加していることは間違いないでしょう。要するに百年も前、あるいはもっと前から、男は濡れ落ち葉になりやすく、女房がいなければ生きていけない存在になるということです。こうした事実にアイゼンシュタイン氏が逆らえないのも当然のことです。

 落語の傑作に「替り目」というのがあります。この落語に登場する酔っ払いの関白亭主は、奥さんに向かってひどい悪態をつきます。「お前なんか手と足だけあってオレの用さえしていればそれでいいんだ」「こんなにいい亭主を持ちやがって、マゴマゴしているとウチに置いておかないぞ」「お前なんかいなくたって、他からもっとようすのいいのがいくらでも来るんだからナ」なんていいます。おまけに「この、オタフク!」なんてどなったりします。
  ところが奥さんが買い物にでかけてしまうとこの亭主はふとホンネをもらします。「何だかんだいっても女房なればこそだ。あんなにいい女房は、本当はオレに持てるわけがないんだ。・・『オタフク!』なんていっているけれど、本当は心の中では手を合わせて、この通り詫びていますよ」。ところが、出かけていると思った奥さんはまだ戸のかげにいたのです。ご亭主の告白は全部聞かれてしまいました。ここにも、結婚した男性の本質的な弱さというものが示されていますね。

 「こうもり」が伝えている次なるメッセージは何でしょうか。それは「優雅さ」あるいは「上品さ」ということです。アランは優雅は「力のゆとり」のことであるという意味のことをいっています。
  たとえば古い恋人であるアルフレートは、窓から忍び込んできて、ひどく図々しくふるまいます。ところが奥さんにひとたび「あなた主人の身代りになって」といわれると、これを承知して平然と牢獄に向かいます。ここには騎士道の精神が見られます。
  もっともだらしなく、やっつけられるアイゼンシュタインを見てみましょう。彼の姿には古典劇のパンの神の精神が宿っています。ご存じのようにパンの神は頭には角が生え(これはコキュの象徴)、下半身が山羊といういでたちで、若い娘を見ると追いかけずにいられないという好色な半神です。

 それでもなお、彼はアデーレに人違いをとがめられるときちんと謝罪し、謎の伯爵夫人のマスクは尊重し、シャグラン氏とはフランス語で対応しようと努力し、六時かっきりにパーティ会場から退出しています。私はここに十分な紳士の精神を認めます。少なくとも彼が紳士でなければこのコメディは成立しないのです。
  酔うとわけが分からなくなり、度を越してしまう人々は、少なくともアイゼンシュタイン氏を見習わなければなりません。愉快であることと、滑稽であることと、優雅であることはきわどく接していなければなりません。

 「こうもり」の筋書きは、どこかモーツアルトの「フィガロの結婚」に似ていますね。「フィガロの結婚」では、アルマヴィーヴァ伯爵が自分の奥さんをスザンナと間違えて口説き、結局自分の奥さんに「ごめんなさい」といわなければならないはめに陥ります。この場合、戦略シナリオは、スザンナと奥さんの共同立案です。そしてこの2人の計略に、抜け目のないフィガロ自身がまんまとだまされるという1幕もあるわけです。
  夫の浮気と妻による赦免、これが2つのオペラに共通しているテーマですが、同時に多くの家庭に共通のテーマといってもいいでしょう。この2つのオペラに共通していることは、この事件が終っても、夫が永遠に心を改めることなどありえないということです。同じような事件が今後も起こることが予測されるのです。

 バルザックの「従兄弟ベット」では、女癖悪いユロ男爵は最後に、聖女を思わせるほど献身的で貞淑な妻アドリアーヌのもとに帰ってきます。妻は夫を許しますが、この夫婦和解の場面は感動的です。
  ところが、物語がもう終ろうとする間際に、ユロ男爵が女中部屋のベッドに入り込んで、ふざけているところが発見されるのです。書かずに置いたほうがいいことをズケズケと書く、これがバルザックの特色なのですから仕方がありません。この点オペラ「こうもり」は、楽しく終り、あとのことは鑑賞者の想像にまかせているわけですね。

 最後に、ファルケ博士の復讐シナリオを評価しましょう。彼が友人の特性をわきまえていることは事実のようです。では、どこまでが彼のシナリオなのでしょうか。
  奥さんに対するアルフレートの出現、これは彼のシナリオにはありません。問題はアイゼンシュタインの刑務所行きですが、刑務所長があらかじめシャグラン氏としてパーティに招待されていることを考えると、かなりの部分が計画されたものであることが分かります。だいいちオルロフスキー公爵のパーティと彼の刑務所入りが重なっては、せっかくの計画がダメになります。アイゼンシュタインの刑務所入りは、ヤラセかもしれません。

 念入りな復讐劇を組み立てたファルケ博士は、一体どんな人物なのでしょうか。執念深く、粘液質のようですね。しかし、彼の人柄をもっともよくあらわしているのは第2幕後半に聞かれる美しい歌、「兄弟になり、姉妹になりましょう。みんな親しくなりましょう。まずキスをして、明日もこのことを忘れずに・・」の歌です。
  パーティ出席者はファルケ博士の音頭で、男女ペアになって、抱き合いながらこの歌を歌います。歌の間にリズムに合わせてキスしあいますので、ちょっとエロチックで、甘美です。
  したたかな遊び人としてのファルケ博士、人間好きなやさしい紳士としてのファルケ博士。復讐の仕掛人のこのような正体が分かることによって、このオペラがさらに魅力的になります。あなたはこのオペラに登場するどの人物に似ているでしょうか?

   
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