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一人百首
 
はじめに

―――別れを経験したすべての男女に捧げる

はじめに
  短歌は私たち日本人にとって心のふるさとであり、歌心の原点でもあります。日本人は古くから歌を作り、歌を楽しんできました。白秋は近代日本人を代表する歌人です。その歌は美しく私たちの心に響きます。この美しい白秋の短歌の最良の部分をご一緒に鑑賞したいと思います。
  北原白秋は1887年、九州福岡の柳河に、造り酒屋の長男として生れました。幼い頃から病的なほど繊細な神経を持っていましたが、幸福に育ち、文学を志して上京し早稲田大学に入りましたが、中退しました。この間、家は大火にあって没落しました。
  白秋は一時与謝野鉄幹が主宰していた「新詩社」にいたこともあります。与謝野夫妻とはもちろん、吉井勇、木下杢太郎、石川啄木、高村光太郎などと交わり、大いに活躍しました。

 白秋は、短期間のうちにわが国でもっとも人気のある詩人としてもてはやされるようになりました。当時はテレビなどなかった時代ですから、一般の人々が詩を読み、これを楽しむという気風があったようです。今日では「詩を楽しんでいる」などといえば、相当変わりものときめつけられてしまいますけれど。
  文壇の寵児と騒がれ、将来が期待されていた白秋にも、大きな落とし穴が待っていました。その事件は1912年(大正元年)に起こりました。有名な「桐の花事件」です。白秋が隣家の奥さんと姦通したとして告訴され、逮捕され、投獄されたのです。この事件は興味深く、これに関連する白秋の歌や文章がたくさん残されています。いずれにしても当代の人気詩人が一夜にして「犯罪人」というのですから大変なスキャンダルです。

 白秋は詩人で定職を持っていませんから、昼間も家にいます。お隣りの奥さんと親しくなるチャンスはあるわけです。そこでお定まりの「フリン」というやつです。今日ではフリンなど少しも珍しくもありませんし、退屈な奥さんたちにとっては多少の刺激ぐらいの意味しかないかもしれません。
  だいいち今日では、誰かがお隣りの奥さんとフリン関係になったとしても、犯罪を構成しません。しかし当時は立派な犯罪だったのですから、世の価値観は大きく変わりました。
  評論家の中に「これは慰謝料めあての罠であった」などといって白秋をいくぶんでも弁護しようとする人がいますが、白秋の文学への自信、多少の気分的な奢り、そしてフリンできる環境、こうした状況下で、白秋は自分で自分の運命を選択したのだと思います。

 白秋の恋人となった女性の名は松下俊子といいます。旦那さんはカメラマンでした。この司法事件の落着後、俊子は松下氏と別居、離婚し、白秋は彼女と結婚しました。本書では白秋と俊子の愛の軌跡をたどってみようと思います。
  白秋は最初東京都内に住んでいましたが、事件後家族とともに三浦三崎に移り住みました。三浦三崎で書いた「城ケ島の雨」に曲がつけられて大ヒットしたことはよく知られています。考えてみればあの歌は純然たるクラシック歌曲です。その歌が今日の歌謡曲なみにヒットしたのですから大変なものです。野口雨情、中山晋平のコンビに見られるように、通俗的なものと芸術的なものの間に断絶がなく、仲良く同居していたよき時代だったのですね。
  やがて「城ケ島の雨」は白秋にとって起死回生のヒット作になりました。やがて文壇にカムバックした白秋は、詩人として文学者として大きな成功をおさめ、日本の詩聖といわれるまでになりました。

 私は白秋の詩も好きですが、短歌が大好きです。とくに彼の23才から29才ぐらいまでの作品がとくに好きです。歌集のタイトルでいうと「桐の花」「雲母集」、そして「雀の卵」の一部までです。成功する前の、放浪し、夢見る魂としての白秋、若さゆえに傷つき苦悩している白秋が好きなのです。
  本書では「桐の花」と「雲母集」、そして「雀の卵」の一部を中心に、私の好きな百首の短歌を掲げ、その短歌について、歌の背景説明や分析を試みたいと思います。藤原定家は「百人一首」を編みましたが、私は「一人百首」を編んでみようと思います。
  白秋ほど言葉の響きとその表現において音楽的な詩人はありません。わが国において「音楽になった詩」の中で群を抜いて多いのは白秋の作品でしょう。言葉の中にすでに音楽が入っており作曲家はこれを引き出すだけでいいのですからそうなるのが当然です。
  白秋は歌人としてよりも詩人としてのほうが有名ですが、彼は自分の「歌」についての考えを次のように記しています。

 「古い小さいエメロウド緑玉は水晶の函に入れて刺激の鋭い洋酒やハシッシュの瓶のうしろにそつと秘蔵して置くべきものだ。古い一弦琴は仏蘭西わたりのピアノの傍の薄青い陰影のなかにたてかけて、おほかたは静かに眺め入るべきものである。私は短歌をそんな風に考へてゐる。さうして真に愛してゐる。/私の詩が色彩の強い印象派の油絵ならば、私の歌はその裏面にかすかに動いてゐるテレピン油のしめりであらねばならぬ。その寂しいうるおひ湿潤が私の心の小さい古宝玉の緑であり一弦琴の瀟洒なすすり泣きである」。
それでは、私の「秘蔵の一弦琴のすすり泣き」をご紹介します。

   
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