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一人百首
 
まとめ―――私たちの白秋

 私がこれまでご説明してきたのは、歌集「雀の卵」の中の「輪廻三鈔」の「別離鈔」までのところです。このあと「発心鈔」がまだしばらく続いています。しかし私は最初に掲げた「一人百首」の目標を完了しました。そこで、以下に少しばかりまとめをしてこのシリーズを終わらせていただこうと思います。
  なお、「発心鈔」の最後の1首は「麗らかに頭まろめて鳥のこゑきいてゐる、といふ心になりにけるかも」というもので、ずいぶん精神的な解脱に近づいているような感じがしますね。
  しかし、白秋の詩作の真の苦しみ、真の貧乏の苦しみが始まるのはこれからです。そこには私たちの肺腑をえぐるようないい歌がまだまだたくさんあります。
  たとえば、「現身(うつしみ)の人の日ごとに取り馴れて食(たう)ぶる飯(いひ)を我も食ぶる」とか、「その子らの生活(くらし)立たねばあはれよと母は鏡をつひに売らしつ」などという歌には、貧乏の苦しみが生々しく、しかも美しく表現されていますね。

 こんな歌もあります。「目を掻けば思ひかけずも火のごとき忘られしものしたたりにけり」。不意に、ほとんどけいれんのように、悲しみの衝動が彼を襲ったのだと思います。白秋の深いところに残っている傷のようなものを歌の中に見ることができます。
  白秋はこの後「雀の卵」をへて文壇に復帰し、活発に創作や出版活動を展開します。
  彼はこの後、江口章子(あやこ)を2番目の妻として迎えますが、4年間の結婚生活の後、章子は突然白秋の前から姿を消すというアクシデントが発生します。そして1921年(大正10年)、彼は3番目の妻菊子を迎えます。彼は最終的にこの菊子夫人と安定した家庭を築きました。
  やがて白秋は童謡の世界に進み、ここでもすばらしい業績をなしとげました。「雀の卵」の中に私の好きな1首「黄のカンナの空気洋燈(ランプ)の如くなり子供出て来(く)よ背戸の月夜に」というのがあります。これは白秋の童謡の世界につながっていますね。童謡は彼にとってまたとない表現手段となりました。そしてこれは同時に白秋が「大人」になり、真に恋愛の情念から解脱してゆくための手段にもなったのです。

 白秋は歌、詩、童謡、評論の領域で押しも押されぬ大家となり、ついには「詩聖」と呼ばれるまでになりました。文学の場合、人によっていろいろ好みはあるでしょう。しかし明治以後最大の詩人をたった1人あげるとしたら、北原白秋をおいてほかにありません。「冬ひらくミモザの枝のひとつかね老さぶ友の笑顔し持て来」。最後の歌集「牡丹の木」の中の1首です。白秋は1942年、57才で亡くなりました。
  ところで1916年5月、章子と結婚した直後のことですが、白秋は1通の、見覚えのある女文字の手紙を受け取りました。それは旧姓に戻った福島俊子からの手紙でした。あれから2年が経過しています。白秋は驚き、この手紙を読んで次のように返事しました。
  「御手紙一々驚き入候。よくこそ御懺悔下され候。・・お前様の罪も欠点も人間の弱さ故に候。決してお前様一人の罪には御座なく候。・・たとへお前様懺悔なさらずとも小生は昔より許してあげ居り候。今後とてもいよいよ心の修業を積まれ、誠の道をのぼられ候やう念じ上候」。

 俊子はこのとき何を考えて白秋宛の手紙を出したのでしょうか。もちろん表向きは、この手紙からわかるように白秋に対する謝罪と懺悔です。しかし、彼女はもし会えるものならまた会いたいという期待を忍ばせながら手紙を書いたのではないかと思います。
  もし俊子に白秋に対する関心がまったくなかったら、手紙を書くはずはないからです。俊子は自分が白秋に及ぼす効果を知っていたのであり、彼女も彼を忘れられなかったのです。もしこのときに白秋が独身でさびしい思いをしていたなら、2人は再び出会った可能性があると思います。ところが、白秋はこの手紙が来る十日前に章子と結婚したばかりでした。おそらく俊子は白秋が結婚したことを知らずに手紙を書いたものと思われます。 
  白秋は「結婚したばかりに御手紙とどき候も何かの因縁なるべく、ただただ天の摂理の不思議なるに驚かれ申候。」と書きました。俊子には気の毒でしたが、白秋は迷いなく返事を書くことができたわけです。これが2人に関して残されている最後のコミュニケーション記録です。

 俊子とはどのような女性だったのでしょうか。白秋にいわせると「お跳(はね)さんで嘘吐きで怜悧(りかう)で愚かで虚栄家(みえばう)で気狂で而して恐ろしい悪魔のやうな魅力と美しい姿」となります。これはゼウスが人間世界につかわしたパンドラにぴったりの表現です。すなわちゼウスは、プロメテウスが人間に無断で「火」を与え、人間を進歩と幸福に導いたことを怒りました。
  ゼウスは1人の美しい女をかたどり、悩ましい四肢とずる賢さを与えました。そして彼女に1つの壷を持たせて人間界に降ろしました。彼女は、女性が持つあらゆる魅力と災いをもって人間世界にやって来ました。女性厄災起源説です。
  パンドラ的な女性の典型を西洋文学に探すとすれば、私はなんといっても「マノン・レスコー」を第1に上げますね。彼女は若く前途有望な騎士デ・グリューを夢中にさせ、彼をみごとに破滅させました。私は俊子の中にマノン的な魅力を見ます。デ・グリューもマノンのおかげでブタ箱に入りましたが、この点も白秋のケースにちょっと似ていますね。
  たしかに俊子はパンドラ的であり、マノン的です。しかし、もっと俊子に近寄って見ると、彼女は鬼でも蛇でもなく、ごく普通の、いまならばどこにでも見られる普通の女性の1人だと私は思います。

 たしかに彼女は良妻賢母型とはいえないようですね。それに美しく、コケットなものを余分に持っていたかもしれません。それにこの時代には珍しくハッキリものをいうタイプの人でした。しかしそのことだけで彼女を責めることができるでしょうか。
  彼女が貧しい白秋を支援しなかったといって非難する人があるかもしれませんが、それはマト外れです。当時は女性が働くチャンスは限られていました。妻が安楽な生活を望み、夫を信頼しその甲斐性を当てにしていたとしてもそれをどうして非難することができるでしょう。マノンは金に窮した恋人に向かってこういいました。「パンなしに恋が語れるとお思いになって?」。
  もし彼女が経済的に恵まれた状態にあり、白秋に申し分なく愛されている状態であったらどうでしょうか。彼女のキャラクターは、また違った発展をとげていたのではないかと思います。なにはともあれ、私は白秋の青春時代から、最良の、もっとも美しい作品を引き出した俊子を弁護し、彼女の功績と復権を主張したいと思います。

 歌集「桐の花」、「雲母集」そして「輪廻三鈔」へと続いたこれらの歌たちは、私たちに何を物語っていたのでしょうか。そして白秋にとって「短歌」とは何だったのでしょうか。そしていまの私たちにとって「短歌」とは何なのでしょうか。
  私はこれらの歌が私達に発信しているメッセージとは、人間の愛の美しさと悲しさだと思います。これらの歌は白秋自身の生体実験の記録です。彼はときに少々気取りながら、あるいは赤裸々に、そして結果的には魂の彷徨のすべてを露呈しました。
  白秋は「わが性玉のごとし」といっていますが、究極の自分に恥じるところがなかったからこそ、何もかもさらけ出すことができました。
  それに白秋たちの「姦通事件」ですが、これは2人の幼さと無防備さの結果だと思います。この時代、姦通罪をおかした文学関係者などそれこそ掃いて捨てるほど、何人もいたのです。私が比較のために例にあげた若山牧水の相手も人妻ですからね。ところが姦通罪で捕まった人などいないのですから、彼等がいかに世間知らずだったかが分かります。これすなわち、「わが性玉のごとし」という彼の自己認識を裏づけていると思います。

 ところで「姦通罪」というのは、ひどくバカげた法律だと思いますが、無責任にいわせていただくと、罪の意識に怯えながら、掟の網をくぐって男女が愛しあうというのも、これまたいいものかもしれませんねえ。
  いずれにしても白秋と俊子の愛とその破局は、事件としては別に珍しいものではないと思います。要するによくある男女の話です。しかし「本質に対して開示されている詩人」の生身をかけた体験として、そして作品として語られることによって、この物語は、今日でも特別の輝きを放っているといわねばなりません。
  白秋と俊子との愛の記録の特性をもっともよく要約しているのは、先にもご紹介した「地上巡礼」のコンセプトです。白秋はこのように叫んでいます。
  「『巡礼詩社』の中一人の、女に迷ひ、酒に溺れ、真に赤裸々なる人間の生きの侭に生きむとする人無きは何事ぞや。迷はざれば醒めがたし。苦しまざれば光り難し。歌もまたその如し」。ここにいたって白秋ははじめて開き直り、迷い、苦しみ、彫琢することによって自己完成をめざす自分自身と、歌づくりの心を重ねあわせたのでした。

 白秋の詩「野晒」に、「死なむとすればいよいよに/いのち恋しくなりにけり。/身を野晒になしはてて、/まことの涙いまぞ知る。/人妻ゆゑにひとのみち/汚しはてたるわれなれば/とめてとまらぬ煩悩の/罪のやみぢにふみまよふ。」とあります。
  これは苦しみ、懺悔している歌ですが、私は「ひとのみち/汚しはてたる」といいつつ、だれにも書けないような美しい詩そのものによって、自己自身を逆転的に定立し、救済しているのだと思います。
  万葉集の時代から、日本人にとって短歌は感情表現の「場」でした。万葉集は日本人が本質的に、日常生活の中で詩人であったことを物語っています。そして「短歌」という表現の場においては、身分上下のへだてがなかったということを物語っています。
  白秋は近代日本における万葉的な歌人の1人でした。彼は「短歌は緑の古宝玉である」といいました。もちろん白秋の「詩」は今日でもわが国最高の水準を維持しています。しかしよく読めば、彼の詩には計算があり、気負いや野心があります。しかし彼の短歌には気負いや野心はほとんど見られません。
  彼は呼吸するごとく、日常話すがごとくに短歌を口ずさみました。いや、彼にとって歌を作るということが、「生きること」「考えること」とイコールだったのです。白秋という存在と短歌は切り放すことができなかったという意味で、白秋は典型的な、もっとも良き日本人であり、万葉的歌人だったと私は思います。

 反面、彼は自分の作品に徹底的に手を加えるきびしい職業歌人でした。手を加えるときには、そのときの考えが入ります。それはもと歌ではなくなり、もと歌をベースにしたもう1つの作品になります。その修正プロセスそのものが、私たちには参考になります。彼は歌の彫琢という活動を通して歌とともに生き、歌の中に自分の人生を刻んだプロフェショナルだったのです。
  私たちにとって歌とは何でしょうか。私たちが歌を鑑賞する意味は何でしょうか。自慢にもなりませんが、私は歌を作りませんし、作ることもできません。俳句や短歌作りの趣味を持っている人をとてもねたましく思います。
  しかし短歌の美しさに感動できることは、日本人であるということのあかしだと思います。白秋は「雀の卵」が完成したとき「生きていてよかった」と叫びましたが、私は美しい短歌を読むとき「日本人として生きていてよかった」と思います。

 と同時に、私たちは日本人としてもっとも日本的で美しくよいものを、かくも無造作に捨ててきたのだと実感せざるをえません。白秋が亡くなったのは今から54年前、つまり短い1世代前に過ぎないのですが、それでも若い人々が白秋の歌をそのまま理解するのは困難になりつつあるのではないでしょうか。
  私にいわせれば、白秋の言語の美しさが分からなくなるということは、日本語の美しさが分からなくなるということです。これは悲しいことです。
  そういえば、私はこの原稿を書くに際して、ワープロが文語表現の辞書を持っていないためにおおいに苦労しました。ワープロが古語や文語の辞書を持つこともやってできないことはないのでしょうが、おそらくビジネスにはならないでしょう。かくしてビジネスが日本語の文化を駆逐しているわけです。
  白秋はお金持ちのボンボンとして生れましたが、ひどい貧乏におちいりました。彼は家族を苦しめ、愛する女性を苦しめながら貧乏状態を選び続けました。ついには愛する女を失うまでになりました。彼は離婚に際して「親か妻か、親を選ぶ」といいましたが、あにはからん、彼が選んだのは「歌」だったのです。

 詩人鮎川信男はこういいました。「我々が受けとった言葉はいつも有償的なものであり、我々に現実的な犠牲を強いるところの言葉であった。神から慈悲深く無償で受けとった詩句のただの一行も我々は持っていない。」。
  すぐれた詩人が私たちに提供してくれる作品には、じつは高いコストが支払われているということですね。私は白秋のこれらの美しい一連の作品も、多くの犠牲において成立しているということを認めます。白秋には天賦の才能がありましたが、彼は目に見えないコストを支払いながらこれを磨き続けました。
  私には才能などありませんが、もし白秋と同じ立場にあったとしても、とても白秋のマネはできません。私はおそらく生活を守るために、詩人になることをあきらめてどこかの会社に就職し小市民的な生活に満足していたことでしょう。
  だからこそ私たちはこのかけがえのない宝を享受することができるのですし、享受すべきなのです。作品を鑑賞し、これに感ずることは小市民コースを選んだ私たちの側の巡礼の旅でもあります。

 「現在は情報化時代だ」といわれます。「どんなものでもそれは情報だ」という人もいます。そして「インターネットでどんな情報も入手できる」というのがこの時代のビジネスマンの合言葉です。
  しかし文学はいわゆる情報ではありません。なぜなら文学は、これを求める人に何一つ利益をもたらしてくれないからです。歌を1首知っていたからといって別に利益が得られるということはありません。教養は利得のための投資ではありません。むしろ時間の無駄です。ヘタをすれば感動に押し潰されて放心や虚脱感を味わうことさえありえます。文学はアヘンのように非生産的なものだといわねばなりません。
  しかし人々は好きな絵を居間にかけ、美しい音楽をくりかえし聞きます。美しいものを身近に配置したいという願いはどこから来るのでしょうか。
  アランは人間の魂を幼児にたとえて、「幼児は報いるということをしない。幼児は求め求めたうえにも、なお求める」といいました。
  私たちの魂は赤ん坊のようなもので、しきりに美しいものを求めますが、何もお返しをしてくれません。私たちは無償でこのものをケアしなければなりません。芸術は精神への供物です。そして私にとってこの「一人百首」は粒揃いの、百個のエメラルドです。私はこれを自分の魂にプレゼントします。

                    1996年 著者

 

参考文献  (順不同)
北原白秋著『白秋全集』岩波書店
北原白秋著『白秋抒情詩抄』岩波書店
北原白秋著『おもひで』柳河版
北原隆太郎・木俣修編『白秋歌集』新潮社
藪田義雄著『評伝北原白秋』玉川大学出版部
木俣修著『白秋研究』日本図書センター
野上飛雲著『北原白秋―その三崎時代』慶友社
野上飛雲著『北原白秋―その小田原時代』かまくら春秋社
飯田耕一著『北原白秋ノート』小沢書店
玉城徹著『北原白秋』読売選書
西本秋夫著『北原白秋の研究』日本図書センター
嶋岡晨著『詩人白秋その愛と死』社会思想社
杉山宮子著『女人追想―北原白秋夫人江口章子の生涯』崙書房
上口博・中島国彦編『石川啄木と北原白秋』有精堂
室生犀星著『我が愛する詩人の伝記』中公文庫
『生誕百年記念 近代日本の詩聖北原白秋』北原白秋展専門委員会
財団法人北原白秋生家保存会
西日本新聞社
福島俊子著『思い出の椿は赤し』桜菊書院・婦人の光
佐藤春夫編『与謝野晶子歌集』新潮社
若山喜志子・大悟法利雄編『若山牧水歌集』新潮社
梁取三義編『小説若山牧水』光和堂
大悟法利雄著『若山牧水伝』短歌新聞社
野田宇太郎編『木下杢太郎詩集』新潮社
佐藤春夫著『春夫詩鈔』岩波書店
鮎川信夫著『鮎川信夫全詩集』荒地出版社
村上菊一郎編『フランス詩集』新潮社
山本太郎著『言霊―明治・大正の歌人たち』文化出版局
近松門左衛門著『曾根崎心中・冥途の飛脚』岩波書店
次田真幸編『古事記』講談社

 
   
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