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一人百首
 
第4章 ディフェンスレス・ラブ

34.どくだみの花のにほひを思ふとき青みて迫る君がまなざし
  この歌は、白秋と俊子との空間的な距離がほとんど危ないまで接近していることを告げています。「どくだみの花のにほひ」という言葉は、何か非日常的な「すごさ」を感じさせます。どくだみの花はよく見ると可憐ですが、この植物が持つ独特のムードは、何といっても、いかにも薬草くさい香りに由来するものでしょう。
  「青みて迫る君がまなざし」という表現もすごいですよね。この青さは、こちらのほうを「ひた」と見つめている、その瞳孔の印象です。私たちは関心のあるものを見るときにしぜんに瞳孔を開きます。すると黒目の中心部分が広がるわけで、これが、まなざしが「青みて」見える理由になります。

 デスモンド・モリスは「マン・ウオッチング」の中で女性の瞳孔のサイズについて報告しています。彼は若く美しい女性のカオ写真に細工をしました。通常の写真と瞳孔を大きくした写真と2つ並べたのです。そして瞳孔サイズの細工のことを知らせないで、男性の被験者にテストしました。すると男性たちは、「なぜか知らないけれどこちらの写真のほうが魅力的だ」と瞳孔の大きい写真を選びました。これは一種の性的なメッセージの効果です。白秋はこのメッセージにうろたえたのです。
  ところでこの「どくだみの花のにほひを思ふとき・・」の歌を見ると、いかにも白秋と俊子の関係が接近していまにもキスでもしそうな雰囲気に感じられますね。事実、白秋はこの歌を「桐の花」の中で、彼女との肉体関係が発生する直前に配置しています。ところがこの歌の原形は、白秋が俊子と出会うはるか前に作られているのです。

 明治42年の「スバル」に白秋は「どくだみの花のにほひを思ふとき青みて迫る君のまなざし」という、ほとんど同じ歌を掲載しています。これは彼女に出会う1年半前のことです。また白秋は同じ年「八少女」という雑誌に、「どくだみの花の恐怖(おそれ)をおもふときほのかに迫る君のまなざし」というバージョンを掲載しています。
  この時期に、白秋がこの歌に相当する何らかの経験を持ったのかとも怪しまれますが、私は次のように解釈したいと思います。つまり、白秋は女性の瞳孔の変化に敏感であり、どんな観察の機会にも決してこうしたメッセージを見逃さなかったということ、そしてこうした状況に強い憧れを持っていたということです。彼は本当の恋人に出会う前から、すでに恋をしていたのであり、そうしたまなざしの前でうろたえる自分を先取りしていたのです。

 

35.雪の夜の紅きゐろりにすり寄りつ人妻とわれと何とすべけむ
  志ん生の落語に「お初徳兵衛」とか「宮戸川」というNHKでは決してやらない出し物があります。いずれも濡れ場シーンがあるもので、昔の落語にはこのテのネタがかなり多かったものと思われます。「お初徳兵衛」では、柳橋のピカいちの芸者が、船頭に身を落とした昔の若旦那の徳兵衛を船の中で口説くというものです。
  芸者のお初はたった一人、かねて好きだった徳兵衛のあやつる舟に乗って帰ってきますが、途中から雨が降り出し、徳兵衛は舟をもやって屋根の中に入ります。2人差し向いで杯をやったり取ったりしていると急に雷が鳴りだし、「あたし、雷が怖いんだよ」といいながらお初は、だんだん徳兵衛のほうに近づいてきます。「・・とうとう二人の膝と膝がくっついてしまった。膝と膝が。これ、どうしましょう」と志ん生がいうと、客席はどっと来ます。
  志ん生のほうはカンジンの所へ来ると、「・・ここんところ、ホンが破けちゃってて、何て書いてあるのか分からない・・」などといって、またも観客を笑わせてから高座をおります。

 さて、いまや白秋と俊子の膝と膝はくっついてしまっています。「何とすべけむ」というのは「これ、どうしましょう」というやつですね。お芝居なら、ここで大向うから「どうする、どうする」というヤジが入るところでしょう。この状況は「お初徳兵衛」に見られるように、女性がけっこうリードしているのですね。
  「紅きゐろりにすり寄りつ」の、この場所がどこかということが問題になりますが、もしこの夜が「その夜」だったとしますと、この場所は新橋の旅館であることが分かっています。ということはこの当時、旅館にいろりがあったということになりますね。

直前の白秋と俊子の距離を示す証拠が、「新生」という詩の中にあります。白秋は「女には児がある、俺には俺の/苦しい矜(ほこり)がある、芸術がある、さうして欲があり、熱愛がある。/・・心臓をつかんで投げ出したい。/・・女は無事に帰った。・・」と書きました。これを書いたのが木挽町の二葉館という当時の白秋の下宿先です。
  このときに2人は初めて抱き合い、情熱的にキスを交わしました。しかしその日は何とか一線を踏み止まり、彼女はそのまま帰ったものと思われます。女性が帰ったあとの、白秋の、まだ肩で息をしているような興奮が、「新生」の詩の言葉づかいの中に残されていますね。
  2人はこれまで約2年にわたってプラトニックな関係を維持してきたのですが、その禁制のラインがもうじき音を立てて崩れます。そしてこれは、2人にとって長い受難の季節の始まりを告げていたのです。

 
 

36.狂ほしき夜は明けにけり浅みどりキャベツ畑に雪はふりつつ
  「雪の夜の紅きゐろりにすり寄りつ・・」の歌の前には詞書きがついています。そこには「ひとよよのつねの恋となあはれおもひたまひそ」とあります。当人たちにしてみれば、これは特別な恋である、かの歴史に名高い「パオロとフランチェスカの恋」に匹敵する恋だ、そんじょそこらの恋愛と一緒にしてくれるな、と思っていたかもしれませんが、今から考えれば、別に驚くようなことはない、ただの男女のくっつきあいですよね。
  ただし「雪の夜の・・」の歌の前にいまのような断り書きがあるということは、「雪の夜」が「狂ほしき夜」と同じ日時であることを示しています。この「狂ほしき夜は明けにけり・・」の歌には、「悪夢のあとの朝明」という短い前文がついています。とうとう2人はがまんし切れなくなってデキてしまったのでした。

 ここに至るまでの俊子側の事情を整理してみます。彼女の主人はハーフの情婦がいたのですがこの女が自分の子どもを連れて家の中に入り込み、異様な共同生活が始まっていました。耐え切れなくなった俊子が実家に帰るというと、夫は「ああ、いいよ」。そして同時に「もうお前など帰ってくることはない。これきり離縁だ」といわれたのですね。
  「離縁」といわれた俊子はその足で白秋に会い「私はもう離縁されてきました」といいます。そこでそれまで2人を抑制していたタガがいっぺんに外れてしまったのですね。
  そのとき白秋は京橋の越前掘に上京してきた母と妹と弟と4人で住んでいました。柳河の実家のほうは、完全に行き詰まり、家族が長男を頼って上京してきたわけです。昨年の末でしたら俊子も白秋の下宿に泊まることができたかもしれませんが、家族が一緒ではそうもいきません。白秋は実家に帰る俊子を送って新橋までやって来ました。そして2人はそのまま旅館に入り、ここで2泊しました。明治45年2月のことです。

 翌朝起きてみると、旅館の窓越しにキャベツ畑が見え、キャベツの上に雪が降りかかっています。寒い朝だったにちがいありません。当時はこのへんにまだ野菜畑が残っていたのですね。俊子の手記にこうあります。「2日2夜、そこにくらして了った。・・みじんも『悪』と向かい合っているような、やましさも、後ろめたさもない。・・愛情とはまるでかかわりのない男に、むざんにされてしまい、子どもまであるわたくしを、白秋は疵つかぬ白珠かなんぞのように愛撫してくれた」。
  ところで、俊子は「離縁されてきた」といい、このことが2人の警戒を解かせてしまったのですが、じつはまだ正式の離婚手続きは行なわれていませんでした。

 
 

37.つかのまも君を見ずては抑えがたきかなしき狐つきそめにけり
  何と美しい歌でしょうか。「ほんのちょっとの間も君と会わずにいることはできない。私はそんな、抑制のきかない、おかしな狐つきになってしまったらしい」というような意味だと思います。「見ずては抑えがたき」という言葉の流れと、「抑えがたきかなしき狐」という流れが一つにとけあって、みごとな諧調と抑揚を作り出しています。
  ここで「狐つきそめにけり」とありますが、狂気と狐の関係は日本独特のもので、これが古典的な優雅さと民話的な無気味さを暗示しています。
  「つかの間も君を見ずては」という感情は、解禁になった男女の仲の精神的、肉体的な欲求です。それまではなんとか我慢できたものが、一線を越えたその日からもう我慢できなくなるというのは、どうしたわけでしょうか。それは相互に遠慮がなくなり、相手を拘束したり、多少は自由にできる権利を確保したと思うからです。

 また離れているときには相手のことしか考えられなくなり、「そのこと」しか考えられなくなってしまうからです。俊子のほうには家庭的な「課題」がありますから、多少は気がまぎれることがあったかもしれませんが、白秋のほうはいずれにしてもぶらぶらしています。だからいやがおうでも女のことだけを考えてしまいます。
  騎士トリスタンは、マルク王の花嫁になるべきイゾルデ姫を連れて帰るとき、船の上であやまって2人一緒に「媚薬」を飲んでしまいます。このために2人は終生離れていることができなくなります。この媚薬は、あまり気の進まないイゾルデを嫁ぎ先のマルク王にしっかりと結びつけるために、イゾルデの母親の手によって調合されたものでした。
  私は、これは媚薬ではなく、2人の肉体関係そのものだったと考えます。しかし魔法や媚薬が登場するところが、いかにも「西洋くさい」といわなければなりません。つまり男女が離れられなくなっているという、なかば狂気の事実を説明するために、「媚薬」という客観的な物証を持ち出すのです。

 これに対して「狐つき」というわが国の概念は、因果関係を説明する理屈があいまいです。もっとも民話の狐つきは、狐にたたられた人が取り違えをするとか、逸脱的な行動をするのが普通です。狐が恋愛の異常性を支配するということはめったにありません。その「狐」を、自分の心を表現するために用いたところが白秋の秀抜なところです。
  トリスタン風にいえば、白秋とその恋人はすでに「媚薬」を飲んでしまいました。そして自分自身をコントロールすることができなくなってしまったのです。

 
 

38.いと憎き宝石商の店を出で泣かむとすれば雪ふりしきる
  この歌は「桐の花」歌集中、「春愁」というタイトルのついた章の中の1首です。このグループには共通の詞書きがあります。「私は思ふ、あのうらわかい天才のラムボオを、而して悲しい宝石商人の息づかひを、心を」。
  ごぞんじのようにランボーは1854年生れのフランスの詩人ですが、彼が詩を作ったのは16才から19才の4年間でした。この若い4年間で、彼は悪魔がのりうつったかと思われるほどの才能を発揮しました。そのあと、彼は突然詩作をやめ、あるいは軍人として、あるいは冒険家として、あるいは商人として波乱万丈の生涯をおくったのですね。文学者には奇人、変人のたぐいは多いものですが、ランボーはその最右翼です。

 白秋はこのとき宝石屋の店に入って、宝石商人でもあったランボーのことを思い出し、この詞書きを記したのです。ランボーが亡くなったのは1891年、この歌ができたのは1912年ですから、それほど年月のへだたりはありません。白秋にしてみれば、ランボーは現代に近い、親近感のある詩人だったのではないでしょうか。そこで白秋は「悲しい宝石商人の息づかひを、心を」というように、ランボーの心理を忖度しているのです。
  ところで白秋はどうして宝石商の店に入ったのでしょうか。またどうしてその宝石商は「いと憎き」ということになってしまったのでしょうか。理由は明白だと思います。白秋は彼女にせがまれたか、あるいは自分で思い立って彼女に宝石、あるいは指輪をプレゼントしようとしたのだと思います。

 1人で店に入ったのか、2人だったのか、それは分かりません。私は2人で町を歩いていて、ひやかしのつもりで入ったのだと思います。もっとも彼は「2人はもう事実上の夫婦なのだ。だから指輪ぐらい買って与えてもおかしくはない」と思ったかもしれません。 白秋はお金持ちのぼんぼんで、お金に困ったことはありませんでしたし、反対にまったく金銭感覚はありませんでした。ところがこのときには、彼は上京した母親と兄弟を抱えて、すでに貧乏暮らしの時期に入っていました。その彼が宝石店の店先に立ったと考えて下さい。以前には苦もなく買えたものが、いまでは手のでない高嶺の花なのです。
  宝石店の販売員は、買う客か買わない客かをとっさに正しく判断します。そこで当然のことながらその判断が態度に出ます。白秋は店先で適当にあしらわれて悲しくなってしまいました。彼女が一緒だったとしたら、もっと惨めだったことでしょう。そこで「いと憎き宝石商の店をいで」となったのです。

 
 

39.美しく小さく冷たき緑玉(エメラルド)その玉掏らば哀しからまし
  同じ宝石商のシリーズ中の1首です。ここでは宝石を買えない自分が情けなくなり、「いっそかっぱらってやろうか」という心境になったことを示しています。ところが、彼はさらに宝石を盗んだらどんな気持ちがするだろうかと考えます。また盗んだ宝石を見たとき、その宝石は自分にとってどんなに美しいものになるだろうと想像します。
  ここで「その玉掏らば」というのは、他人の懐からするというのではなく、店頭から不法に持ち帰ったならばということです。もし宝石を無断で持ち出せば、たとえどんな理由があろうと「窃盗罪」が成立し、白秋は捕縛されるでしょう。
  ところで、他人の美しいものに手をのばしてそれを取るという行為、これをじつは白秋はもうやっているのです。そして白秋は他人の奥さんを窃盗した件で逮捕される運命にあるのです。「その玉掏らば」という一句には運命の予感があります。
  白秋ならずとも、美しいものを自分のものにしてしまいたいという衝動はだれしも持っています。そしてだれもが、いくぶんかはそれをやっています。たとえば野山や道端に生えている花がきれいだといって、これを持ち帰るというのも同じことですね。

 白秋が宝石商の店に入って一番気に入ったのはエメラルドだったようですね。宝石の人気ナンバーワンは何といってもダイヤモンドですが、白秋はダイヤモンドをほとんど歌っていません。この「桐の花」の序文に相当するエッセイ「桐の花とカステラ」の中で、白秋が短歌を「古宝玉」、それもエメラルドにたとえていたことを覚えておられますか。
  ここで彼は「短歌は一個の小さい緑の古宝玉である、古い悲哀時代のセンチメントの精(エッキス)である」、「その小さい緑の古宝玉はよく香料のうつり香の新しい汗のにじんだ私の掌にも載り、ウイスキイや黄色いカステラの付いた指のさきにも触れる・・」と書き、さらに「古い小さい緑玉(エメロウド)は水晶の函に入れて刺激の鋭い洋酒やハシッシュの瓶のうしろにそつと秘蔵して置くべきものだ」とも記しています。

 白秋にとってエメラルドは自分の芸術、なかんずく短歌の美のシンボルだったのです。白秋にすれば、その美しい宝石が宝石店のガラスケースに納まっていることは、いくぶん納得できないことだったかもしれません。
  もし白秋が宝石を盗んだとしたら、彼はそれを掌にのせて楽しんだあと、どこかに秘蔵したことでしょう。あるいは彼女にプレゼントしたかもしれません。いずれにしてもその宝石と戯れ、これを楽しむことが白秋にとって「哀しい」ことだったのです。

 
 

40.君がピンするどに青き虫を刺すその冷たさを昼も感ずる
  これは何やらこわい感じのする歌ですね。いったどういうことでしょうか。白秋は俊子の性格を「冷たい」と感じることがあったのでしょうか。彼は日増しに親しくなり、遠慮がなくなってゆく俊子の性格をどのように評価していたのでしょうか。
  ここでちょっと横道にそれますが、恋人どうしはお互いを特有のニックネームで呼びあうものです。恋人どうしが結婚して、しばらくは恋人時代のままの呼び名で相手を呼びあうというのもなかなかほほえましいものです。もっとも日本では夫婦の間に子供が生れると、相手を「お父さん」とか「お母さん」などと呼ぶようになってしまいますけれど。
  白秋が俊子につけた最初のニックネームは「ソフィー」というものでした。明治45年4月に作られた「白い月」という詩には「わがかなしきソフィーに」という詞書があります。
  「白い月が出た、ソフィー。/出て御覧、ソフィー、/勿忘草のやうな/あれあの青い空に、ソフィー。・・」とあります。短歌のほうにもソフィーの名が出現します。この洋風の名前は、色白で、日本人ばなれのした美人、松下俊子のイメージを適切に表現していたのでしょう。
  この時期、白秋は彼女を「お跳ねさん」と呼びました。世間知らずで、大胆で、外向きな彼女の性格をさしたものと思われます。この呼び名のバージョンは「おまりさん(まりこ)」となり変化はその後も続きます。たとえば事件の後になると、彼女宛の手紙の末尾に「かんしゃくやの俊子さん」「あかんぼの俊子さん」などとくるようになります。

 2人が接近するにつれて、彼女ももうネコをかぶるということはしなくなり、遠慮なく「地」を出します。ときにはいいあいをしたり、意地の張りあいをするということもあったのではないでしょうか。どちらも世間知らずのわがままな側面を持っていますから、痴話喧嘩に発展するのは容易です。
  「彼岸花」という詩に次のような一説があります。「憎い男の心臓を/針で突かうとした女、・・/もしや棄てたら、キッとまた。/どうせ、湿地(しめぢ)の/彼岸花、/蛇がからめば/身は細る。」とあります。ここには「君がピン・・」のこの歌のイメージに近いものがありますね。
  「あたしは夫が憎い。いつか夫の心臓をこうしてやりたい」といって俊子が虫をピンで刺しているような光景を想像してみます。これは間接話法です。白秋は俊子のこうした情念が、いつか自分のほうにふりむけられるということを感じます。「女ってこわいな」。気まずい瞬間、白秋はそう考えたに違いありません。

 
 

41.春はもや静こころなしヒステリーの人妻の面(かほ)のさみしきがほど
  この歌の詞書きには、「ソフィー、けふもまた気づかはしさうなおまえの瞳に薄い雲がゆく、薄い雲がゆく」とあります。ここにソフィーという名が用いられていますね。しかしこの「気づかはしそうな」という表現に注意する必要があります。つまり彼女は何かが気がかりであり、悩んでいます。しかも自分の心を隠そうとしていません。
  この前書きのロマンチックな風情と歌のほうの深刻さを対比してみてください。ここには2つの要素が混じっています。1つは「ソフィー」という呼び名に象徴される初期の彼女の印象、2つには「ヒステリーの人妻」に象徴される現在の彼女の印象。
  「おまえの瞳に薄い雲がゆく」というのも、単に美しい黒い瞳に空の雲が映っているというような、事柄ではありませんね。どうやら低気圧の接近といった感じです。遠慮のなくなった関係の中で、俊子が見せるヒステリー現象を目の当たりにし、白秋は大いに驚き、恐れ、当惑します。
  「春はもや静こころなし」というのは、彼女の心のことをいっているのではなく、白秋自身の独白です。「ああ、私にとってもう春は、少しも美しく平和なものではなくなった」といっているのです。

 「ヒステリーの人妻の」という言葉からは、白秋が彼女を見るとき、当惑してちょっと身を引いてしげしげと観察してる様子がうかがわれますね。前書きで「ソフィー」といっておいて、歌のほうでは「人妻」となるのですから、白秋の気持ちも複雑です。
  愛しあう男女が遠慮会釈のない感情を共有し、交換する、これはすてきなことです。相手がいない人にとっては、これが憧れの状況であり、理想の姿です。
  しかしアランは「愛しているかぎり礼儀のほうが本物である」といいました。遠慮がなくなったらおしまいだ。何でもいいあえるようになったら、おたがいに不愉快を我慢しあわなくてはならない、ということですね。またアランは「冷静な観察は友情を殺す」ともいっています。もう一つ、アランがアリストテレスを引いていっている言葉をあげましょう。「愛は容易に横暴化する」。いずれも愛の危機を説明する箴言です。
  白秋が「ヒステリーの人妻の面(かほ)のさみしきがほど」と歌ったとき、彼は一歩身を引いて彼女のカオを見直しました。この瞬間、彼はアカの他人として彼女をみつめたのです。「愛」とは何と油断のならないものでしょうか。愛はそれ自身の中に自己崩壊の因子を内蔵しているのです。そして2人は早くもある種の危機に直面しています。

 
 

42.夜をこめて風見のきしりさびしさの身に染(し)む空となりにけるかな
  2人の関係、しかもテンションの張った心理を、白秋の側からだけ見るのは不公平かもしれません。俊子は白秋をどう見ていたのでしょうか。前出の福島(離婚後の旧姓)俊子が描く「思い出の椿は赤し」から、彼女の描く白秋像を追ってみます。
  俊子は初めて白秋に出会ったときの印象を「小肥りで丸顔の色艶のいい、目の大きい、ひと口にいうと顔を洗ったばかりと思われるような青年が、机に向かっていた」と記しています。なかなかあざやかな表現です。彼女は白秋を知っていましたし、二人で盛んに文学談議をしたようです。「ふしぎに『白樺』の話が中心で・・」と書いています。俊子もまた文学少女だったのであり、それなりに表現力を持っていたのですね。

 彼女は書いています。「ただ、白秋と話しがしたかった。話してくれる白秋が好きだった」。また「男性的でいて、こんな時に心から優しいこえをかけてくれる白秋、気取りやで、おしゃれで、大きい釣鐘マントと大きい印度更紗の手提袋の似合うような、少し型変わりの伊達者だけれど、どこかゆったりした大きさが、こういう時ほのぼのとわたくしを包む」。これを見ると、彼女のほうにはあまり深刻さはないようですね。
  彼女がこの文章を書いたときは、20年、または30年近くが経過しています。彼女の思い出が年月によって浄化されていることはたしかでしょう。
  しかし彼女の側からすると、白秋の前で泣いたり、すねたりしているとしても、それは彼女が2人の関係を楽しんでやっていることであって、白秋が思うほど深刻な情念的なドラマではなかったのです。

 彼女が記述している全体的な心理状況から判断すると、彼女は白秋ほど事物を深刻に受け止めるたちではないことが分かります。つまり彼女は大胆で、率直で、あけすけで、感情の動揺をおしかくすというのではなく、そのとき、そのときにどんどん表現してゆくタイプだったのです。
  ところで新橋で例の夜を過ごした後、松下俊子はいったん京都の実家に帰ります。そしてしばらく京都に滞在します。「夜をこめて風見のきしり・・」というのは、白秋がしばらくの間彼女と会えなかった期間のさびしさを歌ったものではないかと想像します。
  この歌と同意の詩、「風見」があります。「ほのぼのと軋むは/屋根の風見か、矢ぐるま、/まんじりともせぬわがこころ、/わかれた夜から、夜もすがら、/まだ、あかつきの空かけて、/きりやきり、きりやほろろ。」。この詩と歌の中にある甘さとさびしさを見てください。この別れは、つかのまの別れに過ぎません。

 
 

43.しみじみと二人泣くべく椅子の上の青き蜥蝎をはねのけにけり
  松下俊子と白秋はどのくらいの頻度で会っていたのでしょうか。俊子の手記によりますと、彼女から白秋側への訪問のほうが多かったようです。家が隣同士だったうちは、彼女が白秋家をしばしば訪問しました。「わたくしがしげしげ白秋の家へ出入りするのは、近所の人の口にものぼったとみえて、わたくしの耳にも入ったけれど、平気だった」と彼女はいっています。
  ところが白秋は何しろ引越し魔です。家が遠くなれば会えなくなるのではないかと思いますが俊子はどこへでも行くのですね。「間もなく、白秋は京橋へ移転した。今度は二葉館という下宿である。わたくしは、二つの赤ん坊を背にして、電車に乗る」という具合です。
  このとき、すでには山手線が開通していました。「三日に一度、五日に一度、わたくしは、原宿から、京橋へいく」「白秋が原宿の家に来てくれることもある」という具合です。日比谷公園も代々木の雑木林もデートの場所になりました。

 私たちは2人のデートがかなり頻繁だったこと。つねに彼女のほうが白秋を追うようにしていたこと、いつも赤ん坊がついていたこと、などを知ることができます。赤ん坊がいたので、一見すると子連れのご夫婦のように、自然に見えたのでしょうね。
  昔は都バスなんてありませんから、男性も女性もどんどん歩きます。すばらしい健脚ぶりです。いま二人は公園に来ています。例の調子で俊子は白秋の話に耳を傾けたり、はしゃいでみたり、深刻になってみたり、白秋に対して甘えた、ムラのある気分を表に出しています。話が少し暗くなってきました。そこでベンチに並んでかけようとします。
  そこで歌のほうは、「しみじみと二人泣くべく」となるのですね。ところが、ベンチのうえには先客のとかげがひなたぼっこをしていました。これを発見して「キャッ」と叫ぶ俊子、あわててとかげを、新聞紙か何かで払いのける白秋。そこで「椅子の上の青き蜥蝎をはねのけにけり」となります。

 とかげにもいろいろな種類がありますが、「青き蜥蝎」といっているところを見ると、これはどうやら「ニホントカゲ」のようですね。背から尾にかけてコバルトブルーの光沢が大変美しいものです。最近はニホントカゲを見かけなくなりました。
  色彩に敏感な白秋ですから、とかげの美しさにハッとしたことでしょう。これが気味悪さのハッと重なります。そして払いのける手にも必要以上に力が入ります。こうした色彩認識と驚きと反射的な行動が、「青き蜥蝎をはねのけにけり」という言葉の強さに凝縮されています。このとかげ君の出現で、2人の深刻な話がとぎれたのか、続いたのか、そこまでは分かりません。

 
 

44.ほれぼれと君になづきしそのこころはや裏切りてゆくゑしらずも
  この歌には「才高きある夫人に」という詞書きがついています。ですから、ここでいっている「君」とは、「才高き夫人」のことです。この夫人とはだれでしょうか。
  これはまぎれもなく与謝野晶子のことです。白秋は上京してきてすぐに与謝野寛の門に入りました。同じ門下生の中に吉井勇や木下杢太郎などもいました。彼等は与謝野夫妻を中心にして、雑誌「明星」をもり立てました。
  ところが明治41年白秋たち門下生が、突然与謝野先生に反旗をひるがえして、「明星」を脱退してしまうという事件が起きます。ことの起こりは、与謝野寛の便所の落とし紙に弟子たちが先生のところに持ってきた原稿が使われていたということのようです。当時は水洗トイレではありませんから、使える紙なら何でも利用されたのでしょう。

 与謝野寛が弟子たちの原稿から、歌や詩のヒントを借用していたということも問題になっています。ですから、白秋と与謝野寛は大変気まずい別れ方をしたのです。しかし白秋は晶子夫人には大変かわいがってもらいました。そして寛とは訣別状態になったあとも、白秋と晶子夫人の間には手紙のやり取りが行なわれています。
  白秋が生れたのが1885年、晶子は1878年生まれです。晶子は7才年上ということになります。晶子は美しく、才能ははるかに寛を越え、母性的な包容力にもとんだ魅力的な女性でした。白秋は晶子夫人にあこがれ、深く敬愛していました。
  田舎から出てきたばかりの白秋にとって、晶子夫人はやさしい母代り、姉代りの人であったのではないかと思われます。惚れっぽい白秋のことですから、晶子夫人に甘えると同時に、騎士が貴婦人を思うようにひそかに慕っていたのではないかと考えられます。
  その白秋の晶子夫人に対する感情が、「ほれぼれと君になづきしそのこころ」という言葉でいいあらわされているのです。

 ところが白秋にはいまや「俊子」という、とんでもない相手がいます。これは意中の貴婦人に対する騎士の行動としては大変な裏切りです。白秋は別に規制されているわけではないのに、「自分はいま晶子先生に申しわけないことをしている」と思ったのでしょうね。
  「そのこころはや裏切りてゆくゑしらずも」という一句には、「これではまずい」と思いながらも、自制のきかなくなった状態を表現しています。晶子先生が自分をどう思っているだろうかと思いつつ、軌道修正ができないのです。「いささかのゆかりなきこと身を噛みぬこれを妬みと云ふや云はずや」。この時期の晶子の歌です。

 
 

45.くちびるの紅く素顔のいと蒼き女手品師君去りにけり
  「女手品師」とは、だれのことでしょうか。いうまでもなく恋人俊子のことです。どうして彼女が手品師なのでしょうか。
  それは彼女がみえすいたウソをいう、と白秋が思っているからです。また彼女が目の前にいるとき、白秋は彼女をいとしく思い、冷静に判断できなくなってしまうからです。手品を見ている観客同様、白秋はタネがあると分かっていても、ついついだまされてしまうのですね。
  そして「君去りにけり」という言葉で分かるように、彼女が帰ったあとで、白秋は「自分はだまされているんだ」ということを実感するわけですね。彼女は女性としての魅力を用い、かつ弱者としてのいじらしさを感じさせて白秋をとりこにしていますので、その感覚が「くちびるの赤く素顔のいと蒼き」となるわけです。

 この歌は、2人の関係が爛熟期に入っていること、白秋側から見た場合、彼女の人格に疑念が生じていることを示しています。彼女が白秋にどのようなウソをついていたのか、それは分かりません。しかし彼女の行動のきまぐれな部分と、彼女の家庭をめぐる事情に問題があることは察知されます。
  では彼女は、本当にウソツキだったのでしょうか。もっともだれしもウソはつきます。ウソをついたことがないなどという人こそウソツキです。彼女の手記「思い出の椿は赤し」は、多くの真実が述べられていますが、彼女の出生等に関する記述などはデタラメであることが立証されています。
  また彼女に接触した人々の証言では、彼女の評判はあまりよくありません。白秋はこれに悩んだようです。とくに裁判の事件があってから、白秋と俊子はいったん別れ別れになりますが、その間の俊子の行状について、白秋は俊子のいうことが信じられなくなりました。残されている俊子宛の書簡の中には、白秋が俊子を疑い、また信じ、また疑い、信じようとする努力の跡がくっきりと残されています。

 私は俊子を弁護させていただきます。病的にウソツキであるような人は別として、だれもが自分を実体以上によく見せようとして努力します。その結果心ならずもウソをついてしまうことがあるものです。彼女もそうだったのです。
  彼女は白秋を愛していたし、彼を離したくなかったのです。そこで彼を確保するためにいろいろなことをやったり、いったりしてみたのです。彼女には計算を合わせる緻密さはありませんでした。その時々で最善と思われる言動をとっていたのです。

 
 

46.あだごころ君をたのみて身を滅(おと)す媚薬の風に吹かれけるかな
白秋が俊子と肉体関係を持つようになったのは明治45年2月の初めごろです。そしてこの件で姦通罪に問われ、2人が逮捕されるのはこの年の7月6日のことです。7月といえば、1年前の7月2日には、白秋は入院して背中の大手術をしていますね。あの手術ももとはといえば、白秋の酔いにまかせたバカげた行動が原因でした。今度の場合も恋に酔ってえらい目にあうわけです。7月は、白秋鬼門の月だったようですね。
  2月から7月までの間、彼は家族と京橋の越前堀で暮していましたが、この時期に書いた文章が「桐の花」の中の3番目のエッセイとして収められています。これには「感覚の小函」というタイトルがつけられ、文章の末尾には、「(Echizenbori 28. 6. 1912)」とはっきり記されています。したがってこの文章を書いた9日後に彼は逮捕されるわけです。
  したがってこの「感覚の小函」には、白秋特有の甘いセンチメンタリズム以外にも、ある種の予兆めいた、不安感を感じることができます。ここで彼は次のようにつづっています。「おしろいの匂と酒と友人とに離れてからもう既に久しい時が経った」。彼はいつしか友人たちからも離れてしまっていたのです。

 またこうも書いています。「愛人の胸から貰った小さな青玉の音色は絶えず新しい私の涙に濡らされてりんりんとあるかなきかに鳴り響く」。これでお分かりのように白秋は俊子との恋愛関係にのみ没頭し、ほとんどビョーキの状態であったといえます。
  「あだごころ君をたのみと身を落とす」という言葉の中には、かならずしも信頼しきれていない一人の女性を信じて、晶子夫人を裏切り、友人を裏切り、家族を裏切り、世間を裏切っている自分の苦しい立場がいいあらわされていますね。そして「媚薬の風に吹かれけるかな」という下の句には、自分をいくぶん突き放したような自嘲的なひびきがありますね。「これではいけないと思いつつも、自分がどうにもならない。媚薬に当たってしまったからなんだ」ということでしょう。        
ここでは「媚薬の風」としてありますね。世界中に媚薬が知られていますが、日本では媚薬といえば、「イモリの黒焼き」が有名ですが、このイモリも日本にいる種類ではないそうです。しかし一般に媚薬といえば「飲み薬」か「塗り薬」であって、「風」に相当する吸入タイプの媚薬というのは寡聞にして知りません。しかし、白秋は彼女が側にいるだけで「やっぱり離れられない」と思ったのでしょうから、これ、エアロタイプの媚薬でしょうね。

 
 

47.哀しくも君に思はれこの惜しくきよきいのちを投げやりにする
  私たちはすでに「桐の花」歌集の最後の部分、「哀傷編」に入っています。「哀傷編」は歌集の8章目、最後のブロックに当たります。ここで2人の逮捕と投獄、そしてその後が語られるわけで、この歌集のヤマ場、帰結に相当します。
  「哀傷編」のトビラには白秋のペン画で、1人の女性の姿が描かれています。この女性は袖の比較的短い和服を着て、頭に変なものをのっけています。これは当時の囚人が護送中にかぶせられた網傘です。
  最近は犯人が逮捕された様子をテレビで見ると、ブルーのジャンパーを頭からかぶって顔を隠していますね。あれ、どうしてブルーのジャンパーなのでしょうね。当時の囚人は網傘です。なかなか風流でいいじゃありませんか。いまの犯人、あるいは容疑者にもこれをかぶせたらどうでしょうね。イヤ、ほんとに。
  「哀傷編」の中扉裏には文字も記入されています。ここには「罪びとソフィーに贈る。『三八七』番」とあります。この387番が白秋の囚人番号です。「哀しくも・・」の歌は、「あだごころ君をたのみて・・」に続く「哀傷編」3首目の歌です。

 ところでこの歌、「哀しくも君に思はれこの惜しくきよきいのちを・・」には明らかに自暴自棄の思想が表現されています。「自分はまだ若く、この命を清らかなものとも、大切なものとも思う。しかし、こうしてあなたに愛されてしまった以上、もうどうなってもかまわない」という意味だと思います。
  白秋は郷里で親友の「自殺」に立ちあったことがあります。友人は中島鎮夫、19才でした。彼は白秋とともに文学を語り合った才気あふれる青年でした。彼はロシア語を独習していたので「ロシアのスパイ」という嫌疑をかけられてしまったのです。当時は日露戦争の最中でしたからね。そして中島は身の潔白を証明するため、短刀で喉を突いて自害したのです。いま流にいうとこれはある種の「いじめ」の被害者ですね。
  中島は白秋宛の遺書を残し、自分のぶんも一緒に成功してくれるように、としたためました。白秋は当然のことながら強いショックを受け、学業も手につきませんでした。こうしたことが、白秋の上京を早めた一因ともなりました。
  「あかき血しほはたんぽぽの/ゆめの徑(こみち)にしたたるや/君がかなしき釣台は/ひとり入日にゆられゆく・・」。白秋が自分の命も「投げやりにする」と歌ったとき、年若くして自分の命を投げ出した友人のことを思い、その鮮血を思い出していたのではないでしょうか。

 
 

48.君と見て一期(いちご)の別れする時もダリヤは紅しダリヤは紅し
  これは「哀傷編序歌」の中の「花園の別れ六首」と題された歌の冒頭にある歌です。これで見ると、白秋たち二人は逮捕される直前に、どこかダリアの花が咲いている公園で別れ話をしているようですね。別れ話の原因が何であったのか分かりません。
  またどちらの側が先に別れ話を切り出したのか、それも分かりません。またこのダリアが咲いている花園がどこだったのか、それも分かりません。そこでこれらを勝手に想像してみることにしましょう。
  まず別れ話の原因ですが、私は白秋と松下俊子の関係が夫にはっきり知られ、夫が調査や告訴の準備をしていたからではないかと思います。そもそも自分の女房が、3日おきに男友達のところに通っていて、それを容認しているということが不自然です。事件としての発生がこの時期まで遅れたのは、おそらく次の理由によると思います。

1.夫の松下氏が仕事で忙しかった。
2.彼自身に情婦がいた。
3.妻と白秋との肉体関係がはっきりしなかった。
  しかし夫も黙っていることができなくなり、かなりきびしく俊子を追及したのではないかと思います。
  夫のきびしい追及に対し、俊子ははじめのらりくらりと返事をしていたと思いますが、彼女には無用心なところがありますから、夫に確証を握られてしまったのだと思います。
  彼女がそのことを白秋に話しますと、「それじゃ、2人はこれまでのように会うわけには行かない。苦しいけれども、いっそのこと別れようじゃないか」というように、切り出したのではないかと思います。白秋にしてみれば、自分が彼女に呪縛されていると思っていますから、強制的に2人の中が裂かれるほうがいっそのことマシなのです。

 「君と見て」というのは「君と会って」ということですが、これがこの日の会合をさしているのか、スタート時点からこんにちまでの2人の接触全体をさしているのかはっきりしませんが、「一期の別れ=一生涯、2度と会わない別れ」ということですから、「君と見て」のほうについても期間を大きく取って解釈したほうがいいかもしれません。 
  2人が別れ話をしていた場所は、日比谷公園か小石川の植物園かどちらかでしょう。「ダリヤは紅しダリヤは紅し」とは、花の真っ赤な色から受けるめまい感です。このめまい感は、次の歌にはさらにはっきりと歌い込まれます。

 
 

49.君がため一期(いちご)の迷ひする時は身のゆき暮れて飛ぶここちする
  「君がため一期の迷ひする」というのは、彼女の身の上を思って別れようかどうしようかと逡巡している様子を示しています。あるいは、彼女が夫から責められている件で、白秋が何らかの助言をしなければならないのに、その課題をどう解決したらいいか分からないでいるというような様子ですね。
  それにしても「花園の別れ」の第一首目では、「君と見て一期の別れをする」といったばかりなのに、その直後に「一期の迷いをする」などといっているようでは、心は決まっているとはいえませんね。本当に別れる決心をしているなら、もうふっきれているわけですからね。アランも「『私は決心した』というのはいい言葉だ」といっています。ところが白秋たちはまったく決心し切れていません。可哀想ではありませんか。

 「身のゆき暮れて飛ぶここちする」とは、すばらしい表現ですね。真っ赤なダリヤの前で、これから先どうしようかと悩む白秋、彼にはだれも相談相手がいません。悩みの極点で、彼はめまいと宇宙遊泳感を味わったのです。自分という存在の立脚点、あるいはアイデンティティが失われ、彼自身はもう何者でもなくなっています。
  この歌の次の1首は、「哀しければ君をこよなく打擲(ちょうちゃく)すあまりにダリヤ紅く恨めし」というものです。これは新潮文庫のほうでは「あまりにダリヤ紅くくるしき」というように改められています。さすがにすぐれた詩人は悩みの極点で歌った歌についても、最後まで推敲の手をゆるめないものなのですね。

 この歌によりますと、前後の見境いのなくなった白秋は俊子を、白昼の公園でひどくなぐりつけたことになりますね。そして、あたかもなぐったいいわけのように「ダリアがあまり赤かったからだ」などといっているように聞こえます。
  男が女をなぐる、あんまりいい図ではありませんね。しかしこれは説得が不可能になったときの、論理を越えたコミュニケーションの1つです。もっとも恋人になぐられた女性はますますヒステリックになって前より手に負えないものになりますので、どちらにしても有効なコミュニケーション手段とはいえません。
  それだけ2人は追いつめられ、白秋も逆上していたということでしょう。私としては白秋が白昼、公園で人目もはばからずに、彼女を「こよなく打擲」したという事実にはいささか疑問を感じます。彼は女をなぐりたかったのであり、心の中でなぐり続けていたのでしょう。いずれにしても彼は自分自身を見失っていたのです。

 
 

50.紅の天竺牡丹ぢつと見て懐妊(みごも)りたりと泣きてけらずや
  白秋が公園で本当に彼女をなぐったのかどうか、真相のほどは分かりませんが、このときに彼女は「わたし妊娠したんです」といい出しました。「紅の天竺牡丹」というのは赤いダリヤのことですが、ここでこれまで「ダリヤ」といっていたのが、突然「天竺牡丹」に変わったことにも注意しましょう。
  同じ表現を避けるための、多様な表現バージョンの一つといってしまえばそれまでですが、それ以上に彼女が着ていたはずの「和服」と「ヒステリックにすわった目」と「懐妊」という要素を結び合わせるためには、「ダリヤ」よりも「天竺牡丹」のほうがいいとする白秋の言語感覚の鋭さ、本能的な選語センスの良さに驚きたいと思います。

 そしてここでダリヤを見ているのは、自分ではなく、彼女であることにも注意したいと思います。白秋自身のパースペクティブから花を見ているときには「ダリヤ」であり、彼女のパースペクティブを用いるときには「天竺牡丹」となるのです。
  彼女が白秋との肉体関係からして妊娠をしたというのは本当なのでしょうか。またそうだとしたらその子供はどうなったのでしょうか。
  この歌ができたのが5月〜6月とすると、その原因が2月に作られているわけですから、時期的なつじつまは合います。白秋はそうでなくても頭が混乱しているところに新たな、大きな課題を投げつけられて、さらに惑乱しました。そして「身の上の一大事とはなりにけり紅きダリヤよ紅きダリヤよ」と歌いました。

 この歌では「天竺牡丹」はダリヤに戻っています。白秋側から花を見ているからです。白秋の進退きわまった絶望感がひしひしと伝わってきますね。そして白秋はこうも歌いました。「われら終(つい)に紅きダリヤを喰ひつくす虫の群かと涙ながすも」。最初の別れの決心もどこへやら、2人で花の前で涙を流しています。
  西本秋夫の「北原白秋の研究」という本では、彼女は本当に妊娠したと明言されています。けれど子供が生まれたのか、死産あるいは流産だったのか、中絶したのかについては記述されていません。私は妊娠話はウソ、あるいは思い込みだったと思います。なぜなら白秋のように天衣無縫で感情を隠せない人が、この件について生涯一片の作品も作らず、コメントもしていないのが不自然なこと、それに確実な物証もないからです。
  彼女が「妊娠した」といったのは、別れ話を持ち出した白秋への強烈なカウターパンチだったのですね。女にはこのパンチがありますからね。白秋は降参したようです。

 
   
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