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落語からのメッセージ
 
第6章 付き馬――アマチュアでは債務者に逃げられる

 私は子供のころ、お使いにやらされたとき、持っていったお金で足りなくなって、そのお店の人と一緒に家に戻ったことがあります。何を買ったのかよく覚えていませんが「馬を引っぱってきた」といって、家の人に大いに笑われたことだけはよく覚えています。なぜ人のことを「馬」というのか、大人たちに聞きましたが明確な答えは得られませんでした。
  志ん生の落語は、この「馬」の説明から始まっています。「で、どうして人間のことを『馬』てんだと申しますと、ごく昔は、遊びに行くには馬に乗って吉原に通ったんだそうですな。浅草の並木というところが桜並木になっていて、あのへんに馬子がいて、『どうだに、吉原まで馬やんべいかい』」。

 こうして馬子が吉原までお客を乗せてゆくわけです。お客が行き先を決めているような場合は別として、まだ店が決まっていないお客の場合には馬子が紹介する、ということもありました。旅行代理店と観光地の売店のような関係ですね。ところがその連れてきた客のお金が不足するというケースが発生します。すると紹介した馬子にも多少の責任が発生します。
  「遊んでしまって、勘定が足りないてぇと、そういう場合には、朝帰りの客を、大門の外に馬子たちが待っている。その馬子へ女郎屋から頼みつける。『このお客様ぁ、勘定が足りないんだよ。だからお客と一緒に行って、お金もらってきておくれよ』『うん』てんで、馬子がお客にくっついていくんですな。『おう、清公んちのまえに、また馬がつないであるぜ、また、あいつ、ゼニが足りねえんだよ』なんてんでな。『馬』というのはそれから始まったんだそうで・・」。

 これで「馬」の由来と、どうして大人たちが「馬」の説明をしてくれなかったのかが分かります。浅草から吉原方面に行くメインストリートは現在でも「馬道」といいます。
  けれど売掛金の回収に馬子を使えば、店としては何がしかの駄賃、つまり手数料を馬子に支払わなければなりません。これでは原価が高いものにつきます。そこで「女郎屋の方では合わないから、若い衆を代わりに出すようになった」と志ん生は説明しています。これは変動費を固定費に切替えるという作業で、店はこれによって手数料を節減することができます。
  女郎屋につとめる若い衆のことを「ぎゅう(妓夫太郎)」といったそうです。彼の担当職務は客の呼び込みと、接客、内部の雑用、部屋の管理などです。セールス担当から店内の庶務係を一手に引き受けていたわけですね。そしてある時期を境にして、彼の職務分掌に「未収金の回収」という項目が加わったことになります。
  そこで志ん生は「宵に牛(ぎゅう)といっていた男が、あくる朝ぁ、『馬』になってついてくるんだから、じつにどうも不思議なものであります」といってお客を笑わせます。

 

懐から幽霊が出る客
  今ここに一人の若い衆がいて、店先に立って客を呼び込んでいます。
  「どう、(ぽんと手を打って)いかがです。ちょいとちょいと、ちょいとどうです。・・え、いいじゃありませんか。え? 女の子ぁ揃っていますよ。ほら、あの通り、今ね、お風呂から上がってね、お化粧して、出たばかりなんだよ。あぁた。ちょいっとでいいから、どうです。遊んでいくこたぁできませんか?」。
  ところが彼がターゲットにした見込客は首を振って「ダメ」といいます。「ダメなの?」と若い衆。「あーだめ、だめ。ふところが淋しいんだよ・・」「そんなに淋しいの」「淋しいのったって、たいへんだ、淋しくって、ふところから幽霊が出やしねえかと思うくらい淋しい」「そんな素っ気ないことを・・」。
  「だめなんだよ。そりゃあがりたいよ。あがりたいけれどもね、実ぁあたしは遊びに来たんじゃねえんだから・・。ウン、使いに来たんだよ」。

 この客がいうには、自分は伯母さんの使いで近所に集金に来た。伯母が吉原のお茶屋に金を融通している。けれど行ってみると、まだ宵の口で、入り口に盛り塩がしてある。イの一番で出銭というのは先方も気にするだろうと思うと入りにくい。そこで、時間つぶしにここを通りかかった。通りかかると、女性たちがあんまり美しいので「ああ、金があれば遊べるのになぁ」と考えて、ぼうっとしていたのだ、というのです。
  すると若い衆は、この男が「集金の使い」に来ている、という点に着眼します。「向こうへ行きゃ、取れるんだね」「うん」「そいじゃ、いかがでござんしょう? あちらへ行って、そのお金をもらって、こっちへ来たら・・」。
  ところがその男は「集金してしまえば、これは伯母さんのものだと思うから、里心がついてしまう」といいます。そして次のような論理を展開します。「遊びというものぁ、興のもんだからね。これが遊びのお銭(あし)といって、貯金してあるわけじゃねえんだから・・。遊びというものは、ぱあっ、とそこで使っちゃうから遊べるんだよ・・」。

 その上で男はいいます。「んで、おまえさん、それほどあたしをお客にしたきゃ、あっしを黙って遊ばせるかい、え? 遊ばせりゃ、すぐなんだから、明日の朝、ちょいと手紙を書いて、誰かとりにやって、そいで、払いゃいいんだ」。
  若い衆は疑わしそうに「そう、うまく行きますかな?」。すると男は「行くも行かないも、おまえ、・・借りるんじゃないんだよ。貸したおあしを取るんだよ。向こうじゃ待ってんだよ」とはっきりいいます。

 これを聞いて若い衆は少し考えて「そうすか、じゃ、よろしゅうござんす」といってしまいます。これで契約成立なのですが、この客はさらに慎重に「上に行ってガタガタしねえかい」といいます。これは現金を持っていないので、「チップを出さない」などといってクレームされたりしないか、という意味ですね。
  これに対して若い衆は、「いえ、よろしゅうござんす、あたしがナンですから・・」といいます。これは自分が内部の関係者にそのむね根回ししておくから、ということですが、同時に自分が直接担当するから、という意味も含まれています。こうして短い瞬間にではありますが、客と営業担当者の契約条件が了解されました。

 
 

学校では教えないこと
  ここから客は女郎屋に上がるわけですが、このところの描写には、志ん生個人の、長年の経験に裏打ちされたすばらしいリアリティがあります。
  「トントントントン、と幅の広い階段を上がってゆくときには、人間は何事があろうとも、そんなこたぁ考えなくなっちゃうんすな。えー、引きつけ部屋へ通る。引きつけったって目ぇまわすところじゃない。・・やり手のおばさんが出てきて、敵娼(あいかた=客の相手となる女郎)と対面する・・」。
  志ん生は郭の説明をするとき、「こういうことは学校じゃ教えない」といいます。また「私も研究のためにちょいちょいあそこへ行きましたが、少々研究しすぎちゃいまして・・」などといって観客を笑わせます。
  よき時代の郭の実態と情緒を知って、郭ものの落語をやってくれる人はもういないのかと思うと、とても残念な気がしますね。郭ものは落語のジャンルの中で、質的にも量的にもとても重要な位置を占めているのです。

 さて、二階に上がった例の「文無し男」ですが、酒を飲み、料理を平らげ、いい気分になり、芸者を呼びます。こうしてどんちゃん騒ぎをやってお引けとなり、翌朝となりました。ゆうべの若い衆が勘定をしてもらうために上がってきました。
  「おはようござんす」「おうおう、おはよう、・・ゆうべはどうも騒いじゃってすまなかったねえ」「どういたしまして、(景気のいいお客さんは)はたに対して自慢になります。最近はどうもフじるし(不景気のこと)でございますからな」などといいながら、若い衆は客に勘定書きを見せ、内容を説明しようとします。
  客はこれを制して「そんな、なんだよ・・いいんだよ、〆高いくらっていえばいいんだよ、いちいち読み上げなくたって・・」と鷹揚なところを見せます。
  それでも若い衆はちょっとびくびくしながら、「少ぉしかかっているかもしれませんけれど、えー、四十と六円になっているんでございますが・・」といいます。すると客は「四十六円? あの、芸者の祝儀なんか入れてかい?」といい、「・・安い。安いよ、安いとも・・、それで、ねえ、女の子は揃っているしさ。ウン、ご内所の頭の働きだね。ねえ、細く、長くってンでもって商売うまいねえ」といいます。

 大体こんなふうに請求書を見せられて、「安い、安い」を連発するような客は用心する必要があるのですが、この若い衆はまだそこまでは気づきません。客は「気に入った。二三ン日うちに来るよ」なんていっています。昨夜ふところから幽霊が出るほど金のなかった客が、どうして二三日後に来られるのか、若い衆はそこを疑ってみる必要があるのですが、彼はこうした重要なメッセージも聞き流してしまいます。
  この客は次に「あのね、手紙書いてやろうかと思ったけどね、判を忘れてきちゃったんだ。印形をさ、ね、私が行く分にはいいけれど、知らない人が手紙持ってたって、『金銭のことですから一判願いたい』なんていわれると、行ったものがダレちゃうからね」といいます。昨夜は「使いをやって、金を取りにやらせる」といっていたのが、ここでは自分が行かなければだめだ、というように変わっていますね。
  それにしても集金目的で来た人がハンコを忘れているというのは、どうもおかしいですよね。そこで私たちはこの客は理由をつけて、この店から外に出ようとしているのだと分かります。結局若い衆が「馬」になってこの客と店を出ることになりました。そこで話は、この客がどのようにして「馬」を巻くか、ということに焦点が絞られてきます。

 
 

立替金が発生する
  客は「馬」である若い衆に、「ホラホラ、あそこのうちだよ、ね、今、女の子が駆け出していったろ、あすこだよ」といい、目的の家を示します。しかし「あぁ、まだ戸が閉まってたんだ。少し早かったねえ。寝込みを金とりに行くってのはねえ。ちょいとそこらを一回りまわって行こうか」などといいます。
  彼はここで集金行動を時間つぶしの散歩に切り替えてしまいます。そして「銭湯に入ろうか」といい出します。彼らは一緒に銭湯に入りますが、客に「ちょいと、湯銭立て替えといてくれ」といわれて、若い衆は二人分の入浴料金を支払います。
  客と若い衆の二人連れが、いつ吉原の大門を出たのかが問題になりますが、おそらくこの銭湯は吉原からいったん外部に出て、それから見つけて入った銭湯ではないかと思われます。したがってこの男がいっている「金を貸してあるお茶屋」というのを、大門近くに設定したのではないかと思われます。

 なお、「お茶屋」をよく遊郭と間違えますが、お茶屋は遊郭そのものではありません。遊郭との取り次ぎをする場所で、主としてお金のある高級な遊びをする人のためのコーディネート施設です。金のない客がお茶屋を利用することはまずありません。
  さて「馬」を引き連れたこの客は、「・・湯から上がると気持ちがいいねえ、・・今度は下っ腹がトーンとおいでなすったよ。え、とんだ、清元の喜撰の文句じゃないが、『北山時雨(しぐれ)じゃないかいな』ときたよ」。ここで彼がいっている「北山時雨」というのは、腹が減ったという意味のしゃれです。

 志ん生は、落語の中でよく「とんだ喜撰の文句じゃないが『北山時雨』・・」といういいまわしをします。ときにはこれが「とんだ文屋の文句じゃないが、『北山時雨じゃないかい』・・」に変わることもあります。要するに出典が食い違うことがあるのです。
  この「喜撰」とか「文屋」というのは、歌舞伎の「六歌仙」の一部からとった清元の題名で、それぞれ喜撰法師、文屋康秀のことを指しているのですが、じつは清元の「喜撰」にも「文屋」にも「北山時雨」という言葉はどこにも出てきません。
  志ん生の音曲ものに、初心者、しかもしたたかに音痴の男が、「世辞でまるめて、浮気でこねて・・」と歌う場面が出てきます。これが「喜撰」の出だしです。というわけで、志ん生は清元の内容を知っているはずなのに、「北山時雨」の出典が説明と合致しません。不思議です。
  江戸時代に「北山時雨」が空腹を意味したらしいことは、「東海道中膝栗毛」にも、弥二さんが宿について喜多さんに、「ときに腹がきた山だ」などという場面が出てくることから分かります。しかしどうして北山時雨が空腹を意味するのか私にはいまだに分かりません。出典の件と合わせて、知っている方にご教授願いたいと思います。

 いずれにしても男は空腹だというので、二人は近くの食堂に入り、湯豆腐で遅い朝食をとり始めます。男は「ちょいとねえさん、・・お銚子、うん、お鍋とね」。そして「馬」に向かって、「ささ、おやりよ・・」とお銚子をすすめます。若い衆の方は、本当は仕事中なのに朝風呂に入ったりして少々調子が狂っています。はじめ彼は「そんな(朝から酒なんて)・・」というように遠慮していますが、すすめられるままに酒をのみ、食事をします。
  この段階で若い衆は同行の客におごってもらっているつもりでいます。ところがいざ勘定を払う段になると、「ちょいと、いくらあ? 四円と六十銭? それでいいの? あ、そう。きみ、五円立て替えといてくれ」ときます。
  若い衆はさすがに頭に来て「ありませんよ」と答えます。けれどこの客は、さきほど銭湯で若い衆のガマグチを覗き込んで、若い衆の財布にいくらあるか知っているのです。そして男は次のようにいいます。
  「・・お出しよ! お前さんに五円借りりゃ、十円にして返さなきゃならないんだよ」。つまり若い衆にはちゃんとチップを出すよ、ということをいっているのです。こうなると若い衆は当然期待を抱きます。こうやって男は無理やり金を出させて、店の人に「さ、ここに置きますよ。
ウン、あ、お釣はお前さんに・・」という具合。
  この落語の背景になっている時代は、明治のいつごろのことでしょうか。おそらく明治二十〜三十年ぐらいのことじゃないでしょうか。二人でお鍋をつついてお銚子を五〜六本あけて食事をしました、これを今の貨幣価値に直して一万円弱ぐらいに見積ってみましょうか。すると、この男が昨夜遊んだ代金が四十六円ですから、彼には約十万円の負債があることになります。

 
 

千束の通りを浅草へ
  二人は湯豆腐の店を出て、浅草方面に足を向けます。「えーっと、ここは東町だね」。男の地理説明を聞いてください。「ここはね、東町だ。このね、千束の通りてぇものは、このごろずいぶん変わったよ。ウン、昔は、ここんところズーッと来るてぇと、田んぼが見えてね、うん、あぁ、ここんところには、大金てぇシャモ屋があった。・・あぁここだ、とうとう藤棚に突き当たっちゃった、ウン、(ひょうたん)池んとこにきたよ。へへ、こっちが花屋敷だ。どうだい、ねえ、変わってくるねえ」。
  この男の説明をたどると、彼は大門を出てから馬道通りにまで出ずに、まもなく右に曲がっていますね。江戸が東京になる直前には、浅草方面から吉原に入るルートは二つしかありませんでした。馬道とこの千束の通りです。江戸時代にはこの通りは田んぼです。

 この付き馬の落語の時代になると、かなり住宅や商店が建ち並び、街としての体裁を整えて道も入り組んできます。男は街の変化を楽しみ、同時に昔を懐かしんでいます。要するに彼らはぶらぶら歩きながら、千束通りに入り、それから二三度角を曲がって浅草公園に裏側からアプローチしたことになります。
  このルートは明らかに男の作戦です。馬道の方は、「付き馬」という言葉の由来になった「馬子」たちがたむろしていた通りですから、いかにも「吉原からの帰り道」という感じがします。そこで男ははじめから裏道を選び、しかも途中で「銭湯」「食堂」など休憩基地を設定することによって、いかにも「吉原からの逃亡」というイメージを与えないように配慮し、ゆっくり歩いてきたのです。
  「あんた、吉原の中だつって、あんた、ここ、もう、雷門じゃねえか! 一体どうすんです。あんた!」。ここで若い衆は、いつのまにか自分がずいぶん遠くまで連れてこられたことに気づきます。すでに道のりは大門からカウントして約四キロ程度あります。

 集金先は吉原内部のお茶屋のはずでしたから、とんでもなく離れてきています。若い衆はさすがに自分がだまされているのではないかと、不安になってきました。客だと思って下手に出ていた若い衆も、今や一戦を辞さないという険悪な形相になっています。
  ところが「男」のほうがはるかに上手です。彼は「払やいいんだろう? (金を)こしらえればいいんだろう」といって、近くに伯父さんがいるから、吉原には戻らず、そこで「こしらえてもらうから」といって若い衆を説得します。
  ここで彼は若い衆に世話になったので、「いい帯を上げよう」などといい出します。これで若い衆はまた機嫌を直します。ここから男は機敏に行動を取り始めました。

 
 

何をこしらえるか確認されていない
  浅草の通りに早桶屋が店を出して、親方と二三人の弟子がせっせと仕事をしています。男は、「あれが私の伯父さんだ」といって若い衆を道のこちら側に待たせ、「おじさーん」などといいながら早桶屋に入っていきました。そして若い衆に聞こえるように大きな声で「何とかおこしらえ願えませんか」と依頼をします。
  若い衆は男がなれなれしく早桶屋に入っていったのを見て、てっきりこの早桶屋が男の親戚だと思い込みます。そして男が「金をこしらえる」ための依頼をしているのだと思い込みます。ところがどっこい、男が「こしらえてください」と依頼しているのは早桶なのです。この「こしらえる」というキーワードのすり替えも男の巧妙な作戦です。男は「こしらえてください」と大声でいいますが、あとは小声で説明します。
  じつは、道端に立っているあの男の兄(あに)さんが昨夜「腫れの病」で急死したのだが、体が大きい上に腫れてしまっているので、通常のサイズの棺桶では間に合わない。どの早桶屋でも断られて、ぼんやりしているところだ。ひとつ「図抜け大一番小判型」というのを作ってくれないか、と頼みます。

 この早桶屋は男気を出して、「・・あの男かい」などといいながら若い衆を見て、「・・じゃ一丁やってやるか、気の毒だ。こしらえてやろう」と返事をします。男は若い衆を呼んで「伯父さんがね『じゃこしらえてくれる』ってから・・。おじさん、この男でござんす。どうかひとつお願いします。へぇ、どうかひとつこしらえてやってくださいやすな。・・できたら、この男に渡してやってください」と二人を引き合わせると、この男プイとどっかに行ってしまいました。ひどいやつがあるものです。
  若い衆は早桶屋が仕事の区切りのついたところで、奥に入って金を出してくれると思って待っています。早桶屋は仕事をしながら若い衆に話しかけますが、彼がとんちんかんなことばかりいうので、兄弟に死なれて気が動転しているのだと思います。そこで「しっかりおしよ」なんて慰めています。
  やがて見ているうちに超特大の早桶ができあがり、おやじは「さあ、こしらえたぞ」というので若い衆に引き渡そうとします。若い衆は金の代りに早桶を渡されてびっくり仰天。ここにいたってはじめて「こしらえる」という言葉の行き違いであったことが分かります。
  ここで早桶屋は「なんだい、そいじゃ一杯食っちゃったんだね」といい「こんな・・据え風呂の化けものみてえなもの、売り口がねえじゃねえか、しょうがねえや。ま、いいや、若い者にそういって、手間ぁ負けておこう。木口の代でいいや。木口の代二十円払って、持っていきな」。
  これで見ると、早桶屋では、アシスタントの手間賃の一部は出来高払いになっているようですね。「木口の代でいいや」というのは、直接原価のうちの材料費だけは債権として回収したいということです。この木口の代二十円は、私たちの先ほどの換算レートでいくと約四万円ということになります。ですからここまでのところで例の金無し男は、郭に約十万円、若い衆から約一万円、そしてこの早桶屋に四万円の負債を作って消えてしまったことになります。

 
 

馬に馬がつく
  ここからは早桶屋と若い衆の口論となります。早桶屋は若い衆に現物を引き渡して金を取ろうとします。若い衆はそんなものを引き取る理由もないし、金もないといって拒否します。そして「いえッ、じょ、冗談いっちゃいけませんよ。あぁた・・、吉原を真っ昼間、あぁた、早桶背負って入れませんよ。・・縁起が悪くって・・」といいますが、「縁起が悪い」というひとことで早桶屋はカチーンときます。
  「何をっ、縁起悪い!? 縁起悪い!? 何をぉいってやがるんだ、こんちきしょうめぇ! 縁起が悪いとは何でぇ! おれんとこの商売もんにケチをつけやがって! 縁起が悪いなぁ、こっちのほうだ。てめえがドジだから、こんなことになっちゃうんだい。おう、みんな、背負わせちゃえ!」。早桶屋は若い衆の背中に棺桶をむりやりかつがせ、金を要求します。
  若い衆はベソをかいて「二十円も何も、一文もないんですよ!」。何しろ彼は文無し男に文無しにされてしまっていますからね。すると早桶屋の親方は部下にこういいつけます。「おい、奴ぉ、なか(吉原)まで馬にいきな!」。

 債権取りたて係であるはずの若い衆が、債権取りたての「馬」を連れて帰るハメになるというところが、なんともおかしいではありませんか。
  この落語もなかなか多くの示唆を含んでいます。しかしもっとも大きな教訓は、セールス活動においては、決して「売り急いではならない」ということです。
  昨夜店先に出て客引きをしていた若い衆は、自分の成績を上げたかったのでしょうね。ですから、ついムリをしてしまいました。客の信用状態を確認せずに販売するという基本的な過ちを犯したわけです。
  この若い衆は翌朝請求するときに「なにしろこのごろ『フじるし』でございますから」といっていますが、このことから分かるように、セールスマンにも店の方にも売上を上げたいという焦りがあったのです。例の男はその焦りにつけ込んだわけです。このことはこちらが苦しいときほど、売り先の信用に注意すべきだ、というもうひとつの重要な教訓を示しています。
  銭湯代、食事の代金、棺桶の材料費、これらはこの若い衆のポケットマネーから出さなければならないでしょう。けれど店の売掛金約十万円は、さしあたりは店の損失となります。郭の経営者が若い衆にどのように弁済させるかは、今後の問題です。
  この場合店としては「現金を持っていないと分かっている客を上げてはならない」というルールを作っておかなければなりません。店にも落ち度があったとすれば、ルールと教育の問題があげられるでしょうね。

 
 

危険のサインを見落とすな
  この落語から得られる第二の教訓は、「危険のサインを見落とすな」ということです。郭の若い衆は初歩的な誤りをして、変な客を上げてしまいました。そして一晩たちました。ここまでは仕方がないとしましょう。翌朝彼が請求書を持っていったとき、彼は多くのサインを見落とし、この客を逃がすきっかけを与えてしまいます。
  昨夜上がるときには、「手紙を書いて、誰かに取りにやる」といっていたものが、「判を忘れたから、自分が行かなければ・・」というように条件が変わっていますね。このときに、「お客さん、それはおかしいじゃありませんか」といい、この客を店から出さないようにする、これが若い衆の取るべき対応だったのです。

 それに請求書を見て「安い、安い」を連発していますね。これも怪しいと思わなければなりません。店としては債権があるのですから、男の住所氏名を確認したところで別に「野暮」ということはないでしょう。ところがこの落語では、この男の名はついに私たちにも分からずじまいなのです。
  また男を店の外に出してしまってからでは、もう遅いのですが、集金に行った店の前で、男に「寝込みを襲うというのはねえ、ちょいと、そこらを一回りまわって行こうか」といわれて若い衆が納得している点が問題です。本当なら「お客さん、うちの方も迷惑しているんです。先方も迷惑でしょうが、ここできちんと集金していただきたいですな」といわなければなりません。
  このようにして、いやしくもビジネスマンならば、当然チェックしなければならないクリティカル・ポイントを見過ごしにしてついていった、というのが若い衆の愚かなところです。実際、いいつたえによれば、郭の「馬」を巻くのは実際には不可能だったようです。それはそうでしょう。店の方も必死ですからね。

 客の方が上手で、しっかりしなければならない馬に、逆に馬がついてしまうというところが落語の面白さなのです。しかしながらこの話は、見せかけほど荒唐無稽な、非現実的な話ではありません。
  この若い衆は集金の最中に風呂に入り、客にすすめられるままに酒をのみ、食事をし、散歩をし、最後のころには五円のチップと帯をもらう約束をしていますね。ということは、この若い衆には、客の機嫌を損じないという努力以上に、どこかに意地の汚いところがあるわけです。例の男がこの意地の汚さにつけ込んでいるということを見逃してはなりません。
  たとえばセールスに出かけるといって、パチンコや喫茶店で油を売ったり、地方まわりの出張では、関係のない温泉に立ち寄ってみたり、客におごらせて得をしたような気になっているセールスマンは案外多いものです。
  もちろんまじめなセールスマンが大部分でしょう。けれど中には時間的に拘束されていないことを利用して「適当」にやっているセールスマンがいくらでもいるのです。もちろん骨休めも、息抜きも大切です。けれど「適当」というのはいただけません。
  もちろんこの若い衆だってまじめなのです。彼は職務を忘れてはいません。けれど彼自身が店を離れた開放感を味わおうとしたことはたしかです。プロのセールスマンは債権と現金資産を区別して考えています。つまり現金を手にするまで、用心しています。この点アマチュア・セールスマンは、納品して請求すれば金をもらえるものと無邪気に信じます。この若い衆もビジネスマンとしては修行が足りないといわねばなりません。

 
 

文明は進歩するが文化は後退する
  先日私はこの男が吉原の付き馬をつれて歩いたルートを、自分の足でたしかめようと思って都営地下鉄の浅草駅から歩いてみました。まず馬道通りを通って土手通りに出ます。この道が昔から吉原にアプローチする正規のルートです。
  志ん生の説明によると「浅草から吉原へかかった大きな田んぼがありまして、突っ切っていったんです。俗にこれを吉原田んぼといいまして、『惚れて通えば千里も一里、長い田んぼもひとまたぎ・・』」というところです。これを私の足で歩くと大門まで約二十五分あります。浅草を基点にして二十五分ですから、都心方面から吉原に来る人はゆうに一、二時間以上かかったわけですね。昔の人の情熱と健脚ぶりに改めて驚かされます。

 今では大門はありませんが、「大門」という交差点があります。これを左に入ると、昔の吉原の伝統を引き継いでいるのかどうか分かりませんが、風俗営業の店がたくさん並んでいます。
  町角にお兄さんが立っていました。私が歩いていくと、「どう、いい子がいますよ。早朝サービスです」ときました。そして彼がちらりと見せてくれたのは若い女性の写真を貼ったカードです。見ると、これに源氏名と年齢が書いてあります。
  私が通りかかったのは日曜日の朝十時ごろですが、「早朝サービス」だそうです。うっかり値段を聞きそこなってしまいましたが、ぎゅう(=妓夫太郎)は今でも健在なのですね。もっともこんにちでは、何やら後ろめたく一枚の写真で勝負ですが、昔は現物展示で、天下御免で品定めができたのですから、昔の方がずっといいですね。

 時代とともに文明は進歩するかもしれませんが、現代の吉原を見るかぎり文化は進歩するどころか、退歩するものだということが分かります。
  吉原の中をぬけて花園通りを突っ切り、千束の通りに出ます。これが、例の男が若い衆を引き回していった通りです。いかにも昔懐かしい商店街で、地元色豊かな、にぎやか通りです。この通りを左に入ると、男が「ここは、東町だ」と説明した街区になりますが、こんにちでは「浅草何丁目」という呼び方に変わっています。しばらく進むと浅草の公園へたどり着きます。
  落語では男が「こっちが花屋敷だ」なんていっていますから、彼らはおそらく例の市川団十郎の「暫」の銅像が立っているあたりから公園に入り、花屋敷を右手に見ながら本堂のわきを通って、伝法院の庭にあるひょうたん池のところに出たのでしょう。今ではこのひょうたん池のところは囲いがしてあって一般の参観者は入ることができません。

 彼らはこの池の側の藤棚に突き当たり、ついで仲見世を抜けて雷門のところに来たのですね。そこで若い衆が「もう、雷門じゃねえか!」となるわけです。吉原の中心部分からゆっくりここまで来たとすると、三十分以上はかかっていますね。したがって改めて吉原に戻るというのがいささかおっくうになります。
  おそらくこの当時でも、浅草の観音様の境内や仲見世付近は、かなり人で混雑していたのではないかと思われます。ですからこの男も逃げる気になればパーッと駆け出し、人ごみにまぎれてしまうこともできたのではないでしょうか。
  しかしこの男はそのような乱暴なことをしませんでした。彼はあたかも自分の説得力とだましのテクニックを楽しむかのように、悠々と若い衆を引き回し、最後には早桶屋という、吉原にはまるで似つかわしくない業種を選んで若者を置き去りにしました。

 もしも「こしらえる」という地口合わせを方針とするなら、何も早桶屋でなくてもいいのですが、このように、異質のものを組み合わせる面白さも、男の「だましの美学」の計算に入っていたのでしょうね。
  かたや店を離れ、開放感を味わい、客と親しくなり、客に取り入って何かもらい物でもしようなどというヤワなセールスマンである「付き馬」と、かたや独自の美学を持ち、舌先三寸でどこまでやれるかを試そうとしているプロフェショナル。これでは勝負になりません。この勝負の結果はすでに昨夜の早いうちに決まっていたのです。

 
   
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