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ソクラテスのクリスマス
 
第5章 危険な賭け――ときにはソクラテスのように

アランはソクラテスの真似をした
  ソクラテスは「危険な遊戯をした」とアランはいっています。その遊戯とはどんなものだったのでしょうか。また危険とはどんな危険だったのでしょうか。
  ソクラテスは、ペロポネソス戦争にアテネの一兵士として出征し、たいへん勇敢に戦ったことが知られています。これは私の想像ですが、平和主義者アランが第一次世界大戦に際して志願ししかも重砲兵として前線におもむいたのは、彼が尊敬するソクラテスのひそみにならったものではないかと思います。
  アランにしてみても、戦争は決して遊びではなかったでしょうが、出征に際して彼が上位の役職を拒んだこと、もっとも過酷な現場で知られる重砲兵を選んだことなどを考え、さらに『大戦の思い出』に記されているアランの心境などを総合すると、彼がある意味では紀元前の、ソクラテスの追体験をしようとしていたことは明白であるように思えます

  戦場でのソクラテスの様子を、プラトンは『饗宴』の中で、アルキピアデスの言葉として記しています。アテネ軍は、このときテバイ軍に押されて四分五裂し、無秩序な敗走状態に陥っていました。しかしソクラテスは落ち着いてあたりを見回しながら退却していました。
  「さて、まず第一に、自若としている点でこの人がどれほどラケスに勝っていたかということを。・・アテナイでと同様あそこでも、・・(ソクラテスは)兵士らの間を進んでいったのだ。もしこの人に誰か手を出そうものなら、この人から手ひどい抵抗を受けるだろうということは、誰の目にも、それも非常に遠くからでさえ一目瞭然という姿だった」。
  同じ戦場で戦って、ソクラテスに比較されてしまった兵士ラケスも、戦場におけるソクラテスを賞賛しました。「もしも他の人たちも彼のようにふるまう気になっていたとすれば、・・私は請け合いますが、・・われわれの国家はびくともせず、あのときあのような負けかたをしなくてもよかったでしょう」。

 そこでアランは、裸足に槍を持ってでかけたソクラテスをまねて、いったん戦場に身を置いて見ようとしたのです。これはアランにおける一種の「危険な遊戯」です。
  けれども、もちろんアランが指摘しているソクラテスの「危険な遊戯」とは、戦争のことではありません。ここでいう遊戯とは、議論のたわむれのことであり、危険とは告発される危険、刑に処せられる危険です。
  アランがここで何をいおうとしたのか、もう少し前後の文章を読んで見ましょう。
  「礼儀を欠くのはまだしも許し得る誤りだ。しかし礼儀なしにすませるつもりだと見られれば誤りは許されない。これは尊敬せぬと約束するようなものである。これは相手のすべての想念を不安な期待、やがてはいら立った期待の下におぼれさせてしまう。ソクラテスは教養ある礼儀正しい人々の前でこの危険な遊戯をしたが、これらの人々から見れば、ある種の真剣さは何の礼儀もない一種の戦いを告げるものであった」。

これは、ソクラテスがアテネの勢力家の手によって有罪にされ、ついには死刑にまで追い込まれた真の原因を説明する文章です。要するにソクラテスはアテネの有力者たちを何らかの方法で怒らせてしまったわけですね。
  ソクラテスが死刑になったのは、紀元前399年のことです。いまさら2400年も前のことなど、私たちには何の関係もありませんよね。
  ソクラテスが誰を怒らせようと、今の私たちには関係ありません。大昔は、たいした根拠もなしに人を簡単に死刑にするような野蛮な行為がいくらも見られました。当時の社会と私たちの社会を比較しようとすることが、そもそもムリというものです。

 

ソクラテスは「言葉」のために告訴された
  しかしよく考えてみましょう。アランが指摘しているのは、ソクラテスが「言葉によって」誰かを怒らせたということですね。もっとも、あらゆる犯罪は「言葉」から始まります。誰かが誰かに「人を殺せ」といったとすると、この言葉によって人が動き、場合によっては殺人が発生してしまいます。
  殺人は実体的な事件ですが、「殺せ」という命令や指示は実体的なものではありません。ファルスタッフにいわせると、言葉は「ただの風」です。しかしこの場合の「殺せ」は、明らかに実体的な事件を引き起こした直接的な原因となっています。同じように詐欺も、偽証も、犯罪として成立します。
  ところがソクラテスが犯したとされる犯罪は、実体的な事件を伴ったものではありませんでした。それはある関係者をして、「侮辱された」と感じさせるような性質のものだったのです。今日でも「侮辱」「誣告」は立派な犯罪として成立します。しかしそのために「死刑」になるということは考えられません。

 ここで『ソクラテスの弁明』から、彼がなぜ告訴されたのか、どのようにして死刑の宣告を受けたのかを再度確認してみることにします。『ソクラテスの弁明』の中にはポイントが二つ示されています。
  その一つは「ソクラテスは犯罪者である。彼は天上天下のことを探究し、弱論を強弁し、この方法を他人にも教えている」ということです。もう一つは、「ソクラテスは犯罪者である。彼は青年を腐敗させ、国家の認める神々を認めずに、別の新しい鬼神のたぐいを祭っている」というものです。
  信教の自由、言論の自由が認められている今日では、このような訴状の内容は、いずれも理解しにくいものです。けれどもこの時代にあっては、これは立派な犯罪を構成したのですね。
  しかしながらソクラテスは、この告訴は根拠のないこととして自分の無実を主張しました。彼は第1のポイントについては、根拠のない噂にすぎないことを証明しました。また第2のポイントについては、原告との直接の問答によって、告訴の内容が意味を持っていないことを証明しました。その内容はこうです。

 彼はメレトスという原告に質問し、「ソクラテスはいっさいの神を認めていない」という答えを引き出しました。そうした上で彼は「それではどうして君は私が鬼神のたぐいを認めている、と主張するのか」と論駁しました。これでメレトスはぐうの音も出なくなって黙ってしまいました。ソクラテスはロジックの上では立派に自分の無実を証明したのです。
  ところが有罪か無罪かの判決ということになると、これは30人の陪審員の票決によります。このときわずかな差だったようですが、ソクラテスは「有罪」と確定しました。次に、量刑に関する審議が行なわれました。その結果ソクラテスは「死刑」が確定しました。
  このように、『ソクラテスの弁明』を見るかぎりでは彼は立派に自分を弁護したにもかかわらず、それに対する効果的な原告側の反論が行われないままに、相当感情的ななりゆきで死刑に処せられたことになります。

 そこがまさにアランが指摘する「危険な遊戯」の根拠でもあるのです。ソクラテスはこの裁判において、自分が無罪であることを論証はしましたが、結果として無罪の判決を得るような努力はしませんでした。それどころか、陪審員を挑発していると思われかねない部分があるのです。陪審員に「このやろー」と思わせるような、そんな表現がいくつか見られます。
  私たちは言葉づかいによって人生を生きています。アランがいうように、「誰しも自分の発する叫びによって生きている」といって間違いはありません。そして私たちは叫び方によって、つまり情報の発信いかんで成功したり失敗したりするのです。
  そこで人を怒らせるということは、情報発信が好ましくないということになります。今日でも有力者を怒らせれば出世することはできなくなります。ソクラテス的に考えれば、出世などどうということもないかもしれません。けれど、「あいつはダメだ」という烙印は、死刑の判決にも相当するという人もいます。

 そこで私たちビジネスマンは、日頃から注意深くふるまっています。妥協できるものなら妥協しますし、妥協できなくても妥協します。ともかく有力者の考えと自分の考えを一致させようと努力するのです。
  しかし、相手に逆らってでも、どうしても何かを主張したいこともあります。そのときはどうすればいいのでしょうか。あえていうべきでしょうか。それとも我慢すべきでしょうか。たとえば、自分の上司や会社のお偉方に向かって、「あなたはまったく愚かな人です。なぜならこれこれだからです」といったとします。
  いった本人としては、穴に叫んだミダス王の床屋のように、はなはだすっきりします。けれど相手はびっくりします。「何て無礼なやつだ」と思うでしょう。論争が生じるかもしれません。過激な場合は、彼はその会社にいられなくなり、あるいはそれほど過激でなくても、やがて彼はマークされ、次第にうとまれるようになるでしょう。当然のなりゆきです。

 
 

「失礼」の累積としての死刑
  ソクラテスの発言と、その発言に対するリアクションは、かならずしも過激なものではありませんでした。しかしそれは長期的、かつ累積的なものでした。ソクラテスはこういっています。「私をあなたがたに向かって訴えているものは、多数いるのでして、彼等はすでに早くから、多年にわたって、しかもやっぱり何一つ本当のことはいわないでそうしているのです」。
  彼をボイコットしようとする意見や勢力が長年にわたって、徐々に形成されている様子を察することができます。
  私たちの場合も、「あの人は何となくニガ手だ」「なぜか不愉快になる」という理由で、ある人をボイコットしたり、あるいは気づかずに自分がボイコットされていたりします。そしてその原因が、私たちの発信している言葉づかいによるものであることはたしかです。

 私たちは自分の情報発信のよしあしによって制裁を受けたり、評価されたり、賞賛されたりしているのです。この場合重要なのは、発言内容が事実に即して正しいか正しくないかということです。正しくない発言が罰せられるというのは当然のことです。
  けれども、自分の会社の上司の欠点をズケズケと指摘した場合、それが正しいことであってもタダでは済まされない、というところが問題なのです。クレオパトラは不愉快なニュースをもたらした伝令を罰しようとしました。
  このように、人の発言はその内容の正しさや伝達の客観性よりも、その発言がもたらす感情的な影響力によって裁かれます。あるときには「そのいい方は何だ」であり、あるときは「何となく不愉快だ」であり、あるときは「何てことをいうんだ」というふうになります。

 現代では言論の自由は保障されています。けれど自由を行使した場合の結果については保障されていません。もし発言方法が悪ければ、発言内容がたとえ正しくても、あるいは正しいがゆえに、罰せられることがあります。現代でさえもこれは普通のことなのですから、古代における言論の自由がどれほど高いものについたとしても、それはやむを得ないでしょう。
  こう考えてみると、有力者に真剣に議論を吹きかけ「失礼なやつだ」と思われたソクラテスの問題は、案外私たちに身近な問題かも知れません。
  ところで、前掲のアランの言葉を表面的に見ると、ソクラテスが礼儀知らずの無礼者のように見えるかも知れません。けれどそうではありません。プラトンの中にあらわれるソクラテスはつねに礼儀正しく、どんなにひどいことをいわれても激することなく、つねに相手を立て相手の許可を得てから発言をするという具合でした。
  ではソクラテスの何が失礼に当たったのでしょうか。ソクラテスは誰をどのように怒らせたのでしょうか。

 当時ソクラテスと対話した人の多くは、アテネの教養ある自由市民であり、政治に直接影響を与えることができるような人たちでした。みな読み書きができ、古典の素養があり、体操で体を鍛えている人々です。そしてまた戦いともなれば、将校として出征するような人々でした。アランが「教養ある礼儀正しい人々の前で」といっているのはこのことです。
  『ソクラテスの弁明』の中では、ソクラテスの告訴に関係していた反ソクラテス陣営の人として、アニュトス、メレトス、リュコンなどの名が上げられています。
  プラトンの『対話論』の中で、ソクラテスに対してあからさまに強い悪意をもって対応し、議論に恨みを残した人物としてはアニュトス、カリクレス、トラシュマコスの3人の名を上げることができます。このほかに、最後までソクラテスを理解できず、議論がかみ合わなかった人物はこのさい除外するものとします。

ここではプラトンの著作に表われるアニュトス、カリクレス、トラシュマコスという人物とソクラテスの対話経過を見てみましょう。これらの人物はいずれもアテネを代表する有力者という設定になっています。おそらく実在した人物でしょう。
  アランが「危険な遊戯をした」というのは、ソクラテスがこれらの人物に何らかの不快感、不安感を与えたということです。そして彼らをして、「あのやろー、殺してやる」というほどの思いをさせてしまったということです。それもソクラテスが、完全に承知の上でそれをやったということです。

 
 

アニュトスは「あてつけ」に侮辱を感じた
  それではアニュトスのケースから見ましょう。この事件はソクラテスが若い弟子メノンの家を訪問して、「徳は果たして教育できるものか」という対話をしているときに起こりました。
  そのときソクラテスは、アテネでも一流の人物の名前を何人か上げました。そして、なるほど本人自身はすばらしいが、彼らは息子を「徳」という面では教育できていないのではないか、と指摘しました。そして「徳」というものは、はたして教育できるものかどうか分からない、という意味のことをいいました。

 たまたまメノンの家に、のちにソクラテスを告発することになるアニュトスが来ていました。徳の話はソクラテスとメノンの、二人の間で行われていたもので、アニュトスははじめのうちはこの議論に参加していませんでした。けれど彼はわきでソクラテスのいうことを聞いているうちにアタマに来てしまいました。そしてソクラテスにこういったのです。
  「ソクラテスよ。あなたは軽々しく人のことを悪くいうようだ。気をつけた方がいい。人に良くしてやるよりは害を加える方が容易なのだ」。この「良くしてやるよりは害を加えるほうが容易なのだ」というのは、私がおまえに害を与えてやるぞ、というおどしですね。
  アニュトスの身になってみれば、ソクラテスがアテネの名門の家を取り上げ、無遠慮に「あそこのうちはオヤジはいいが息子はバカだ」などといっているように聞こえました。そしてあたかも、自分の家のことまでも取りざたされているような不快感を覚えたのです。

 これは考えてみれば当然のことで、人の悪口を噂にして述べることはつつしみのないこととされます。アニュトスはアテネの商工業者で、いうなればカタギの人間でした。彼はソフィストが嫌いでした。そして彼にとってはソクラテスも怪しげな、乞食同然のソフィストの一人に過ぎなかったのです。そのソクラテスが、アテネの市民を批判するなど、失礼もはなはだしいと思ったのでしょう。
  ところがソクラテスにすれば、アテネ市民のだれかれを批判しているというつもりはありません。あくまで哲学上の課題を客観的に話しているに過ぎません。例として具体的人物の名を上げているのは、そのほうがお互いに理解しやすいと思ったからです。
  このときのソクラテスたちの課題は「徳の教育」でした。ソクラステはアニュトスが脇で聞いていることは知っていますから、いくぶんはアニュトスにも聞いてもらいたかったかも知れません。それがいかにも当てつけているようで、アニュトスはカチンときたのでしょうね。

 「徳の教育」に関連して、アランは「要するに、経験は教えられるものではないことは充分明らかである。そして、ペリクレスが自分の息子を自分自身に似せて教育するのになによりも無能だったのは、彼自身がつとに実際の政治の教育を受けたからである。ソクラテスは、絶えずこのことに驚く」といっています。
  ご承知のようにペリクレスはアテネきっての名政治家でした。デロス同盟の立役者としても、パルテノン神殿の建設者としても名高い人です。ペリクレスの逸話として、私は日食におびえた船の舵取りをなだめた話が好きです。

 迷信深い船の舵取りは、その日起こった日食を何か「まがごと」のきざしとして恐怖におののき、職場放棄をしようとしていました。そこでペリクレスは、舵取りの頭に上着をかぶせてこういました。「どうだ、暗くなったがこれが恐いのか」。彼はこのように愚かな大衆を正しく指導する方法を知っていました。
  その彼が息子の教育にはみごとに失敗しました。プルタルコスは、彼のばか息子が父親の名をかたって借金し、父が怒ると「この仕打ちに腹を立てたクサンティッポスは父親をののしり、まず彼の私生活ぶりや彼がソフィストたちとやりあった議論を暴き出して世上の笑草に供した」と伝えています。どうしようもない愚息ですね。

 おそらくアニュトスはペリクレスの息子と同世代、あるいはクサンティッポスの友人ということになるはずです。アニュトスがソクラテスの言葉を聞きとがめたのも、こんな背景があったかもしれません。
  しかし「メノン」の中のソクラテスは、「どうやらアニュトスは怒ってしまったようだ。それも別に不思議はないだろう。・・まあしかし、彼は『悪くいう』とはどういう意味かということを、いつかさとるときがあれば、怒るのをやめるだろう」などといって、平然としていました。しかしアニュトスは、ソクラテスの期待に反して「悪くいう」ということがどういう意味か、ついに知ることはありませんでした。彼はのちにソクラテスを告訴する首謀者になったのです。

 
 

カリクレスは反論できず屈辱を感じた
  プラトンの著作の中で、ソクラテスに恨みを残した第二の人物はカリクレスです。アランはカリクレスについて次のように紹介しています。「人は時としてプラトンに出てくるカリクレスのように、人は希望と危険との賢明な打算によって、対等者として契約することに同意したのだ、とこういいたくなるであろう」。
  カリクレスは現実派の野心家です。彼とソクラテスは「正義について」の論争途上で出会います。カリクレスによれば「正義」「善」などというのはあくまでタテマエであり、ホンネは別ということになります。

 カリクレスは、真理を追究し、ホンネでものを語るならば権力、快楽の追求が主題とならなければならないと主張します。彼によれば、過去にも現在にも、悪いやつがけっこう成功している例があるではないかというのです。また悪を追求したからといって、その人が必ず罰を受けるとは限らないではないか、といいます。だから「正義」とか「善」とかを説くのは、偽善でありムダだというのです。
  このホンネ論は、現代においてもなかなか説得力のある議論です。私たちは、口には出さないまでも、しばしばカリクレスと同じような感慨を抱くことがあります。たとえば大きな犯罪が摘発されたり、それが裁判で有罪になったりしたようなときに、私たちは「やはり悪は続かない」などとは思いません。

 このような犯罪は氷山の一角に過ぎないのだ。本当に悪いやつは結局は捕まらないし、罰せられることもないのだ、こんなふうに思います。私たちはどこかで「権力に結びついた悪は栄えるのだ」と考えているのです。
  カリクレスはソクラテス自身を評して次のようにいいました。なるほど若いうちは抽象的な哲学に熱中するのもいい、「しかし、もはや年もいっているのに、人がなおも哲学をしているとなると、これは、ソクラテスよ、滑稽なことになるのだ」といいます。これはソクラテスがあちこちで問答をしていることに対する強い批判です。
  考えてみると、これまた現代的な意見です。今日、場所柄もわきまえずに「私は哲学が好きです」などといったら、良くて失笑の的であり、礼儀正しい人々の間でも「相当の変わりもの」と決めつけられてしまうでしょう。このようにカリクレスは私たちのすぐそばにでもいそうな、普遍的な人物なのです。

 では「権力と快楽の追求こそ最重要の課題だ」とするカリクレスの挑戦に対して、ソクラテスはどのように答えたのでしょうか。この議論は『ゴルギアス』という書物に収められています。その要旨をアランは次のように簡潔に表現しています。
  「正面には、直ちに、黄金の魂であるソクラテスが現れ、『ゴルギアス』のるつぼのうちで溶解し再構成しつつ、ついには、力そのものからその反対者を現れさせるのだ」。
  ソクラテスは次のような議論を展開しました。
  「権力追求イコール悪の追求という図式、なるほど、それもよかろう。しかしもし本当に権力をどこまでも忠実に追求する人がいるとすれば、彼は自分の支持者を得なければならない。そうでなければ権力の座を維持することはできないだろうから。すると最終的には彼は関係者にとって好ましい特性、理想の政治家という特性を持ち続けることになるだろう。また彼は自分自身の心のバランスも取れているはずだ。どんな権力の座にあっても、なお自分自身が満足できないというのでは意味がないだろうから。だとすれば、彼はあくなき快楽主義者になるのではなく、節制と善の追求をすることになるだろう」。

これがソクラテスの反論の要旨です。こうして彼は、徳なしに権力を持つことはできず、徳なしに自分に満足することはできないということ、それゆえ権力追求イコール節制と正義の追求に帰結するということを示したのです。
  「力そのものからその反対者を現れさせる」とアランがいうのは、上記のようなソクラテスの議論の展開を指しています。つまり快楽の追求は禁欲に、権力の欲求は徳の追求へと向かわざるを得ないということです。
  ソクラテスのこの議論は、カリクレスの同意を得ながらじつに周到に進められましたので、さすがのカリクレスも最後にはひとことも反論できなくなってしまいました。
  このようにすっかりいい込められて、ぐうの音も出なくなったとき、人は相手のいいぶんを承諾し、自分が間違っていたということを率直に認めるものでしょうか。そうではありませんね。カリクレスは、反論できなくなって恥をかいたと思い、ソクラテスを恨み、次のようにいいました。

 「いかにもあなたは、ソクラテスよ、そういう目には一つも合うことはあるまいと信じきっているかのようだね。まるで自分は・・法定に引っぱり出されることなど・・それも、おそらくはじつにつまらない、やくざな人間によってだよ・・あり得まいというつもりだね」と。これもまた明らかにおどしです。
  ここで予言されているように、やがてソクラテスはやくざな連中によって法廷に引っ張り出され、高いツケを払わされるわけです。このときのカリクレスの言葉は、陶片追放などに象徴されるように、当時多くの無実の人物が、誰かの気に入らないという理由だけで陥れられたり、葬られたりしたということを示しています。だからこそ、権力を志向するカリクレスの言葉にはまたそれなりの現実味があったのです。

 
 

トラシュマコスは恥じて恨みを残す
  さて、第3の人物トラシュマコスをご紹介しましょう。彼はプラトンの『国家』の中に登場する人物です。彼の意見はカリクレスと同じような傾向を持っています。しかし彼の意見はさらにうまく理論武装されています。
彼は「強者にとっての利益こそ正義だ」という立場を取りました。これは正義はタテマエというのではなくて、正義とは最初から相対的な問題であり、力関係の中で強者に都合のいいように決定されるのだといいます。要するに「会社の中ではいいも悪いもない、会社の中では社長のいうことが正義なのだ」ということです。そして会社のルールは経営者側にとって都合のいいように決定されるのだということです。
  為政者はその集団の利益を代表しています。だから為政者にとって都合の悪いルールが決定されるわけはありません。この場合、為政者にとって都合のいいことが正義であり、その反対が悪ということになります。この意見もまた私たちにとって、きわめて説得力のある議論といえるのではないでしょうか。

しかしソクラテスは、またもやトラシュマコスの同意を得ながら冷静に議論を進めます。彼はまず支配者がつねに正しいことを判断できるとは限らない、と指摘します。だから強者が自分を利するつもりで、自分に不利益になることを決定することもあるということを指摘します。
次にソクラテスは、支配者の立場が船の上の船長のような役目であることを確認させ、船長は自分も含めて船員全体の安全をはかる、ということを説明します。だとすれば、支配者の利益は弱者の犠牲の上にだけ成り立つとはいえなくなり、強者の利害と弱者の利害が一致してしまうことになります。
ソクラテスはさらに議論を進め、支配者の真の利益は被支配者に利益をもたらし、それを守ることにあると指摘します。なぜなら収奪そのものが支配者の目的なのだとしても、貧困と混乱から富を収奪することはできませんから。

また彼は、支配者自身が幸福であるためには、自己統御ができなければならないということも指摘します。自己統御ができるということは、自分自身かならずしもやりたいようにはやらないということを意味します。幸福と節制は一体であることが示されるのです。
こうしてソクラテスは、自己の利益を求めて政治にたずさわるものは、関係者すべてに対して公平無私で、国家に対して献身的であるということを証明します。そして正義は不正義よりも利益があること、正義は権力者の利害を超えて存在することを明らかにするのです。ついにトラシュマコスもこれを認めざるを得ませんでした。

このときのトラシュマコスの反応について、プラトンは次のように伝えています。「さて、トラシュマコスは以上すべてのことに同意してくれたものの、とてもぼくがいま話しているような具合に、なめらかにことが運んだわけではなかった。彼はさんざん引き延ばしたり、いやな顔をしたり、びっくりするほど汗を流していた」。ということは、彼もこの議論を通して、自尊心を大いに傷つけられ、ソクラテスに忘れがたい恨みを残したと考えなければなりません。
以上のことから、「ソクラテスは礼儀正しい人々の前でこの危険な遊戯をしたが、これらの人々から見れば、ある種の真剣さは何の礼儀もない一種の戦いを告げるものであった」というアランの指摘を理解できるでしょう。

 
 

正論のツケは高くつく
  以上の経過をよく見ると、ソクラテスが3人に対して特別に無礼であったとはいえません。それどころか、彼は当時のアテネの現実の政治の実態を見ながら、懇切丁寧に、オピニオン・リーダーたちに必要となる正しいものの見方、考え方を伝えようとしていたように思われます。
ただソクラテスは、3人が日ごろ身上としていることに対して、いうなれば必要以上に真剣な討議を加え、彼らの信念に欠陥があることを証明してしまったといえます。このことによって3人のプライドをいたく傷つけてしまったのです。
そのツケは高いものにつきました。しかしソクラテスには最初から結果がわかっていたようです。ソクラテスは「・・ぼくが死刑になるとしても、それは少しも意外なことではない」とカリクレスにいっています。彼は自分の死もまた一つの教材として役立つと考えていたのかも知れません。

 以上のことがらを私たちの現実と結びつけて考えてみましょう。私たちは日常妥協をこととしています。それでもどうしても自分の考えを述べなければならないこともあり、そのときには私たちも有力者の前で、多少は「生意気なやつだ」、「失礼なやつだ」と思われることを覚悟の上でものをいいます。
ここで発言のツケということが問題になります。私たちは法律違反を犯した場合には、単なる発言でもその代償を払わなければなりません。これはよく承知しています。けれども法律違反をしない場合でも、代償を支払わなければならないのでしょうか。
私たちは、自分に理屈が通っている場合には、感情的になる方が悪いのだと考えます。しかし感情のバランスシートは、どこかで帳尻あわせを要求するものです。こうして私たちは、たとえ私の発言が理屈の上ではもっともであったとしても、誰かの感情を傷つけたのであれば、ツケを支払わなければなりません。

 もっとも、私たちが「いいたいことをいう」というときの精神状態が問題です。私たち自身が痛いところを突かれて、思わず逆上して前後の見境もなく何かを口走るというのであれば、これはまったく問題外です。これは相手に対しても、自分に対しても礼を失しています。
また私が気分の高揚にまかせて、いいたいことをいう場合があります。ロジックを無視して何かをいいはって、自分が大いに弁じたつもりになるということもあります。また議論の内容が自分の責任逃れや、自分とその党派だけの、ケチな利益の主張にあるということも少なくありません。これはまったく美しくありません。
  アニュトスにしても、カリクレスにしても、トラシュマコスにしても、純粋な議論をしていたのであって、背後にある自分の利益を擁護していたり、主張していたのではありません。かりに彼らが彼らの階級の弁護をしていたのだとしても、彼自身の直接の利益をはかるために議論をしたのではありません。彼らはソクラテスに対してあくまで一論客として臨んだのです。

つぎに、私たちが議論をするときに、自分の思想にもとづいて、冷静にロジカルに説明しているかどうかが問題になります。ソクラテスがやったように、相手の同意を得ながら、自分の体系だった所信を表明しているかどうか、これにはあまり自信がありませんね。
  私たちはその時々で異なる意見をいってしまい、自分でもその矛盾に気づかないことが多いものです。となると、言論の自由にもとづいて何かいう、といってもそれがどういうことなのか、反省してみる必要が出てきます。

 
 

私たちは議論をしているか
もちろん私たちはソクラテスではありませんから、彼のような鮮やかな弁論術を期待されても困ります。けれど、私たちは本当にものを理詰めで考えているのかどうか、再度反省する必要があります。つまり私たちが本当に議論をしているのかどうかが問題なのです。
ロジカルに議論をするためには、自分の考えが必要であり、相手の考えが必要です。この二つがせめぎあって議論が進むのでなければなりません。しかるに、たとえば国会の論争を見れば分かるように、双方が勝手に自分の主張を述べるだけで、理論的なかみ合いがないまま論争が終了することが多いのではないでしょうか。
また最近は両論併記というのがはやりです。これはロジカルにものを考える努力を放棄している証拠です。矛盾する意見や結論を総合し、調整する力がないのです。また自分自身の意見を明確に述べることを恐れているともいえます。恥ずかしいではありませんか。これにくらべれば、少なくとも自分の立脚点を明確にして、最後まで論陣を守ろうとしていたカリクレスやトラシュマコスの方がはるかに立派です。

 以上から得られる結論は、私たちはそもそも議論という遊戯をしていないということです。したがって論理や主張によって裁かれる以前に、幼稚な感情が幼稚な感情にぶつかり合うという程度の現象しか私たちの身の回りには起こっていないということになります。
  ソクラテスの場合は、立派な、筋の通った主張が愚かな感情によって裁かれるという事例でした。私たちの場合は、それ以前の状態にあります。私たちの議論は、はじめから筋が通っておらず、論点がかみ合っておらず、しゃべっている本人の主張がその時々で異なるということさえあるのです。これを「気分による議論」と呼ぶこともできましょう。
  気分の議論が気分によって制裁を受ける、これは最初から目くそはなくその話じゃありませんか。だから、私たちにとってはいずれにしても危険な遊戯などありません。危険といってもそれは子供のケンカ程度の危険です。

 アランは出征しました。彼にとってはそれが「危険な遊戯」でした。ソクラテスは自分を陥れるかもしれない人々の前で正論を展開しました。これが彼にとって「危険な遊戯」でした。では今の私たちにとって「危険な遊戯」とはなんでしょうか。私たちが自分の身を危険にさらしてまであえて発言しなければならない真実とは何なのでしょうか。
  私たちには危険な遊戯などないのではないでしょうか。かりに危険があったとしても、どうしてわざわざ危険なゲームをする必要があるでしょうか。普通にしていれば平穏無事でいられるのに、どうして危険なマネをする必要があるでしょうか。
  かりに「危険」というものが、真実を口にして人に憎まれる程度のことであるとしても、どうしてわざわざ人に憎まれる必要があるでしょうか。
  かりに世の中が不条理に満ちているとしても、そんなことはどうでもいいじゃありませんか。会社の社長が不当な正義を主張してもいいじゃありませんか。王になりたい人は王にさせておけばいいじゃありませんか。いまさら「徳」のことなど、どうでもいいじゃありませんか。

 
   
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