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ソクラテスのクリスマス
 
第6章 ソクラテスのクリスマス――ときには聖者のように

古代人は神を信じるが神に頼らない
  アランは「ソクラテスがモデルである古代の賢者たちは、神々から多くの期待をせずに、ほとんど聖者のように生きた」といっています。
  ソクラテスが生きていた時代のギリシャでは、いうまでもなくゼウスを主神とするオリュンポスの神々を祀っていました。有名な十二神のほかに、民間ではヘラクレスやテセウスなどの英雄神、東方やエジプトなどから到来した神など、要するに八百万(やおよろず)の神が混然と信仰されていました。
  当時の人々と神々の距離はごく近いものであり、なごやかでうちとけたものでした。これに関してアランはまた次のようにいっています。「古代人は、伝統的な知恵の力で放縦の感激や饗宴の興奮のその場限りの楽しみを、何か人間を騒がす神様の仕業にすることを忘れなかった」。
  これは神様の賢明な利用法とでもいうべきもので、かりに酒に酔ってバカなことをしでかしても「バッカス神のいたずらで」といえます。男性が女性に対して失礼なふるまいをしても「神々にたぶらかされた」でいいわけです。女性の方も、道徳的にとがめられるようなことがあっても「アプロディテが私を狂わせた」といえばいいのです。
  げんにスパルタのヘレネは、トロイの王子と駆け落ちしたのですが、激怒した夫がやってきたとき、「アプロディテの企みによって、私は過ちをしてしまいました」といいわけしました。夫のメネラオスも「それなら仕方がない」といって妻の浮気を許しました。
  このように上手に神様を持ち出せば、何から何まで自分が責任を取らなくてもいいわけです。もちろんそうはいっても、彼らがどこまでが自分たちの責任なのか、どこまでが神々の責任なのか知らなかった、などということは決してありません。
  イソップ物語に、牛追いが深い溝の中に車を落としてしまう話が出てきます。この牛追いは力持ちの神様ヘラクレスに助けを求めて祈りました。するとヘラクレス神があらわれて牛追いにこういいました。「手綱をつかめ! 牛を打て! 自分もやったその上で 神に祈るはよいけれど祈るばかりじゃ、験(しるし)は何もないものぞ」。
  イソップは紀元前六世紀にギリシャに生きた奴隷です。その彼が、当時の庶民感覚における神の概念を右のように伝えてくれているのです。「人事をつくして天命を待つ」「天は自ら助ける人を助ける」、これは現代の私たちの常識ではないでしょうか。ということは彼らの方が迷信深くて、私たちの方が賢いなどといえたものではない、ということを示しています。
  また自分の過失について、「神様にたぶらかされた」というのも、なかなかうまいいいわけです。妻に裏切られたメネラオスにしても本当は妻が自分の意志で駆け落ちをしたことを知っているのですが、神の名において謝罪されれば、妻を許す口実を見出すことができます。
  相手に譲ったり、同調したりしたら自分の存在が喪失するかのように考えて、明らかに間違っていると知っても、他人と仲直りできない不幸な現代人よりも、古代人の方が幸福を享受する柔軟な方法を知っていたかも知れません。だから古代人は神様と上手につき合っていた、といっていいのではないでしょうか。
  今日でも私たちは「ふと魔がさした」などといって、過ちを超人間的なもののせいにしようとする傾向があります。私たちの中の古代人がいっているのでしょうね。

 

ユダヤ教――キリスト教が神と人間の距離を深める
  人間と神の距離を無限に遠いものにしてしまったのは、妥協を知らぬユダヤ教であり、また、ここを出発点としたキリスト教です。ユダヤ教の中には、他の民族を同化させない価値観が含まれており、これが彼らを歴史の中で孤立させる理由にもなってきました。『ユダヤ古代史』の著者ヨセフスは、次のようにギリシャの神々を批判しています。
  「ある神々は、ひげのない青二才であり、ある神々は老人でひげを生やしている。またある神々は、商売をやっており、ある神は鍛冶屋であり、ある女神は織り手である。ある神は、人間と戦う戦士であり、・・これらの神々は、いろいろ分かれて分派を作り、人間のことについて仲たがいし、あげくの果てはお互同士取っ組み合いを行うばかりか、人間によって傷つけられ、嘆き苦しんだりする。・・いやはや、なかなか立派なご所業といわざるを得ぬが、さてこのような天上の姦通事件にたいして、それを見守る他の神々の態度もこれまたあっぱれな破廉恥ぶりであって・・」という具合です。
  しかしヨセフスに批判されるまでもなく、ギリシャの神々は、たとえばアリストファネスの喜劇を見れば、ホンネのところで、当時のギリシャ人たちが神々にどの程度の尊敬を払っていたかが分かります。劇中の神々はしばしば人間のある特性を誇張した姿として描かれ、茶化され、ほどよく笑い者にされたりしているのです。
  なるほどゼウスの神殿、アテナイの神像などは神聖なものです。もしも他国からの使者がその都市固有の神殿や神像を侵犯したとすれば、それだけでも十分に戦争を始める理由になります。ツキジデスの『戦史』にはこのような事例が綴られています。
  また迷いが生じた時には、神託や占いがおおやけの意思決定を左右しました。だから神々はオフィシャルには十分に敬われていたと見なければなりません。けれども庶民の良識の中では、神々はさほど厳密なものでなく、恐ろしいものでもありませんでした。それは親しいご先祖様と同じように扱われていたと考えていいのでしょう。
  当時のインテリ階級にとっては神々はさらに寓意的、文学的なニュアンスを持っていたようです。神々はそれぞれに特性を持ち、由来を持っています。たとえばゼウス神は天空を支配し、ポセイドン神は海を支配し、ハデス神は冥府を支配します。
  かりに「私の父はすでにハデスの宮に入りました」といえば、それは「父は死にました」ということになります。だからこれらの神々の特性を踏まえて話をすれば、やたらと即物的にならずにすみます。お互いに文化度の高い、ゆとりのあるコミュニケーションができたのです。
  ソクラテスも他のギリシャ人と同様に上記の神々にまじめな敬意を払っていますし、さらに必要とあらば独自の解釈を加えることもあえてしました。たとえば、『饗宴』におけるエロス神の解釈は、ソクラテスにしても他の人々にしてもじつに多彩です。
  あれだけの多彩な解釈ができたということは、彼らの神々が人々に自由な思考を許し、これを認め、さらには人々の知的な活動を促していたということさえ意味するのです。ヨセフスの観察はこの意味ではあまりにも一面的であり、攻撃的です。彼だってたくさんの古典文芸を楽しんだに違いないのに、上記の点をわざと見落としているのです。
  ソクラテスは何かいう時に「ゼウスに誓って」というのが口癖でした。もっとも「ゼウスに誓って」というべきところを、「犬に誓って」などという変ないい方もしています。みだりにゼウスに誓ったのでは、あまりに畏れ多いということといわれていますが、ここには明らかに冗談の精神がありますね。彼もまた庶民的良識における神々のエスプリを承知していたと見るべきではないでしょうか。
  要するに神様はありがたいものであり、侵すべからざるものです。何よりも神々は人間出生のルーツです。それに苦しい時の神頼みということもあります。だからご利益をお願いするのもその人の自由です。
  しかし、何でも神様にお願いすれば実現するとか、ただ熱心に祈れば救われると考えるのは虫がよすぎます。この程度のことはいくら昔の人々とはいえ、誰もがわきまえていたのです。

 
 

日本人の無神論、大いに結構
  アランは「イエスが海の上を歩いたなどということはあり得ないと物理学者が証明しようとしても、真の問題がそんなところにないことを皆が知っている」といっています。同じことで、当時の知識人も神と奇跡に対して、自分がどのようなスタンスを取ればいいかを承知していたのです。同じくアランが「ソクラテスをモデルとする、古代の賢者たちは神々から多くを期待しなかった」というのは、以上のような精神的背景をさしていっているのです。
  考えてみれば、この神様に対する態度は、わが国の今日の大多数の人々、あるいはビジネスマンの宗教に対するスタンスによく似ているのではないでしょうか。
  日本人は宗教に関して無節操だといわれます。また日本人がパスポートに「無宗教」と書くことは国際的常識に反するなどともいわれます。私は日本人の宗教的無節操、大いに結構と思います。この場合、国際常識などどうでもよろしい。これは日本人の良識の普遍性と、バランス感覚を示しているのです。他国の人々が日本人のこの境地に達するためには、そういっては何ですがもっと時間がかかるというだけのことですよ。
  私たち日本人は土地の氏神様にも敬意を払いますし、お釈迦様にも敬意を払います。またクリスマスともなれば、キリスト教会に出かけることもいといません。私たち大多数の日本人は、誰かが何かを信じているからといってそれを構えて批判したりすることもしません。こちらに迷惑がかからなければ、他人の神様を悪くいう必要はまったくないのです。
  私たち日本人にとっては、宗教の違いによって戦争や争いを続けている人々など、まったく愚の骨頂です。誰が何を信じようといいじゃありませんか。また私たちは宗教的な戒律と称して、あることを禁止したり、強制的に何かをしなければならないという習慣を奇異に感じます。とくにそれが形式に流れていると思われるときは、いっそうそう思います。この感覚はむしろ正しいのです。
  もちろんそうはいっても、私たちはあえて神に不敬を働く必要があるとは思いません。たとえば地鎮祭では玉串をささげることに決まっています。「地鎮祭には科学的な根拠がない」とか、「どこに氏神様がいるんだ」などという議論をする人はいません。
  また祭壇をあえて冒涜するような、過激なポリュウクトは私たちの社会にはいません。私たちは科学的な常識と宗教的なモノの考え方を無理に同居させる必要があるとは考えていません。そんなことをしようとするのは幼稚です。
  ところでソクラテスは、個人的には「ダイモーン(神霊)」が自分に向かって合図をする、というようなことをいっています。このことはソクラテスを告発した一群の人々に有罪主張の根拠を与えました。すなわち彼らは「ソクラテスはダイモーンなどという怪しげな神を青少年におしつけて精神的に悪影響を与えた」と主張したのです。ダイモーンの件を指して今日でも「ソクラテスは案外迷信深かった」などという人もいます。
  しかしダイモーンは、ソクラテスの一種の冗談のようにも受け取れます。ダイモーンはソクラテスだけに何かを合図するだけで、第三者には一切関係しません。だからダイモーンはソクラテスが相手を傷つけずに逃げを打つときの、いいわけのように見えないこともありません。
  たとえばソクラテスの弁論術を見込んで「あなたは政治家になればいいのに」という人に対して、ソクラテスは、「ダイモーンが私に政治に手を出してはいけないといっているので、やらないのだ」といっています。これで、彼はうまく相手の矛先をかわしたことになります。
  こうして見ると、既存の神であろうと自分流の神であろうと、ソクラテスが誰かを心霊的に説得しようとした形跡はまったく見られません。これはストア派の賢者に共通している点といっていいでしょう。こうした考察をたどって、アランが「古代の賢者たちは神々から多くを期待しなかった」と書いた理由が再び理解できるはずです。
  季路があるとき孔子にたずねました。「結局私たちは、精神生活を問題にしているのですから神様を敬い、これに仕えることが重要なのではないでしょうか」。
  すると、孔子は「人に仕えるそのやり方も分からないのに、神に仕えるなど、どうやったらいいか分からないよ」と答えました。また季路が「死についてどうお考えですか」というのに対して、「生きるということがどういうことか分からないのに、死について分かるわけはないよ」と答えました。
  「鬼神は敬してこれを遠ざく。知というべし」「君子はあえて鬼神を語らず」という精神には古代のもっとも健全な良識人としての賢者たちに共通する宗教観が見られます。孔子にしても、ソクラテスにしても関心事はもっぱら人間の正義と徳にあり、なにも神々を呼び出すまでもなかったのです。

 
 

キリストとソクラテスの類似と相違
  和辻哲郎は、釈迦、孔子、キリスト、ソクラテスの四人の名を上げて「人類の教師」と呼びました。和辻哲郎があげた四人の偉大な人類の教師のうち、二人は宗教家であり、二人が非宗教家です。
  そこで対照的なキリストとソクラテスの二人を比較し、類似と相違を考えてみましょう。その上でもう一度アランの冒頭の指摘、「ソクラテスをモデルとする古代の賢者は、ほとんど聖者のように生きた」というメッセージに戻ってみたいと思います。
  私のような通俗的なビジネスマンから見ると、キリストとソクラテスはよく似ています。ともに偉大な哲人であり、モラリストです。二人ともすばらしい説得力を持っていました。二人とも古典の教養レベルが高かったと思われます。しかも二人とも実践家でした。また温和ではありましたが決して妥協しませんでした。
  キリストもソクラテスも悪意ある人々の迫害を受け、ときの権力の手によって、その思想を理由に刑死させられました。そして二人とも逃げようと思えば逃げられたのに、あえて逃げませんでした。むしろ自分の死を人々に対する一つの教訓として示そうとしたようにみえます。
  しかし「類似よりも、相違の方をこそよく見なければならない」とアランがいっています。ですから類似点よりも違いの方に着目してみましょう。キリストとソクラテスの大きな違いの一つは、一方が若死にしたのに対して一方は長寿を保ったことにあります。
  このことは、ソクラテスが選良市民としてキリストよりずっとノーマルな生活をしたということを示しています。すなわちソクラテスは結婚し、子供を作り、戦争が始まると兵士として出征しました。彼は決して外国人に対して排他的ではありませんでしたが、よきアテネ人として愛国精神を持ちつづけました。
  これに対して、キリストは兵士として戦いませんでした。彼は宗教家として旅をし、つねに弱者、病める者の味方として行動しました。そして彼の行動はいつしかユダヤ民族とその宗教の枠を越えてしまったのです。ソクラテスにくらべるとキリストはより心霊的でした。彼は予言の力しばしば奇跡を起こす力を示しました。
  ソクラテスは恋について熱心に語りました。彼自身はあまり美しくありませんでしたが、カッコいい若者、美しい若者を大いに賛美しました。もっとも、ソクラテスの少年愛は、視覚的なレベルにとどまっていたようで、愛の感情と同じくらい節制もまたソクラテスの大きな特質を形成しています。
  これに対してキリストは多少弟子の依怙贔屓はあったかもしれませんが、誰かの美貌に心を動かされたという形跡はまったくありません。また、女性を女性として愛したという記録もありません。彼自身が処女から生まれた、という伝説が示しているように、性とこれに結びつく愛は、キリストがあまり語りたくない問題でした。キリスト教におけるセックスタブー視の源流は、モーゼの十戒とキリストのキャラクターに由来しているように見えます。
  キリストとソクラテスの大きな違いは、死に際しての弁明にあります。死に際してソクラテスはきちんと弁明しましたが、キリストは弁明らしい弁明をしませんでした。この大きな違いはいったい何を意味するものでしょうか。
  私はそれはキリストにあっては「人々の感情に訴えた」ということであり、ソクラテスにあっては「人々の知性に訴えた」ということだと思います。

 
 

キリストは愛に値しないものを愛した
  キリストの偉大さは、あれだけ連綿と続いたユダヤ教義の中に欠落していたものをみごとに発見し、これを身をもって実践し、新しい思想として残したということにあります。当時のユダヤ教義に欠けていたもの、それをひとことで言えば「弱者、罪人への愛」、あるいは「いたわり」でした。
  キリストのテーマは「愛に値しないものを愛する」ということでした。このテーマがおそらく当時のユダヤ教の指導者たちに欠けていたものだったのです。そしてこのテーマこそ、二〇〇〇年にわたって人々の心を揺り動かし、共感を勝ちとったものと思われます。
  このように、「愛に値しないものを愛する」という主題は感情的な主題です。なぜ、そうしなければならないのか、という理論的な根拠を示すことは困難です。また理論的にそれを説明したからといって説得力があるとも思われません。それをあえていうとすれば、私たち自身が愛に値しないものであり、それにもかかわらず、愛に飢えているからです。
  いうまでもなく罪人と弱者のいない社会はありません。誰もが罪人であり、弱者なのです。そして国家権力の中枢部にも罪人と弱者がいます。だからキリストの力強い思想は後の国家権力とも結びついていったことが私たちにはよく分かります。
  しかし、自分がまっとうな市民であり、自分が罪人や弱者であることを拒否する人もいるでしょう。それはそれで当然のことです。そういう人々にとっては、キリスト教は面白くない教義だったと思われます。
  ところで、キリストが弁明をしなかったのは、弁明という理論操作によって人々の感情に与えるインパクトの大きさを失うことを恐れたからにほかなりません。キリストがすぐれた論客であったことは、福音書がはっきりと示しています。
  しかし彼が人々を動かし、その教義の真の意味に気づかせるためには、感動が必要だったのであり、むごたらしい死が必要だったのです。十字架の像が約束し、意味するところはこれです。
  これに対してソクラテスは弁明の機会に恵まれました。彼は法廷の場に立たされ、被告として自分の立場を釈明するようにいわれました。そこで彼は、自分に対する告訴が不当なものであり自分が無実であるということを論証しました。そして少なくともプラトンが伝えるところによれば、ソクラテスの弁明を理論的に無効にするような反論は提出されませんでした。
  にもかかわらず、ご承知のように彼の弁明は功を奏しませんでした。どうしてでしょうか。それは彼の裁判が彼の理論を検証する場ではなく、ソクラテスを葬るための、一種のリンチの場だったからです。このことはソクラテス自身が十分承知していたことでした。
  リンチの場で筋の通った説明をしても意味がないだろうということは、私たちにも想像できます。論理の無力を知っている別な知識人だったら、徒労と分かっていることを試みずに、諦めてしまったかもしれません。ところがそれでもソクラテスは一生懸命弁明を試みました。これは何を意味しているのでしょうか。
  それは筋の通った弁明が、悪感情の前では何の役にも立たないということを、多くの人に見せるためにほかなりません。もっともこのことがソクラテスの中でどこまで意識的に行われたのかそれは分かりません。けれども、理論が暴力に負けるということに多くの人が気づくということは、人々に考える契機を与え、理性を健全に保持するための一つの条件となることをソクラテスは知っていたのです。
  ちょうど愛を説いたキリストが、自分がはりつけにされる光景そのものによって人々に何かを訴えようとしたのと同じように、ソクラテスは理性と論理がはりつけにされる光景を見せることによって、人々に何かを訴えようとしたのです。
  キリストにとっては、人々の感情を動員することが課題でした。これに対してソクラテスの場合、人々の理知、理性を動員することが課題でした。
  この二人の聖人の事件はそれぞれ対照的ですが、特質は異なっています。事件後の後継者のリアクションも対照的です。キリストの場合は使徒の活動、とりわけパウロの布教活動が効果的でした。パウロに相当するソクラテスの弟子はプラトンです。
  パウロの口調はこうです。「兄弟たちよ、いつも喜びなさい。全き者となりなさい。互いに励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和に過ごしなさい。そうすれば、愛と平和の神が、あなたがたと共にいて下さるだろう」。彼の表現は力に満ち、感情的に激越であり、何かが過剰です。
  これに対してプラトンの口調は、原則として対話における誰かの口調です。だからアランは、「プラトンの神はたくみに姿を隠している」といったのです。ここであえて『第七書簡』からプラトンの口調を探してみましょう。
  「されば、いま申し述べられたことによって事柄が筋の通りやすいものとなり、生じた出来事に対して十分な釈明がなされたと思う人が一人でもあったならば、これでわたしは過不足なく十分に語り終えたことになろう」。つまりプラトンは自分の理解者が一人でも満足する、といっているのです。その理解者が、正しくロジックを追ってくれているならです。
  このパウロとプラトンの鮮明なコントラストが語っているように、同じ人間の魂に訴求するにさいしても二つのタイプのやり方がある、ということが分かります。宗教の方法は原則として感情的であり、訴求の対象は集団的です。それは主として言葉を通して生理に訴えます。
  これに対して主知派のほうは一人一人の知性に訴求します。知性は集団のものではなく、あくまでも個別のものだからです。ここには感情的な高まりはありません。そして知性に対する暴力の勝利は、知性そのものにとっては予定の事実なのです。
  プラトンは次のようにいっています。「すぐれた舵取りが蒙るような目に、もし彼が遭うようなことがあったとしても、おそらく驚くには当たらないからである。つまり、すぐれた舵取り人が嵐の到来にまるで気づかないということはありえないが、しかしその嵐が途方もない、想像を絶した大きさのものであることには気づかず、それに気づきそこねた結果、あらがいようもなく水にのまれてしまうということは起こりうるだろう」。
  これは志を果たせなかった弟子のディオンについて語っている言葉ですが、同じことがかつてソクラテスの身の上に起こったことをプラトンは思い出していたはずです。

 
 

ソクラテスは神格化されなかった
  アランはキリストの誕生日が冬至の日付けに一致していることに驚いています。彼はここに、宗教的な感情と天文学的な理性の合体をみました。復活祭は春の祭りです。釈迦の誕生日も春の祭典です。このように宗教家の誕生日は祝われます。孔子の誕生日は、はじめのうち問題にされませんでしたが、次第に祝われるようになりました。
  いずれにしても偉大な宗教家のキリストの教えは無数の解釈を生じ、分派を生じ、改革と発展を生じました。その間にキリストも釈迦も限りなく神格化されてゆきました。孔子もやや中途半端な形ではありましたが神格化されました。これに対してソクラテスはまったく神格化されませんでした。
  彼は二四〇〇年たった今日でも、悪妻の尻に敷かれた冴えないおっさんであり、今日どこででも見かけそうな町の論客という風貌を失っていません。このことは、すぐれてソクラテスが主知的な立場を鮮明にしていたためと思われます。
  すなわち彼は、もっとも宗教臭くない聖人であり、現代人的な意味で宗教との賢明な距離を維持していたのであり、神をいささかも当てにせず、さりとて、神をないがしろにせず、人々のよき習慣を尊重していました。
  彼は死刑の当日、毒にんじんの溶液が入った杯を受け取ると、刑吏にこれで「灌奠」を行なっていいか、許可を求めました。溶液をあまりこぼしすぎると、自分が飲む量が少なくなり、致死量に及ばなくなってしまう可能性があります。そこを心配しながら、彼はまるでお神酒を使ってやるように灌奠をおこない、敬謙な祈りをささげました。
  一見すると、これはソクラテスの宗教的な側面を強調するもののように思えます。そうではなく、彼は当時の宗教的習慣を尊重していただけです。神に対して良識的にふるまうということは何一つ問題になりません。人間たちの間の事柄について、どのように正しく考え、行動するか、これがソクラテスの課題だったのです。
  アランは「ソクラテスこそは、おそらく過ちの中に踏みとどまり、狐が罠から出るようには過ちから出まいとする注意によってものを考えた最初の人である」といっています。
  ソクラテスは考え、筋道を立てて対話します。その筋道をたどっていけば誰でも正しい答にたどりつくことができます。しかし彼は少しも急ぎません。「私たちは市民なのだから、時間はたっぷりある。何もせかせかする必要はないのだ」といって相手を落ち着かせようとします。彼は自分自身をも落ち着かせ、思考による検証を一歩ずつ進めようとしました。
  むやみに早く結論を出そうとしたり、直感的に考えようとすると、ソクラテスの質問に答えているうちに自己矛盾に気づかされるはめになります。そこで対話の相手は「ソクラテスはまるでシビレエイみたいに、人を動けなくしてしまう」というわけです。
  シビレエイといってもソクラテスが相手を縛るのではありません。ロジックの力が彼自身の知性に働くのです。ソクラテスは、そのロジックの案内役です。相手の甘い論理が、自分で自分を縛ってしまうのです。
  アランはソクラテスが奴隷の子供に幾何学を教えたときの話を例にあげてこういっています。「ソクラテスはどんな調子で幾何学を奴隷に説明するのだろうか。もし彼がこの人間の形をしたものに、彼自身と同じ理性があることを確信しないとしたら」「けだし彼は自分自身の精神を相手に貸し与えていたのである」。
  こうしてソクラテスは伝統と習慣を重んじ、革命的なことは何もなさずに、体系的な理論をも述べることなく彼の生涯を閉じました。
  アランが「古代の賢者」というとき、それはソクラテスを代表格とする思想家たちをさしています。アランが指摘したいのは、彼らがもっぱら自己の統御だけを考慮し、彼らはひたすら知的に考える、その「考え方」だけを統御しようとしたということです。そして彼らが人間の問題を人間自身の知的責任の問題に限定して考えようとした、ということをいいたいのです。
  自分自身の問題を自分自身の問題として考える、ここには何の神の恩寵もいりません。多くの場合、これまで敬われてきた権威や習慣を壊す必要もありません。デカルトがいったような意味での、普遍的な良識にしたがって、じっくり考えればいいのです。この態度の徹底ぶりがアランをして「聖者のように生きた」といわせているわけです。

 
 

ソクラテスは値しないものに知性を期待した
  キリストは人間の形をしたものすべてに「愛」があることを確信しました。ソクラテスは人間の形をしたものすべてに「知性」があることを確信しました。この二人は自分の確信に従って行動し、すこしも迷うことはありませんでした。
  ソクラテスは逃亡をすすめられていました。牢番はすでに弟子たちによって買収されていました。けれど彼は逃げるのを断りました。もし逃げたとしたら、法を重んじるべきだという彼の考えが自己矛盾に陥るからです。このことは同時に彼自身が自分のロジックを踏みにじるということになります。彼は死よりも自己矛盾の方を、そして論理的な撞着を恐れたのです。
  さて聖者とは何でしょうか。それは自分の信じることをそのまま実践する人ではないでしょうか。もっともそうはいっても、誰でも自分の信じるところを実践しています。聖者に特有の観念とは、その信じるところに高い普遍性があるということです。自分の利益よりももっと多くの人々の利益を、それも普遍的な精神の利益を救おうと考える点です。
  アランの『定義集』には「英雄」についての定義があります。これによりますと「われわれを導くものとして英雄を選ぼう。英雄とは自己を信じるという道を選んだ人間でなくてなんであろう」となります。
  私はこの定義にならって、「聖者とは他者の精神に期待し、これを信じる道を選び、自己犠牲を通して自分の考えを伝えようとした人間」と定義したいと思います。
  キリストは愛による救済を信じ、ソクラテスは知性による救済を信じました。愛と知性、人間にとってこれ以上に普遍的なものはありません。このような考えの道筋をたどって私たちはアランが「・・ほとんど聖者のように生きた」という一句を理解することができるわけです。
  今日の私たちは、恐ろしいまでに「聖者」とは縁のない生活を送っています。これらの聖者は私たちにとって神話的、伝説的な何者かでしかありません。キリストやソクラテスの名を出すことすらも恥ずかしいくらいです。
  ところが、私たちにとっていささか気恥ずかしく、あるいは荷重でさえあるこの名が、私たちを深いところで規定していることも事実なのです。愛に愛の名を与え知性に知性の名を与えようとするとき、私たちはどこかで原点につながっているからです。
  ただ、私たちが自分の祖先の名を知らないように、私たちの精神がキリストやソクラテスとどのようにつながっているのか、これを理解することができないだけです。
  ところで、私たちは理性よりもつねに感情の方に軍配を上げてきました。それはこの二人の聖者に対する人々の帰依のし方によって判定することができます。クリスマスは世界中で祝われます。しかしソクラテスの誕生を祝う祭りは行われていません。私たちがまずもって必要とするのは知の聖者ではなく、愛の聖者なのです。
  人々の理性に最後まで信を置き、無知や卑劣を恨む代わりに、私たちにひたすら正しく考える課題を課しつつ、別の十字架についたソクラテス。私はソクラテスのためのクリスマスを祝いたいと思いますが、彼の誕生日はいったい何月何日なのでしょうか。

 
   
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