トップエッセイ音楽作品アラン経営関連リンク
 
ソクラテスのクリスマス
 
第7章 人間の怒り――ときにはアキレウスのように

アキレウスは当事者ではなかった
  「3000年前からほめたたえられてきたアキレウスの怒りは、あらゆる怒りの中でもとりわけ有名だが、この怒りにはすべての怒りが含まれている」とアランは書いています。そして次のように説明を続けています。
  「アキレウスはその美しい奴隷のブリセイスを奪われたということだけで、あれほど怒ったわけではない。美女20人を捧げても、いや、当のブリセイスその人を返したところで、彼の怒りをやわらげることはできはしない。彼が怒ったのは彼自身が奴隷なみに扱われ、さげすまされて魂のもっとも深いところに汚辱を受けたからである」。
  「彼自身の怒りそのものに、耐えがたい屈辱を味わったのである。われを忘れるほど怒らされたということ、それほど彼を怒らせる力を持った人間がこの世に一人でもいたということ、彼が許せないのはそのことである」。

 ホメロスの『イリアス』をお読みになった方は、この件はアキレウスの女奴隷をめぐっての争いのことだとお分かりでしょうが、それにしても右の説明だけでは分かりにくいところがありますね。そこで、このときの状況をもう一度おさらいしてみましょう。
  アキレウスはトロイ戦争最大の立役者であり、トロイ戦争を物語った『イリアス』の主人公はアキレウスであると断言していいくらいです。ところがアキレウスはトロイ戦争の本当の当事者ではありませんでした。最大の当事者はスパルタのメネラオスであり、ついで絶世の美女ヘレネに求婚した当時の勇者たちでした。

 というのも、ヘレネに求婚した勇者たちは、彼女が結婚した後も、彼女に変事があったら、かけつけて彼女を救おうという高貴な「盟約」を交わしたからです。ヘレネはメネラオスを夫に選び、勇者たちは解散しましたが、その後トロイのパリス王子がやってきてヘレネを連れ去りました。そこで例のヘレネ救出の「盟約」が浮上し、ギリシャの国々はあげてトロイに宣戦を布告しました。これがトロイ戦争勃発のなりゆきです。
  しかしながら、アキレウスはこのときヘレネに求婚したグループに入っていませんでした。だから彼がトロイ戦争に参加するいわれはまったくなかったのです。しかも彼は母親である女神ティティスから、「どんなに誘われてもトロイに行ってはなりません。行けば、あなたはトロイで命を落とすでしょう」と忠告を受けていました。

 そこで彼はスキュロス島リュコメデスの宮殿に隠れていました。別に隠れていなくてもよさそうなものですが、彼の勇名を頼ってギリシャ軍から誘いがかかることが分かっていたからです。
アキレウスはリュコメデスの宮殿で、ごていねいにも女装をしていたといわれています。それほど彼は戦争にいくのを嫌がっていたわけです。
  ところがオデッセウスがアキレウスを探しにやってきました。オデッセウスはたくみにアキレウスの女装は見破ってしまいました。アキレウスは「あっしには関わりのねえことでござんす」といったかどうか分かりませんが、オデッセウスに説得され、とうとうトロイ戦争に引き込まれました。彼は手勢を引き連れて、ギリシャ連合軍の一角を占めることになりました。

 

海賊行為で美女を入手
  トロイ戦争に乗り出したギリシャ連合軍は、舟を連ねて小アジアの海岸に押し寄せました。ところがレーダーもなく、海図もはっきりしていない時代のことですから、彼らはどこが目的地のトロイなのかはっきり分かりません。そこでギリシャ連合軍はそれぞれ部隊ごとに、適当なところに上陸しては、手近にある都市を片っ端から攻撃し、物資を強奪しました。
  アキレウスもこうした海賊行為では他の将軍たちにヒケを取りませんでした。彼はあるときトロイの近くにあるリュネルソスという町を攻めました。この町を支配していたのはミュネスという王でしたが、アキレウスはこの王を殺し、ブリセイスという若く美しい后をさらいました。
  海賊行為の目的は、一つは食料調達のため、また一つは財宝を奪うため、そして女性たちを奴隷として手に入れるためです。このときアキレウスは大きな戦果を上げたわけですが、とりわけブリセイスという女性をいたく気に入りました。見れば見るほど美しいのです。アキレウスは彼女にぞっこん惚れ込み、自分がいちばん愛しているのはブリセイスだと断言しました。

 ところで肝心のトロイ攻撃のほうですが、攻撃目標をはっきり確定し、いざ本格的な戦争となったとき、ギリシャ連合軍に思わぬ災いが降りかかりました。疫病です。敵と戦う前にギリシャ側の兵士たちが病気でばたばた倒れてゆくのです。これでは戦争どころではありません。
  この疫病は総大将アガメムノンの行為が原因でした。アガメムノンもまたさかんに海賊行為をやりましたが、あるときトロイの近くにあるクリュセ島を襲いました。この島にはアポロン神殿が祭られていましたが、彼は不敬にも神官の娘クリュセイスを強奪し、自分の妾にしました。

 彼女もたいへん美しい女性だったようです。アガメムノンは彼女を気に入り、妻よりもクリュセイスのほうがずっといい、などといって憚りませんでした。アキレウスとアガメムノンはまったく同じようなことをやったわけですね。
  しかし娘を奪われた神官クリュセスは、怒り悲しみました。彼は沢山の宝物をもってアガメムノンをたずね、財宝と引き換えに娘を返してくれるように頼みました。ところがアガメムノンはなにしろギリシャ軍団の総大将です。こわいものなど何もありません。そこで神官である父親をさんざんおどしつけて、「おまえの娘は年を取るまでは返さぬ」といい切りました。
  必死の願いも受け入れられない神官は嘆きました。そして彼は日頃自分が神殿に祭っているアポロン神に、「どうぞギリシャ軍に思い知らせてください」と祈願しました。そこで義理堅いアポロン神は、さっそくギリシャ連合軍に疫病を送りつけたというわけです。

 疫病がひどいので、総司令部では会議を開き、疫病の原因究明のため従軍予言者のカルカスに卦を立てさせました。カルカスは自分の予言を述べるに当たって次のようにいいました。「アキレウスよ、私はこれから総大将アガメムノンを怒らせるようなことをいわねばならぬ。彼が私の言葉を聞いて憤慨し、私に害を加えないように私を守ると約束してくれ」。
  トップに向って「あなたが悪い」と直言するのは、昔も大変難しいことだったのですね。アキレウスは「よろしい、何でもいいなさい。たとえアガメムノンが怒っても、私が命にかけて守ってあげよう」といいました。無双の勇士がこういってくれたので、カルカスは、勇気を出して占いの結果を述べました。
  彼は、アガメムノンが神官の娘クリュセイスを返さなければ疫病はおさまらない、と述べました。カルカスはさすがにプロの予言者ですから、ぴたりと真実をいい当てたのです。

 
 

アキレウスを怒らせる
  しかしこれを聞いたアガメムノンは怒りました。痛い所を突かれただけになおのこと激怒しました。けれど彼もさすがにアポロンのたたりは恐ろしいので、最終的にクリュセイスを返すことには同意しました。けれど「それでは、他の大将たちはそれぞれに戦利品を持っているのに、私だけ空手になってしまって、いかにも不公平ではないか」といい出しました。
  そこでアキレウスはアガメムノンに向っていいました。「あなたはこれからトロイの城を攻め落とし、総大将なのだから、取りたいだけ戦利品を取ればいいではないか」といいました。これも筋の通った話で、アガメムノンはぐっとつまってしまいました。そこでアガメムノンは次のようなわがままをいい出しました。
  「私がクリュセイスを返すのだから、その代わりにアキレウスの奴隷になっているブリセイスを貰い受けるぞ。これは総大将としての当然の権利だ」。

 アガメムノンにしてみれば、さきほどから何かと自分に対抗するような言動を取っているアキレウスが小面憎くてしようがないわけです。自分が女を手放すのに、アキレウスだけがきれいな女を持っているなんて許せない、ということになってしまったのですね。これは子供のケンカそのままです。
  「お前の女をオレによこせ」といわれたアキレウスは、アタマにきて思わず刀のつかに手をかけました。彼にしてみれば、もともと参加したくて参加した戦争ではありません。なにもアガメムノンに義理立てする必要などないわけです。それに一対一で戦うならアキレウスの方が勝っています。アキレウスは飛びかかってアガメムノンを殺そうとしました。
  ところがこのときに仲裁が入りました。ゼウスの妻ヘラが天空から見ていて、「これはまずいことになった」と思いました。そこで彼女は、アキレウスのもとにアテネ神を遣わしました。アテネ神はアキレウスのすぐそばに立ちましたが、アキレウス以外には姿が見えませんでした。刀のつかに手をかけたアキレウスは、目の前にアテネ神を認めてびっくりしました。

 アテネ神はアキレウスに、「ここはガマンしなさい。言葉だけなら何といってやってもいいから」と忠告しました。アキレウスも、神の命令とあればいうことをきかないわけにはいきませんから、抜きかけた刀を鞘に戻しました。
  そしてさんざんアガメムノンに悪態をつきました。そして「私はギリシャ軍がたとえどんな目に遭おうとも、この戦いには参加しない」といい切って自分の陣屋に引き上げました。やがてアガメムノンの部下たちがブリセイスを引き取りに来ましたが、アキレウスは黙って女を引き渡してやりました。「ここはガマンしなさい」というアテネ神のいいつけを守ったわけです。
  けれどもアガメムノンの部下たちがブリセイスを連れていった後、アキレウスはひとり浜辺に出ました。いいようのないくやしさが込み上げ、さすがの勇者もさんさんと涙を流しました。
  だいぶ長くなってしまいましたが、どうやら「・・アキレウスはその美しい女奴隷のブリセイスを奪われたということだけで、あれほど怒ったのではない」というアランの言葉に続くところまでやってきましたね。

 
 

プライドは高くつく
  さて、アランは「この怒りにはすべての怒りが含まれている」といいましたね。「すべての怒り」というのはどういう意味でしょうか。すぐに分かることは、「自分の所有物を無法に横取りされた」という怒りですね。それにアキレウスはいわば正論を述べていたわけですから、「正当な議論が踏みにじられた」という怒りが加わっていますね。
  またアキレウスにはギリシャ随一の勇者としての誇りがあります。その「プライドが総大将の権威によって傷つけられた」ということも怒りの大きな原因です。また「自分は望んで戦いに参加したわけではないのに内部のいざこざに巻き込まれた」という不条理感が加わっています。
  ついで彼はアテネ神にケンカを止められてしまいました。鬱積したものをはらすことができませんでしたので、なおのこと怒りが内にこもりました。こうしてみると、「すべての怒りが含まれている」というアランの説明が分かりますね。しかしアランは上記にあげた怒りだけでなく、もうひとつの別の怒りをあげて、私たちの注意を喚起しています。
  それは「彼自身の怒りそのものに、耐えがたい屈辱を味わったのである」といっています。つまり、彼は自分が怒ったことに腹を立てているのです。自分で自分の平静さをコントロールできなかったということ、そのことに腹を立てているのです。そして「自分が怒らされてしまった」ということが許せないのです。

 アランはまた次のようにいっています。「よしんば、美しいブリセイスが女奴隷ではなくて女王であって、またアガメムノンに奪われたのではなくて、アキレウスの捧げた冠をわれとわが身からふみにじって、彼の懐を逃れ、他の男奴隷の胸に走ったとしたところで、アキレウスは同じ理由から、同じように怒ったことであろう」。
  アキレウスは誇り高い勇士です。だから彼は簡単に傷つけられてしまうのです。これに対して私たちはどうでしょうか。私たちは自分にそれほど誇りを持っていません。
  誇りを持つには、多少とも自分に「自慢できるいいところ」がなければいけませんが、あまりそれらしいものがありません。多少は、自慢できるようなものがないわけでもありませんが、それもよく考えて見ると、上には上があって、自慢できるというのも、ごくせまい世界の中でのことにすぎません。これではたいした誇りを持つことができませんね。

 次に、かりに私がきれいな情婦を持っていたとしてみましょう。私がその情婦を権力者に奪われたとしてみます。私はきっとくやしがるでしょうが、だからといって刃傷沙汰というわけにもいきませんし、裁判というわけにもいきませんよね。そこで私はこう思うでしょう。「あの女もだまってついて行ったのだから、仕方がない。女なんて所詮金と力には弱いのだ」。
  かりに女性が自ら望んで他の男のところへ走ったとしましょうか。おそらく私はがっかりはするでしょうが、怒ることもしないでしょうね。「やっぱりオレじゃだめなんだ」「オレは年も若くないし、ハンサムじゃないし、金も力もないからな」。私は諦めるでしょう。
  こうしてみると誇りがないというのはまことに便利なことであり、同時に平和的なことでもあります。つまらぬプライドが争いのタネなのであって、私のように謙虚で、非を、ひたすら自分の方に引き寄せて考えようとする考え方は何も紛争を生じないのです。

 トロイ戦争の最中に、アガメムノンが「これだけトロイを攻めても決着しないのだから、もう舟にのって故郷に帰ろう」と兵士にウソの呼びかけをしたことがあります。つまり兵士たちの戦意を試してみたのです。すると兵士たちは戦争を中止して家に帰れるというので、大喜びし、われがちに舟の方に走り出しました。
  このときに、「それでも兵隊か!」「恥を知れ!」といって兵を押しとどめたのはオデッセウスであり、ネストールです。「恥を知れ!」といわれて、兵士たちは踏みとどまりました。当時の兵士たちは素朴だったのですね。今日、たとえ少人数であっても、ある種のなだれ現象をおこした集団に向って、「恥を知れ!」などといっても誰も気にしませんよ。「恥? 恥って何のこと?」なんていわれて、こちらが恥をかく始末になるでしょう。
  けれども彼らが踏みとどまったために、さらに多くの戦死者が出ました。そして彼らが踏みとどまったために黄金の都トロイは灰燼に帰してしまったのです。こうしてみるとプライド、メンツなどというものは、じつにコスト高につくものであることが分かるではありませんか。

 今日メンツということにこだわるのはやくざの世界だけで、かたぎの世界ではプライドやメンツを問題にしません。むしろそのようなことで騒ぎ立てないことの方が「大人」であり、「人格者」であるというように私たちは訓練を受けているのです。
  私たちはプライドやメンツのことで怒るということをめったにしなくなっています。とくに私たちは相手が自分の上司だったり、顧客だったり、要するに自分にとっての権力者であるような場合、プライドやメンツを持ち出すことはありません。相手の気に入られたいという衝動の方が強くて、怒りの感情が発動しないのです。
  このように、なにかと穏和になっている私たちですが、それでもときには頭に来て「このやろー」と思うことがあります。たとえば、混んだ電車で足を踏まれたとか、クルマで乱暴に追い抜かれたとか、工事現場の交通整理の係がもたもたしていたとか、買った商品がキズモノだったとか、女房が口答えをしたなど、具体的に数え上げると、いまいち冴えないものばかりですが、それでもこんなときには私たちなりに大いに怒ります。

 ところがこのような件で怒るとき、私たちは自分の怒りについて考えたりはしません。「自分をコントロールできなかった」、などとは思わないのです。「このやろー」「なんてやつらだ」「いったいどうなっているんだ」というように、自分に不快をもたらした対象を呪います。それでおしまいです。
  アキレウスの場合は、「何ものにも動じないはずの一個の勇気ある武士が、かくまでも怒りの感情にとらわれてしまったとは何たる不覚」「かくまでに心に傷を与えることができるようなものが、この世にいたという、そのことが許せない」という風になります。どうも、私たちの怒りとは性質が違うようですね。

 
 

情念の鬱積を描く「イリアス」
  ところでアキレウスの話に戻りましょう。アキレウスは浜辺で泣きながら母親である女神ティティスに祈りました。すると女神ティティスがあらわれて、やさしく息子を慰めました。このときにアキレウスは母に次のように話しました。
  「私はアガメムノンにひどい侮辱を受けました。だからトロイ戦争には参戦しないことにしました。けれどギリシャ軍がやすやすとトロイを攻め落としたのでは、私はいてもいなくてもよかったことになります。だからこの戦争でギリシャ軍を勝たせないように、お母さんからゼウス様にお願いをしてください。彼らに私が必要だったと思い知らせてやりたいのです」。
  ティティスは息子の言葉を聞いて、大神ゼウスに願ってあげようと約束しました。そのときに彼女は「ゼウス様はいまオケアノスに招待されて、エチオピアに宴会にお出かけです。オリュンポスへのお帰りはあと十二日後になるでしょう。神々がお帰りになったら、さっそくお願いをしてみようね。多分聞いていただけると思うけれど」といいました。つまりここで重要なのは、女神がゼウスにお願いをするまでに12日もの空白期間があったということです。

 アキレウスにしてみれば、母親がゼウスに願って、ゼウスに「うん」といってもらえるかどうか、まずこれが問題です。もちろん「うん」といってもらえたとしても、すぐに戦局が変わるかどうか、これも分かりません。それにしても母親も行動できず、ただ待つだけ、悶々として暮らさなければならない日が二週間近くあったということですね。
  いまから二五〇〇年以上も前に作られたという『イリアス』の物語が、アキレウスのこのようなやり場のない情念を強調するために、ことさら12日という時間を設定したということに私は驚きます。イリアスの作者は情念がどのようなものか、知悉していたのです。

 アランはテントに引きこもったアキレウスの様子を、まるで映画のシーンを見るかのように、次のように表現しました。
  「峻厳なアキレウスの半ばひらかれた幕舎の入口のあわいから、アキレウスとその友パトロクロスが向かいあって座っているのが見える。アキレウスは歌と竪琴とによって、たけり狂う心を抑え、弱まることのないおのれの怒りを、時の助けをかりて徐々に征服しようとつとめている。一方パトロクロスは、そのアキレウスに向かい合ったまま、友の打ちかちがたい宿命と、自縄自縛におちいった意志とを見つめている。ありとあらゆる情念が、ここにみごとに姿をあらわしている」。

 ここに登場するパトロクロスはアキレウスの無二の親友です。二人は親友であることを超えて恋人同士だったのではないか、ともいわれています。二人は少年時代を一緒に過ごしました。そしていつしかパトロクロスは、はげしい気性のアキレウスを補佐する見守り役となりました。彼らは一緒にトロイにやってきました。
  おそらくアキレウスは戦うときも、遊ぶときも、食事をするときもパトロクロスと一緒だったでしょう。ですからアキレウスがアガメムノンに侮辱されて帰ってきたとき、パトロクロスは適切に対応したものと思われます。
  アキレウスの気性のはげしさ、きびしさを知っている彼は、友をこれ以上苛立たせないように言葉少なにさりげなく話し、あるいは一緒にいながらも何時間も沈黙を守ったでしょう。アキレウスも、この思いやりに満ちた友をありがたく思ったでしょう。アランはその二人がテントの中で静かに向かい合っている様子を想像したのです。

 
 

パトロクロス討たれる
  ところがこの後ティティスがゼウスに願ってアキレウスの希望が実現すると、アキレウスにとって別の悲劇がやってきました。
  ギリシャ軍の戦局はアキレウスの計算どおり、不利になりました。総大将ヘクトールに率いられたトロイ軍は勝ち誇って、ギリシャ軍がテントを張っている海岸近くまで押し寄せました。ギリシャ側の有力な武士が次々に殺され、あるいは傷つきました。
  アキレウスのところには刻々と戦況情報が入ってきました。「味方が危ない」「加勢して欲しい」という緊急のメッセージも伝えられました。けれどアキレウスは動きません。
  ついにアガメムノンも、「アキレウスがいないとこの戦いは勝てない」ということを思い知りました。軍議が開かれ、アガメムノンはアキレウスに正式に謝罪することになりました。「自分が悪かった。ブリセイスは返す。自分の三人の娘のうち好きなのを嫁にやる。さらに沢山の財宝もつけよう」という条件が伝えられました。けれどアキレウスはこの謝罪もつぐないも拒否しました。それほどアキレウスの怒りははげしかったのです。

 その間もギリシャ側の戦局は悪化しています。見るに見かねたパトロクロスが「君が行かないなら、私が行って加勢してくる。君の鎧兜を貸してくれ。私がこれをつけて出て行けば、トロイ軍はアキレウスが来たと思って退くだろう」といい出しました。アキレウスはびっくりして思いとどまるように説得しましたが、パトロクロスは聞きません。とうとう彼はアキレウスの鎧兜を借りて出撃することになりました。
  パトロクロスの作戦ははじめのうち成功しました。トロイ軍の兵士は「あのアキレウスが出てきたぞ」ということで恐慌を来たし、大きく退きました。そこで気をよくしたパトロクロスは深追いし過ぎました。そしてついに敵の大将ヘクトールに討たれ、アキレウスから借りた武具一式はヘクトールに剥ぎ取られてしまいました。さあ、この知らせを聞いたアキレウスの心境を思いやってください。

 彼はアガメムノンに思い知らせようとして、ギリシャ軍が不利になるように神に願いました。これによってアガメムノンの謝罪を引き出すことに成功しましたが、彼はこれを拒否し、最愛の友の死を招きました。間接的ではありますが、アキレウスは自分の怒りによって親友を死に至らしめてしまったのです。アキレウスにとってパトロクロスは、かけがいのない存在でした。
  このときのアキレウスは誰を呪い、誰に対して怒ったでしょうか。おそらく怒りの極においては何に対して怒っているのかわけが分からなくなってしまったと思われます。
  ともかく彼のエネルギーは外側に向って爆発する必要がありました。彼の怒りをぶつけるところは戦場しかありません。パトロクロスの復讐しかありません。彼は「参戦しない」といいきっていましたが、こうなっては前言もくそもありません。現在のアキレウスにとってはアガメムノンとのいざこざなど、もうどうでもいいことです。

 アキレウスは、すぐにも飛び出していってパトロクロスを殺したヘクトールと一騎打ちをしたいと思いますが、肝心の武具一式がありません。そこでアキレウスはふたたび母親ティティスに願って新しい鎧兜を調達してもらうことにしました。ティティスは鍛冶の神ヘパイストスに依頼し、息子のために新しい武具一式を作ってもらうことにしました。ヘパイストスは快諾し、直ちに仕事にかかりました。
  それにしても『イリアス』という物語はじつによくできています。ここでも再びアキレウスは待たねばならないのです。はやる気持ちを抑え、新しい武具が出来上がるのをじっと待つわけです。これはエネルギーが思い切り小さな空間に圧縮されて、これに見合う爆発力が準備されているという状態と同じです。

 敵将ヘクトールはアキレウスにとって、愛する友を殺し、貸した武具を奪って侮辱し、耐えがたい待ち時間を与えた張本人ということになります。おのずからアキレウスの標的はヘクトールということになります。
  アランはまだアキレウスがパトロクロスと向かい合ってテントに座っていたとき、やがてやってくる光景を想像してこう記しました。「音楽家アキレウスの指先があびるおびただしい血潮、虐殺される捕虜たち、戦車に引きずられるヘクトール、哀願するプリアモス、これらやがてくりひろげられる凌辱の劇のすべてが、この情景の沈黙のうちに煮えたぎっている。だれかれの見境いのない復讐である」。

 
 

動物の怒りとアキレウスの怒り
  新しい武具が届けられると、アキレウスはこれを身につけ、おめき声とともに出撃しました。
優勢を誇っていた何千のトロイ軍もアキレウスの前にはひとたまりもありませんでした。
  これについてホメロスはたとえば次のように歌っています。「さながらに谷間を深く、恐ろしい勢いでもえる火のよう、山はもう乾ききっている、その森奥が燃えてわたれば、八方に 風が炎を追いまくって、うずをまかせる、そのようにも、アキレウスは八方に槍を引っさげ、鬼神のごとく、敵のものを打ち殺しつつ荒れ狂えば、黒い大地は血を流した・・」。
  またホメロスはアキレウスが戦っている間、食事をとらなかったといっています。彼は自分の怒りのエネルギーを大切にし、なまじ食事をして満ち足りたような気分になることを自分自身に禁じていたのです。こうしてアキレウスは戦場において縦横に働いてパトロクロスの仇を討ちました。しかし最後には神々に予告されていた通り、トロイの郷に一命を落としました。

 ところで動物学者がいうには、動物も種内競争、種内闘争をするが、人間ほどひどい種内闘争はやらないといいます。たとえば二頭の犬やシカが一頭の雌、あるいは食物をめぐって闘争するということがあります。このような種内闘争はあっという間にカタがつきますし、あとくされがありません。
  たとえば犬ならばお互いに唸り、噛み合いますが、まもなく勝者と敗者が判明し、敗者の方はしっぽを股の間にはさんで逃げます。敗者には敗北のサインがあり、このサインが出ているときには勝者はそれ以上に攻撃することを手控えます。
  これはある意味ではDNAの戦略でもあります。動物が際限もなく種内闘争をやれば、その種は絶滅の危機にさらされます。だから動物たちは手控えることを知っているのです。
  動物の敗者は勝者に対して恨みを持つということはありせん。負けた犬が裏庭で待ち伏せしていて意趣がえしをするというような光景は絶えて見られません。原則として勝負は一回で清算されており、恨みのエネルギーが蓄積されるということもありません。ところが人間の場合はいささか事情が違ってきます。

 勇将ヘクトールもアキレウスに城門の下に追いつめられたとき、恐怖に襲われて逃げ出しました。彼はトロイの城壁のまわりを3回も逃げて回ったといわれます。そして最後には覚悟を決めてアキレウスに立ち向かいました。
  猫がネズミを追いかける、窮鼠かえって猫をかむ、ということはいわれますが、これは種間闘争のことをいっているのであって、種内闘争のことではありません。犬ならば城門のまわりを三回も追いかけたりはしません。要するに動物の行動はコストの科学に支配されているのです。
  ヘクトールは内心の恐怖心に抵抗してアキレウスと闘いましたが、アキレウスの敵ではありませんでした。ヘクトールはアキレウスに喉を突き刺されました。このとき彼は息もたえだえにアキレウスに頼みました。「私の死体を両親に返してやってくれ」。

 これはある意味では文字どおり敗北のサインです。けれどアキレウスはこれを拒否し、ヘクトールの死体を馬車にくくりつけて存分に引き回しました。アキレウスは、ヘクトールに愛する友の死を償わせる方法をほかに見つけることができなかったのです。
  こうして見るとアキレウスの怒りは動物的な怒りではありません。彼の殺戮も動物的なものではありません。私たちは恐ろしい人物を形容して「オオカミのような」「ハイエナのように」というようなことをいいますが、アキレウスの攻撃行動を動物にたとえることはできません。だからホメロスはアキレウスの行動を表現するのに、容赦を知らぬ「火」を用いたのです。

 ところでふたたび私たちのことに戻りましょう。私たちは無用の争いをしないという社会的な習慣を身につけています。それに「喧嘩をしてはソンだ」とか「あの人にタテついては後がこわい」とか「関わり合いになるのは止そう」と思います。つまり私たちは日常、早々と敗北のサインを出しているのです。プライドなんかくそ食らえというわけです。
  私たちは強者にゴマをすり、侮辱されても平気で、かりにそういうことがあれば、これを早く忘れようとします。そのためにはテレビやスポーツ観戦はもってこいというわけです。この点で私たちは犬や猿などに見られるような、動物の経済学をみずから実践しています。

 大昔、人類は森の動物たちに別れを告げ、森林を出て独自の文化と文明を築きました。そして誇り高く、美しい一つの「種」を形成しました。この時代にあっては、無名の兵士たちでさえ、「恥を知れ!」といわれると、立ち止まって自己を取り戻すことができるほど良質であったともいえるでしょう。
  しかしながら、この「種」はアキレウスを一つの頂点として次第に退化を始めました。もはや私たちはアキレウスの子孫ではありません。私たちは愛する友の死を償わせるために怒りのエネルギーを蓄積し、これを敵に向って爆発させるような、そんな根性を持ち合わせていません。
  このように、私たちはどうやらプライドという面では、動物の方向に逆戻りしているわけですが、それでは種内闘争という点について穏和で、限度を知る動物になったのでしょうか。要するに明らかに敗北のサインを出している弱者に手加減し、その生存を認めるという度量ある生き物にまで戻ることができたのでしょうか。また一時的なトラブルはあっても、それを1回ぎりで清算し、恨みを残さないというやり方を身につけたのでしょうか。

 アランはアキレウスの怒りについて説明した後で、「私たちの英知もまた、結局はこの情景の外には出ない」といいました。つまりアランはアキレウスの怒りを人類普遍の情念の代表例として見ているのです。しかし私は、私たちの情念がアキレウスのように高貴なものでなく、またさりとて、動物のように賢明な淡白さを持つものでないことも認めなければなりません。
  アキレウスの情念を真似るのか、犬の情念を真似るのか、私たちはそのいずれを選ぶべきなのでしょうか。

 
   
←第6章へ 目次へ 第8章へ→
 
 
Copyright (C) 2006 Kunihiro Kato All Rights Reserved.