トップエッセイ音楽作品アラン経営関連リンク
 
美しいメロディ
 
あとがき

私はこのごろ家でほとんど音楽CDやレコードを聴きません。テレビでときおりクラシックの演奏の番組なども放送されているようですが、これもほとんど見聞きしません。テレビの音楽番組はどうしてかさっぱり面白くありません。年のせいでものぐさになったためでしょうか。私の現時点の音楽活動は、せいぜい週末に娘にピアノ合奏で遊んでもらう程度です。
  先日も久しぶりに飛行機に乗ることがあって、退屈のあまりイヤホーンを耳に当てました。ベートーベンの協奏曲「皇帝」をやっているのですが、どういうわけか、変ホ長調ではなく、ホ長調になっているのです。これでは聴く気になれません。
  このごろは朝から晩まで音楽を聴くことが多いですね。そしてどうかすると、朝聴いた音楽の旋律が執拗に一日中耳につきまとうなどということがあります。これがくだらない旋律だったりすると、いらいらします。
  いずれにしても今日の都市はノイズに満ちています。その中には、音楽のノイズがあってこれが私たちの神経を苛立てます。だから家でゆっくりしているときなど、なんの音も立てずに、ひっそりと暮らすほうが心が休まります。
  まわりに音が聴こえなくなると、私の耳の中にだけ、すでに慣れ親しんだ「美しいメロディ」が流れ出します。私は本書の中で、美しいメロディのコレクションがはなはだ安上がりにつくことを自慢しましたが、想像の中の演奏会はもっと安上がりです。
  頭の中の演奏に関しては、気に入ったメロディの「部分」だけを何度もくりかえして演奏することもできますし、自分の意のままにテンポを速めたり、ルバートしたりすることができます。ディスクを入れ替える必要もないのですから、これほど便利な音楽鑑賞法はありません。
  誰でも好きな詩句の一節や、短歌の一片を覚えているものですよね。それにまた美しい映画のシーンや小説の場面なども心の中に焼きついているものです。こうした作品の断片はときとして私たちの魂を浄化してくれるような気がするものです。そうした魂のための財産の一角に、「美しいメロディ」が位置すると私は考えます。
  アランは「ゲーテは他人のための音楽家ではなかったが、しかし自分自身に対してはたしかに音楽家であって、彼は音楽を知っており、それを愛さないではいられなかった」と書きました。
ゲーテと張り合うことは無理としても、私たちも多少は自分自身のための音楽家であることができます。心ひそかに自分の好きな、本当にいい音楽を持っていさえすればいいからです。
  私は今回、好きな音楽をテーマに取り上げましたが、考えてみれば少々危険なテーマでした。私はいつもこのように軽率による罰を受けながら生きているのです。それにまた「美しいメロディとは」などと、力んで書き出しましたが、ついに結論は得られませんでした。本書を書いたことを後悔しています。けれど、私の暴言も、一人よがりも、みな「ミューズへの愛」に免じてご勘弁いただくことにしましょう。
  本書執筆、編集に当たっては、多くの方々のご協力をいただきました。まず第一のアンケートへのご協力者の方々、第二のアンケートへのご協力者の方々。へんちくりんなアンケートに快くご協力していただき有難うございました。
  ついで校閲の段階で戸川夏子氏ならびに鈴木航伊知氏に、格別のお世話になったことを申しあげなければなりません。戸川夏子氏にはとくにピタゴラス音律に関する記述について懇切なご指導をいただきました。またお二人から、用字や用語の誤りについてごていねいなご指摘をいただきました。本当に有難うございました。まだ本書には記述ミスや校正ミスが見つかるかもしれませんが、その責任者はひとえに筆者にあります。
  アンケート結果の集計ならびに楽譜原稿の編集に関してはわがオフィスの西尾咲恵子君、中島俊子君、そして本文編集に関しては柴田和枝君、田中晴美君にお世話になりました。参考文献や楽譜の出典についても、それぞれ名を上げてお断りと謝意を表すべきところでありますが、紙数の関係で省略させていただきます。いずれに対しても心より感謝、御礼を申しあげます。

                     1997年   著者

   
←第6章へ 目次へ  
 
 
Copyright (C) 2006 Kunihiro Kato All Rights Reserved.