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リーダーのためのアラン哲学
 
第6章 意志と勇気

リーダーは意志と勇気の点でメンバーよりも抜きんでていなければなりません。けれど、意志と勇気はどのようなときに要求され、発揮されるのでしょうか。多くのリーダーは、自分の意志や勇気が試されているようなとき、たいていはそれと気がつかないものです。「しばらく様子を見よう」「まだ時間がある」「そのうち考えればいい・・」。つまり、あれこれ迷って、意思決定を先のばしにしているようなとき、あるいは事態を放置しているようなとき、意志と勇気が試されていることが多いのです。アランは「優柔不断こそ最悪の害悪である」としたデカルトの立場を取りました。アランは本人にその意思があるかどうかを、「げんにそれを実行しているか」ということで判定しました。「そのうちやるつもりだ」とか「計画中である」という言葉をいっさい信用していなかったのです。

 

51.すべてなるがままにまかせれば悪い。(知恵について「えりごのみするな」)
環境保護運動が盛んです。結構なことです。環境保護の潮流に乗って、「自然」を第一義的に考えるナチュラリストも増えてきました。ナチュラリストにもいろいろあるのでしょうが、彼らはおおむね人工的なものを嫌い、自然本来のものがもっとも好ましいと主張します。 子どもの教育に、このナチュラリスト的な視点、「自然に帰れ」を導入したのはルソーでした。彼は子どもを大人たちの鋳型に押し込めることなく、自然のままに、のびのびと育てることが大切だと説きました。この教育論はこんにちでも有効なヒントを数多く含んでいます。
  けれどナチュラリストが主張する「本来のもの」「手を加えないもの」が何でもいいかというと、決してそうではありません。アランは「本来のそのままのものは悪いものだ」と明言しました。また「最初の状態は悪いものだ」ともいいました。これは未熟なもの、未開発なもの、無知なものを「素朴で美しい自然」と混同しないようにしようではないかということです。

 たとえば新入社員は仕事のし方を知りません。好きなようにやらせれば、もっとも悪い方法で仕事をするでしょう。はじめて馬に乗る人は、高い確率で落馬します。上手に馬に乗るには、トレーニングが必要であり、自己規制が必要なのです。
またアランは、「自分の好きなようにやる」「気分にまかせる」ということをきびしくいましめました。アランはいっています。「一杯また一杯と飲むこと、それはひとりでになる」。つまり酒好きの人にとって、飲むという行為は、のびのびやった結果なのです。「大切な事柄を忘れること、それはひとりでになる。お札と計算書をごちゃまぜにすること、やがてそれらの計算が合わなくなること、それはひとりでになるのだ」。

重要なことは、初心者の状態をいかに早く克服するかです。はっきりした目的を持ってトレーニング、あるいは改善を開始し、継続しなければなりません。自然の開発についていえば、あるべき状態を設計して、これに一歩ずつ近づけるということです。環境保全についても、単なる自然の放置が最良などというのは幼稚な思想です。
アランは「自然な気分」「本来の気持ち」に逆らって行動することを要求しました。計画を持つということは、その時々の気分に逆らって行動するということです。かならずしもしたいようにはしない、ということです。室内の整理整頓は、私たちの強い意志と、集中力の結果です。仕事の成果はすべて集中と意志の成果です。
リーダーの機能とは何でしょうか。それは組織に明確な意思を与え、部下を仕事に向けて集中させることにほかなりません。組織を一日も早く未熟、未開発の状態から脱出させることです。

 
 

52.立ち続けているには意志を必要とするが、倒れるにはこれを要せず、重さで足りる。(経済随筆「第4章」)
先日テレビで、柔軟に二足歩行するロボットが紹介されました。これを見て分かるのは、人間が二本足で立ったり歩いたりするというのは、とんでもない軽業だということです。赤ちゃんは立ち上がるまでに相当の時間がかかります。四つ足の動物でさえ、意識がなくなれば倒れます。意志を働かせていないとき、私たちは二本足で地上に立っていられなくなります。
アランは破産とは重力に従うことだといっています。小さな売上は低い棒グラフで示されます。これは重力に押しつぶされた価値です。Zチャートでは、計画未達成の線は計画線の下側に、あたかも重力に引っ張られているようにあらわれ、どうしても上に行くことができません。

 事業を発展させるということは、たえず私たちを引っ張っている失敗の重力に抵抗することです。この重力との戦いを経営努力と呼ぶのです。会社が赤字になるとは、マネージャーや社員が重力に負けたことを意味します。
  けれどもアランは「山は逃げてゆきはしない」といいました。彼は活動の目標を、山に見立てたのです。目標は山のようなもので、ひとりでに後退したりはしません。だからこちらの方から「よじ登らなければ」なりません。すぐに山に登ることはできなくても、計画を立てて少しずつ進めばいつかは頂上に着きます。
  またアランは「意志は継続一貫した行動によって知られる」ともいいました。途中であきらめてしまった仕事、飽きて投げ出した仕事、障害のために中断した仕事など、いずれにしても止めたということは、当人に本当にやる気はなかったことをあらわしています。
未熟なセールスマンは、一度断られると本当に断られたと思い込んで、継続訪問をあきらめてしまいます。ところが相手はこちらを試していることが多いのです。たいていの場合、私たちはせっかちにものごとを判断し、途中で止めてしまいます。

 私たちはなんとか這い上がり、立ち上がり、自分の力で執拗に歩こうとする赤ちゃんをお手本とすべきでしょう。赤ちゃんによる差はありますが、絶望して立ち上がることをあきらめるような赤ちゃんは1人もいません。
  このことから次の法則「長期的に見た場合、弱い意思は強い意思に席を譲る」を確認することができます。そこで私たちは、自分が本当に何をやりたいと思っているのかをはっきりさせなければなりません。組織にとっては、目的を追求するリーダーの強い、はっきりした意思こそがもっとも貴重な資源なのです。

 
 

53.人間は理論的に正しいと思われることの前では怠け者である。(幸福論「仕事」)
  私たちが持っているもっとも古い「やらねばならないこと」の思い出は何でしょうか。それは小学校の宿題です。普通の子供にとって宿題ほどつらいものはありません。なぜなら、「しなければならない」ということだけが前面にあって、自分を動機づけてくれる内的な必然性など何もないからです。
  アランも子供のころ相当な怠け者でした。嫌いな学科の教科書など開いて見たこともありませんでした。その経験を踏まえて、彼は「人間は理論的に正しいと思われることの前では怠け者である」といいました。
  この自然な感情は仕事をする人々を容赦なく襲います。申し分なく立派な計画書は、関係者の大きな重荷となります。こうしていやいや勉強する子どもと同様に、いやいやながら仕事をするサラリーマンが生まれます。仕事はつらい浮世の責め苦になります。何か「うさばらし」がないとやっていられない、などということにもなります。

 どうしてこうなってしまうのでしょうか。それは「やらねばならないこと」「理論的に正しいこと」「立派な計画書」のほうが「主役」になってしまい、私たちはそのための道具ないしは手段にすぎないように思えてしまうからです。
  自分でお膳立てし、自分が中心となっているとき、人は決して仕事を重荷とは考えません。もしいやになったら、いつでも止めればいいのです。自分が自由にできるプロジェクトですから、中断しても誰にも文句をいわれません。この場合は自分が王様です。ところが与えられた仕事は重荷です。与えられた仕事には実行の義務があり、他人による監視や管理や評価があります。気が重くなります。このような場合、人は何かの奴隷です。

 アランは「電車の運転手はバスの運転手よりも幸福でない」といいました。バスには電車のような軌道がありませんから、仕事の自由度は高いわけです。仕事に対する面白さは、その仕事に対して自分が持っている自由の度合いによって決まります。だから私たちは自分の仕事の主役でなければなりません。
  仕事とは本質的に誰かを喜ばせるためのものです。そこで相手をどのように喜ばせるべきか、これを考えながら仕事をすることが重要です。事業計画も、それが価値があるものなら、かならず顧客や社会に役立っているはずです。リーダーは自分が意欲的であるだけでなく、たえず部下にも意欲を持たせなければなりません。そのためには「仕事においては、人はつねに主役でなければならぬ」というセオリーをよく承知してください。

 
 

54.私たちはいつもこの最初の無知からこそ踏み出すのである。生きようとするものはすべて卵から出なくてはならない。(思想と年齢「翼」)
  「ビギナーズラック」という言葉があります。たとえばはじめて釣りに行った人が思いがけず大物を釣ったり、はじめてゴルフをした人が思いがけずいいスコアを出す、というようなことです。これは一種のまぐれ当たりですね。
  本当のことをいえば、実際には最初がもっとも下手くそで、失敗が多いものです。最初に手痛い失敗をすると屈辱体験が残って、もうそのことには手を出すまいという消極的な態度が生まれます。市場開拓の失敗、新製品開発の失敗などはリーダーを用心深くし、消極的にします。
  ビギナーズラックを経験したあと、調子に乗ってやってみたら今度は手痛い目にあう、これも貴重な経験です。最初の失敗に懲りるというのも貴重な経験です。けれど、初期の失敗で尻込みしっぱなしでいることができない、これがビジネスであり、とくに商品開発の分野です。

 多くの会社が新製品や新機軸を望んでいます。ところが十年もの間新製品が出てこないという会社があります。このような会社は偶然、ある商品が成功して会社が大きくなったのですが、その後の商品が続かないために、次第に業績は沈滞していきます。
  ではそのような会社が新製品の開発についてまったく関心がないのかと思うと、そうではありません。また新製品関連の情報にうといのかというとそうでもありません。
  けれどそのような会社に、新事業や新製品のアイデアを提案したとしましょう。するとたちどころに次のような、確信に満ちた答えが返っています。「それは前にもやったが失敗した」「そのアイデアは検討したが採算が取れないことが分かった」「それはどこそこの会社がやって失敗している」。新しい提案は決して受け入れられないでしょう。

 「それは儲かるのか」「成功は確実なのか」「保証はあるのか」「その結果どうなるのか」ということを考えていくと、新製品の関連情報は蓄積しますが、ますます決断できなくなってしまいます。こうしていつまでも商品を開発できない状態が続いてしまうのです。
  ファラデーがはじめて電磁気回路の実験に成功したとき、「それが何の役に立つのですか」と聞いた人がいました。ファラデーは答えていいました。「生まれたての赤ちゃんが何の役に立つのでしょうか?」 。およそ新機軸はすべて赤ちゃんと同じです。
  新規の事業は確実な利益を保証しつつ立ちあらわれてくるのではありません。それどころか未完成で、未熟で、無防備の状態で、失敗を伴ないながら出現してくるのです。関係者はこれを育てなければならないのです。ビギナーズラックをあてにすることはリーダーとしては間違いです。

 
 

55.したがって個々人について問われるのは、十分に意志ありやということが主眼となるのではなく、それよりもむしろ渾身の力を込めて意志ありやということにあり、またこれあってこそ本当に充分といえるものなのだ。(経済随筆「第四章」)
誰でも欲求や願望を持っています。事業を始めようとする人は、こうした願望を出発点とします。その願望がかなうかかなわないか、これが人生ゲームの見どころです。事業を始めた後でも、欲求や願望は次々にあらわれます。事業の規模をもっと拡大したいとか、もっと利益がほしいとか、シェアを伸ばしたいとか。
ビジネス・リーダーはこうした願望を強く持っている人々です。まったく事業意欲のない人はリーダーとしては不向きです。情熱という裏づけがない行動には説得力がありませんし、根気もありません。技術と責任感だけでは経営者にはなれません。

 ビジネスにおける大きな願望は、中長期事業計画として明文化され、ついで年度事業計画として実行されます。事業計画を作ることは願望を記述することであり、自分に対して約束することでもあります。この意味ではリーダーはまずなによりも「よき計画者」でなければなりません。
計画書といっても抽象的で美しい言葉をならべただけの計画書には、あまり意味がありません。人は自分が考えていることをうまくいえるとは限らないものです。自分の願望を適切に表現する、これもリーダーにとって大切な能力です。
  アランが「誰でも求めるものは得られる」といっています。彼は事業計画書に記述されたことは、原則として実現されると明言しているのです。ただしアランは、単に「希望する」というのと、本気になって「求める」というのとは違うといっています。

 計画するとは、「実現したらいいな」という程度のことを適当に記述することではありません。自分に対する要求を記述することです。それは自分に対して約束することであり、誓うことです。そして要求するとは「たえず続けて要求すること」でなくてはなりません。「予算」と「計画」の決定的な違いはここにあります。
 アランはさらに単に「意志がある」というだけではまだ不十分だといいました。なぜなら、誰だって事業を大きくしたいし、利益が上がるにこしたことはないからです。通常の人の通常の意欲以上の意欲。執念、あるいは持続する気迫とでもいうべきもの、これが長期戦における勝敗を左右する最大の要素です。
  計画書に美辞麗句を書き、これだけで満足するような人はリーダーではありません。リーダーは自分の書いた一字一句に自ら拘束される人、そのことを誓う人でなければなりません。

 
 

56.意志の対象はつねにひとつの行動であって、けっして目的ではないというべきであろう。獲得すべき財産はひとつの目的だ。企業、事業計画、資金繰りは手段だ。だがこれらの手段を目的によって決定するほかに、その決定以前に、どこに意志があるのだろう。(考えること「第二十五の手紙」)
  車は移動するための手段です。目的は別の場所に行くことであり、誰かと会って話をしたり、目的地で何かをすることです。ここでは目的と手段は別物です。だからその場所に移動できるなら、車で移動しなくてもかまいません。電車でもバスでもいいわけです。
  一般のサラリーマンにとって、ある会社に勤めるということは生活の費用を得るための手段かもしれません。おそらくそうでしょう。生活費を得られるなら、その会社でなくても、別の会社でもいいわけです。また生活に困らないなら、会社勤めをしなくてもいいのかもしれません。
  収益をめざす事業にとっては、利益を上げることが目的です。しかしその利益が得られさえすれば他の事業でもいいか、というとかならずしもそうではありません。単なる利殖をあてにしているオーナーにとっては事業の種類は何でもいいかもしれませんが、明確な事業目的を持つ会社経営者には、自分の仕事へのこだわりがあります。

 要するに事業のリーダーにとっては得られるはずの利益だけではなく、事業をすることそのものが目的なのです。したがって事業に伴なう投資や、資金繰りの苦労や、社員に対する福祉、社員教育、得意先との交渉、これらを「・・のための手段」ということはできません。それはリーダーにとって活動目的の一部となって組み込まれているのです。
  ときにはリーダーは「思うようにならない資金繰り、いうことを聞かない社員、横柄で無礼な販売取引先、いつまでも品質を改善しない仕入先・・いったいオレは何をやっているんだろう」「何もしないほうがずっとマシではないか」などと考えることがあるかもしれません。しかしこれらの苦労は、リーダーにとって意欲的に取組むべき対象以外の何物でもありません。

 ここでは「資金繰りに努力すること」「いうことを聞かない社員を教育すること」「取引先の満足度を高めること」という行動そのものが目的であって、手段と目的の差はほとんど見られないのです。「いったい何のためにやっているんだ」と自問するとき、その答えはきっと「この事業をやることを決めたから」という答えに行きつくはずです。あるいは、「自分がリーダーの役を引き受けたから」となるはずです。だから行動はあなたの目的そのものなのです。
  意志を決定するものは自分の心の中以外にはありません。リーダーは誰かに強制されて行動している人ではありません。志の出所はつねに出発点にあるのです。

 
 

57.なぜならばどのような仕事においても、‥馬を御するにせよ、ものを考えるにせよ、ある難点に達すると、私たちのまえにある希望は滅び去り、この点を超えるためには、私たちの後ろにある希望、すなわち心に誓った信義によるほかはないのだから。(思想と年齢「信義」)
  アランははっきりと「金持ちになりたいものは誰でもなれる」といいました。ビジネスは金銭追求のゲームですから、この保証が重要です。ところが世の中には経済的な成功をめざして仕事を始めたのに、志に反して失敗する人もいますし、いつまでたってもぱっとしない人もいます。これはどうしたことでしょうか。
  この疑問に答えるようにアランはいっています。「こんなことを言うと、金をもうけようと夢みて、少しももうけなかった人は誰でも憤慨する。かれらは山はながめたが、山のほうではかれらを待っていたのである」。つまり金持ちにならなかった人は、どこかで初志を放棄したに違いないというのです。目的地は逃げはしないからです。

 仕事をやっていくうちには必ず難しい場面が出てきます。それはかならずしも販売不振とか、人に裏切られたとか、才能の限界などだけではありません。たとえば「あの人に頭を下げれば成功できる」とか、「ここで謝っておけば面倒を見てもらえる」などのように、自尊心にかかわるような意思決定をしなければならないこともあります。かりに「そこまでしなくても」「そんなことまでしなければならないなら、別に儲けなくてもいい」と思う瞬間があるとすれば、そのとき「金を手に入れたい」という初志は後退したことになります。
  リーダーはたえず「会社の成長発展」とか「利益の確保」を口にしています。けれどそれが本気でいっているのかどうかが問題になります。もちろん本気でしょう。けれど「なにもそこまでしなくても」と思うようなことがあるとすれば話は別です。このとき人は自分の限界を設定し、初志を放棄しようとしているのです。

 仕事をしていて難しい場面にぶつからないとしたら、それはまだ本当に仕事をしているとはいえません。人は外的な意味でも内的な意味でもかならず、限界的な状況にぶつかります。私たちはそのようなとき、いくぶん自嘲をこめて「お先まっ暗」といいます。
  アランは未来に向って希望が見えないなら、過去の希望を見なさいといっています。「過去の希望」とは何でしょうか。それは「この仕事を始めよう」と決心したときの、あの時の希望、すなわち志のことです。初志貫徹とは出発点の誓いに忠実であることです。この志へのこだわり、アランはこれを「心に誓った信義」と呼びました。リーダーには時として、この「心に誓った信義」以外に何ら資源を持たないこともあるのです。

 
 

58.人は天国の扉を合鍵で開けることはできない。(文学論「パスカルはほとんど誰にでも気に入る」)
  日本のビジネスマンは、たいへん勉強好きです。方々でビジネスマンのための勉強会が盛んですが、このような場につねに積極的に出席しているのは、経営者や上級管理職です。
  こうした勉強会でとりわけ人気があるのは「事例研究」です。どこかの会社がそのしくみを導入して成功したという話は、一般論よりもはるかにリアリティがあり、参考になります。そこで勉強会の事務局には「事例企業はどんな会社なのですか」とか、「こういう業種についての事例研究はないのですか」といった問い合わせがあいつぎます。似ている事例を参考にして自分の会社に取り入れる、これは勉強の目標です。
  あるセミナーで、受講していた経営者がすっくと立って発言しました。「そんな理論はどうでもいい。すぐに儲かる方法を教えてもらいたいんだ」。これはホンネです。誰だって回りくどい説明よりも、有効な結論を知りたいのです。

 これに対してアランは「人は天国の扉を合鍵で開けることはできない」といいました。安直な回答で成功することはできない、という意味です。誰でも理論より方法を知りたいし、方法よりも結果をほしいのです。「経営理論を教えましょう」といわれるより、「10億円儲かる方法を教えましょう」といわれるほうがいいですし、さらにそれよりも「10億円あげましょう」といわれる方がいいでしょう。
  ここに「100メートルを10秒以内で走る方法」があったとします。かりにそれがまじめなものであるなら、それはトレーニングの方法です。ところがせっかちな経営者は、「練習せずに10秒以内で走る方法」を求めているのです。
  事例企業が、他では真似のできないような超人的な努力と、才能を傾けて成功したような場合には、受講者は頭を振って「とてもあの会社は参考にならない」というのです。凡庸なセールスマンは、トップセールスマンの経験談を聞いても少しも参考になったとは思いません。「あれは、あの人だからできることだ」と思います。実際その通りです。

 苦労せずにうまい話にありつこうとする人は、たいていは失望します。参考になる話を聞く、ということと、真似をしさえすればいい事例を見つける、ということは別物です。
  合鍵のように、安直な答えや情報の中に成功が約束されていることはありません。結局、自分なりに試し、苦労し、自分なりの方法を見つけることが大切なのです。リーダーは「他を参考にする」という名目で安易な人真似をするようであってはなりません。

 
 

59.しかし転ぶ石も家に取り込まれる。運勢は勤勉な者に利得を与え、怠惰な者に損失を与えるのである。(思想と年齢「仕事」)
  成功した人は自分を賞賛されると、「自分は運がよかったのですよ」などといって謙遜します。たしかに仕事の流れの中には運命の分かれ道のようなものがあって、「あのとき会社を辞めたのがよかった」とか、「あのときあの人に出会ったのがよかった」というように、のちの利益を左右するような偶然のきっかけを考えることもできます。
  アランはここで「転ぶ石も家に取り込まれる」といっています。これは文字どおり石の好きな人が石のコレクションをするために、長い年月をかけて自分の家に石を運んでくるということを意味しています。庭石などを集めている人を見ると、「こんな物をどうやって持ってきたんですか」といいたくなるような巨石が置かれていたりします。

 切手、時計、骨董、玩具など、コレクションにもいろいろあります。コレクターご自慢の品々を見ると、よくもこれだけ集めたものだとびっくりしてしまいます。コレクターの情熱は、「テーマを決めたら機会あるごとに収集し続ける」ということにあります。
  コレクターに聞いてみれば、「これが手に入ったのは偶然のラッキーだった」というものがたくさんあるに違いありません。けれど、原則としてコレクターの成果がすべて運、不運によって決定するということはありません。一つのテーマを決め、執拗に、飽きることなく、機会あるごとにくりかえして活動することがコレクションなのですから、運、不運はほとんど問題になりません。彼が、長期にわたって一貫して収集活動を続けたかどうか、問題はそれだけです。

 ビジネスの成功を目指す人々は、利益のコレクターであり、金銭のコレクターです。そのテーマに向かって執拗に、飽きることなく、すべての機会を利用しながら活動すれば、誰でも収集家になれます。アランが「なりたい人は誰でも金持ちになれる」といっているのはこのことです。
  コレクターの特質は自分の目標に忠実です。いつも問題意識を持ち、アンテナをはりめぐらしています。どこそこにこんなものがある、と聞けばすぐに出かけていきます。だから掘り出し物に出会うのです。他人はそれを幸運と呼ぶでしょうが、幸運ではなく当然の収穫です。そこでアランは「運勢は勤勉な者に利得を与え、怠惰な者に損失を与える」といったのです。
  ビジネス・リーダーは、金銭の収集家であり、人材の収集家であり、よき顧客の収集家でなければなりません。またいい人脈や友達の収集家でなければなりません。コレクションには早道ということはありません。もしあれば、コレクションそのものに価値がなくなります。しかし続けて目的を追求していれば、「転がる石もついには取り込まれ」ます。

 
 

60.壊すのではなく、高めたまえ。石の一つ一つに文句をつけたりせず、すべてを梯子としてよじ登るアルピニストと同様に、自然の線の一つ一つが、――ただし、確保され、強化されて、――人間としての野心に対する一歩となるようにしたまえ。(思想と年齢「ゲーテ」)
  リーダーには仕事上の夢があります。けれど障害条件も多いものです。「こうもしたい」「ああもしたい」と考えた後で、「けれども資金がない」「人材がいない」「立地条件が悪い」という現実が改めて認識され、「やっぱりだめか」というところに落ちたりします。
  これについてアランは、文句をいわずに、手持ちの材料を生かして戦いなさいといっています。格闘技では体が大きいことは有利です。けれどアランは「体が大きいことは一つの利点だが、小さいことにはまた別の利点がある。身軽であるきやすく、すばやく身をかわすこともできる。これとおなじで、人はどんなことからも利益を引き出すことができる」といいます。

 たとえば会社の規模が小さいということは、資金難や人材難を意味します。しかし関係者が少なく、経営者としての選択の自由が大きいという利点があります。思い切ったことができますし、ライバルの注意を引きません。だいいち大きな資金を必要としません。組織が小さければ、それだけ内部の意思統一をはかれます。
  あなたは、自分の部下の判断能力や知的能力について考え、「ああ、創造力のある人材がいない」といって嘆くかもしれません。しかしこれも考えようです。よけいなことを考えずに、まじめで、いいつけられたことを忠実にやってくれる部下がいるとすれば、問題は指示の仕方、命令の仕方次第ということになります。

 優秀な部下について「彼に辞められたら、どうしよう」などと、心配しているリーダーよりも、だめな部下の上に自信をもって君臨しているリーダーの方がずっとマシかもしれません。それにまた箸にも棒にもかからない、怠惰な部下だとすれば、あなたは彼をくびにできる正当な理由を持っているわけです。これまた一つの好都合と考えるべきでしょう。
  登山家にとっては、私たちには手がかりとも見えないような、小さな岩の突起や割れ目が梯子になります。彼は、他の人なら利用できないその場の条件を、自分にとって有利な材料にどんどん作り変えているのです。
  登山家にとっては足場の悪さはどうしようもない条件です。アランは「石の一つ一つに文句をつけたりせず、すべてを梯子としてよじ登るアルピニストと同様に」といいました。リーダーにとっては与えられた部下、資金、市場、商品、環境、これらが登山家における「足場」を意味しています。登山家がやるように、それを梯子にして仕事をすればいいのです。

 
   
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