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アランとはどんな人
 
あとがき

 若い頃、理屈っぽい友人がたくさんいたので、私はいつの間にか西欧の哲学書に親しむようになりました。何しろ多少でも友人たちと話を合わせ、知ったかぶりをしなければならなかったからです。オペラ「ボエーム」の中でコルリーネが歌うように、多くの詩人や哲学者が私の手もとを通り過ぎて行きましたが、結局私にはアランが残りました。
  どうしてだろうかと考えてみて、アランは私たちの時代に近い人であり、高校の先生であったということから、親しみが持てるということがあります。またアランが多くの過去の思想家たちとの、すぐれた架け橋になっているということがあります。

 他の思想家たちは、自説の正しさを立証するために過去の思想家について触れたり、批判したりします。しかしアランはその真意と魅力を翻訳し直し、伝えるためにプラトンを語り、デカルトを語り、コントを語ります。だから私はアランによってこそプラトンを理解できるような気がし、アランによってこそデカルトを理解できるような気がします。
  アランは私たちを説得しようとするのではなく、まるで詩のように文意を響かせます。「了解しよう。もはや議論している場合ではない」とアランはいいます。アランは私たちを説き伏せようとするのではなく、「了解」に誘います。残念なことに私にはフランス語は読めませんが、どの翻訳書にも同じような独特の文体の魅力を持っています。私は翻訳文を通してもなお伝わってくるこの文体が好きなのです。

 そんなわけで、私はアランを読み、アランが読んだ本を読むようにしてきました。そして私は今回、かつて3人の彫刻家がアランの胸像を彫ったように、自分なりに「アラン像」を彫ってみようと思い立ちました。とはいってもアランの著作は膨大ですし、アランに関する研究書、文献も膨大です。それがほとんど外国語のままなのです。
  そこで私は、この情報不足を自分に対する制約として考えることにしました。今日わが国に紹介されているアランの著書、とくに「わが思索のあと」を中心に、わが国に翻訳されて紹介されている図書だけを頼りに、アラン自身の行間の中から、彼のプロフィルをどこまで組み立てられるかやってみようと思ったのです。
  これから私が、アランに関する知見を通して発見するにちがいない現時点での過ちは、私が現時点でどこまでアラン像に近づくことができたかを教えてくれるでしょう。けれど、いずれにしても今のところ私にはそれしか道がないのです。

 このような試みは、おそらく外国語を自在に読め、専門に研究している学者たちから見れば滑稽なことです。しかし、翻訳を頼りに本を読むしか方法のない一ビジネスマンである私たちにとっては、与えられた手がかりをもとに、どこまで考え、類推し、そこから学び、自分の栄養にするかが試されていると考えます。
  私としては、「論語読みの論語知らず」になるよりも、わずかな手がかりからでも何かをつかもうとする精神の方が大切であると考えます。学者も必要ですが、「読者」も必要なはずです。私はアランの学者としてではなく、つねに一市民、一読者としてものを考え、そのスタンスでアラン像を探りたいのです。

 ところで、私たちはいま自らの主人であると考えています。しかし実際にはどうでしょうか。私たちは与えられた仕事や環境から脱却できないでいる不自由人、あえていえば「状況の奴隷」となっている可能性があります。
  アランも一介の高校教師であり、一度だけ出征しましたが、また戻ってきて学校の先生を続けましたから、いうなれば生涯のサラリーマンでした。彼もまた仕事のしがらみに縛られていたといっていいでしょう。とくに前線でのアランは上官から命令されるだけの、最下層の一兵士にすぎませんでした。

 しかし私は私が刻んだアラン像の中に、自分に「かくあるべし」と命じ、その通りに生きた、一人の勇気ある自由人の姿を見ます。彼は、自分を支配することに成功したストア賢者であり、「真善美」の統合を了解した人文主義者だったのです。いずれにしてもアランが私たちに語りかけているのは、精神の自立と自由の問題であり、私たちにとってアランが意味を持つのはまさにこの点です。彼は私たちに、どこで何をしているにせよ、勇気を持って自由に、自立的に人生を作り、幸福に生きるべきことを示唆しているのです。
  ソクラテスは牢獄の中で、毒杯を待ちながら友人たちにいいました。「ハデスの国(黄泉)でこそ恋してきた知にめぐり会える」。また「かしこでは私は自分のまことに求めていた人々と対面できる」ともいいました。だから「まさか、かのところに行くのを悦ばないなんてねえ!」というのです。要するにソクラテスは、あの世にいけば、物故した偉大な賢者たちに親しく出会えるという期待を持ち、胸をふくらませていたのです。

 私はアランがハデスの国で、すでにソクラテスやプラトンやデカルトに出会って、楽しく語らいながら、知恵の小道を逍遥しているものと固く信じます。すでに生前から、あたかも生ける人と交わるように親しく彼らと交わってきたアランが、どうして死後、彼らの仲間入りをしないでいることがあるものでしょうか。
  本書執筆に当たっては、わが事務所の田中晴美さんにとくに協力してもらいました。ちなみに日本語に翻訳されている「大戦の思い出(岡倉正雄訳)」は、昭和14年の翻訳で、戦時中の検閲が厳しかったらしく、随所に伏せ字があります。彼女には、この伏せ字部分とアランのテキストを照合して、当該部分を翻訳してもらいました。
  原稿の文字校正では事務所の西尾咲恵子さんに協力してもらいました。石田恵子さんは、この原稿を「アランの会」のメンバーのために音読してくれました。おかげで私は文章の誤りや不自然さを修正することができました。アランの会のメンバーには、原稿に対するあたたかい励ましをいただきました。関係者の皆さんに感謝の意を表します。

                    1998年8月著者

   
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