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ストア賢者に学ぶ
 
第10章 ラッセルへの反論

ソクラテスの「問答」には限界がある
  ニーチェのストイシズムに対する態度は、カントやヘーゲルのそれにくらべてずっと厳密なもので、独特の、思い入れのはげしいものでした。私たちはそこにニーチェ特有の、「デカダン」と「ニヒリズム」という視点からの、少々強引と思える解釈を見出しました。このニーチェの解釈をよしとするかどうかは、私たち各人の問題です。
  ここで私は現代のもっとも著名な哲学者バードランド・ラッセル(1872〜1970)の主著「西洋哲学史」から、ストイシズム批判を見た上で、ストイシズムに対する自分なりの考えをまとめたいと思います。

 ラッセルは、過去の資料に対して可能なかぎり客観的であろうとする立場からものを考えました。そしてまずソクラテスに関して次のようにいいました。「ソクラテスの場合には、彼についてわれわれがほとんど知らないか、あるいは非常に多くを知っているか、ということ自体が確実でないのである」。そしてソクラテスに関する諸説に関して、「私はいずれかに荷担する、ということをあえてしないであろう」といっています。
  ずいぶん用心深い態度ですね。そして彼は事実として間違いないと思われること、伝聞として伝えられていることを区分しながらソクラテスのプロフィルを考えました。彼は「徳と知識とに密接に関連がある、という考え方はソクラテスとプラトンとの特徴となっている」と述べるにとどめ、ソクラテスの倫理の実践家としての価値については多くのコメントを避けました。
  ソクラテスが書物を書かなかった以上、彼の人物評価をするには、伝聞を「真」と受け取らなければなりませんが、そのことに対して慎重であろうとする態度をとるかぎり、ソクラテスの倫理的な業績に関しては語れなくなります。
  そこでラッセルは、ソクラテスが人々との対話によって相手の知識を引き出したといわれる弁証法を考察していいました。彼は「たしかにもし彼が、『ソクラテスの弁明』に述べられている通りに弁証法を実践したのであれば、彼に向けられるにいたった敵意というものは、容易に説明がつくのである。あれではアテナイのあらゆるイカサマ師は、一致協力して彼に当たろうとしたことであろう」。

 ソクラテスが弁証法を武器にしてアテネの人々と論争し、その結果、ある種の人々にひどく憎まれるようになった、という点ではラッセルの意見はニーチェの見解に通じるものがあります。しかしラッセルは次のような簡単な例を示して、プラトンが紹介するソクラテスの弁証法について批判を行なっています。すなわち、弁証法を用いて有効な議論をできる場合とそうでない場合がある、これをプラトン−ソクラテスは知らなかったのだというのです。
  「バクテリアによる病気の伝染、といった顕微鏡を用いてなされた発見をどれでも考察してみるがいい。以前には無知であった人から、質疑応答の方法だけで右のような知識が引き出されるなどはちょっと主張できないであろう」とラッセルはいい、ソクラテスが「産婆術」と称した議論の問題点を指摘しました。

 たしかに、科学的な手段や方法によって初めて発見されるような事実は、私たちがこれを先験的に理解しているとか、無意識のうちに理解しているなどということはありませんね。プラトン−ソクラテスは、「知識」という言葉を「観念」から「事実」までというように、ひじょうに幅広い意味に用いましたので、ラッセルのいう通り、ソクラテスはプラトンの書物の中で、詭弁ともなんともつかないようなおかしな議論をすることがあるのです。
  ラッセルは現代人としての健全な目でこの誤りを指摘しました。ラッセルは知識人がとかく陥っている「プラトン−ソクラテス」に対するなかば神話化された、通俗的なエピソードを排除して、考察に値する対象部分だけを考察するという態度を明確にしたわけです。

 

ストア哲学が生まれた歴史を見る
  ラッセルの冷静な目は、ストア派の系列につながる当時の哲学を、歴史的な流れの中で正当に位置づけました。彼は「政治権力がマケドニア人の手に移った時、ギリシャの哲学者たちは当然のことながら、政治から目をそむけて個人的な徳、あるいは救いという問題により多く没頭したのである。どのようにして人間は善なる国家を創り得るか、というような設問はもはややらなくなり、その代わりに、どのようにして人間は、邪悪な世の中で有徳になり得るか、あるいは受難の世の中で幸福になり得るか、という問題に取り組んだのである」と記しています。
  彼はまずキュニコス派のアンティステネスとディオゲネスを取り上げ、「ディオゲネスの教えは、現在のわれわれが「皮肉な(シニック)」と形容するようなものではけっしてなかった」「彼は『徳』というものについてのし烈な情熱を持っていて、徳とくらべれば現世の財貨は問題にならないのだった」と紹介しています。
  これはヘーゲルの紹介にくらべて、ずっと暖かみがありますね。またキュニコス派の哲学の本質を正しくとらえているように思えます。しかしラッセルは「ディオゲネスは活力に満ちた人であったが、彼の教説は、ヘレニズム時代の全ての教説と同じように、失意から自然な興味というものを失ってしまったもの憂げな人間に、訴えるような教説であった」と、適切な批判を行なっています。またラッセルは、ディオゲネス以後の行き過ぎた、あるいは通俗化したキュニコス派の思想家たちに対しても、容赦のない、手きびしい批判を行なっています。
  しかしラッセルは「キニク学派の教説の中で最良のものが、ストア学派に受け継がれた。ストア主義はずっと完備して円熟した哲学であった」といっています。

 
 

エピクロスは病身のストア
  またラッセルはヘレニズムの時代に開花した二つの重要な思想、「ストア派」と「エピクロス派」を対置させ、エピクロス自身については次のように批評しました。「このようにして彼(エピクロス)は、実際行動においては、快楽の存在よりもむしろ苦痛がないということを、賢者の目標と見なすにいたった」「彼の哲学は、冒険的幸福というものがほとんど不可能となった世の中に適合するように意図された、病身の哲学であった」。
  そしてエピクロスの後継者たちに関しては、「・・彼らはその始祖と同じように、独断的で見解が狭く、個人の幸福以外の何物にも、真の興味を持たないままであった」と評しました。
  ラッセルは、エピクロス派とストア派が、主観的な幸福や徳の追求という点で共通していることを認めながら、エピクロス派のいう「快楽」が「無苦痛」に他ならないことを見抜き、エピクロス自身が病弱であった点を考慮に入れながら、彼の哲学が「病身の哲学」であると指摘しています。なかなかみごとであると思います。

 さて、ラッセルはゼノンを紹介し、前期ストア派の一般的な考え方を「彼は徳というものこそ大切なのだと考え、自然学や形而上学は、それらが徳に貢献するかぎりにおいて価値があると見なした」「正しい判断を持つ賢者は、みずから価値ありと思うすべてのことにおいて、自分の運命の支配者となる」「彼らにとって徳は何かのためのものではなく、それ自身が目的である」「苦痛や試練は賢者にとって徳を実践するための機会となる」といいました。
  この指摘はストア主義の要点をうまく、正しく要約していると思われます。しかしラッセルはその上で「以上のような教説には、明らかに論理的難点がある」といいました。それはなぜでしょうか?
  ラッセルに従えば、その一つはストア的な徳を実践するために、世の中の諸悪が必要になるというおかしな論理が生じ、第二に「何の役にも立たない徳」という考え方はいっさいの価値観の否定につながってしまうからです。また第三にはストア学派の徳の概念には、ある種の冷ややかさがあり、同情や愛に欠けるものがあるからだとラッセルは指摘します。

 たしかにストア派の人々は「情念にふりまわされない」ということを重要なテーマの一つにしていましたから、たとえば親しい肉親や友人の死に直面しても、感情的に心を動かされるということを自ら戒めていました。ラッセルはこの点を鋭くつきました。「彼らには、汝自身のごとく隣人を愛せよ、といったことは考えもつかないのだ。皮相的な意味以外の愛というものは、ストア学派の徳の概念には欠如しているのである」。
  ラッセルは後期ストア派のエピクテトスとマルクス・アウレリウスに注目しました。そしてこの二人の境遇があれほど違っていたのに、すべての哲学的な問題に関して完全に意見が一致していたことに驚いています。

 彼は次のようにエピクテトスを評価しました。「エピクテトスの時代における現実の世界は、ペリクレス時代のアテナイより非常に劣っていた。しかし当時存在した諸事情の悪弊は、エピクテトスの熱望に自由を与えたのであって、当時の現実の世界が紀元前五世紀のアテナイに劣っていたのとは正反対に、彼の唱えた理想的世界はプラトンの考えたそれよりもはるかに優れていたのである」。
  彼は後期ストア派の最重要な論点を、「各人の魂における自由」の問題としてとらえました。すなわちストア派の最大のポイントは、「どんなに迫害を加えられようとも、各人の権内にある意思を変えるか変えるか変えないかは、個々人の自由意志である」という点にあることを確認しました。しかしラッセルはまさにこのストア的理念に対して、現代人としての強力な論駁を加えました。

 
 

エピクテトスの自由意志は絶対的でない
  「専制者によって投獄された人間、というエピクテトスのおはこの例を考えてみよう。このような事例は人間歴史のいかなる時代よりも、最近の時代により多く見出されてきたのだ。そしてこのような事態に、ストア的英雄主義で対処した人々もあった。しかしある人々は、なんだかわけがわからないのだが、そのような態度をとっていない。十分拷問にかけると、どのような不屈な精神を持っている人々も、ほとんど例外なくまいってしまう、というばかりでなく、またモルフィンやコカインのような薬剤も、人間を御し易いものにさせてしまうことも明らかになっている」。
  ごらんのように、ラッセルは拷問やある種の薬剤投与など、特定の条件の下では自由意志は絶対的なものではないといっています。ラッセルはこの文章を書きながら、第二次大戦中に行われたスパイに対する拷問や洗脳などのことを考えていたのでしょう。だから、「じじつ意志というものは、専制者が非科学的である限りにおいて、その専制者から独立しているに過ぎない」というラッセルの指摘は適切なものと思われます。
  「さて、第二の矛盾を考察しよう。それはストア学派は、人徳ということを説きながら、他方ではその理論において、有徳な意志のみが善であり、有徳な意志は外部の諸原因から独立したものであるが故に、いかなる人も他人に善きこと、あるいは悪しきことのいずれをもなし得ない、と考えている矛盾である」。

 ラッセルはストア派の「孤高」的精神の中にある問題を、「彼らといえども社会から孤立して生きているわけではない」といって批判しているわけですね。善悪の問題は、社会とのかかわりで生じるものですからね。ストアはこの点を忘れている、というラッセルの指摘はなるほどもっともです。
  ラッセルはついに次のようにいい、ストア思想に止めを刺しました。「実際ストア主義には、負け惜しみといった要素があるのだ。われわれは幸福になれぬ、しかし善良にはなれる。だからわれわれが善良である限りは不幸であったって平気だ、というふりをしよう、というのである。このような教説は英雄的であり、また悪しき世界にあっては有用である。しかしそれは、まったく本当でもなければ、ある根本的な意味において、まったく誠実でもない」。
  ラッセルがストア哲学に強い関心を抱き、これを深く考察したことは明らかです。彼はストア哲学の中にある、真実なものを評価し、ストア哲学のある部分はキリスト教によって継承されたともいっています。しかし彼はストア哲学の矛盾を論理的に暴き、これを「負け惜しみの哲学」として退けました。
  ラッセルのこの意見は、目下のところ、現代人の良識をもっとも論理的に代弁しているといっていいでしょう。私たちはラッセルのようにうまく自分の考えをいいあらわすことはできないかもしれません。けれど「ストア哲学のいいたいことは分かる、しかしストア哲学はどこかがおかしい。だから私には受け入れられない」というとき、私たちはその理由の大半をラッセルの中に発見することができるのではないでしょうか。

 
 

ストアの賢者は学者だったのか、生活者だったのか 
  私たちは毀誉褒貶の多いストア哲学の流れを見てきました。私は乱暴にも、タレスやソロンを数え、ソクラテス、キュニコス派、正当なストア派、それにエピクロス派、後期ストア派などの哲学者をほとんど一緒くたにして「ストア賢者」と呼んできました。 
  私は上記のストア的賢者の共通点として、はじめにソクラテスの中に発見した以下の六つの要素を手がかりにしました。
1.神を敬い、正義を愛する良き市民(兵士)として生きる。
2.友情を大切にし、友人に役立つ。
3.できるだけ質素に生活し、ありあわせのもので満足する。
4.逆境に耐えられる身体を作る。
5.理にかなっていれば、他人の評価を気にしない。
6.情念にふりまわされぬよう自制心を養い、徳を目指す。
  ある賢者の場合は「1.」の要素が不足しているが「2.」の要素を大切にしている。ある賢者は「3.」の要素を強調しているが「2.」の要素について弱い、というように各人の特質を理解することができました。

 私たちはストア的な賢者のライフスタイルが、ルネッサンス以降、近年になるにつれてひどく流行遅れになっていることを知りました。モンテーニュはそれでもストア賢者を評価していましたが、パスカルは全面否定していることを知りました。その後私たちは、ストア賢者がヘーゲルにほとんど顧みられず、ラッセルによってとどめを刺されたことを知りました。
  しかし、ストア賢者たちの生き方やライフスタイルから私たちが何も学ぶものがないのかどうか、私はもう一度検証してみたいと思います。
  そこで私が指摘したいのは、先にソクラテスの中に見出したライフスタイル上の特徴です。これらは思想であると同時に生活のスタイルを意味していました。彼らは考えと行動という点で一致していました。現代の哲学者、あるいは哲学教授は哲学の知識を持ち、これを教える人であって、主として学校にいます。だから今日では哲学者=徳の追究者ではなく、例外はあるかもしれませんが、かならずしも「賢者」でもありません。誰も哲学教授に「賢者」であることなど要求したりしないし、彼らもあえて賢者を気取ることはないでしょう。

 幸いなことに私たちは哲学者でも、哲学教授でもありません。私たちは生活の実践者です。だから生活の実践者として先に上げた「六つのポイント」を、幾分でも真似してみることはできるのではないでしょうか。
  古代の賢者たちは当時としては最先端の理論家だったかもしれませんが、今日の理論家と論争すれば、きっと負けるでしょう。しかし彼らは「徳の実践」において実際家だったことは間違いありません。そして、彼らは今日の理論家が精神的にくじけてしまうような逆境にあっても、なお泰然としており、はるかに幸福であり得るのではないでしょうか。そして私たちが彼らから学ぶとしたら、まさにこの点ではないでしょうか。

 
 

作家を是認してかかる
  アランは、「古い典籍の場合、大切なのは、作者が何をいっているかよりも、むしろ私たちがそこにどんな注意を向けるかということである」といっています。また彼は別のところで、「物語に向う場合、物語を信じてかかるのが私のやり方である」とも、「まず私は作家を是認する」ともいっています。
  たとえば、ソクラテスのことを伝えているプラトンの「対話編」にはたくさんの偽書があるとされています。そこで、研究者たちの間では「この対話編はプラトンが書いたものではなく、弟子たちが創作したものだ」というようなことがいわれています。
  印刷術が発明される以前の書物は、すべて写本によっていますから、紀元前の書物の完全なオリジナルが残っていることはまれです。だから「これは偽書かもしれない」「偽書に違いない」などといっていたら、プラトンの本など一行も読めなくなってしまうかもしれません。

 そこでアランは「古い典籍の場合、大切なのは、作者が何をいっているかよりも、むしろ私たちがそこにどんな注意を向けるかということである」といったのです。そして、伝えられている書物、ことがらをいったん真実のものとして受け取り、これを一つの思考素材として自分なりの考えを発展させることが大切ではないか、といったのです。
  ラッセルは、「ソクラテスがどんな人物だったのかは分からない。だから判断できない」といい、あくまでも客観的な資料からいえるだけのことしかいわない、という態度を堅持しました。現代人の態度としては、ラッセルのほうが一見正しいように見えますね。しかし私はアランの態度をとりたいと思います。
  なぜなら、ソクラテスの人物像を「立派な人だった」と受け取ることによって私たちが失うものは何もないからです。それどころか「立派な人だった」と考えることによって、私たちの精神が励まされ、裨益されることが多いからです。私は資料の真偽を問う学者ではありません。教養から具体的なメリットを引き出そうとするビジネスマンです。

 だから私はプラトンやクセノフォンによって伝えられたソクラテス像を「真実」と見なし、またディオゲネス・ラエルティスの伝えるディオゲネスやクラテス等の賢者を、あるいはエピクテトスやエピクロスを、その資料が伝えるがままの人物であると考えることにしようと思います。かりに過去の資料に反するような、信ずべき資料が出てきた場合は、そこでまた改めて考えることにします。
  アランは「教養を身につけるとは、それぞれの部門で、その源にさかのぼって自分の手のひらのくぼみでのむことだ」といっています。「この本はおそらくニセモノだろう」などと考えていては、本など読むことができませんし、読んでも何も学べません。今は「そこに注意を向ける」「作家を是認する」「自分の手のひらのくぼみで飲む」、これが私たちのとるべき態度であろうと思います。
  これによって、ソクラテスを「生ける芸術品」と呼んだヘーゲルの意見も、「デカダンの道化師」と呼んだニーチェの意見もそれなりに理解できるように思われます。私は以上のような点から、最後にもっとも現代的、かつ説得力のある意見を述べたラッセルの、「あくまでも客観的でなければならぬ」という態度に背を向けることにします。

 
 

エピクテトスは誤りか
  ところで、ラッセルはエピクテトスの「自由意志」の絶対性を、「ある種の薬や拷問のもとでは役に立たない」といって否定しました。私はこの反論を、大人げない、つまらない意見だと思います。なぜなら、そのような生理的な極限状態に置かれた人が示す反応は、主として生理的なものであって、最初から自由意志の限界を超えていることが明らかだからです。
  エピクテトスがいおうとしている趣旨を、ラッセルは明らかに曲解しています。エピクテトスは「どんな拷問にあっても、たとえ自白剤を飲まされても精神の自由を守れる」と主張しているのではなく、「自分の精神は自分でコントロールできるはずのものだ。だから、精神の自立性を失わないように、どんなときでも毅然としていなさい」といっているのです。

 この点ではモンテーニュの解釈がみごとです。彼は「ストア派の人たちも、彼らのいう賢者に不意に現れた幻影や幻想に平気でいろとは要求していない。むしろ人間の本性上、免れえないものとして、天の大音響や建物の崩壊に、びっくりして青ざめたり、ぶるぶる震えることを許している。その他の情念についても同じである」といっています。
  賢者も第一の段階では、びっくりし、情念的反応を示します。しかし第二の段階では自分自身を取り戻そうとするし、取り戻すのが早いと彼は指摘しているのです。そしてモンテーニュは次のような詩の一句を引用していましたね。「頬に涙は流れても、心は不動である」。
  今日大多数の人々が遭遇するのは、拷問や自白剤ではありません。せいぜい失業や賃金のカットといった日々の事件やショック、ストレスです。あるいは老齢や病気に対する恐怖です。普通の人々にとってはこれらの恐怖にどのように対処するかが重要です。この範囲でならエピクテトスの「権外、権内」の区分と心意気はきわめて有効であると私は考えます。

 もちろんラッセルの真意は、「人間にはストア派のいう自由意志はない」ということではないでしょうが、もしもラッセルの反論がこの意味に解釈されると、私たちは外的ストレスやショックに抵抗できないのだ、という否定的な態度をとることになってしまいます。
  私はラッセルのエピクテトスに対する反論への、さらに反論として、アランの次のような言葉を掲げたいと思います。「人間が純粋な機械の状態に帰するのは、ただ極度に重い病や極端な恐れにおいてのみである。しかも、こうした意志の限界もまた人間が敢えてなさんとするところ如何によるところ大なのであるから、そういう限界のことは顧みずに常に最善をつくして自己自身を支配しようとすべきである」。私はこの言葉こそ、エピクテトスが本当にいいたかったことを説明していると思います。
  以上のような考えをたどって、私はまたもやストア賢者を批判したラッセルの、いかにもスマートな考えから離れることにします。

 
 

負け惜しみいいではないか
  ラッセルは「実際ストア主義には、負け惜しみといった要素があるのだ。われわれは幸福になれぬ、しかし善良にはなれる。だからわれわれが善良である限りは不幸であったって平気だ、というふりをしよう、というのである。このような教説は英雄的であり、また悪しき世界にあっては有用である。しかしそれは、まったく本当でもなければ、ある根本的な意味において、まったく誠実でもない」といいました。
  私はこの意見に対してアランの「幸福論」の中の一節を対置させたいと思います。ここに、美女にふられた恋する男が、他のことは考えようともしないで悩んでいるとします。こんなとき、アランがその男にいいます。
  「おばあさんになったその女との生活を想像してみることだ。・・気が合わなかったときのことを思い浮かべてみることだ」。要するに、「あんな女どうということもないさ」と自分にいいきかせ、「失恋のことなどきれいさっぱり忘れてしまいなさい」といっているのです。アランは「これこそ英雄的な療法だ」といっています。

 これはラッセル流にいうと、明らかに「負け惜しみ」であり、本当でもなく、誠実でもないということになります。私はそうは思いません。私はどんなに失恋に苦しむ男も、自殺しない限りいつかはその悩みから解放されると思います。人間の生理の機能が、いつかは悩みを解放し、忘れさせてくれます。
  何が緊急かといえば、彼が自分の身をかきむしるようにして考え、苦しんでいる、その悩みから彼が解放されることです。要するに考え方、ものの見方を変えるということです。もしも「あんな女、どこにでもいる」と思えれば、彼は救われます。負け惜しみといわれようが、彼にとっては自分を解放することの方がはるかに本当であり、誠実なのではないでしょうか。
  ストア賢者はおおむね貧乏です。そこで「ありあわせのもので満足する」ということが彼らにとって重要な生活原理となります。「本当は欲しいくせに」「本当は不便で困っているのだろう」「やせ我慢しているのだろう」といって彼らを攻撃することができるでしょう。

 しかしかりにやせ我慢だとしても、「おれは貧乏だ。情けない」といって打ちのめされているよりも、「節約、節制を旨とし、省資源的な生活に徹するのだ」「何もないが借財もない」といって胸を張ることのほうがずっと本当であり、誠実なのではないでしょうか。なぜならどう嘆いてみても、お金が天から降ってくるわけはないからです。
  このストア賢者の「負け惜しみ」に関して、ラッセルが完全に見落としていることが一つあります。それをアランは次のような美しい言葉でいいあらわしています。「登山家は、自分自身の力を発揮し、それを自分に証明する。彼は自分の力を感ずると同時に考慮する。この高級な喜びが雪景色をいっそう美しいものにする」。
  登山家は自分から求めて苦しみを味わいます。重い荷を背負って斜面や崖を登るのは、登山をしない人にはバカげた苦行に見えます。しかし登山家にはその苦行が楽しいのです。なぜならその一歩一歩が彼の力の証明となるからです。

 アランは「(シノペの)ディオゲネスは、苦しみこそいいものだ、ということをいっていた。それは、みずから選び、みずから求めた苦しみという意味である」といいました。自分で企画し自分が主体となって行動するとき、人はそれを苦しみとは感じません。むしろ障害が多ければ多いほど自分の力を試すチャンスがあると考え、達成できたときの喜びを深くします。
  ストア賢者の「節制」「自己抑制」は、お分かりのように誰かに強制されたものではなく、主体的に選び取られたライフスタイルです。だからこれは少しも負け惜しみではありません。他人には負け惜しみに見えるかもしれませんが、「みずから選び、求めたもの」なのです。
  プラトンも、ヘーゲルも「ディオゲネスは見栄をはらないという見栄を張っている」という弁証法的な批判を行ないました。しかしこの批判が見落としているものが一つあります。それは、ディオゲネスが、ぼろぼろに穴のあいた服で、自慢げに往来を闊歩しているとき、「虚飾を捨てる」という命題を自分に与え、それを意志の力で達成できた自分に満足し、これを誇りとしているディオゲネスの心です。
  どんなに他人が「やせ我慢だ」「負け惜しみだ」といっても、それは外部からの視点による批判にすぎません。登山家の行為を見て「わざわざ無益な苦労をしている」「どこが面白いんだ」などというのとどこも変わりません。登山家でない人に登山家の楽しみが分からないように、ラッセルもまたストア賢者の「自己に対する力の実感」「自分にした約束の達成による満足と幸福」については、ついに触れることができなかったのです。

 
 

アランのストイシズム
  アランはストアの賢者たちを賞揚し、書きました。「有名なストアの賢者たちは、誤解されているようだ。かれらはただ、暴君に抵抗し、責め苦をものともしないことをわたしたちに教えただけのようである。わたしとしては、彼らの男らしい知恵は、たんに雨や嵐に対してさえ多くの使いみちがある、と考えている。彼らの熟慮した考えは、周知のように、耐え難い感情から身をひきはなして、それを品物のようにみなし、『なんじは物なり、われには属せず』というための活気ある心の動きというものにあった」。
  また彼は、悲観的にものを考えようとする人々に向って、「『誤った判断をとり除け、そうすれば害悪をとり覗くことができる』といったわがストア主義者は十倍も正しいということになろう」ともいって、ストア主義の価値を認めています。
  アランがとくに強調したのは、私たちの判断を狂わせ、物事を悲観的に見る方向に誘導する情念の働きでした。彼はストア的な賢者がこれらに対してつねに冷静、沈着であろうとしてきたことを高く評価しました。そしてさらに、彼は情念が人間の生理的な条件に由来し、なおかつ各自の自由意志に影響されることを突き止めたデカルトの功績をたたえました。

 「このこと(情念の働き)について多くの人々が書いた。ストア派の人々は恐れや怒りに抵抗するためのみごとな議論を残した。しかし、デカルトこそその『情念論』のなかでこの目的を一直線に目ざした最初の人であり、彼はそれを誇りとしている」。
  アランはデカルトの考えを受け継ぎ、さらにこれを分かりやすく発展させています。人間は外から刺激を受けるとこれに反応します。この反応段階をアランは「感動」とか「情動」といっています。「感動」といっても、この段階では本人の意思はあまり反映されていません。外部の刺激に揺り動かされているだけです。しかし「感動」はまもなく「情念」に変わります。
  刺激を受けて生理的な条件が「心の反応」に翻訳されます。このときの心の状態をアランは「情念」と名づけます。「うれしい」「悲しい」「恐ろしい」「不安だ」「憎い」という原初的な心の動きが私たちを直接的な行動に駆り立てます。

 だれかを「憎い」と思って、いきなり相手を罵倒したり、殴りかかったり、ナイフで刺すような人物は初歩的な情念の段階で行動していることになります。情念の処理が幼稚で、いかにもおそまつということになります。ストア賢者たちは、まず、この情念に自分が振り回されないようにすることを、大切な生活原理としたのです。
  アランは情念が理性によって処理され、浄化されてはじめて人間的な「感情」が生まれると考えます。彼の考えでは感情は人間の生理をベースにしてはいますが、より高い心の動きです。私たちはバランスの取れた判断と感情をもって主体的に、自立的に、感情豊かに生活すべきだとアランはいいます。
  「情念をどのようにコントロールすべきか」。この命題に対するアランの態度は、デカルトの恭順な弟子としてのそれでした。第一の答えは生理的な条件を整えることです。肉体的に健康であれば、考えも健全になることは納得できます。しかし健康や生理的な条件は自分の意志によっても変わりますから、自分の意志をよく監督することが大切です。

 ここで、もう一度アランの著書「デカルト」から先に紹介した文章を読み直してみましょう。「人間が純粋な機械の状態に帰するのは、ただ極度に重い病や極端な恐れにおいてのみである。しかも、こうした意志の限界もまた人間が敢えてなさんとするところ如何によるところ大なのであるから、そういう限界のことは顧みずに常に最善をつくして自己自身を支配しようとすべきである」。
  私たちの細胞には「老い」と「死」がインプリントされています。誰もがいつかはアランのいう「純粋な機械の状態」に戻らなければなりません。けれどもそのときまでは、私たちの肉体は私たちの支配圏、エピクテトスのいう「権内」にあります。
  その肉体を動かしているのは、「私の意志」と「自律神経」です。私たちの意志は私たちの肉体に対して一〇〇%の支配力を持っていません。たとえば心ならずも朝寝坊したようなとき、私たちは肉体によって自分の意志が裏切られるということを実感します。しかし、自分の意志で肉体の何パーセントかを支配できるようになることも事実です。
  だからこそ、「そういう限界のことは顧みずに常に最善をつくして自己自身を支配しようとすべきである」というのがアランの主張です。ストア賢者たちが繰り返し主張し、実践しようとしてきたこともこれに尽きます。

 
 

ストア賢者としてのアラン
  アランは高等学校で哲学を教える先生でした。この意味では彼は近代、現代における他の哲学教授と同じように、学者でした。しかし彼の生涯をよく観察すると、じつは彼が現代にまれな、筋金入りのストア主義者であったことが分かります。
  彼はストア主義が長らく考え続けてきた課題、そして私たちすべての人間にとっての最終的な課題は「自由」であると考えました。ちなみに、私たちが「豊かな暮らし」というとき、それはあたかも絶対的な価値観であるかに思えます。しかし「豊かな暮らしをしなければならない」と自分にいい聞かせてしまうと、私たちはとたんに不自由になります。
  かつてピュロンが証明したように、私たちは何かに、たとえば金銭や仕事や義理人情や習慣にこだわれば直ちに自由を失います。たとえば、今日私たちにとってほとんど絶対的な価値観となっている「健康」という概念に関しても、「健康のためにあれをしてはいけない」とか「健康のために**をしなければならない」というように極度に縛られると、私たちは自由ではなくなってしまいます。

 「ストア主義者は自分で自分をはげしく規制するのだから、不自由のかたまりではないか」といわれるかもしれません。しかしストア賢者たちは、複数ある選択肢の中から自由に自分のライフスタイルを選択したのですから、明らかに自由を行使した人々です。彼らの特徴は、つねに自分自身を支配しているということです。
  これに反して、無反省に「会社に行かなければならない」「書類を提出しなければならない」「気が進まないけれどもゴルフに付き合わなければ・・」という人は明らかに状況の奴隷となっているのであり、自由ではありません。このような人は自分を支配しているのではなく、状況に支配されているのです。
  このような人々は、「いやなら断ればいいではないか」「いっそのこと会社を辞めればいいではないか」という意見に対して、「そうはいかない」「生活できなくなる」などといいます。習慣によって縛られ、家族によって、生活によって縛られており、自由ではないのです。
  気が進まない人に状況に縛られている人々は、ついつい愚痴をこぼし、不満だらけの悲観主義者になります。ところが、ストア賢者は愚痴をこぼしませんし、悲観主義者にもなりません。

 だから私たちがストア賢者から学ぶ最良のポイントとは、次の三点ではないでしょうか。
1.いかなる状況下にあっても私は自由である。
2.私の支配者は私自身である。だから私の行動は私が望んですることであり、誰に強制された
  結果でもない。
3.私は情念がもたらす悲観主義に陥らない。
  アランは彼の理想とする賢者像を次のように説明しています。「諸々の事柄は障害だ。これが自己自身の支配を獲得した人間が決して失敗などに驚かされない理由だ。他人が悪い機会とよぶこともこの人には規範に見える。たとえば、彼は事件の容易さは長続きし得ない一状態だと分かる。人はこんな人をペシミストだというだろう。しかしまことはこの人はオプチミストだ。なぜならこの人は困難な経過をたどっても己の勇気は己一人によるのみだと正しく知って、いろんな障害にも驚かないだろうし、さらに勇気を倍加するだろうからだ。何もかも具合よくいっているときに、オプチミストであることがどんなに易いか分かるだろう。反対に何もかもまずいとき、戦うものは己を知り、自己を集中するのだ。またこのときこそ、自分自身が必要なのだ」。

 ソクラテスが町角で青年たちに問答をしかけた時代、ディオゲネスが穴のあいた貫頭衣をまとい、ちょうちんを持って町を闊歩した時代は遠く過ぎました。私たちがストア賢者を真似るに当たって、ぼろ着や頭陀袋が必要というわけではないでしょう。
  アランの上の教えを参考にするなら、人が意気消沈するようなときに自己の力を信じて勇気を出す人、人生に障害が生じるのは当然のことだと考え、これに立向かう人、このような人こそ真にストア賢者の条件を備えた人でしょう。私たちはこうした道筋をたどってアランの「悲観主義は気分に属し、楽観主義は意志に属する」という格律の意味を理解するのです。

 
 

ソクラテスの原則を引き寄せる
  では最後に、改めて私たちがソクラテスに発見したライフスタイルを見直し、私たちがストア賢者を真似るための原則として引き寄せてみることにしましょう。
  まず「1.神を敬い、正義を愛する良き市民(兵士)として生きる」。これを私は「環境を大切にし、正義を愛するよき地球市民として生きる」というように解釈したいと思います。「神」の意味や、解釈は人さまざまでしょう。私はここでは私たちの創造主としてガイア(地球)を当てはめておきます。ガイアに対する不敬に対しては、罰が下るでしょうからね。
  「2.友情を大切にし、友人に役立つ」。これについて異存ある人はいないでしょう。なお、この友情に関してもストア賢者的に考えるならば、「人情に縛られる」と考えるべきではなく、むしろ「**よりも友を選ぶ」と、主体的に考えるべきでしょう。

 「3.できるだけ質素に生活し、ありあわせのもので満足する」。金銭と贅沢の病にかかっている私たちに今もっとも必要なのはこの原則でしょう。そのためには、「4.逆境に耐えられる身体を作る」ことが必要となります。この場合も、健康に留意するあまりこれがストレスになるようなライフスタイルとなることは本末転倒です。ラッセルはエピクロスを評して「病身の哲学」と名づけましたが、病身にあって、あれだけ平生でいられたエピクロスは、健康であった賢者よりもなお賢者であったのではないかと思えるくらいです。
  私たちにとって最も困難なのは、「5.理にかなっていれば、他人の評価を気にしない」という原則ではないでしょうか。私たちは、かりに「質素に生活し、ありあわせのもので満足する」を何とか実行できるとしても、「あの人は零落した」とか「落ち目になったものだ」などといわれたくないために見栄を張る、世間体を繕う、ということがあるのではないでしょうか。

 それに、あまりにもぎりぎりに質素な生活は、「よき市民」であることにとっても障害となる可能性があります。解釈にもよるでしょうが、「よき市民」であるためにも結構コストがかかるものですからね。しかし私はこのもっとも困難な原則を守るためにも、ストア哲学の究極の思想である「自由」を考える必要があると思います。そして、「私は自分の力を試しているのだ」と考えることが重要であると思います。
  私は再びカザンザキスの墓碑銘を思い出します。「私は何も恐れない。私は何も望まない。私は自由だ」。カザンザキスが告げているのは、「自由」を守るために私たちには「勇気」が必要だということであり、「君にはその勇気があるか?」ということでした。
  「6.情念にふりまわされぬよう自制心を養い、徳を目指す」。すでにデカルトが喝破したように、「情念の統御」は上記すべての原則の基礎です。そしてストイシズムにおける「徳」とはまさに「幸福」のことです。あの賢者たちは、他人からもらう幸福のことなど、これっぽっちもおそらく夢だにも考えてみませんでした。彼らが目指したのは、ただ自己支配による自己実現の幸福だったのです。

 
   
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