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ストア賢者に学ぶ
 
あとがき

 アランは「下部のものが支え、上部のものが照らす」といいました。下部構造とは私たちの物理的な生存条件であり、健康であり、経済的基盤です。これに対して上部構造とは精神生活、思想、判断、知恵のことです。
  この「上部構造」「下部構造」のモデルを用いてストア賢者を説明するなら、彼らは明らかに「下部構造がたとえ貧弱でも、上部構造さえしっかりしていれば人間は幸福になり得る」と考え、実践した英雄たちのことです。このたび私は彼らのプロフィルをたどり直してみました。そして彼らの勇気に改めて感嘆しました。私は彼らの真似をしたいとさえ思いました。
  けれども、今日の私たちは資本主義の枠組みと、社会基盤の枠組みの中にしっかり組み入れられており、彼らのライフスタイルをそのまま真似することはできません。現代においては、私たちの下部構造は、社会から独立して維持できるようなものではなくなっているのです。
  しかるに今、私たちの下部構造がマクロ的にゆらいでいます。このことが私たちを日々不安におとしいれているのです。おまけにマスコミが、「これでもか」というほどこの不安をかきたてています。もちろんマクロ的な下部構造が崩れれば、私たちはひとたまりもなくのびてしまいます。
  けれど私たちは日ごろからあまりに「下部構造」のことだけを気にし、あたかも下部構造さえ保証されさえすれば、それだけで自分は幸福になれるかのような、そんな錯覚に陥っていなかったでしょうか。また、マクロ的な構造が崩れれば、私たちの上下構造のすべてが破壊されてしまうかのような、そんな錯覚に陥っていなかったでしょうか。
  いや、私は陥っていました。だから私はクレタ島の花崗岩の墓碑で、いきなり頭をぶんなぐられたような気がしたのです。 
  しかしこのようなときにこそ、マスコミが何と騒ごうが、「なんじはわれに属せず」と超然といい放ったエピクテトスの知恵と勇気を取り戻すべきだと私は感じます。少なくとも私は世界について無用の心配をする前に、自分の上部構造における武器を点検し、自分自身の足元を照らし、自分自身を支配するように努力すべきです。
  もちろん私はストア賢者にはなれません。それに、時代錯誤的な模倣をすることに意味があるとも思えません。私は私なりのやり方を見出すべきなのです。そこで私はもう一度自分の引き出しをあけて、どこかにエピクテトス的な「勇気」と、デカルト的な「自由」が残っていないか調べてみようと思います。

                  1998年10月10日著者

   
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