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ストア賢者に学ぶ
 
第6章 エピクテトスの心意気

キリストはストア賢者か
  かつてソクラテスの青年時代にアテネは繁栄を誇りました。しかしその後ギリシャはアレキサンダー大王に征服されて、ヘレニズム時代を迎えました。さらに弱体化したギリシャは台頭したローマの侵略を受けてその属国になりました。アテネに学問や文化の伝統は残りましたが、政治的には無力化しました。
  こうしてわが哲学者たちの活躍舞台もローマへと移りました。ローマの著名な哲学者としてはキケロや、セネカの名が浮かび上がります。キケロはギリシャにやってきて、ストア派の流れを汲むポセイドニオスという人に師事しました。したがってこの人は後期ストア派の最初の代表者になります。この時代はジュリアス・シーザーが大活躍する時代に当たります。
  キケロ(BC106〜43)が自分の息子の教育のために書いた「義務について」という本があります。この中でキケロは次のように述べています。
  「・・道徳的善こそそれ自身のために求める価値ある唯一のものあるいは第一に求むべきものと主張する人でなければ、確固不動の自然に適える義務の訓えを説くことはできないであろう。したがって、倫理の教えは、ストア学派、アカデーメイア学派、逍遥学派の特権である。・・私はこの際、この研究においては、主としてストア学派を祖述しよう。それも翻訳者としてではなく、例によって、私の意見と裁量に従い、しかるべくこれらの泉から汲むことにしよう」。
  以上の記述から、当時のローマの知識階級においてストア派の哲学が広く知られ、認められていたこと、関係書物のギリシャ語からラテン語への翻訳が盛んに行なわれていたらしいこと、キケロ自身がストアの賢人を尊敬し、これに倣おうとしていたことが分かります。 

 この時代、特筆すべきストア的な賢者が生まれました。それはイエス・キリストです。この著名人の生涯をご紹介する必要はないでしょう。この人は、私がソクラテスに見たストア賢者の条件をかなり満たしています。
  ちなみに「1.神を敬い」という点に関してはいうまでもありませんね。ただし「正義を愛する良き市民(兵士)として生きる」、これについては無理でした。すでにイスラエルはローマの属国に過ぎず、よき市民とは宗主国に服従する市民でしかなかったからです。
  「2.友情を大切にし、友人に役立つ」については、彼の弟子たちとの交流や、弱者に対する態度を見れば分かりますし、イエスの活動コンセプトは主としてこの「博愛」にあったことを考えれば、他のどんな賢者にも増してイエスがこの条件を満たしていることが分かります。この点では、他人に対する友情や愛情のあまり死刑になったソクラテスと軌を一にしています。
  「3.できるだけ質素に生活し、ありあわせのもので満足する」、これについてもイエスは欠けるところがありませんでした。「4.逆境に耐えられる身体を作る」はどうでしょうか。これについてイエスがギリシャ人のように体育場で体を鍛えたという話は寡聞にして知りませんが、彼の行動そのものが心身の修行であったことは納得できます。
  「5.理にかなっていれば、他人の評価を気にしない」という点についても、イエスは十分以上に条件を満たしています。彼が他人に迎合しようとすれば、また別な運命をたどったことは明らかなのですから。そして「6.情念にふりまわされぬよう自制心を養い、徳を目指す」、この点についてもイエスはすばらしいお手本でしょう。

 イエスは腹立ちまぎれに神殿前の商店の棚をひっくり返したりしたことがあります。私は新約聖書の中のこの部分が大好きです。イエスの人間らしい側面を伝えているエピソードと思えるからです。しかしイエスは概して自分の感情と行動を立派に抑制していました。内面にはなみはずれてはげしい正義感と情熱を持っていましたが、外面的には穏和でした。
  彼の行動には強い「情念」と呼ぶべきようなどんな徴候もありません。そもそもイエスの生涯記録には、情念の代表ともいうべき「色恋」に関するエピソードがありません。このことが彼のプロフィルを「神的」なものにしています。だから「情念にふりまわされぬよう自制心を養う」という点では立派なお手本です。

 

キリスト教的「徳」とストア的「徳」
  ところで「徳」に関してですが、イエスの「徳」はギリシャの賢者たちのそれとは大きく異なっていました。古代ギリシャの哲学者は「徳」を「真理と本質の探究」と「自己抑制」「自由であること」「自己実現」と解釈しました。これに対してイエスは「徳」を「神に対する信仰」「愛の精神」に置きました。
  一方が哲学者、一方が宗教家なのですから、このように根本的な価値観が異なるのは当然といえば当然です。ここで宗教と哲学の越え難い溝が明らかになります。
  宗教の道を進む人は魂の救済という結果を得るために、どこかで思索上のエポケーを行なうことになります。この場合宗教活動に進む人々にとっては変な理屈をこねるよりも、魂の救済や御利益の方が重要です。哲学の方は魂の救済よりも真理の探究の方を優先させます。いい方を変えれば、思索家あるいは哲学者にとっては、正しく考えることの方に御利益があります。

 イエスにとっての徳とは、宗教家としての自己完成を目指すことでした。弱い人、病める人、貧しい人に慰めを与え、彼らの魂を救済することに徳の力点が置かれていました。これに対してこれまで見てきたようなギリシャの哲人は、他人の魂の救済などどうでもいいことでした。
  彼らを慕ってくる弟子たちや、たまたま彼らと接触した人々にアドバイスすることはありましたが、大多数の人々を教導したり、ある特定の神を信仰するように説いたりはしませんでした。また古代の哲人たちは、弱者をいたわったり、慰めたりすることを自分の使命と考えることはありませんでした。
  彼らは無力と貧しさの中で、どのように自分の精神を高くするかを考え、思考の自由一つによっていかに人間が幸福であり得るかを立証することに力を入れました。ストアの哲学者にとっては、彼自身が世の中の通念的な、間違った価値観に対する反証として生きることそのものが、徳であったのです。
  イエス・キリストは、ストア賢者としてのほとんどすべての条件を満たしていますが、いずれにしても彼の「神」とストア賢者の「神」には違いがあり過ぎます。ここではひとまずイエスをストア的の尺度で計測したり、その系列に無理矢理に入れることはやめておきましょう。

 
 

エピクテトスと彼のご主人 
  シーザーが暗殺されるとローマでは三頭政治が始まりました。そしてその中から抜け出したアウグストスがローマ初代の皇帝となります。アウグストスが没するとティベリウス、カリグラ、ネロという有名な暴君帝王の時代が展開されます。ちなみにイエス・キリストの活躍期は、アウグストスとティベリウスの治世に重なります。
  私はここでこの時代の証人として「英雄伝」の作者プルタルコス(紀元46年頃〜120頃)を上げて、彼がストア哲学者についてどう語っていたかを示したいと思います。彼は「アギスとクレオメネス」の章で、次のように書きました。
  「ところで、確かにストアの『学説』は、重厚で温厚な人に受け入れられたときには、そうした性格に混じり合うことによって、もともとその人に宿されてきた徳性に寄与するところ多大なるものがあるのだが、大まかで、しかも鋭さもあるといった資質に対しては、身を誤らせがちな逸脱した方向に導きがちな何ものかを、含んでいるようである」。
  この文章から、私たちは当時ストア哲学がかなり一般的に受け入れられていたこと、しかしその思想の成果は、個々人の性格や解釈によって大きく異なっていたことを推察できます。キケロやセネカのように、ストア思想を実践に取り入れながら政治的なリーダーシップを取った人物もいれば、過激で、反社会的だけが目立つ哲学者たちもおり、この時代には両者が入り混じっていたようですね。

 私はこの時代の代表的なストア賢者として、エピクテトスを取り上げたいと思います。この人は紀元60年頃に生まれ、135年頃に亡くなったといわれていますから、プルタルコスと同時代の人です。彼は子供の頃にネロの時代を体験し、さらに悪逆で名高いドミティアヌス帝の時代を体験したことになります。
  彼はローマの権力者が次々にその座を追われたり、殺され、政権が暴力的に交代する社会を見ながら成長しました。エピクテトスはローマに住んでいましたが、もとはギリシャの人で、占領地から連れてこられた奴隷、またはその子孫でした。
  エピクテトスはネロ帝によって引き立てられ、奴隷から大臣にまでなったエバフロディトスという人の奴隷でした。だから彼の少年時代は、奴隷だった人の奴隷だったわけです。

 皇帝ネロは歴史に残る典型的な暴君で、清廉の士を身辺に置くことを嫌いました。あれこれ道徳的な注文をつけられるのがいやだったのです。だからネロ皇帝のもとで引き立てられる人物はどちらかというとえげつない人物です。エバプロディトスは、こうしたネロに気に入られるようなえげつない条件をすべて兼ね備えていた人物でした。
  ネロは有能な、したがって自分にとって都合の悪い政治家を次々と粛正しました。ちなみにネロは、小さいときから家庭教育として世話になり、その後も顧問として仕えた哲学者セネカを自殺に追い込みました。ネロは自分を皇帝の地位に引き上げるために努力した実の母親、そして貞淑な妻までも殺しています。 
  ところで、エピクテトスは片足が不自由でした。子供の頃、主人のエバプロディトスに足を蹴られたためです。彼の語録の中に次のような文章があります。「『それで私の脚が跛になったんです。』詰まらんことをいうね君は、すると君はちっぽけな一本の脚のために、宇宙に対して不平なのか。それを全体のために、君は捧げないのだろうか。君は退かないだろうか。君はその授けてくれたものに、喜んで従わないのだろうか」。

 この文章から、次のことが分かります。エピクテトスは自分が折られた足は、全宇宙的な視点から見ればどうということもない問題だと理解していたこと。だからその程度のことで大騒ぎをする必要はないということ。自分の持っている一本の足を宇宙を統べる神に捧げたと思えばいいではないかということ。また悪い足の方を改めて授かったのだと思えばいいということ、だからその悪い足を喜んで受け取ったらいいということ。
  これでお分かりのようにエピクテトスの意見には、動乱の社会を最下層の地位で生きた人に固有の強さとはげしさがあります。もう一つエバプロディトスに関する次のようなエピクテトスのコメントがあります。
  「エバプロディトスは一人の靴屋を持っていたが、その男を役に立たぬので売ってしまった。その後その男は幸運にも、誰か皇帝一家のものに買われて、皇帝の靴屋になった。するとエバプロディトスが、彼をどんなに尊重するようになったかは、君は見たことだろう。『どうです、あの善良なフェリーキオはどうしていますか。』それからわれわれの誰かが、「エバプロディトス自身はどうしているか」と訊ねると、『彼はフェリーキオと何かについて相談している』という話だった。一体彼は、役に立たぬと思って、その男を売ってしまったのではないのか。そうすると、誰が彼をにわかに利口にしたのか」。

 これから察するに、エバプロディトスはフェリーキオという名の靴職人を奴隷として所有していました。けれども何か気に食わないことがあったのでしょう。靴屋をひどい目に合わせて、たたき売ってしまいました。ところが運命は分からないものです。この靴屋は皇帝ネロの寵愛を受けるようになりました。
  するとエバプロディトスはごろりと態度を変えて、「善良なフェリーキオはどうしていますか」などとやりだしたのですね。そして「彼はフェリーキオと何かについて相談している」というのは、エバプロディトスが、かつて無能とののしってたたき出した男と額を寄せて、いかにも親密そうに相談ごとをしているということです。
  普通はここまで態度を変えることはできないものですが、エバプロディトスという人は、かなり徹底した目的指向の人物だったようですね。それが、さらに厚顔かもしれない靴屋と仲直りして、互いに腹の探り合いをしながら、ひそひそ話をしている様子を想像してください。何やら映画の一場面を見るような、不気味な滑稽さを感じます。
  しかしここで面白いのは、エピクテトスがエバプロディトスの、厚顔な変節ぶりそのものを「悪い」といって指摘しているのではなく、靴屋を「無能」と決めつけたはずなのに、どうして無能な靴屋が急に「有能」になったのかといっているのです。つまり「有能、無能」の判定基準がおかしいのではないか、といっているわけです。

 
 

権内にあるものと権外にあるもの
  エピクテトスは上記のコメントに続けて、「これがつまり意志以外の何かを尊重するということなのである」と結んでいます。エバプロディトスは「無能ならつきあわない」「有能ならつきあう」というかぎりにおいて、自分の意志に従って行動しています。
  しかし相手の権力や影響力を恐れて行動しているなら、自分の意志とは無関係に行動していることになります。このようにエピクテトスは、行動の基準が「自分の意志であるか」「自分の意志でないか」をもっとも重要なことと考えました。 
  エピクテトスの論点を残されている彼の語録から順次見ていくことにしましょう。彼はこの世の中にあるものを、「自分の意志の権内にあるもの」と「権外にあるもの」の二つに区分しました。自分が手や足を動かすかどうか、本読むか、食事をするかなど、これらのことがらは私たちの権内にあります。これに対して他人が自分をどう思うか、表彰するか、罰するか、取りたてるか、無視するかなどは私の権内にはありません。

 エピクテトスは、「権内」と「権外」に関して、数多くの限界的な事例を出して私たちに説明しています。紀元六五年、ネロ皇帝の重臣ピソを中心とするに対する大規模な陰謀が計画され、発覚しました。このとき、何人かの大物政治家がこの陰謀に荷担としたとして捕らえられ、殺されたり、拷問されたりしました。
  そうした大物政治家の中にラテラヌスという予定執政官がいました。何と陰謀一味として荷担した軍人がラテラヌスの刑の執行人になりました。彼は剣を振り下ろしましたが、気の迷いがあったのでしょう。最初の打撃は弱く、傷つけただけで首は切れませんでした。ラテラヌスは反射的に首を縮めましたが、今度はちゃんと切ってもらおうと首を差し出しました。
  ちょうどそのとき例のエバプロディトスがやってきてラテラヌスにいいました。「おまえたちがネロ皇帝を殺そうとしたのだろう。ありのままを白状しろ」。思うにこの尋問は間の抜けたものです。罪人は今殺されかかっているのですから、白状しようとしまいと関係ありません。ここでは弱者に対して居丈高に構えるエバプロディトスのいやらしさが強調されています。ラテラヌスは答えました。「もしいう気があったら、君の主人に言うだろう」。

 この事件について、歴史家タキトウスは次のように書いています。「・・続いてネロは、予定執政官プラティウス・ラテラヌスを処刑した。ネロはその執行をあまり急いだため、ラテラヌスに、子供を抱擁する暇も、いやそれどころか、死を選ぶ僅かの猶予すら与えなかった。彼は奴隷の仕置き場に当てられている場所に無理矢理連行され、護衛隊副官のスタティウスに首を切られた」。
  さてこの場合、ラテラヌスが殺されるかどうか、これは彼の権内にはないことです。しかし何を口にするか、それとも口にしないかはラテラヌス自身の権内にあります。物理的には彼は束縛されていますが、精神の自由までは奪われていませんし、誰もこれを奪うことはできません。そこでエピクテトスはこういったのです。
  「『それではこのような場合に、何を手もとに持っているべきか。』何が私のものであり、何が私のものでないか。何が私に許され、何が私に許されていないかということ以外の一体何をだろうか。私は死なねばならない。しかしそれだからといって嘆きながらそうせねばならないというのではあるまい・・」。

 私たちが限界的な状況に臨んだとき、私たちがすべきことは、何が自分の権内にあることか、何が自分の権内にないことかを正しく判断することです。もし私が不治の病にかかっていて、医師もこれを治せないとします。これはもう私の権内にないことです。しかしそのことを知って嘆き悲しむか、自暴自棄になるか、これは私の権内にあることです。自分の権内にあることについては、私たちは立派に対応することができます。
  エピクテトスは次のようにいいます。「『秘密を話せ。』私は話さない。それは私の権内にあるのだから。『しかしわしは君を縛るだろう。』君、君は何をいうのか。私を縛るんだって。君は私の足を縛るだろう。だが私の意志はゼウスだって征服はできないよ。『わしは君を牢獄にぶち込むだろう。』この小っぽけな肉体をね。『君を斬首するだろう。』いつ君に私の首だけは切られることのない首だなんていったか。以上のことを哲学者は心にかけ、毎日書き、それらを練習せねばならなかったのである」。

 ピソの暗殺計画事件で、ネロの家庭教師をつとめた哲学者セネカも罪に問われました。ネロはセネカに自殺を命じました。その知らせを受けたときのセネカの様子をタキトウスは次のように記しています。
  「セネカは泰然自若として遺言の書板を要求する。百人隊長はこれを拒否すると、セネカは友人の方を向いて、こう誓った。『いま私は、諸君の懇情に対して感謝の意を表明することを禁じられた。そこで、たった一つ残っているもの、しかし最も気高い所有物を遺贈したい。それは、私がこの世に生きてきた姿だ。もし諸君がこれを記憶の中にしまっておかれるなら、忠実な友情の報酬として、徳の名声をかちとるだろう。』それから、彼は友人の涙ぐむ気持ちを抑えるかのように、あるときには、くだけた会話調で、あるときはきびしい語調で話しかけ、友人の気力を奮いたたせた。『諸君は哲学の教えを忘れたのか。不慮の災難に備えて、あれほど長いあいだ考え抜いた決意はどこへ行ったのか。ネロの残忍な性格を知らなかったとでもいうのか。母を弑し弟を討ったからには、師傅を殺す以外に何も残っていないではないか。』彼はこういった内容の話を、まるで一般の聴衆を相手にしているかのように講義した」。
  ネロの時代、有能の士が多数殺されました。セネカやトラセアのようなすぐれたストア哲学者たちも犠牲になりました。死に臨んで、見苦しい姿を見せた人が少なくありませんでしたが、ストア哲学者たちは立派にふるまいました。当時の人々にとって哲学とは、ある意味で「不慮の死に臨んで泰然たること」であったのです。

 
 

艱難汝を玉にする
  エピクテトスは若い頃、上記のような出来事を目の当たりにしました。そしてこのような生々しい実体験をふまえて、彼独自の「自分の権内にあるものは決して譲らない」「権外のものに関してわれ関せず」という、あの意気軒昂たる哲学を導き出したのです。
  エピクテトスはソクラテスの生き方を理想とし、不幸にあってめそめそしたり、ぼやいたりする精神を戒めました。彼は私たちは一人一人が旅人であるが、でたらめに旅をしているのではなく、進歩するために旅をしているのだといいました。
  「しかし旅の本当の目的は、自分の生から、苦悩とか、悲痛とか、『あゝあゝ』とか、『可哀そうな私』とか、不運、不幸とかを取り去り、死とは何か、追放とは何か、牢獄とは何か、毒とは何かということを学ぶようにすることで、それは牢獄の中で『親愛なるクリトーンよ。もしそれが神々の御気に召すなら、そうなるがいいのだ』ということができるためで、『可哀そうな老人の私、これらのために私は白髪頭になったのだ』などということのないためである」。
  いかなる非常事態にも泰然自若としていられるように、精神的な進歩をとげること、これが人生という「旅」の目的であり、哲学の目的であるとエピクテトスは説きました。もちろん私たちはネロの時代に生きているわけではありませんから、まず普通の生活をしていれば追放や牢獄や毒薬の心配をする必要はありません。

 しかしこの時代の追放や牢獄に匹敵するもの、それは私たちにとっては「老い」であり、「病気」「事故」です。ネロの時代には、昔の人にとってこのようなものは、理由もなく鞭打たれたり、首を切られたりすることよりはずっとましなことでした。だから、エピクテトスも「老い」や「病気」をさほど問題にしていないのです。
  ところで今日の私たちには、「金融危機」「倒産」「失業」というような、当時には見られなかったような、別種の恐怖があります。これらに対して私たちは果たして泰然自若としていられるものでしょうか。そして私たちは、かりに自分の権内のことがらをわきまえ、これに関して十分な配慮と努力をし、その上で権外で生じたようなことがらについて、これを平然と受け入れる心構えができているでしょうか。

 かりに私が医師に末期癌を宣告されたとします。そのときに、私はどのように自分の心の平静さを保持すればいいでしょうか。またかりに、自分が銀行に預けていた金が受け取れなくなったとします。そのときに私はどのようにふるまうでしょうか。かりに子供が交通事故にあったとします。そのときに、私はどのように自分自身と向き合うでしょうか。
  エピクテトスは、そのようなときにあわてふためかないために、私たちは各自の旅をしているのだといいました。そしてもしも不幸や困難が続くような人生があるとすれば、その人はそれを材料にして自分をより立派に磨くことができるはずだといいました。
  「ヘーラークレースが駆逐し、退治したあのようなライオンや、ヒュドラや、牡鹿や、野猪や不正で畜生のような人間どもがいなかったとしたら。彼はどうしたろうか。それとも明らかに毛布にくるまり込んで眠っていたことだろうか。そうだとすると、第一にこのように柔弱に、天下泰平に、一生眠り通していては、ヘーラークレースにはなっていなかったろう」。
  これは私たちの社会に古くからある「艱難汝を玉にする」という思想と同じです。私たちは、「艱難汝を玉にする」という場合と、「艱難汝を駄目にする」という二つの場合があることを知っています。ディオゲネスは自分が「玉に」なるか「駄目」になるか、それは自分の権内にあることだと考えます。そして意欲して「玉」になる道を進むのが「徳」であると考えます。

 
 

自分をの値打ちをどう決めるか
  いまリストラの旋風が吹き荒れています。たとえば会社が部門の長であった人を呼び出して、いきなり倉庫のトイレ掃除係を任命したとします。もちろん倉庫のトイレ掃除にだって意味はあるのですが、これまで人に命令することしか知らなかった人にとっては、耐え難い屈辱と感じられます。そこで、彼はこの職務を拒否します。するとその会社にはいられなくなり、部門長は会社を辞めることになります。
  エピクテトスはこのようなケースについていろいろな実例を挙げて説明しています。そしてそれがその人にとって道理に合ったことなら受け入れたらいいし、そうでなければ受け入れなければいいといいました。

 エピクテトスの時代には水洗トイレはありませんでしたから、奴隷は主人の便器を処理しなければなりません。便器を処理する仕事は、誰もが喜んでやるような仕事ではありません。そこでエピクテトスはいいました。
  「便器を捧げて持つということは、このような者、つまり便器を捧げて持たなければ殴られて食いはぐれるが、捧げて持てばひどい目に逢ったり、悲しい目に逢ったりしないということだけを考えるものにとっては、それは道理に合ったことだ」。
  「ところでもし君が、私に『便器を捧げ持とうかそれとも持つまいか』と訊ねるならば、私は答えるが、食いはぐるよりも食にありつく方が、ずっと値打ちのあることだし、また皮を剥がれることは、剥がれないことよりもずっと値打ちのないことだ。だからもし君がこれらのことで君のことを打算的に考えるならば、行ってそして捧げ持つがいい。『しかし私には合いません。』それを考えねばならないのは、君であって、私じゃない。というのは君自身にどれほどの値打ちがあるか、そして君自身をどれほどで売るか君自身を知っているものは、君なんだから。なぜかというと、自分自身を売る値段は、人によってちがうからだ」。

 トイレ係を任命された元部門長にとって辛いのは、自分の値打ちがそれほどまでに見くびられたということです。しかしよく考えると、その人はトップから見ると部門長として役に立たなくなっているのであり、トイレ掃除係の賃金なら見合うと考えているのです。ここで彼が憤慨して会社を辞めてくれれば、会社としては儲けものです。
  そこでこの元部門長が、「私は部門長としては値打ちがなかったのか」と反省し、「いったんトイレ係として出直し、再度どれほど管理者として値打ちのある人間かを証明してやろう」と考えるなら、新しい任務を引き受けることになります。しかし自分の売り値と相手の買い値の間に折り合いがつかないなら、立ち去る以外にはありません。仕事の価値についての先入観と、自分の値段についての確信をふまえて、自分自身をいくらで売ることにするか、これは各自の権内の課題です。

 「エピクテトスのいうことはもっともだ。しかし志を貫いて人間がげんに食っていくことができない状態になったら、どうするのか」という人もいるでしょう。同じことをエピクテトスに質問した人もいました。「ええ、しかしどうして私は食っていけましょうか。何もないのに」。
  するとエピクテトスは次のように答えます。「しかし奴隷どもはどうするかね。逃亡者どもはどうするかね。彼らは主人から逃げて何を頼るのか。彼らの田畑をか、それとも召使いをか、あるいは銀製の器具をか。いや何をではなく、自分たちをなのだ。それにもかかわらず、彼らは食いはぐれない」。
  要するに、腹を決めて最低生活を我慢する気になるなら、恐いものはないというわけです。路傍生活者や乞食になることを覚悟するなら、それはそれで生きていけるではないか、というのですね。「いくらなんでも乞食までは・・」という意見もあるでしょう。しかしエピクテトスなら「それを決めるのは君であって、私ではない」というでしょう。

 今日では、私たちの身の回りにはオリーブの木もありませんし、手ですくって飲める川の水もありません。蛋白源となる昆虫も少なくなりました。しかし今日の私たちには、「生活保護」の制度がありますし、「老齢年金」がありますし、水道施設のついた公園がありますし、地下鉄の駅の構内があります。銀座に行けば食べ残しの食料があります。カラスたちと戦ってこれを手に入れる気なら、生きていけないことはないかもしれません。
  そしてここまでやる腹を決めるなら、トイレの掃除係などすばらしい職業ではありませんか。ただ自分自身の値打ちに関する先入観と、職業の貴賎に関する先入観を取り除くことが必要なだけです。

 
 

執着しすぎないこと
  アランは「幸福論」の中で、「エピクテトス」という一章をもうけて次のように書きました。「エピクテトスには手荒い例がたくさんある。この親切な友人は私たちの肩をつかまえて言う。『きみが悲しいのは、円形劇場で自分のものと思っていた望みの席を取れなかったからだ。それならこっちに来るがいい。円形劇場は今日は空いている。このすばらしい石の座席をさわりに来るがいい。腰掛けることだってできる』と」。
  アランが引用しているエピクテトスの語録の、もとの文章は次のようなものです。「しかし私は元老院の座る場所に座りたいです。ほら、君は君自身を窮屈にし、君自身を圧迫しているじゃないか。それでは他にどうすれば、私は半円形の劇場でよく見ることができましょうか。ねえ、君、見ぬがいい。そうすれば押しあわなくてもいいだろう。何で君は苦労しているのか。そうでなければちょっと待つがいい。そして芝居が終わったら、元老たちの場所に座るがいい。そして日向ぼっこするがいい」。

 ちょっとニュアンスは違いますが、アランによってエピクテトスの趣旨が分かりやすく説明されていますね。円形劇場の中で特定の席が取れないことを嘆いているこの人は、「自分も名誉ある席に座りたい」「よく見えるところで芝居を鑑賞したい」「名誉ある席に座っている自分を他人に見てもらいたい」ということをいっているのですから、エピクテトスの助言はまったく見当はずれです。
  しかしよく考えれば、「名誉」とか「いい席」は、この人の場合、結局は円形劇場の特定の石の席によって象徴されているのですから、その人がこだわっているのは単なる「石の席」に他なりません。それなら劇場がカラになっているときに思う存分触ったり、腰かけたりしたらいいではないかということですね。誰もいない席でひなたぼっこしながら、自分が求めている「名誉」とは、そもそも何だったのか、じっくり反省してみるのもいいでしょう。

 ローマの高官がエピクテトスをたずねてきて悩みを打ち明けました。「私は家族を深く愛していますが、考えてみると家族を愛するって惨めなものですね。最近も娘が病気になりました。けれども自分は医者でありませんから、娘が苦しんでいるのにどうしてやることもできません。私は居たたまれなくなりました。思わず『回復したら私に知らせてくれ』といって、娘の枕元から逃げ出してしまったほどです」。この気持ちよく分かりますね。
  自分が愛する人が苦しんだり、失敗しそうになったりするのを見ると、こちらも苦痛を感じ、思わず目をそむけたくなります。目をそむけたり、現場から逃げ出しても何の解決にもならないのですが、感情的にはそうなりがちです。

 エピクテトスはまずこの人に、愛情深いことはいいことだが、同時に理性を持つことが人間にとって大切だということを承知させます。そして理性的な観点からも、愛情という面からも、病気の娘を置き去りにするのは間違っていることを理解させます。
  エピクテトスはさらに「小さな子供を見捨てるようにあなたを動かし、動機づけたものは、何だったのでしょうか」と話を進めます。そしてそれは「その人の心にある考え」、すなわち「執着心」であることを明らかにします。愛情は結構だが、勝手に思い込んで執着し過ぎること、これがいけないとエピクテトスはいうのです。
  エピクテトスは追放や苦痛や恐いというのも、私たち自身のそれについて持つ考えが原因になっている。だから間違った考え=執着を取り除くことができれば、不幸を取り除くことができ、幸福になれるのだと説明をしました。これらの説明を聞いたローマの高官は、「あなたは私を納得させてくださった」といって帰りました。

 考えてみれば、円形劇場の特定の座席が欲しいというのは執着です。職場でかくかくの地位が欲しいというのも執着です。追放が恐ろしいというのも、執着の結果です。家族に対する愛情も執着であり、彼らを失いたくないと思うのも執着です。
  とはいっても、私たちは金に執着し、自分の命に執着します。何にも執着しない人などいません。すべてを「不確定」だとしたピュロンでさえも、九〇歳も長生きしましたが、少しも「生」に執着しなかったのだとすれば、そんなに長生きできるわけはありません。
  エピクテトス自身だって、執着すべきものには執着しています。たとえば、「私はミローンではないだろう。それでも私は身体をおろそかにはしない。私はクロイソスではないが、それでも私の財産をおろそかにはしない。要するにわれわれは他のどんなことにおいても、最高のものに達する望みがないからといって、心を遣うことをやめはしないのである」といっています。また彼は、ご自慢の髭は首を切られても剃らないといっています。これはみな「執着」です。
  しかしエピクテトスは何によらず「執着し過ぎること」を戒めました。そしてとりわけ、誤った考えに執着することを戒めました。「間違った考えを取り除けよ。そうすれば君は幸福になれる」。これがエピクテトスの格律です。

 
 

人間は生きながら化石になる
  人が「間違った考え」を持つのはどうしてでしょうか。これについてエピクテトスは「人間は二種類の化石になる」といいました。その一つは「知性の化石」、もう一つは「恥じらいの化石」です。知性という面で化石となった人は、正しい考えを聞いてもそれを受け入れることができません。心の柔軟性を欠いているのです。
  人間として物事の判断を間違うのは、少しも不思議ではありませんが、それを自ら修正できなくなること、これが恐いのです。勉強することの本当の目的は、ものを覚えることにあるのではなく、おそらく知性の柔軟性を確保しておくためでしょうね。

 一方「恥じらいの化石」とは、道徳的な感受性という点で鈍感になり、恥知らずになるということです。「知性の化石」が「真」に対するものであるとすれば、こちらの化石は「善」に対するものです。あつかましい人、傲慢な人、マナーを知らない人などは、法律違反をしていないとしても、「恥じらいの化石」となった人々です。文明の発達した現代の道路の上や、電車の中でも、このような「化石」がたくさん見つかるから不思議ですね。
  エピクテトスは「知性の化石」「恥じらいの化石」を上げましたが、「美に対する化石」については言及しませんでした。すなわち、美醜に対する感受性を失った人々についてです。美しい環境を破壊したり、都市や生活環境を破壊して平然としている人は、美に対して化石となった人々ではないでしょうか。
  「真善美」を知っていたエピクテトスが、あえて「美に対する化石」を上げなかった理由が私には分かります。「美」に対する関心は、容易に「執着」を生むことになる危険性をはらんでいるからです。「美」に対する尊敬やあこがれは、往々にして贅沢なもの、高価なものに対する関心、物神崇拝に結びつきます。だから、ありあわせのもので満足するストアの賢者たちは「美」について多くを語っていないのです。おそらくエピクテトスは「美」を倫理的な観点に限定していたのでしょう。

 
 

誰もが人間としての威厳を持つ
  さて、ここで私たちは例によってソクラテスの生活基準をエピクテトスに当てはめて比較することにしてみましょう。
  まず「1.神を敬い、正義を愛する良き市民(兵士)として生きる」。この基準の中の「神を敬う」という点について、エピクテトスは十分に基準を満たしています。彼は「もしも人が次の考え、すなわち、われわれは皆神から生じたのであって、神は人々や神々の父であるというこの考えに、しかるべく同調できるならば、人は自分について、賤しくもつまらなくも考えないだろうと思う」といっています。
  彼のいう「神」とはゼウス神のことです。彼の説明によると、あるときゼウス神は泥をこねて人間をこしらえ、その中に精神を吹き込みました。したがって人間は「泥=肉体」の部分と「神=精神」の部分の両方を持っています。泥に過ぎない肉体にむやみに執着するのは間違いです。これに対して不屈の精神は神の属性です。だから個々人の精神は、本来誰にも冒されません。
  エピクテトスの「神」は、どちらかといえば「信仰の対象」というよりも寓話的なニュアンスの強いものですが、いずれにしても彼が神を敬ったことは明白です。

 「正義を愛する良き市民(兵士)として生きる」に関しては、社会的な情勢とエピクテトスが置かれている立場からして無理なようですね。この条件はソクラテス以後の賢人についてはほとんど当てはまりませんが、エピクテトスに関してはとくに論外の観を深くします。
  帝制時代に入ってからのローマは、奴隷や弱者に対して無秩序で過酷でした。だからストアの賢人たちの方では為政者たちを無視し、精神的に優越しようとしました。中にはプルタルコスが指摘したような過激な連中もいたわけです。そして権力に対する反論を、みごとに首尾一貫させて構築したのがエピクテトスであり、彼の「権外、権内」の思想です。
  「2.友情を大切にし、友人に役立つ。」という点では、エピクテトスは少なくともその語録からして条件を満たしています。しかし彼は「過度の愛情」を持つことを戒めていました。精神の絶対的な自由を認める彼は、同時に相手の精神の自由をも認め、これを侵害しようと考えませんでした。「友情」や「愛情」の名において、相手を少しでも強制することはエピクテトスのするところではありませんでした。

 「3.できるだけ質素に生活し、ありあわせのもので満足する」については、彼はまず満点と見ていいでしょう。同じく「4.逆境に耐えられる身体を作る」に関しても、エピクテトスは「私はミローンではない。それでも私は身体をおろそかにはしない」とはっきりいっています。
  そして「5.理にかなっていれば、他人の評価を気にしない」「6.情念にふりまわされぬよう自制心を養い、徳を目指す」こそ、エピクテトスがエピクテトスたるゆえんのものです。彼は「権内にあるもの」と「権外にあるもの」の概念を適用することによって、世の人々がこだわり求めてやまないものの価値をひっくり返してしまいました。
  ついに彼は、自分の首についてさえ、「取りたければいつでも持っていけ」といえるまでに理論武装し、人間の威厳の高みを示しました。こうしてエピクテトスは私たちが知る、最大級のストア賢者として今日その名をとどめているのです。

 
   
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