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聖書の金銭感覚
 
第2章 銀と金

資源増加を喜ぶ
旧約聖書の冒頭の章、「創世記」によると、はじめに神によって天地が作られ、ついで植動物が作り出されます。世界創造の第四日目に作り出された動物は水中動物と鳥たちで、この段階で神は次のようにいいます。「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ(創世記1-21)」。このとき、神は生物が自己増殖をすること、要するに数が増えてゆくことを「よし」としました。
人間たちが登場する前、すでに生物が多様に繁殖することが「価値」として措定されたことがわかります。やがて神は人間を作り、祝福していいました。「産めよ。増えよ。地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物すべてを支配せよ(創世記1-28)」。

この段階で、次の価値観が出現したことになります。
1.多産であることがいいことである。
2.人類には生物に対する管理責任がある

やがて神によって作られた人間、アダムとイヴは「知恵の木」の実を食べ、善悪を判断できるようになり、神の怒りに触れてエデンの園を追われます。私はこのエピソードを「幼児期からの訣別」と受け取るのが順当であると考えます。

物心がつく前、子供は両親の経済的保護のもとに暮らしています。この状態は「エデンの園」で暮らしているようなもので、子供はほしいものを「ただ」で手に入れ、めったに飢えに苦しむことはありません。子供たちは食べ物がどのようにして調達されるかなど、考えもしません。
しかしながら物心がつくようになると、人は何もせずにエデンの園の食客でいることが許されなくなり、自分で働いて食料を調達しなければならなくなります。神はアダムに次のようにいいます。「お前は生涯食べ物を得ようと苦しむ(創世記3-17)」「お前は額に汗を流してパンを得る。土に返るそのときまで(創世記3-19)」。
ちかごろ、学校を卒業しても家の中に「引きこもる」若者が増えているそうですが、これらの若者は、知恵の木の実を食べていながら、なお、エデンの園にとどまろうとする不届きなアダムとイヴです。またエデンの園が、いまや自分に似せて作った「子供=人間」を罰するだけの権威も力もない「神々=親」によって運営されていることになります。

さて、エデンの園を追われたアダムとイヴは、カインとアベルという兄弟を生みます。カインは農夫となり、アベルは羊飼となります。二人はそれぞれ自分たちの収穫物を持ってきて神にささげますが、神はどういうわけかアベルの贈り物だけを受け、カインの贈り物を無視します。カインはこのことで大いに傷つき、アベルを恨んで殺します。
私はこの物語の中にも経済原理が含まれていると考えます。すなわち、楽園を追われたアダム一家は、その後も神を恐れ、神に対する貢物をする習慣を保持していました。本来、アダム一家は神に追放されたのですから、もっと自由であってよかったのですが、彼は依然として神の支配下にあり、その束縛と恩恵から逃れることはできませんでした。
そこで彼らは収穫物の一部を神に捧げました。これは「租税」の起源でしょう。私たちは自分の毎日の生命を維持するために「固定費」を必要としますが、その固定費の一部として租税を考えておかなければなりません。その租税の原型は「神への捧げもの」の形で始まりました。これはある種の「安全保障のための朝貢」という性質を持っています。

どうして、神がアベルの贈り物だけを嘉し、カインの贈り物を喜ばなかったのかは謎です。神学者の間でも、この件は難問とされているようです。しかし私は、この時代の神は自然の気まぐれを反映しており、収穫物も自然の気まぐれの影響を受けたのだと解釈します。アベルの捧げものだけを喜び、カインの供物を無視したという神の不可解な行為も、自然の恩恵がたえず気まぐれなものであり、平等や公平など保証していなかった、と理解すればよくわかります。
カインは自分が神に評価されなかったことでひどく傷つき、弟を殺しました。それはカインの心の中に「私だってそれなりに努力をした」「評価は公平であるべきだ」という正義の精神があり、要するに高度な判断力があったからで、この判断力が彼の情念を刺激し、彼は正義の精神からして人を殺す、という矛盾した行為に駆り立てられたのです。
「神はカインの行動を予測できたのに、どうして殺人までいたるようなえこひいきをしたのか」という問いを立てることができるかもしれません。私はこの件についても、「人間の諸情念は神の意志を超えて進む」、という一般法則を導き出すほうが、神を責めるよりも生産的であると考えます。

私はこの神話の中に、自然の気まぐれを何とか理解し、受け入れようとする人間たちの心のたわみと精神の発展を見ます。エデンの園を追われたアダム一家の二代目は、すでに経済的に自立していただけではなく、「成果をきちんと評価されたい」という自尊心を持つ「人間」として自己を確立しつつあったのです。
 

人間たちの富は、神には不快
人間たちが自力で経済力を発展させ、行動の自由を獲得するようになると、神はこれを不快と思うようになりました。人間たちが知性によって予想外に自立し、発展し、これを神が快く思わないという図式は、ギリシャ神話の「プロメテウスの物語」にも見られます。
ゼウスは人間たちを四足動物と同じような、原始的な状態に放置したかったのですが、知恵の神プロメテウスが、神の火を盗んできて人間に与えました。以来人間たちは驚くべきスピードで文明を発展させました。ある日ゼウスが下界を見下ろすと、人間たちが森を出て、清潔に、便利に、快適に暮らすようになっているではありませんか。ゼウスは人間たちに知恵をつけたプロメテウスを罰することにしました。ゼウスはプロメテウスを高い崖の面にくくりつけました。そして鷲たちに彼の肝臓を食わせるという刑罰を与えました。
旧約聖書における神もゼウスに似た感情を抱きました。人間たちの経済的、精神的自立は神にとって予想外の展開でした。神はついに「私はこれらを造ったことを後悔する(創世記6-7)」といいました。神は洪水を起こし、ノアの箱舟以外の一切を地上から抹殺します。

「カイン事件」から「箱舟事件」の間に、人間社会ではすばらしい経済発展と富の蓄積があり、この富をめぐって人間たちの間で、みにくい争いが生じたと思われます。まだ社会的正義の概念がなく、大多数の人々を守る社会基盤が整備されていない時代に、経済発展や付加価値増加が偏在的に生じたのだとすれば、神から見て「不法が地に満ちている」と思えたのもやむをえないことでした。
このことは「社会資本の蓄積は、社会正義や治安の確立に先立って進む」、という事実を私たちに暗示します。今日でも世界を舞台に活動する商社マンは、まだ正式に国交の回復していない国々や、治安の悪い国々にも平気で出かけていって商売をはじめます。彼らの勇気は、この種の事実を裏付けているのです。
ところで、人間はどうして他の動物たちにできない経済発展を実現できたのでしょうか。私はその答えの一つを、人間という種のエネルギー効率に求めることができると思います。つまり支出に対する収入の効率がよかったので、蓄積と余剰が余暇を生み、これが知性の発達、概念の発達を生み、それがさらに効率のいい方法開発へと結びついたのだと考えます。

しかしながら規制されない余剰は、過剰と過度に向かいます。情念の過剰、力の過剰、欲望の過剰、ソドムとゴモラが意味するものはこれではないでしょうか。何かが過剰でなければ私たちは発展できないのですが、それが正しく導かれないと、自らを滅ぼすほどの害悪に結びついてしまう危険があるのです。
アブラハムの時代になりました。彼はバランス感覚がよく、神に愛されました。彼は生涯にいろいろな冒険をしますが、そのたびに成功して経済的に豊かになります。彼は神に土地を与えられ、そこに定住します。旧約聖書には「アブラハムは非常に多くの家畜と金銀を持っていた(創世記13-2)」という一句が出てきます。ここには「土地」「家畜」「金銀」が、価値ある財産であるという考え方がしっかり示されています。
彼はロトという兄弟がいますが、二人の財産が多すぎるので一緒に住むことができなくなります。これは当時の彼らの主要財産が「物的資源」、とくに「家畜」であり、そのために所定の広さの土地を必要だったわけです。

「アブラハムの家畜を飼う者たちと、ロトの家畜を飼う者たちとの間に争いが起きた(創世記13-7)」。そこでアブラハムはロトにいいます。「ここで別れようではないか。あなたが左に行くなら、わたしは右に行こう。あなたが右に行くなら、わたしは左に行こう(創世記13-9)」。
ロトが選んだヨルダン川流域の低地一帯は、ソドムとゴモラという町のあるところでした。「彼(ロト)はソドムまで天幕を移した。ソドムの住民は邪悪で、主に対して多くの罪を犯していた(創世記13-12)」という記述にある通り、この町はすでに堕落と退廃を示している地域でした。神はこの二つの町を憎み、「原爆」のようなもので破壊しました。アブラハムは危険になったロトを救出しなければなりませんでした。
ロトがはじめてこの地帯を見たときの様子は次のようなものでした。「ヨルダン川流域の低地一帯は、主がソドムとゴモラを滅ぼす前だったので、ツォアルに至るまで、主の園のように、エジプトの国のように、見渡すかぎりよく潤っていた(創世記13-10)」。つまりこの地域は湿潤で農業に適し、経済的に発展する条件に恵まれていました。

ここで「エジプトの国のように」とあることにご注意ください。これは、当時のシナイ半島からパレスチナ一帯がエジプトの影響下にあったこと、経済的に豊かな地域の代表としてエジプトが認識されていたことを示しています。こうしてナイルの水によって潤うエジプトが、いわば「神の園」との対比において語られているのです。おそらく、ソドムとゴモラがあった地区は経済的に発展し、人々が富を手に入れ、そのために道徳的に退廃していたということでしょう。
聖書にあらわれる神は、気に入った人物が経済的に成功することを励まし、祝福するのですが、敬神を忘れた人間が経済力を手に入れることを極度に嫌います。ここには「経済的成功と道徳心、あるいは信仰心はともに手を携えて進まなければならない」という思想が、はっきり示されています。

 
 

通貨としての「銀」
アブラハムは一七五歳と言う長寿を全うした人ですが、彼の妻サラも一二七歳まで長生きしました。妻が亡くなったとき、アブラハムは妻を葬る土地をヘト人から買いたいと申し出ます。
「ツォハルの子、エフロンにお願いして、あの方の畑の端にあるマクベラの洞穴を譲っていただきたいのです。十分な銀をお払いしますから、皆様方の間に墓地を所有させてください(創世記23-9)」。
土地の売買については次のように記されています。「アブラハムはこのエフロンの言葉を聞き入れ、エフロンがヘトの人々が聞いているところでいった値段、銀四〇〇シェケルを、商人の通用銀の重さで量り、エフロンに渡した(創世記23-15)」「その畑と洞穴は、こうして、ヘトの人々からアブラハムが買い取り、墓地として使用することになった(創世記13-20)」。

ここで私たちは古代人の取引現場を見るわけですが、次の点が注目されます。
1.アブラハムは、妻の墓地造成のために不動産を買った。
2.その代金として銀を支払った。
3.銀が「商人の通貨」として用いられており、その重量単位は「シェケル」であった。
4.取引は複数の人々の立会いのもとでおこなわれた。

この当時「商人の通用銀」があり、量目のスタンダードがあった、という事実は、この当時すでに金銀の採掘と精錬の技術があり、交換媒体として確立していたことを意味します。この時代、貨幣はありませんでしたが、精錬された銀はさまざまの形、リングやのべ棒にされていたようです。取引のさいには、これらを秤にかけて測定したわけです。
アブラハムの時代が人類の歴史のどのあたりに位置するのか定かではありませんが、「シェケル」または「シケル」と呼ばれる重量単位の呼び名は、紀元前二〇〇〇年ごろのメソポタミア地方を治めた王、エシュヌンナの法典の中に出現します。この王はハンムラビ王に先立つこと二〇〇年前の統治者ですが、彼は法典の中で、銀の単位でさまざまな価値や罰金を定めました。たとえば、人の鼻に噛みついたさいの罰金は一ミナ、顔面への平手打ちの罰金は十シェケル(シケル)となっています。
ところで、一ミナは六十シェケル、一ミナの銀の重量は五〇〇グラムだそうですから、アブラハムが妻の墓地として支払った銀の量は約三三〇〇グラムということになります。アブラハムの時代、社会経済機構はかなりの発達を遂げ、ビジネスの原型が形成されつつあったと推察することができます。

 
 

ヨセフの経営手腕
「創世記」の中で特筆すべきは「ヨセフの物語」でしょう。アブラハム直系の子孫ヤコブに何人かの兄弟がありましたが、末の弟ヨセフが優秀で何かと父に愛されたので、兄たちは嫉妬してヨセフをいじめました。ヨセフはエジプトに奴隷として売られ、エジプトの王ファラオに仕えるポティファルという役人の奴隷になりました。
ヨセフがミディアンの商人たちに売られたときの様子を、聖書は次のように伝えています。「ところが、その間にミディアン人の商人たちが通りかかって、ヨセフを穴から引き上げ、銀二十枚でイシュマエル人に売ったので、彼らはヨセフをエジプトに連れて行ってしまった(創世記37-28)」。
ここには「銀二十枚(TWENTY PIECES OF SILVER)」とありますので、いかにもコインで支払ったように思われますが、「貨幣の歴史」の著者ジョナサン・ウイリアムズは、これは「二十シケル」の間違いだと指摘しています。この時代、まだ標準化されたコインは発明されておらず、あくまでも実質重量で取引がおこなわれたと彼は主張します。

ところでヨセフはエジプトに行ってマネジメントの才能を発揮し、ポティファルの家政を上手に切り盛りしたので、主人は彼に家政の一切を任せるようになりました。彼はその後無実の罪で投獄されてしまうのですが、あるときファラオが見た不思議な夢のなぞを解いて、王に厚く信任されるようになります。その夢は「七頭の肥えた牝牛が七頭のやせた牝牛に食い殺される」というもので、ファラオにも、側近にもこの夢の意味がわかりませんでした。
召し出されたヨセフは、この夢の意味を、「豊作が七年続き、その後に七年の飢饉がやってくるという意味である」と説明し、エジプトが豊作である期間に、可能な限り食糧を備蓄しなければならないと王に進言します。王は彼の説明に感心し、食糧備蓄を含めて、国家運営の舵取りをすっかりヨセフにまかせます。王は次のようにいいます。
「お前をわが宮廷の責任者とする。わが国民は皆、お前の命に従うであろう。ただ王位にあるということでだけ、わたしはお前の上に立つ(創世記41-40)」「わたしはファラオである。お前の許しなしには、このエジプト全国で、だれも、手足をあげてはならない(創世記41-44)」。ときにヨセフ三十歳です。

こうしてアブラハムの子孫は、マネジメント能力によってエジプトの国を支配する立場に立ちました。「ただ王位にあるということでだけ、わたしはお前の上に立つ」という発言は、きわめて重要です。これはもちろん、全権を委任したということなのですが、この場合、王はヨセフに経営権を委譲したということ、だから自分は業務に直接関与はしないということを物語っています。資本と経営の分離がおこなわれたということでしょう。
ヨセフの予言は的中しました。ヨセフは豊作の間に集められるだけの穀物を集め、備蓄しました。そして飢饉がやってくると、物資を自分たちの需要に当てただけでなく、世界中から買いにくる人々に販売しました。エジプト王家は、これによって巨万の富を得ました。ヨセフはエジプトを支配する立場に立ちましたが、謙虚に、かつ的確に統治したようです。
ヨセフの経営の才能は立派なものでしたが、彼の人柄と才能を見込んで、経営を全面的に委譲したファラオにもオーナーとして人を見る目があり、それなりの度量があったといわなければなりません。資本を持たないビジネスマンがその才能を発揮するには、いいオーナーとのめぐり合わせが大切です。この点、ヨセフも立派でしたが、ファラオにもそれなりの見識があったと考えるべきでしょう。

「ユダヤ人の歴史」を書いたシーセル・ロスは、ヨセフがエジプトで引き立てられたのは、イスラエル人になじみ深い「ヒソクス」という、セム族出身の王たちの時代だったからではないかと記しています。
 
 

金銀を持って逃げる
ヨセフの縁故で、多くのイスラエル人がエジプトに移り住み、市民権を得ますが、時代が下ると、ヒソクスの王朝は倒れ、別の王族がファラオの地位につくようになります。こうして政権交代が起こるたびにイスラエル人たちの社会的地位が低くなり、エジプトでの居心地が悪くなってきました。そこでイスラエル人たちは、大挙してエジプトから出ることになりました。
その顛末を記したのがモーセを主役とする「出エジプト記」です。この物語で注目される点は、当時のファラオがイスラエル人の出国をなかなか認めようとしなかった点でしょう。この当時のエジプト居留のイスラエル人は、現地のエジプト人に対して良質の労役を提供する立場であったようです。
労役=経済力ですから、イスラエル人がいなくなると、エジプトは生産空洞化が生じます。旧約聖書ではファラオが、モーセにさまざまな「奇跡」を見せられても、あくまでもイスラエル人たちの出国を拒んでいる様子が描かれます。「主がファラオの心をかたくなにされたので、ファラオは彼らを去らせようとはしなかった(出エジプト記10-20)」。それは、ファラオがイスラエル人たちの労働力を失うことを恐れてのことでしょう。

しかしついに「過越し」の夜がやってきて、ファラオの長子までも原因不明の死を遂げるに及んで、ファラオはイスラエル人の出国を許します。このときにイスラエルの神はモーセに次のようにいいます。「あなたは、民に告げ、男も女もそれぞれ隣人から金銀の装飾品を求めさせるがよい(出エジプト記11-2)」といいます。
これは脱出に当たって、「財産を持ち運びやすい金銀に変えなさい」という意味です。ここで「隣人」といっているのは、エジプト人のことで、イスラエル人はこのとき可能な限りの金銀を手に入れ、脱出にそなえるわけです。このことは、金銀が世界共通の価値ある資産として通用していたということ、移動にさいしては財産を金銀に変換しなければならなったこと、神もまた金銀に形を換えた財産の確保を認めていたことを裏書します。
余談になりますが、「出エジプト記」にはもう一つ特筆すべきマネジメント・ノウハウがあらわれます。モーセが脱出したイスラエル人たちを率いて「約束の地」に向かって移動している最中、エトロという彼の妻の父、すなわち舅がやってきてモーセに面会しました。

エトロは、モーセが多くの民衆の訴えを聞いてジャッジを下しているのを脇でじっと見ていました。何しろモーセは共同体全体のリーダーで、民衆の数は五万にも及びましたから、モーセの多忙さは想像に絶します。中にはモーセにたずねるまででもない、くだらない案件も持ち込まれますが、モーセはいちいち返答をしなければなりません。その処理には時間がかかります。そこでモーセの判断を待つ人々が行列を作ります。
エトロはその晩モーセにいいました。「あなたのやり方はよくない。あなた自身も、あなたを訪ねてくる民も、きっと疲れ果ててしまうだろう。このやり方ではあなたの荷が重すぎて、一人では負いきれないからだ(出エジプト記18-17)」「あなたは、民全員の中から、神を畏れる有能な人で、不正な利得を憎み、信頼に値する人物を選び、千人隊長、百人隊長、五十人隊長、十人隊長として民の上に立てなさい(出エジプト記18-21)」と進言します。こうすることで、それぞれのレベルに合った問題の処理を中間管理職にまかせることを提案したのです。
後の時代、古代ローマの軍隊組織の中間リーダーとして「百人隊長」の制度が採用されました。ローマの軍隊は周辺民族の軍隊にくらべて圧倒的な強さを誇っていましたが、それは一人一人の戦闘技術だけではなく、組織力にありました。古代ローマの軍隊は「百人隊長」を中心に標準的に組織され、たとえば「密集隊形」と呼ばれるような、フォーメーションを組んで戦闘に臨んでいました。

こうした単位ごとの小組織を束ねる「百人隊長」、そしてフォーメーションによるチームワーク、これが古代ローマの領土拡大と繁栄の基礎になったわけですが、その原型ともいえる群集の員数による組織化が「出エジプト記」に見られるのは、興味深いことです。
 
 

金の子牛像が意味するもの
旧約聖書には金銀の財産的な価値がはっきり示されています。通貨として用いられたのは、主として「銀」ですが、金が銀以上の価値を持っていたことははっきりしています。
モーセが人々に「金銀を持って逃げよう」といったのは、神の指示があったからです。またのちに作られる「契約の箱」やこれを飾る祭壇、祭具の類には素材として金を用いることが指定されていますが、これも神が金の価値を承認しているからだと見ていいでしょう。
しかし、金銀の取扱いに関して聖書は屈折した価値観を示し、その傾向は時代が下がるにつれて次第に顕著となります。ことの始まりは、モーセが十戒を授けてもらうためにシナイ山に上り、四十日間留守にしたときのことでした。

群集はモーセが山に入り、いつまでも戻ってこないので、異常な不安を覚えました。彼らはモーセがもう死んでしまったのではないかと考えました。群集はモーセの指導原理に代わる何らかの「神」を作ろうと決議し、モーセの兄弟アロンを巻き込んで、金の子牛像を作ります。このときに使われた金は、イスラエル人たちが持っていたイヤリングを集めたもので、多くはエジプトで手に入れたものでした。
「アロンは彼らにいった。『あなたたちの妻、息子、娘らが着けている金の耳輪をはずし、私のところに持ってきなさい』・・彼はそれを受け取ると、のみで型を作り、若い雄牛の鋳像を造った(出エジプト記32-2.3)」。
この記述から、エジプトを脱出した多くのイスラエル人が、男女を問わず金製のイヤリングをつけていたこと、鋳像がどの程度の大きさか分かりませんが、集めた金の量はかなりの分量にであったことがわかります。「のみで型を作り(出エジプト記32-4)」とありますので、あらかじめ鋳型を作り、金を溶かしてその中に流し込んだものと思われます。

同じような記述が「士師記」の中にも登場します。すなわち、「ギデオンは更に、あなたたちにお願いしたいことがある。各自戦利品として手に入れた耳輪を私に渡してほしい。・・人々は『喜んで差し上げます』と答え、衣を広げて、そこに各自戦利品の耳輪を投げ入れた。彼の求めに応じて集まった金の耳輪の目方は、金千七百シェケルで・・(士師記8-24.26)」とあります。そして次のように続きます。「ギデオンはそれを用いてエフォドを作り、自分の町オフラに置いた。すべてのイスラエルが、そこで彼に従って姦淫にふけることになり、それはギデオンとその一族にとって罠となった(士師記8-27)」。
ここに記されている「エフォド」という言葉は、「司祭が着る式服」「祭具」「金属製の神の像」などいろいろな意味で用いられていますが、上記の記述はおそらく「金属製の神の像」の意味ではないかと思われます。
金の偶像を作る話は旧約聖書に何度も出てきます。ちなみに老年に至ったソロモン王は、後宮の妻たちの求めに応じて異教の神の偶像を作りましたし、ソロモン王に抵抗したヤブロアムも金の子牛を作りました。「彼はよく考えたうえで、金の子牛を二体造り、人々にいった。『あなたたちはもはやエルサレムに上る必要はない。見よ、イスラエルよ、これがあなたをエジプトから導き上ったあなたの神である』(列王記上12-28)」。

このように、金は人々が身につける最終的な財産であり、移動可能な、もっとも価値ある財産として認められていました。金は容易に変形できるので、偶像製作の素材になりました。人々は自分たちの尊敬する指導者に命令されれば喜んで金を差し出し、それで偶像が作られると、簡単にこれをあがめました。
偶像は多くの場合「子牛」ですが、「牛」はそれほど貴重な生き物だったのでしょう。「金」と「子牛」の組み合わせ、これは分かりやすい「神」のシンボルだったのです。同じ子牛像でも、別の物質で作られたとすれば、さほどありがたみを感じなかったかも知れません。

 
 

「十戒」に見る常識原則
モーセがシナイ山で神に預かった二枚の石板には、イスラエル人に対する掟、いわゆる「十戒」が刻まれていました。その掟を要約すると次のようになります。
1.神との絶対的な関係。異神の禁止。
2.偶像の禁止。
3.神の名をみだりに唱えることの禁止。
4.安息日を守ること。
5.父母を尊敬すること。
6.殺人の禁止。
7.姦淫の禁止。
8.盗みの禁止。
9.偽証の禁止。
10.貪欲の禁止。

上記のうちで金銭に大きく関係するものは、「8」「9」「10」の項目でしょう。この戒律によれば、たとえどんなに貧しくても、たとえどんなに欲しくても他人のものを盗んではなりません。殺すことも、偽証することも許されません。
しかしよく考えて見れば、少なくとも十戒のうちの五項目以降は、今日における私たちの常識や法律と重なっており、これらは今後も人間社会における普遍的規範として通用します。少なくとも「盗みの禁止」と「偽証の禁止」は、個々人の所有権の正当性と、取引における正義の原則を説明しています。これに対して「貪欲の禁止」は、「盗み」や「偽証」に至らないための心のありようを指示しているものです。
今日の私たちの社会は「信用社会」といわれますが、「信用」とは、「約束が守られる」ことを前提にしています。これは期日には手形が換金されるということです。もしも期日になっても手形が落ちないとすれば、理由や動機はどうであろうと、結果として盗みがおこなわれ、偽証がおこなわれたことになります。私たちはモーセの十戒の二つを信用社会の基礎として採用していることになります。

「十戒」は人々が共有しやすい形式になっています。しかし、原則としては適当でも、生活の細部における判断に関しては、十項目のルールではカバーしきれない問題が生じます。そこで聖書では「十戒」を補足したり、敷衍するさまざまのルールを規定しています。それらのルールは「出エジプト記」「民数記」「レビ記」「申命記」の四編にわたって記されています。
これらのルールの中から、私たちは金銭に関する常識の変化を汲み取ることができます。

 
   
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