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聖書の金銭感覚
 
第3章 平等主義の破綻

富は本来平等が原則だった
「出エジプト記」における規範的な考え方の一例として、「マナの奇跡」の資源配分に注目しましょう。「マナの奇跡」は、エジプト脱出後、一行が砂漠を移動中に起きました。砂漠には食べ物が何もないので、イスラエル人たちは飢えに苦しみました。
彼らは、指導者であるモーセとアロンに向かって、「我々はエジプトの国で、主の手にかかって、死んだ方がましだった。あのときは肉のたくさん入った鍋の前に座り、パンを腹いっぱい食べられたのに(出エジプト記16-3)」などと不平をいいます。
このときの食糧不足はさぞかし深刻であったろうと推察されます。人々に責められて困ったモーセが天に祈ると、天から「マナ」という不思議なものが降ってきます。モーセは「これこそ、主があなたがたに食物として与えられたパンである(出エジプト記16-15)」といって人々に拾って食べるようにうながします。

マナが一体何だったのか、私には見当もつきませんが、人々は食べつなぐことができました。このとき採取するマナの量は一人当たり「一オメル」と定められました。なお一オメルは二.三リットルに相当するそうです。
ちなみに江戸時代の足軽の給料は米で、標準が「二人扶持」。これは一日米一升に相当します。一日米一升というと多いように見えますが、現金ではありませんから、彼らは毎日食べるに必要最少限度の米を手元において、残りを「札差」のところへ運んで現金に換えてもらいます。おそらく夫婦二人で一日二〜三合分を手元に残したのではないでしょうか。米一合にくらべて一オメルが多いのか少ないのか分かりませんが、まあ、同じようなものだったでしょう。
モーセの一行の中に、「一人一日一オメル」という掟を破って余分にマナを採取し、保存しようとした人がいました。しかしこの余分のマナには、虫がついて臭くなり、食べられなくなりました。結局人々は定量ルールを維持しなければなりませんでした。

イスラエル人たちは週一日の安息日を定められています。安息日には食料採取をしてはいけません。だいいち、安息日にはマナは降りません。そこでモーセは安息日の前日には二倍の食料採取を命じましたが、不思議なことにこの日に降るマナは腐敗しないのです。このことは、モーゼが一行を率いていた間、資源の配分は頭割りで平等におこなわれるのが原則であったこと、また、人々は必要以上を要求してはならなかったことが分かります。
旧約聖書の神は人々を平等に扱おうとしました。バベルの塔やソドムとゴモラの一件、それにノアの箱舟はいずれも、人間が資本を集約し、これによって一部の者が必要以上の力を持つことを禁じているように思われます。かりに神が実力主義を容認したなら、マナの定量原則は維持されなかったでしょう。
神は資源偏在を嫌いました。神はいくども資本集約の試みを人間たちに断念させようとし、資源の再配分を指示しました。しかし人間たちの社会では貧富の差が生じ、次第に拡大する傾向にありました。

「出エジプト」の事件は、イスラエル人の貧富の差を平準化させるための、絶好の機会でした。彼らがエジプトから脱出を試み、全員が砂漠をこえ、命からがら紅海を渡ったときには、めいめいわずかの荷物しか持っていなかったでしょう。各人が身につけていた財産がなにほどか違っていたにしても、財産額はある程度平準化されたはずです。また平準化されていないと、全員が心を一つにして共同の目的地に向かって進むこともできなかったに違いありません。
ちなみに、出エジプト記には最初の律法の一部として「命の代償」という、いわば住民登録税に近い献納物の規定があります。ここには「あなたたちの命を贖うために主への献納物として支払う銀は半シェケルである。豊かなものがそれ以上支払うことも、貧しいものがそれ以下支払うことも禁じる(出エジプト記30-15)」とあります。この段階で人々の間で貧富の差が多少はあったこと、しかし神は平等を指向していたことが明確にわかります。

 

貧富の差を認める
それにもかかわらず、人々の貧富の差は次第に開きました。そこで、「出エジプト記」から始まって「民数記」「レビ記」「申命記」におけるルールは、次第に神が妥協し、人々の貧富の差を認める方向に変化したことを示しています。
「レビ記」には、代々司祭をつとめることになる種族「レビ」たちに関するきめごと、奉納物のおさめ方、祭壇の作り方や祭り方、それに日常生活における心得、それに犯罪の規定などがこまかく決められていますが、この中に、財産管理方法の規定もあります。
すでにこのとき、「富めるもの」と「貧しいもの」の差は歴然としていました。神はこの両者に奉納義務の差を設けました。たとえば罪の償いをする場合、通常の財産をもっているものは「羊」を捧げなければなりませんが、貧乏なら「鳩」でもいい、という具合です。

また終生誓願をかけて満願になったときの神への奉納物について、次のような規定があります。「その相当額は二十歳から六十歳までの男子であれば、聖所のシェケルで銀五十シェケルである。もし女子であれば、その相当額は三十シェケルである。・・もし、彼が貧しくて相当額が支払えない場合は、彼を司祭の前に立たせる。司祭が彼の支払額を定める。すなわち、彼の満願の捧げ物を捧げる資力に応じて司祭が決定する(レビ記27-3〜8)」。
聖書は奴隷の売買や取扱いについても規定しています。たとえば、奴隷を解放する条件や、どうしても奴隷としてとどまりたいものを、終生の奴隷として登録する方法など。
神は自分が人々をエジプトから救出したのだから、自分はイスラエル人に対して殺傷与奪の権限をもっていると、しつこく念を押します。神はイスラエル人をあくまで「自分の奴隷である」と宣言します。この見地に立ってイスラエル人が同胞を奴隷にし、過酷に扱ってはならないと定めます。

ただし本人がにっちもさっちも行かないほど貧乏になり、自分自身も含めて金持ちに「身売り」をしなければならない場合、自分自身を含めて「買戻し」の権利があると定めています。規定は、買戻しをする際の値段の決め方にまで及びます。労働の価値は日当計算によります。
私たちは「レビ記」が成立した時代には、イスラエル人同士の間でも貧富の差がさらに拡大し、一方は人を使う側に立ち、他方は人に使われる側に立っていたこと、使われる人の労働に関して「日当」が決まっていたことなどを推察できます。
おそらくこれは、他国の「奴隷」を売買するときにできた「価格」、あるいは「相場」の延長線にあるものでしょう。このことは、労働サービスの見積もりが行なわれ、かならずしも「もの」ではなく、「役務」が商品として交換されたことをも告げています。

聖書は一民族のテキストですから、これを単純に全人類が共通にたどった道だとはいえません。しかし社会における経済の原理、人々の金銭習慣や金銭感覚は、今日の私たちのそれと大きく異なるものではない、ということが分かります。
 
 

貸借を清算するヨベルの年
貧富の差は人々の間に「貸借関係」を生みました。誰かが誰かに金を貸すとすれば、当然担保を取ることになります。借りた金を返すことができなくなれば、担保は取り上げられます。それでも貸借関係が残る場合には、隷属関係が発生します。
レビ記の中で興味深いのは「安息の年とヨベルの年(レビ記25)」という規定です。まず「安息年」の規定ですが、これは七日おきに「安息日」が設けられているように、七年おきに「安息年」が設けられ、安息年には人々は働いてはならず、耕作をしてはならないというものです(レビ記25-3〜7)。
「そんなことをしてその年の生産はどうなるのだ」という意見に対して、神は「私は六年目にあなたたちのために祝福を与え、その年に三年分の収穫を与える。あなたたちは八年目になお古い収穫の中から種を蒔き、食べつなぎ、九年目に新しい収穫を得るまでそれに頼ることができる(レビ記25-21)」としています。

安息日を「安息年」に拡大した趣旨は分かりますが、一民族が何もせずに一年間お祈りばかりしているという光景は、いささか想像しにくいものです。退屈のあまり気が変になったり、不敬な暇つぶしをする人が出てこないとも限りません。この点、神はどう考えたのでしょうか。
七回目の安息年、すなわち四十九年目の年に関しては、「ヨベルの年」という規定があります。この年には、個人間の貸借は一切清算され、金のためにやむを得ず売った土地に関しては、これを買い戻すことができます。また担保に入れられていた土地は返却してもらうことができます。これは実質的に四十九年ごとに財産の再配分が行われたということでしょう。
したがって平年でも人々が土地の売買をする際には、「それをいつまで自分のものとして所有できるか」という計算がおこなわれることになります。規定には「あなたはヨベルの年以来の年数を数えて人から買う。すなわち、その人は残る収穫年数にしたがってあなたに売る。その年数が多ければ、それだけ価格は高くなり、少なければそれだけ安くなる(レビ記25-15)」とあります。

おそらく安息年の制度は、連作による耕地の疲弊を防ぐ意味があり、ヨベルの年の制度は、負債を免除し、貧富の差を平準化するための目的をもっていたものと思われます。「申命記」には次のような記述があります。
「七年目ごとに負債を免除しなさい。負債免除のしかたは次の通りである。誰でも隣人に貸した者は皆、負債を免除しなければならない。同胞である隣人から取り立ててはならない。主が負債免除の布告をされたからである。外国人からは取り立ててもよいが、同胞である場合には負債を免除しなければならない(申命記15-1〜4)」。
七年目の負債免除の年がやってくるとわかれば、借り手にもそれなりの知恵が生まれます。ちなみに、負債免除がおこなわれる直前に借りた場合、借り手はひどく得をした感じがするではありませんか。これについて聖書は借り手側の悪知恵を規制するのではなく、貸し渋りのほうを規制しています。

「『七年目の負債免除の年が近づいた』とよこしまな考えを持って、貧しい同胞を見捨て、物を断ることのないように注意しなさい。その同胞があなたを主に訴えるならば、あなたは罪に問われよう(申命記15-9)」。
ところで、「ヨベルの年」と「七年目の負債免除」、この関係はどうなっているのでしょうか。「レビ記」と「申命記」がこの順序で時代順を意味するものとすれば、「ヨベルの年」の規定が不十分なので、あたかも神が負債免除の期間を短縮したかのように見えます。それにしても申命記には一切「ヨベルの年」という言葉が出てきません。不思議です。
では、これらの規則は果たして実行されたのでしょうか? 残念ながらほとんど守られなかったと私は見ます。なぜなら聖書には「レビ記」以外に「安息年」と「ヨベルの年」に関する記述はありませんし、「負債免除」に関しても、これをフォローする記述はありません。あれほど律法にうるさいユダヤ社会においても、「ヨベルの年」の制度を守ったとか、現在守っているという話は聞かれません。

私は次のように考えます。人々の貧富の差はある時点から急速に拡大しました。神はあわてました。初めは「ヨベルの年」で事態を解決できると思ったのですが、間に合いませんでした。そこで、負債免除間での期間を短縮しました。しかし、それでも解決しませんでした。人々は掟を無視したのです。負債免除はおそらく一、二度は実行されたかも知れませんが、その後消滅したと考えていいでしょう。
七年ごとに三年分の収穫を約束するという安息年に関しては、さすがの神様にもかなりパワーが必要だったのではないでしょうか。ましてや、七年、あるいは四十九年ごとにめぐってくる社会的、経済的な混乱、その周期を見越しての契約上の混乱調整など、神様にとってもわずらわしかったのでしょう。したがってイスラエルの人々はこれらのルールを守りませんでしたが、神もこの件に関する人間たちのルール違反には目をつぶることにしました。
ところで、「ヨベル」をあらわす単語「JUBILEE」が今日に残りました。これはもともと山羊の角の意味から転じ、ヨベルの年に吹き鳴らされる角笛を意味するそうです。従って負債勘定を帳消しにしてもらう人の「喜び」の観念だけが残ったということになります。

古代社会では負債免除という政策、いわば「徳政令」は、いろいろな民族、いろいろな社会で実行されてことが知られています。それは社会における極度の不平等を調整するための緊急救済手段だったのです。「ヨベルの年」に関する聖書の記述は、イスラエル社会で一時的におこなわれた「徳政令」の記憶の名残りでしょう。
 
 

喜捨の概念
神は人々の平等、したがって富の平等を理想としていました。しかし神の経済理論は次第に破綻をきたしました。人間たちの旺盛な経済活動は、神の理想主義とあい入れなくなりました。
のちにアダム・スミスは、各人が自分の利益をはかって努力することが経済発展とバランスを生み出すのだ、これこそ「見えざる神の手だ」と説明するのですが、当時はそんなしゃれた理論はありませんでした。神はやむなく貧富の差を是認し、これを前提とする指針を打ち出すようになりました。
申命記で、私たちは「人の畑のもの」という項目にぶつかります。ここには次のように述べられています。「隣人のぶどう畑に入るときには、思う存分満足するまでぶどうを食べてもよいが、籠に入れてはならない。隣人の麦畑に入るときには、手で穂を摘んでよいが、その麦畑で鎌を使ってはならない(申命記23-25)」。

これは資源共有に関してどこまでが許され、どこからが犯罪となるかを示していますが、その背景には経済の基本である「所有権」の前提があります。ここでいわれていることは、誰かが他人の畑の収穫物を取っても、その場で飢えや渇きを満たす程度のものであれば、罪にはならないし、畑のオーナーはこれを大目に見なければならないということです。
「籠」や「鎌」という言葉が出てきますが、これらの道具を用いるのでない限り、かりに誰かに畑のものを取られても、被害の程度は知れている、ということでしょう。この程度のロスはオーナーとしては原価の一部として考えなければならないということなのです。
ヨーロッパのレストランに入ると、多くのレストランのテーブルに、注文とは無関係にパンが置いてあります。このパンをいくら食べても、原則として料金に加算されません。ちょうどわが国における「お茶」「おひや」に似た感覚です。その代わり外国では水を注文すると料金を取られます。

この習慣の違いが、それぞれの国における「原料の潤沢さ」を背景にしていることは間違いありません。「パン食べ放題」の原理は、「申命記」の規定にまでさかのぼると私は考えます。おそらく申命記の時代における農業は、多少のロスに目くじらを立てるほどのこともない、豊かな実りを保証していたのでしょう。
このことは「余剰」を持っている人間は「施し」をためらってはならないという、倫理上の掟を示しています。この概念は「奉仕」「献金」など、キリスト教における重要な概念としてさらに発展することになります。
これは何もキリスト教だけにかぎったことではなく、信徒の浄財は、すべての宗教活動の経済基盤をなします。宗教的な活動も、経済基盤なしには存在し得ません。しかし宗教が付加価値を獲得するためには、経済の約束を越えた方法と、これを正当化する理論が必要になります。その思想的源泉が、「施し」「喜捨」の概念の中にあります。

「十戒」が定めているのは、「これを犯せば犯罪」というぎりぎりの法律上の線ですが、法律だけではいい社会は成り立ちません。どうしても法律の内側に「道徳」の線引きをする必要があります。
申命記におけるこれらの記述は、宗教的な倫理と経済的な正義との間の線引きです。神はここで「経済的な正義は犯すべからざる基本であるが、究極の人倫はこれに優先する」という思想を述べているのです。この「人倫の優先」については、貸付の仕方、賃金の支払い方に関しても明確に規定されています。
たとえば賃金の件に関して、次のような規定があります。「同胞であれ、あなたの国であなたの町に寄留している者であれ、貧しく乏しい雇い人を搾取してはならない。賃金はその日のうちに、日没前に支払わねばならない。彼らは貧しく、その賃金を当てにしているからである。彼があなたを主に訴えて、罪を負うことがないようにしなさい(申命記24-14)」。

「彼が主に訴えて」とは、「主人が当日に賃金を支払わなかった」と誰かに訴えても、法律上は主人を罪にすることはできないということでしょう。つまり、かりに主人が賃金を支払わなければ「法律」に違反し、当日に支払わなければ「モラル」に違反するのです。
日給で雇われている人の中には、その日暮らしをする貧しい人が混じっています。ゆとりのあるサラリーマンもいたかもしれませんが、いずれにしてもこれらの貧しい人に対する給料は日給でなければなりません。そして「日没前」が倫理上の期限です。
資本家は弱者に対して憐れみの心を持ち、多少のロスがあっても、細かい勘定に拘泥せず、太っ腹に対応しなければなりません。これらのルールは弱者を規定するためのものではなく、強者を規定するためのものでした。

 
 

貸付における強者の規制
弱者には貧しいので、強者に金を借ります。そこで倫理的な基準が必要になります。神は「あなたが隣人に何らかの貸付をするときには、担保を取るために、その家に入ってはならない。外にいて、あなたが貸す相手の人があなたのところに担保を持って出てくるのを待ちなさい。もし、その人が貧しい場合には、その担保を取ったまま床に就いてはならない。日没にはかならず担保を返しなさい。そうすれば、その人は自分の上着を掛けて寝ることができ、あなたを祝福するであろう(申命記24-10)」。
ここで神は、ついに貸付金に対する「かた=担保」をとることを認めています。しかし担保として取っていいものと、悪いものがあります。この規定のはじめのところで、聖書は「挽き臼あるいはその上石を質にとってはならない。命そのものを質に取ることになるからである(申命記24-6)」と規定しています。
落語に登場する大工の与太郎は、家賃を4ヵ月分も払わなかったので、大家に「道具箱」を取られてしまいます。大工にとって道具箱は生命線ですから、大家はこれをカタに取ってはなりませんでした。この場合、聖書の規定を参考にすると、担保は借主が自主的に差し出すものでなければなりません。それが担保として値打ちのあるものであるかどうかは、貸主が判断すればいいわけです。

パレスチナ地方は昼の間は酷暑で、夜になるとぐっと冷え込みます。おそらく金を借りた人は、昼間着用しない上着を担保に差し出したのでしょう。しかし日が沈むと、上着は彼らにとって不可欠の「夜具」となります。そこで聖書は、債務者は日没には担保を返してやりなさいと指示しています(申命記24-13)。
この場合、金を借りたほうも、一日働いて得た賃金の中から返済することが前提になるはずです。しかし聖書はそのことにふれていません。おそらく一日の働き分では不足することも多々あったと思われます。だから聖書は残債の有無にかかわらず、まず上着を返してやりなさい、といっているのです

 
 

金利の倫理
金利に関しては、早くも「レビ記」の段階で規定が登場します。「もしも同胞が貧しく自分で生計を立てることができないときは、寄留者ないしは滞在者を助けるようにその人を助け、ともに生活できるようにしなさい。あなたはその人から利子も利息も取ってはならない(レビ記25-35.36)」。
また申命記を読んでゆくと、さらに次のような一節が目につきます。「同胞には利子を付けて貸してはならない。銀の利子も、食物の利子も、その他利子が付くいかなるものの利子も付けてはならない。外国人には利子をつけて貸してもよいが、同胞には利子を付けて貸してはならない。それは、あなたが入って得る土地で、あなたの神、主があなたの手の働きすべてに祝福を与えられるためである(申命記23-20.21)」。
すでにハンムラビの法典、エシュヌンナの法典のところで触れましたが、この時代に貸付金に対する金利の概念はチグリス、ユーフラテスの地域全体で常識となっていました。この習慣はイスラエル人の中でも当然の常識となりました。しかしイスラエル人の場合、外国人相手の場合には金利をとっても許されますが、同胞間では許されないこととなります。

相手が外国人なら利子をとってもいいが、同胞からは取ってはならないというのも、今日から考えれば不合理です。考え方によっては、イスラエル国民内部の低金利政策によって経済の活性化を狙ったと、いえないこともないでしょうが、金利をもらえない金貸しは相対的に損をしますし、また同胞に対する貸し渋りなどということも生じる可能性がありますから、一口に自国民の経済活性化のためとはいえません。
当時の人々は「利子」について、十分に理論的な説明を与えることができませんでした。彼らは何らかの「後ろめたさ」を感じていたのでしょう。そのことは、規定の後半に「主の祝福」という言葉が出てくることからも分かります。申命記における金利問題は、いささか及び腰ですが、時代が下がって新約の時代になると、「資金」と時間の関係、すなわち「機会損失」の概念がもっと明瞭になります。

 
 

なぜ貧富の差が生じたのか
私たちはここで、なぜ人々の間に貧富の差が生じたのかを考えたいと思います。「それは各人の能力の差だ」という意見があるかもしれません。しかしこの説明だけでは大雑把すぎます。
私はこれを各人における金銭感覚の差であると考えます。すなわち、私たちはここで各人の各人の金銭感覚を構成する要素として、「能力」「性格」「価値観」を区分しなければならないと思いますが、とくに「性格」について着眼する必要があると思います。
かつてビジネスは今日ほど複雑ではありませんでした。したがってビジネス能力も単純なものでした。それは個々人の体力や腕力に近いものだったと思われます。というのも狩をしたり、放牧をしたり、毛皮をはいだり、蒔いたり、刈り取ったりするという作業は何といっても体力に依存したはずですから。

聖書の時代はすでに、一方が人を使い、他方は使われ、一方は貸し、他方はわずかの担保さえ取られるという段階に入っています。この格差を各人の体力や腕力で説明することは無理でしょう。各人の判断力や、計算能力など、いわゆる「才覚」が経済格差を生む要因として顕在化している、と考えるべきでしょう。
しかし「才覚」といっても、人間の能力など結局は平均に帰するのですから、潜在能力を顕在化させる別な要因を考えなければなりません。それは各人の性質、あるいは性格です。たとえば「勤勉−怠惰」「誠実−いいかげん」「楽観的−悲観的」「慎重−大胆」「敏感−鈍感」「几帳面−ルーズ」「抜け目がない−ぼんやりしている」「見栄っ張り−なりふりかまわぬ」「独立自尊−他人依存」などのキーワードは、各人が持っている性質や傾向を図式的にとらえる上で役立ちます。
これらのキーワードは、各人の日常行動にあらわれ、当然金銭対応にもあらわれます。私たちはこれらの性質が金銭面に応用された場面をとらえて、それを各人の「金銭感覚」と呼ぶのではないでしょうか。これらの金銭感覚は、さらに金銭に関する三つの側面、「収入確保」「財産管理」「消費」のそれぞれにおいて表現されます。

ある人は収入確保という面では能力があり、かつ大胆であるとします。この人は原則としてうんと稼ぐことができるでしょう。けれどこの同じ人が、消費に関して見栄っ張りで、ルーズであれば、経済状況は不安定になります。かりに収入確保にいいかげんで、他人依存的で、しかも管理や消費に関してもルーズな人がいたら、その人は経済的にほとんど成功できないでしょう。
もちろん各人の性質や傾向は、その人が持っている思想や価値観によって支配されるのですから、その人の「心がけ」「心構え」、いってみれば各人の「自己支配の仕方」が、私たちの金銭感覚のおおもとになります。
「心がけ」がよければ、どのような性質の人であろうとも、それを好ましい方向に用いることができるでしょう。たとえば、慎重な人は慎重であるという性質を、大胆な人は大胆という性質を自分に対して有利に活用して、金銭マネジメントをおこなうでしょう。だから、もっとも大切なのは各自の「性格」を導く「心がけ」ということになります。

さて、旧約聖書の「貧富の差」というところに戻って再度考えてみましょう。神が人々の貧富の差を認めたということは、人びとの体力のばらつき、才覚のばらつき、性質のばらつき、性格のばらつきを許容したことを意味します。これは当然です。神は現代おとぎ話に出てくるようなクローン人間を支配しようと考えたわけではなく、個別の名、個別の性質を持った人間、個性を持つ人間を受け入れました。
これは神が各人の「心がけ」「心構え」を許容したということです。私はこの考えをさらにおしすすめ、神は各人が持つ「心がけ」に容喙することはできなかったと考えます。
神は万能であり、人間を滅ぼすこともできます。そもそも聖書によれば人間を作ったのは神なのです。しかし神は人間の「心がけ」を、意のままにすることはできませんでした。人間はすでに「心がけ」に関して、何ものにも支配されない自由を持っていたのです。

神は全き自由を保持していますが、人間も神に劣らずその精神において自由です。それは親が子供の親であるとはいっても、子供がその精神において自由であるのと同じです。
この精神の自由に基礎をおく性質のちがい、才覚のちがい、これこそ各人における金銭感覚のちがいでなくて何でしょうか。このちがいが、あるものは勤勉に稼ぎ、人を使い、人に貸すまでになり、一方は怠け、人に使われ、人に借りるという格差を生み出した原因です。一方は「心がけ」の自由を駆使して勤勉になり、一方は「心がけ」の自由を駆使し、自己責任において怠けました。
この件に関しては、神はことの成り行きを見ているしかありませんでした。人間社会のうちたちまち出来上がっていった貧富の差を見て、神はついに慨嘆してこういいました。「通常の男子は羊を捧げなさい。貧乏なら鳩でもよい」。

貧しいものは一層貧しくなりました。また神はいいました。「隣人のぶどう畑に入るときには、思う存分満足するまでぶどうを食べてもよいが、籠に入れてはならない」「畑の落穂は貧しい人々のために残しておきなさい」。
 
   
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