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聖書の金銭感覚
 
第9章 使徒たちの金銭感覚

ユダへの感情
イエスはついに処刑されました。しかしイエスは弟子たちに復活し、今後の活動指針を示しました。ここから、イエスの衣鉢を継いだ弟子たちが、金銭についてどのように考えていたか「使徒言行録」、ならびに「手紙」から推察することにしましょう。
まずルカによって記されたとされる使徒言行録の第一章の部分に、イエスを官憲に密告した仲間、イスカリオテのユダに関するコメントが登場します。
「ところでこのユダは不正を働いて得た報酬で土地を買ったのですが、その地面にまっさかさまに落ちて体が真中から裂け、はらわたがはみ出してしまいました。このことはエルサレムに住むすべての人に知れ渡り、その土地は彼らの言葉で『アケルダマ』、つまり『血の土地』と呼ばれるようになりました(使徒言行録1-18.19)」。

ユダはイエスと弟子たち一行の間で会計担当をつとめていました。そのことは「ヨハネによる福音書」の中に「彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中味をごまかしていたからである(ヨハネ12-6)」という記述があることからわかります。また使徒言行録にも、ユダに代わる会計担当者としてマティアという弟子が任命されたという記述もあります(使徒言行録1-23〜26)。
ユダの行動に関してはマタイ伝に記されています。「そのころ、イエスを裏切ったユダは、イエスに有罪の判決が下ったのを知って後悔し、銀貨三十枚を祭司長たちや長老たちに返そうとして、『私は罪のない人の血を売り渡し、罪を犯しました』といった。しかし彼らは、『我々の知ったことではない。お前の問題だ』といった。そこでユダは銀貨を神殿に投げ込んでから立ち去り、首をつって死んだ。祭司長たちは銀貨を拾い上げて、『これは血の代金だから、神殿の収入にするわけにはいかない』といい、相談のうえで、その金で『陶器職人の畑』を買い、外国人の墓地にすることにした。この畑は今日まで『血の畑』といわれている(マタイ27-3〜5)」。
ユダが得た報酬は「銀三十枚」とあります。おそらくデナリオン銀貨三十枚でしょう。この金で外国人墓地にする土地が買えたのですから、相当な金額だったといえるでしょう。ユダは会計担当でしたから、物の値段を知っていたでしょう。そしてイエスを売り渡すについても、「銀三十枚」がまずまずの金額だったに違いありません。

マタイによる記述と、使徒言行録における記述を見くらべてみると、まず、記述の時期という点は、両方とも事件から相当な時間が経過していることがわかります。というのも、マタイ伝では「この畑は今日まで・・」とあるからであり、同じく使徒言行録でも「その土地は彼らの言葉で『アケルダマ』、つまり『地の土地』と呼ばれるようになりました」とあるからです。
土地が新しい呼び名で呼ばれ、定着するには、何年かを必要とするでしょう。だからこれらの文書は、事件から間を置いて書かれたものであることは間違いありません。しかし二つの記述には大きな相違があります。まずマタイの方では、後悔したユダが金を返しに行っていますが、使徒言行録ではそのことが記載されていません。
マタイでは「銀三十枚」という具体的な金額が示され、その後のユダの行動も具体的に示されていますが、使徒言行録では、ユダの後悔については触れられておらず、「ユダは不正を働いて得た報酬で土地を買った」というように、まるで土地取引の当事者がユダ自身であるように記されています。

マタイでは祭司長とのやり取りにリアリティがあります。ユダはきっとこんなことをいったに違いないと私は想像します。「あなた方はあの時、イエスを尋問するだけだといったではないか。それをいきなり死刑にするというのは、やりすぎではないか」「こんなことになるなら、先生の居場所を教えるのではなかった。ああ、私は何と取り返しのつかないことをしたのだろう。こんな金はもう要らない」。
しかしユダは祭司長たちに相手にされません。祭司長たちの言動にもなかなか興味深いものがあります。彼らもいくぶん罪の意識は感じているらしく、ユダとの面談で迷惑している様子がわかります。彼らはユダと差し出された金を気まずそうに見ていいます。「何をいまさらいっているんだ。後悔しようとしまいと、それはお前の問題だ」。
この祭司長たちの意見はもっともですから、ユダとしては一言もありません。彼はそれから神殿の賽銭箱に金を投げ入れたのでしょうか。後悔の念に打ちひしがれたユダはついに自殺をするわけです。マタイ伝によるこのプロセスは分かりやすいもので、ユダの裏切りは卑劣ですが、その後の彼の気持ちも分からないではありません。

しかしながら使徒言行録になると、マタイ伝の内容がかなり誇張されていることがわかります。すなわち、「(ユダは自分が買った)その地面にまっさかさまに落ちて体が真中から裂け、はらわたがはみ出してしまいました」となります。これを文字通り解釈しようとすると、ユダが買った土地には大きな穴があいていたことになります。
その穴の深さはビルの高さにして、おそらく十階以上分はあるでしょう。二、三階ぐらいの高さから飛び降りたくらいでは、「体が真中から裂けて、はらわたがはみ出す」という状態にはならないでしょうから。この記述が本当だとしたら、観察した人は、十階分ぐらいの深さを下りていって、ユダの死骸を検分したのでなければなりません。
使徒言行録における記述には何らのリアリティもなく、単なる比喩と誇張にすぎないことが分かります。かりに「地面にまっさかさまに落ちた」ということがメタファーであるとしたら、「体が真中から裂けて、はらわたがはみ出す」という表現もメタファーでなければなりませんがそれにしては表現が具体的すぎます。このことは、使徒言行録の作者が、故意に読者を脅そうとしていることが分かるのです。

残された弟子やその他の関係者のユダに対する恨みと憎しみが嵩じて、このような表現を取らせているわけですが、このようなリアリティを欠く文章が、マタイ伝の客観的記述にくらべてはるかにお粗末になってしまったことは否定できません。
しかしながら、このようなお粗末な記述であっても、その中に含まれている「ユダ憎し」の感情は真実であり、同時にユダの受け取った金が不浄であること、さらには生前のイエスの金銭に対する否定的な教えとあわせて、金そのものが不浄である感覚を伝えているということ、このことは真実です。ユダの事件によって、金銭に関するイエスの禁欲主義が、弟子たちによって増幅されたのです。

 

共同生活始まる
イエスという中心人物をなくした弟子たちは、自分たちの財産を売り払い、その金を集めて共有財産としました。彼らは共有財産の中から必要な経費を受け取って生活を始めました。
「信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った(使徒言行録2-44.45)」「信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、使徒たちの足元に置き、その金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである(使徒言行録4-34)」。
宗教団体といえども、組織的な活動をしようとする限り資金が必要になります。この場合、資金源は信者の浄財に仰がざるをえません。一般の会社でいえば「売上収入」に相当するところが、「信者による寄進」ということになります。かりに信者の数が増えないとすれば、集まった資金の範囲内でしか活動できませんから、教団はいつかは経済的に破綻します。この破綻を避けるためには、信者の数を増やさなければなりません。

こうして洋の東西を問わず、時代の新旧を問わず、宗教的教義のいかんを問わず、宗教団体における拡大再生産原則が成立します。教団は何としてでも新しい信者を獲得し、信者の持っている財産を教団の共有財産へと変換しなければなりません。
わが国では「オウム真理教」や、「法の華」の事件ついての記憶が生々しいところです。彼らは信者の自由を束縛したり、だましたりしてまでお布施を要求しました。拡大再生産を急ぐ彼らは、実現しないご利益を約束してまで、信者から財産拠出を求めなければなりませんでした。信者を増やし、その信頼感を確保するためには、どうしても広報活動を積極的におこない、祭壇を立派にするなどの投資が必要であり、投資をすればさらに資金が必要になることは、一般の企業とどこも変わりないのです。
使徒言行録にも、「たとえば、レビ族の人で、使徒たちからバルナバ――『慰めの子』という意味――と呼ばれていた、キプロス島生まれのヨセフも、持っていた畑を売り、その代金を持ってきて使徒たちの足もとに置いた(使徒言行録4-36.37)」という記述がありますが、具体的な名前を挙げられたこの人は、よほど多額の寄付をしたものと思われます。

さて、初期のキリスト教団に資金持参で参加した人の中に、アナニアという男と、その妻サフィラがいました。彼らも自分たちの土地を売って参加したのですが、その代金の一部を別にとっておき、資金の一部だけを教団に差し出しました(使徒言行録5-1.2)。これは現代人の感覚からすれば、もっともなことで、教団での生活が自分たちの期待通りでなければ、いくぶんでももとの生活に戻ることができるようにとの配慮のあらわれです。
しかしながら、使徒ペトロはこの欺瞞を見抜き、まず夫のアナニアにいいました。「アナニア、なぜ、あなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、土地の代金をごまかしたのか。売らないでおけば、あなたのものだったし、また、売っても、その代金は自分の思いどおりになったのではないか。どうしてこんなことをする気になったのか。あなたは人間を欺いたのではなく、神を欺いたのだ(使徒言行録5-3.4)」。
続いて使徒言行録は次のように記しています。「この言葉を聞くと、アナニアは倒れて息が絶えた。そのことを耳にした人々は皆、非常に恐れた。若者たちが立ち上がって死体を包み、運び出して葬った(使徒言行録5-5.6)」。

「それから三時間ほどたって、アナニアの妻がこの出来事を知らずに入って来た。ペトロは彼女に話しかけた。『あなたたちは、あの土地をこれこれの値段で売ったのか。言いなさい。』彼女は、『はいその値段です。』と言った。ペトロは言った。『二人で示し合わせて、主の霊を試すとは、何としたことか。見なさい。あなたの夫を葬りに行った人たちが、もう入り口まで来ている。今度はあなたを担ぎ出すだろう。』すると彼女はたちまちペトロの足もとに倒れ、息が絶えた。青年たちは入って来て、彼女の死んでいるのを見ると、運び出し、夫の側に葬った。教会全体とこれを聞いた人は皆、非常に恐れた(使徒言行録5-7〜11)」。
 
 

ペトロの教団経営
ペトロがどうしてアナニア夫婦の計画を知ったのかわかりませんが、いまやペトロにはそうした神通力がそなわっているものと考えましょう。ペトロの論理は次のようになります。

1.アナニアは土地を売らなければよかった。そうすれば所有権を維持できた。
2.たとえ売っても、献金しなければ金の処分は彼の自由であった。
3.しかしひとたび教団のメンバーになり、共同生活をしようと思うなら、少しでも隠し財産を持っているのは神と同胞に対する裏切りである。
4.そうした意図によって行動を開始しただけでも死に値する。

私は現代人として、ペトロの理論を受け入れることはできません。もしも彼らが隠し財産を持っているメンバーを排除したければ、そう通告し、入会を拒否すればいいのであって、仲のいい夫婦を殺す必要はなかったのです。
彼らが財産の一部を提供してまで教団に入りたかったのは、既存の宗教に救いを見出せなかったからであって、救いを求めようとする点では何ら問題はなかったのです。ただ彼らはまだ筋金入りではなく、いうなれば迷っているメンバーでした。このようなメンバーを救うどころか、責め立てて殺すことは、宗教家として正しことでしょうか?
それにまたペトロの、「今度はあなたを担ぎ出すだろう」など、ずいぶん残酷ないい方ではありませんか。考えてみれば、ペテロはイエスに「お前は一番鶏がなく前に、三度私のことを知らないというだろう」といわれ、その予言通りにイエスを裏切り、ふたたび許された人間ではありませんか。自分は許されても他人を許さないこのペトロの行動パターンを、イエスは福音書の中で、幾度も禁じていたはずではありませんか。

しかしながら私がペトロの弁護にまわるなら、次のようにいうことができます。

1.教団にとっては「すべての財産の供出」がメンバーであることの試金石であった。
2.教団としては、資金確保をはかる必要があった。
3.「共有財産制」と「例外」は両立しなかった。「例外」を容認すれば、経済基盤が崩れる可能性があり、教団はルールを厳正に維持する必要があった。
4.多少ショッキングな犠牲者を出しても、他のメンバーにルールを徹底する必要があった。

使徒言行録にはまず、アナニアの死の直後に「このことを耳にした人々は皆、非常に恐れた」とあり、ついで妻の死の後に「教会全体とこれを聞いた人は皆、非常に恐れた」とあります。はじめの文章、「このことを耳にした人々」というのは、ペトロの周囲にいた人々のことです。なぜなら、アナニアと妻の死との間には三時間しかないからです。
これに対して二番目の文章にある「教会全体とこれを聞いた人」とは、伝聞などでこの事件を聞き知った人々ということで、広範囲の人々を指しています。このように、このエピソードに関してはペトロの直近の人々と、幅広い関係者に恐怖感を与えたことが強調されています。
それは、ペテロの「教団に加盟するなら、全財産を出しなさい」という掟が、ひどく峻厳なものであることを知った人々の驚きと恐れを代弁しています。関係者は「うっかり隠し財産を持っていたら、殺されるかもしれない」と思ったことでしょう。またある人は「ペトロの超能力はすごい」と思ったかもしれません。「やはり、神をだますことはできない」と感じた人もいたでしょう。アナニアの一件は、教団の権威を高めるための大きな契機になりました。

ペトロの行動は彼の独断によるものではなく、上位にある神から容認されたものでます。これはペトロによって体現された神の価値観なのです。私はこの事件に関して、きわめてきびしい神の愛を見ます。この神は、あたかも狭量な恋人のように、相手にすべての愛と犠牲を要求し、犠牲の程度によって愛の深さを測ろうとします。
この事件を経済的な側面から分析すると、一方では禁欲を説き、人々に財産放棄を迫る教団自身が、まず経済的主体としてその財産を確保し、さらには増殖しなければならないという自己矛盾の中に根をおろしつつあった、ということ以外を意味しません。宗教団体における経済論理は次の三点に要約されます。

1.私たちは魂の救済を約束しよう。あなた方は可能な限りの寄進をしなさい。
2.個人財産は信仰の妨げとなる。だから寄進によって身軽になりなさい。
3.金は寄進に使われたときだけ浄財となる。

この論理は現在でも、どの宗教団体もが採択せざるを得ないコンセプトです。ただ、現代ではペトロ的論理や方法論は通用しなくなっていだけです。使徒たちが率いる教団は、もちろんイエス・キリストの教えを広めるためのものではありましたが、一個の宗教法人として、固有の主体性と損益構造をもち、イエスの教義そのものとは無縁の、組織生存の論理に従って動き始めていたのです。
 
 

シモンの取引
使徒の中にフィリポという人がいました。この人の担当区域はサマリアだったので、そこで布教していました。サマリアにシモンという魔法の技術を持った男がおり、「私は神の力を授かっている」といいふらしていましたが、フィリポが福音を述べ、奇跡をおこない、人々を洗礼するのを見て驚きました(使徒言行録8-9〜13)。
そのころ、幹部使徒であるペトロとヨハネはエルサレムにいましたが、サマリアで布教活動が進んでいると聞いて応援のためにやってきました。フィリポは人々に洗礼を授けることはできましたが、人々に聖霊を受けさせることはできなかったのです(使徒言行録8-14〜16)。
ペトロとヨハネはやってきて、すでに洗礼を受けた人々に手を置き、「霊」を与えました。これを見ていたシモンが二人のところにやってきました。

「シモンは、使徒たちが手を置くことで、“霊”が与えられるのを見、金を持って来て、言った。『私が手を置けば、誰でも聖霊が受けられるように、私にもその力を授けてください。』すると、ペトロは言った。『この金は、お前と一緒に滅びてしまうがよい。神の賜物を金で手に入れられると思っているからだ。お前はこのことに何のかかわりもなければ、権利もない。お前の心が神の前に正しくないからだ。この悪事を悔い改め、主に祈れ。そのような心の思いでも、赦していただけるかもしれないからだ。お前は腹黒い者であり、悪の縄目に縛られていることが、わたしには分かっている。』シモンは答えていった。『おっしゃったことが何一つわたしの身に起こらないように、主に祈ってください』(使徒言行録8-18〜24)」。
ここでいう魔法使いのシモンとはどのような人物だったのでしょうか。魔法をあらわすマジックという言葉は、紀元前ペルシャで活躍した「マゴス」という僧侶たちの呼び名に由来するといわれています。マゴスたちは預言者として、あるいは学者として宮廷などで仕えました。彼らは超能力を持っていたとされています。
マゴスの超能力の一つに「計算技術」がありました。コンピュータも計算機もない昔の人にとっては、桁数の多い計算や平方根などを用いる計算はきわめて困難なものでした。マゴスたちはそれらの計算技術を師弟相伝の形で受け継ぎ、実際に計算をするときには、人に見られないところでひそかに演算し、答えだけを持って人々の前にあらわれました。人々が彼らを「超能力者」として尊敬したのは当然のことです。

おそらくここに登場するシモンは、こうした伝統的なマゴスの技術を何がしか習得していた者と思われます。その技術を習得するために、しかるべき先生に金を払って習ったことでしょう。そうした経験を持つ彼は、ペトロたちの奇跡を目の当たりにして、「この先生たちにも金さえ払えば、教えてもらえるのではないか」と思いました。
次にさてここで語られている「洗礼を与える」と「聖霊を受けさせる」とはどんな行為を意味したのでしょうか。洗礼はもともとユダヤ教入信の儀式で、昔は全身を水に浸したそうですが、今日では司祭が聖水を入信者の額につけるというやり方によっています。これに対して「聖霊を受けさせる」が、具体的に何を意味するのか私にはわかりません。新約聖書にはさかんに「聖霊」という言葉が出てきます。「聖霊が下る」「聖霊を与える」「聖霊に満たされる」「聖霊に導かれる」などの表現が用いられています。文脈から判断すると、この場合どうやら信者の頭、あるいは体の上に使徒が手をかざしたようですね。

シモンが「聖霊」の件で驚いたということは、聖霊を与えられた信者が、その瞬間に何か目に見えて変化したということでなくてはなりません。シモンはフィリポがおこなった洗礼に驚いているのではなく、彼が予備的に行なった奇跡に驚き、ついでペトロとヨハネの聖霊授与の行為に驚いています。彼はこれを新種のスーパーパワーであると判断しました。
彼は慇懃に授業料を差し出して教えを請いましたが、このやり方は使徒たちにはまったくなじまないものでした。ペトロはシモンを一喝します。
シモンにしてみれば、彼の常識の範囲で紳士的に行動したのですから、「お前は腹黒い者である」などとなじられるのは、不本意だったことでしょう。しかしペトロの恐ろしい剣幕に押されて、「わ、わかりました。おっしゃったことが何一つわたしの身に起こらないように、主に祈ってください」といい、その場を逃げ出しました。

使徒たちから見れば、シモンのような者は一種の手品師にすぎず、彼らの称する「超能力」は金儲けの手段にしかすぎません。シモンはいうなれば「新商品」を仕入れようとしてやってきた「奇跡の商人」であって、魂の救済とは何のかかわりもありません。そこでペテロは力強く、「お前はこのことに何のかかわりもなければ、権利もない」といったのです。
しかしやはりここで注目すべきは金銭に関する彼らの感覚です。シモンにとっては、金銭は商品を買う手段です。彼はここで「技術情報」を、彼の新しいマーチャンダイジングの、いわば商材として仕入れようとしています。
師に対して、弟子が教授料を支払うという習慣は、すでに以前から定着しています。たとえば、ギリシャにおけるソフィストは、自称プロ教師であったことが知られています。シモンの場合も「その技術を習得応用して身を立てる」ということを考えています。技術習得のコスト=原価と、それによる売上や利益の関係が彼には見えていたと思われます。

ところがイエスとその弟子たちにとっては、商売そのものが道徳的でないのですから、宗教的パワーを、宗教に無関係な人間が「仕入れよう」とする、その魂胆が許せません。そこで当然、「この金は、お前と一緒に滅びてしまうがよい。神の賜物を金で手に入れられると思っているのか」というあいさつになります。教団にとって収入は好ましいものですが、「宗教は取引ではない」「不純な金は受付けない」ということが大鉄則になります。
本来金はニュートラルなものなのですが、用いられ方とオケージョンによって「こんな金」「穢れた金」「不道徳な金」という表現が生まれることになります。今日でも私たちが使う「浄財」という言葉は、道徳的な見地から見て金に「色」があるという概念を示しているのです。だから、私たちはペトロがシモンにいったことがよく分かります。
シモンは、ペトロのはげしい剣幕に恐れをなして逃げ出しましたが、「それでは、私を信徒の一人のお加えください」とはいいませんでした。彼はこのとき、自分の金銭感覚と、使徒たちの金銭感覚が大きく食い違っていることに気づいたのです。彼はペトロにこれ以上何かいわれてはたまりませんから、謝罪して逃げ出しました。彼が自分の使う魔法と、使徒たちが見せる奇跡との間にどのように質的な違いを認めたか、それはわかりません。

 
 

パウロの妥協
「使徒言行録」の前半はペトロの記事が中心ですが、後半はパウロの記事が中心です。パウロは、今日のキリスト教普及にもっとも貢献した使徒の一人ですが、面白いことに彼は生前キリストの教えを受けたことがありません。それどころか、彼ははじめのうちキリストを迫害するメンバーの一人でした。
パウロはキリキアの名門の生まれで、世襲のローマ市民権を持っていたことが知られています。彼はキリスト教徒を迫害しようとしてダマスコに行く途中、すでに十字架にかけられたキリストの霊に出会い、劇的な回心をとげました。その後彼は、主として異邦人へのキリスト教布教につとめました。
新約聖書の後半には「ヨハネによる黙示禄」を別とすれば、パウロによって書かれた各種の「手紙」が紹介されています。ここでパウロの手紙の中から、彼の金銭感覚を探ってみることにしましょう。「ローマの信徒への手紙」の中に次のような一節が出てきます。

「人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです(ローマの信徒への手紙13-1)」「あなたがたが貢物を納めているのもそのためです。権威者は神に仕える者であり、そのことに励んでいるのです。すべての人々に対して自分の義務を果たしなさい。貢を納めるべき人には貢を納め、税を納めるべき人には税を納め、恐るべき人は恐れ、敬うべき人は敬いなさい(ローマの信徒への手紙13-6.7)」
この文章は、イエスの「皇帝のものは皇帝に返し、神のものは神に返しなさい」という、あのなぞめいた命題に対する具体的な解釈になっているようです。しかし、それ以上にパウロの解釈が入っており、しかも現実の権威を積極的に肯定し、これに対して信者が服従することを奨励する内容となっています。
パウロがここまで具体的に書いた背景には、手紙が検閲されたり、心ない人の手に渡って布教のさまたげになることを恐れる気持ちがあったためかもしれません。

しかし福音書におけるイエスは、ローマに対する納税義務に関しては、それを暗示しただけであって、「権威者に貢物を納めなさい」とはっきりいったわけではありませんから、パウロの指示は拡大解釈です。ここでパウロは「貢物」と「税」を区分しています。「税」は行政に対するもの、「貢物」は異教の神ユピテルに対するものとなる可能性があります。
ここに見られるメッセージは、「宗教の名目は違っても、最高神は私たちの奉じる神であることは間違いないのだから、目の前の権威者に従ったとしても矛盾にはならない」ということであり、「ユダヤ的な堅苦しい教義にとらわれずに、ここのところは、現実社会と融和し、何とか生きのびてください」ということでしょう。
このメッセージはイエスの教えを明らかにはみ出しており、「パウロ教」とでも名づけるべきものに変質しています。また、「コリントの信徒への手紙」で、パウロは次のような文章を書き送っています。

「兄弟たち、マケドニア州の諸教会に与えられた神の恵みについて知らせましょう。彼らは苦しみによるはげしい試練を受けていたのに、その満ちた喜びと極度の貧しさがあふれ出て、人に惜しまず施す豊かさとなったということです。わたしは証ししますが、彼らは力に応じて、また力以上に、自分から進んで、聖なる者たちを助けるための慈善の業と奉仕に参加させてほしいと、しきりにわたしたちに願い出たのでした。また、わたしたちの期待以上に、彼らはまず主に、次いで、神のみ心にそってわたしたちにも自分自身を献げたので、わたしたちはテトスに、この慈善の業をあなたがたの間で始められたからには、やり遂げるようにと勧めました。あなたがたには信仰、言葉、知識、あらゆる熱心、わたしたちから受け取る愛など、すべての点で豊かなのですから、この慈善の業においても豊かなものとなりなさい。わたしは命令としてこう言っているのではありません(コリントの信徒への手紙8-1〜7)」。

ここではパウロが各地の信徒に、金銭的に世話になっている様子が示されています。ここにあらわれるテトスという人物は、やはり使徒の一人で、パウロの後輩に当たる人と思われます。この人物はのちにクレタ島にわたって布教活動をしたことが分かっています。
ところで、パウロはマケドニアにおけるキリスト教徒が、パウロや使徒のために乏しい財布をはたいて慈善活動をしていることを報告しています。その慈善活動がどのようなものであったかは分かりませんが、彼らが得た収入の一部をパウロに献金として差し出したことが推察されます。パウロは、これらの献金活動が信徒による自発的なものであること、貧しい信徒が力に応じて、あるいは力以上に献金したことを喜んでいます。
まず、この文章で注目されるのは、信徒たちの慈善活動の自発性を称揚し、さらに自分がこれを強制しているものではないことを明確にしている点です。これは、先に共同生活者にすべての財産を供出するように迫ったペトロのやり方と好対照です。

もちろん、ペトロが要求したのは「出家信者」としてのふるまいであり、パウロがここでいっているのは「在家信者」のふるまいです。出家信者にきびしさが要求されるのは当然かもしれませんが、私的財産を残していただけで処刑された夫婦と、「力に応じて」醵金して、それでもほめられている信徒との違いは極端です。これは明らかに「ペトロ教」と「パウロ教」の違いといっていいでしょう。
 
 

近代的なマネジメントへ
パウロの慈善事業に対するモチベーションは巧みです。彼は信徒を「信仰、言葉、知識、あらゆる熱心、わたしたちからの愛など、(つまり、経済という点以外では)すべての点で豊かである」とほめ、さらに「(だから)慈善の業においても豊かになりなさい」といっています。しかも彼はそれを自分が強制するわけではない、といっているのです。
この文章から、パウロが「ほめて」「たきつける」というテクニックにおいて、きわめて有能であったことがわかります。よく考えれば、「慈善の業において豊かになる」ということは、自分たちの収入を減らすことですから、貧しいものをさらに収奪するということにほかならず、信徒にさらに犠牲を強いていることは明らかです。精神的には豊かになっても、経済的には豊かでなくなることを奨励しているといっていいでしょう。
それにまた、マケドニア地方の信徒をこの点でほめあげれば、他の地方の信徒にも「同じようにしなさい」といったのと同じ効果が生じます。パウロはある人々の自発性をほめているわけですが、このことは「あなたがたも、わたしに命令される前に、進んで実行しなさい」というのと同じ効果を生みます。パウロは「わたしは命令としてこう言っているのではありません」といいますが、これは自発性の強要であって、「命令ではない」といえばいうほど、強制力が高まることになります。

この自発性の強要というテクニックは、今日でもありとあらゆる場面で使われる人心操縦術ですが、おそらく今日でも、どの教団でも、そっくりそのままの形で、ときにはかなり鼻持ちならない形で温存されているといっていいでしょう。
私は若い頃ブラジルで、キリスト教の宣教師と三週間ほど一緒に過ごしたことがあります。彼は日系人を集めて講演をおこないますが、講演の印象は強烈でした。ブラジルの日系人たちは強い郷愁の念を持っています。その人々の中には、当時でもまだ「勝ち組」がいました。「勝ち組」とは、日本が第二次大戦に敗れた事実を認めようとしない人々でした。
故国を遠く離れ、異境の地で苦労を重ねた人々は、日本からやってきた宣教師による慰めるような、励ますような講演に涙を流して聞き入りました。話が終わると、宣教師は直ちに「献金カゴ」を会衆に回します。

彼は幾度も「出せる人だけで結構」「出せる分だけで結構」と断るのですが、どの会場でも献金しない出席者はほとんどありません。彼は「これは皆さんの志だけでいいのです」といいつつも、「神が皆さんの志をどれほど喜ばれるか」といいます。出席者はまるで催眠術にかかったように、献金カゴの中に紙幣を投げ入れるのでした。彼がまちがいなくパウロの後裔でした。
この宣教師はとてもまじめで、ホテルに戻ってからもきちんとしていました。もしかしたら彼は、私が誘惑に負けて悪所に遊びに行ったりしないかどうか、ひそかに監視していてくれたのかもしれませんが、私は何一つ束縛されなかったし、お説教めいた忠告も受けませんでした。
しかし私にとっては、献金と彼の活動費用との構図はたいへん明瞭なものでした。例の宣教師は献金をもとに布教していたわけですし、じじつ彼がホテル代や食事代を必要としていたことは間違いありません。

パウロは「彼らはまず主に、次いで、神のみ心にそってわたしたちにも自分自身を献げたので」と書いています。献金は、まず主に捧げられものであり、それをパウロは主の許可を得て使ったのです。主に供えることは、すなわち自分に供えられることです。すべての宗教団体は、この種の、「収入における間接話法」に通じています。
しかし私たちはパウロにいたって、ついに宗教的なリーダーがきわめてソフトなやり方で、人々の自発性を促し、強制によらない強制のテクニックを用いるにいたることを知るのです。
人間が何らの形で継続的に事業活動しようとするとき、その活動のもととなる費用が必要になります。その費用は事業活動に関係する人間の数に応じてより計画的、継続的に調達されなければならなくなります。少人数の経営体では、「年度事業計画書」など必要もありませんが、会社の規模が大きくなると事業計画なしに活動を進めることは考えられなくなります。こうして宗教事業はますますビジネスに近づきます。

そして有能な宗教家は、ますます有能なビジネスマンに似てくることになります。彼は人の心をつかむのがうまく、相手に進んでお金を出させる技術を持つようになります。ごく古い時代の宗教家は、神の名のもとに拠出を強制しましたが、パウロは少なくともお金に関しては、誰をも強制しません。私はここに教団における収入確保の近代化、マネジメントの近代化を見ます。
 
   
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