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鈴木航伊知との対談
 
対談第6回(3月15日)<義務を持たぬ、自由な天使が闊歩する世界>

加藤――おはようございます。今回は天使がテーマです。あなたの絵の中の人物を大きく分けると、背中に羽の生えている人物と、羽のない人物の二タイプが存在しますね。ただ、これまでのあなたのお話を聞いていると、あなたの人物たちはいずれも「半人間」「半天使」「半精霊」「半人形」というべきもので、どうやら私たちとは違う次元に住んでいるらしい。けれども、今回はとくに「背中に羽のある人物」という観点から、あなたのお話を伺いたいと思います。

鈴木――わかりました。

加藤――私たちの世界の常識的な約束、あるいは記号という点からすれば、背中に羽が生えている人物は「天使」ということになりますね。その場合、キリスト教美術の天使を指すことが多いように思います。そこでお聞きしたのですが、あなたの絵の中の有翼の人物は、いわゆるキリスト教の天使なのでしょうか?

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大星雲の野

鈴木――いや、宗教美術では、キリスト教だけでなく仏教でも、イスラム教でも、背中に羽の生えた人物が出てきますよ。ただ、あなたは本文の第5章で、キリスト教の天使のことを実によく調べてレポートしてくれましたね。あれによると、天使は「神の考えをひとに伝える代弁者」で、その羽根の枚数にもよるのですが、形はいろいろあるわけですね。

加藤――旧約聖書でいっている「天使」の翼のイメージは、どうもよくわかりにくいものです。たとえば、旧約聖書初期の天使に関しては、翼についてのはっきりした記述がありません。

鈴木――いろいろのタイプの天使があるとしても、一般的には「天使は翼を持ち、神通力で空を飛べる」ということでは共通しているようですね。本当に、キリスト教美術では、おびただしい数の天使が、美しく描かれてきました。

加藤――その通りです。

鈴木――ぼくは昔から天使は好きでした。けれど不用意に天使を描くと、キリスト教の画家だと思われるかなと思って、描くことを長い間、ためらっていました。あなたの言うように、天使が何かをするのは、遊びではなくて、神の意志の代行でしてやることですからね。

加藤――ああ、そうですか。あなたはずっと以前から天使に関心があったわけですね。

鈴木――ぼくは神が人格神であるという観念は持っていないのですが、宇宙、地球、命のすべてを創り、運行させている「天」の観念を持っています。しかしその「天」は、人間には意志を伝えません。したがってぼくの世界では、「天」のメッセンジャーとしての天使はありえない。でも、有翼者という視覚的に魅力あるイメージをどうしても描きたかったのです。

加藤――あなたの絵の中の天使型の人物は、原則として「神のメッセンジャー」ではないわけですね。つまり、神からの命令を付託されていない、要するに使命や義務を持たない、まったく自由な存在としての天使ですね。

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「眠れる天使」

鈴木――その通りです。ぼくはかつて「有翼型」のキャラクターのイメージについて調べたことがあります。すると、翼を持つ動物や人が空を飛ぶというイメージは、キリスト教美術以外にいくらでもあるのです。ギリシャでも、エジプトでも、メソポタミアでも。

加藤――ニケの女神、ペガサスやハルピュアイなど、ギリシャ神話のキャラクターには有翼のものが多いですね。

鈴木――それだけではありませんよ。羊、牛、馬、蛇、龍など、いろいろな動物に羽が生えている。たとえば、エジプトの新王時代のスフィンクスには羽が生えています。これらが宗教とどう関わるかは別としても、これら有翼のキャラクターは、つまるところ人間たちが「羽があって自由に空を飛べたらなぁ」と考えた、その願望や夢を表しているのでしょうね。

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「詩人と金のライオン」

加藤――その通りかもしれませんね。「天使」というと、いかにもキリスト教的だけれども、「有翼の動物または人」というのは世界的、普遍的なキャラクターだというわけですね。またその発想の根っこには、飛翔への希求がある、ということですね。

鈴木――そうです。このことがわかって、ぼくは、有翼者を絵に取り入れる決心がついたのです。ですから、ぼくの描く天使は、神のメッセンジャーではなく、ぼくの絵の世界の国の住民なのです。有翼者は赤ん坊として生まれて来たとき、たまたま背中に羽をつけて生まれてきた動物あるいは、人々なのです。だから、ごく自然な住人です。

加藤――あなたの世界に「男」「女」「男女(おめ)」がいることはわかっていましたが、
これらのそれぞれに「有翼」と「無翼」という組み合わせが可能になったわけですね。またこの原則が、人間だけではなく他の動物たちにも敷衍されているわけだ。

鈴木――現実の人間社会では、人と形が変わっている者は、とかく「異形の者」として差別され、抑圧されますが、ぼくの国では、有翼人間はたとえ、幼い時、手習い所にいくとしても決していじめられません。

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「片翼の天使」

加藤――翼の有無は、それは各人の持って生まれた特性だというわけですね。でも、あなたの国の有翼者は空を飛べるのでしょう? だったら、いじめられるどころか、翼のない者にうらやましがられるのではありませんか。でも、よく見ると、あなたの国の天使はめったに空を飛んでいませんね。あなたの絵の中では、多くの有翼者たちが翼を持っているのに地上で生活しているように思えます。この点が不思議でならないのですが、それは何故でしょうか?

鈴木――ああ、それは、ぼくの国では、鳥も住民だから、飛ぶということ日常的なことで、それほどうらやましいことではないのです。ところで、ぼくは、ヨーロッパで暮らしていた時、食事代を節約するために、ほとんどレストランに入らず、外出する時は、パンにソーセージを挟んだものを作り、ビールの小瓶と一緒に持って出て、公園のベンチなどで食べました。寒い季節にはこれは辛かったです。こんなとき、いつもそばに寄って来てくれるのは鳩でした。だからぼくは、鳩や鳥が大好きになりました。

加藤――なるほど、そういうわけであなたの絵の中に鳥が数多く描かれているのですね。
またそこから、羽の生えた人物たち、という発想も自然に生まれてきたわけだ。

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「赤い国と水鳥の杖」

鈴木――フランス語では、鳩でも、神の使いをするような神聖な鳩は、雅語で「コロンブ」と呼び、町なかの鳩は「ピジョン」と呼んで、区別しています。で、あるとき、ぼくはコロンブに敬意を表すべく、パリの公園に夏になると開設される「移動遊園地」に出掛けました。ここには、乗った椅子がグルグル空を回る巨大な回転装置があります。そこに乗って、鳥の気持を追体験しょうと思ったのです。きっと爽快にちがいないと信じて。

加藤――で、その回転椅子に乗ってみたら、期待が裏切られた?

鈴木――まったくそうなんです。回転装置に乗って、ぼくは恐ろしさで、死ぬかと思いましたよ。それ以来、ぼくはなぜか有翼人間が、空を飛ぶ姿を描くことに熱心でなくなってしまいました。(笑)。でも、彼らは飛ぼうと思えば、いつでも飛べるのですよ。

加藤――それは、たいへんな経験をしましたね。その体験がもとで、あなたの世界の有翼者たちが、もっぱら地上を歩くことになったのは、せっかくの天使たちに対して何か気の毒な気がしますが。(笑)。いずれにしても、あれらの天使たちの姿やふるまいには、あなたの観念と体験が融合しているわけだ。

鈴木――そういうことです。

加藤――では、かりにあなたが描く「有翼型人間」、これを「天使」と呼んでおきましょう。あなたがこの天使たちを描き出したのは、ヨーロッパに住んでからのことですか?

鈴木――いや、もっと以前からです。ヨーロッパには旅行でよく行っていましたから、日本でも天使を描いていました。でも、ぼくが、「ぼくなりの天使を描くんだ」とはっきり心に決めて描いたのは、移り住んでからでしたね。

加藤――あなたはフォーレの「小ミサ曲」を彷佛とさせる「教会堂で響くオルガンと天使たち」で天使を描きましたね。あの天使の羽は透明です。これに対して、他の天使たちの羽は明らかに鳥型です。そこで、私はあの透明な昆虫羽が、あなたの最初の天使、ヨーロッパ生活以前のものではないかと見当をつけたのですが、その点はいかがです?

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「教会堂で響くオルガンと天使たち」

鈴木――あの絵の前後関係については、よく覚えていないのですが、おそらくあなたのいう通りでしょう。なにしろ鳩や鳥の羽を十分に観察して描いたのは、ヨーロッパに住んでからのことですから。寄って来る鳩を捕まえて、丹念に身体や羽の構造を調べ、スケッチし、そのあと放してやるということを何回も繰返しました。

加藤――鳩もびっくりしたでしょうね。なるほど、たいへんよくわかりました。

鈴木――でも、神のメンセンジャーという目的のない、ぼくの絵のなかの、人間、馬、牛、ライオンなどが、何故羽を生やしているのかと問われれば、それは詩的イメージとして魅力的だからというしかありません。

加藤――あなたは、鳥の姿を大変正確に描いておられますね。

鈴木――鳥は、胸や身体のシルエット、色など、実に美しいものです。この世では花が咲くので、世界はカラフルになっていますが、鳥も花のように、カラフルで素早く空を飛び回って、世界を生き生きとさせてくれています。鳥は自由に飛翔できるので、神話、民話などで、情報の収拾者として特権的な役割を与えられ、また、森の奥に住む鳥は、森の底知れぬ神秘さや暗さを象徴していて、モーツアルトの歌劇の中の「鳥刺しパパゲーノ」の例をあげるまでもなく、「鳥人間」という幻想的イメージが人々を魅了してきました。

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「月を乗せた小舟」

加藤――鳥が人に予言、予知能力を与えるという発想、そこから来る「鳥占」という習慣もかなり普遍的なものですね。

鈴木――この鳥を賛美する心理が、人やけものに投影され、詩的に変身する時、天使という有翼者を描かせるのが、ぼくの心理かとも思います。

加藤――なるほど、そうでしたか。

鈴木――ところで、天使は一般的に優美で善なる者であることが前提になっていますが、反面「堕天使」などという言葉もあるように、文学的には深みもあります。その昔、神の天使長だったルシフアーが、神の怒りをこうむり、地上に落とされ、悪魔の親分になったぐらいですからね。権威への反抗心が旺盛だったばっかりに、天から羽を折られて追放され、地上で、折れた羽根をぶざまに付けたまま、飛翔も出来ず、運命に耐え、生きる姿の「元天使」、そんな人間像も、これから天使のイメージの変種として描いてゆきたいとも思っています。

加藤――それは楽しみですね。空中では羽ばたく王者、けれど地上では翼という才能がかえって邪魔になるという、ボードレールの「あほうどり」や、佐藤春夫の「天馬行」の詩を思い出しますね。それでは、あなたの「有翼者」のキャラクターの、今後の発展と展開を大いに楽しみにしつつ、今回の対談をこの辺で終わらせていただきたいと思います。有難うございました。

   
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