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私の生活術
 
第5章 エピキュリアンの工夫

5-1.物品の標準化
 ここまでのところで、空間と時間に関する私の考えをご説明した。ここからは身の回りの物品とのかかわりをご説明する。思うに読者は、このように他人の生活内容のこまごましたことを知ったところで、何の得にもならないだろうと思う。各人には各人のやり方があり、おそらくそれには根拠なり、こだわりがあるのであって、それでこそさまざまな、多様な人々の暮らしが出来上がる。それは互いに似通っておりながら、どこか違い、その人の特性に結びついている。それはいまさら変えるまでもないし、すべて各人あるがままでいいのだ。
 ところで、私は「エピキュリアン」だ。このエピキュリアンという言葉は「快楽主義者」と安易に誤解されているが、本来のエピキュリアン、すなわち「エピクロスの徒」とは、毎日を快適に、ストレスや苦痛のない状態で暮らしたいと思う人々のことだ。エピクロスとその弟子たちは、実際にはごく質素な共同生活を実践したらしい。私は自分勝手に、エピクロスをストア的賢者の1人に加えている。
 エピクロスが語ったとされるところによると、「死後の世界」などというものはない。だから死ぬことをくよくよ心配することもない。人が死ぬとしても、そのときには誰もそのことを自覚しないのだから、何も思いわずらう必要はない。エピクロスはイエス・キリストよりも300年以上も前の人である。私には死後の幸福を約束するキリスト教の教えよりも、エピクロスの言っていることのほうが本当らしく思える。 さて、一人のエピキュリアンとして、日々を快適に過ごすにはどうしたらいいか? そのためにはできるだけ生活を単純化し、生活にかかわる要素を減らすことだと私は考える。当然不要なものは捨て、本当に必要なものだけを身辺に置く。自分にとって快適なもの、便利なものを選定し、それ以外は使わない。できるだけ気持ちのいい人とだけ付き合うようにする。自分がしたいことだけをする。不都合があればさっさと問題を解決し、不都合なままでは放置しない。
 できるだけ生活を単純化する、とはいっても、私たちは朝から晩までいろいろな「物」を必要とする。朝起きれば、顔を洗わなければならないし、歯も磨かなければならない。洗顔用具や歯ブラシといったサニタリー、トイレタリー用品とのつき合いが始まる。それにまた下着、上衣といった衣料品とのつき合いもある。食品しかり、文房具しかり、電気用品、寝具しかり・・という具合だ。私たちはこうした用具、道具と上手につき合う必要があるわけだ。
Honjitukagiri

 こうしたさまざまの「生活物品」とのつき合いで、私が心がけている原則は「標準化」である。これはいつも同じものを使うということだ。たとえば、洗剤、歯磨きクリーム、歯ブラシ、石鹸、ティシュー、消臭剤・・などの消耗品に関しては、購入する銘柄を決め、それだけを使用する。その代わり、気に入った品物を選ぶまではあれこれテストする。気に入ったものがきまったら、よほどのことがない限り浮気しない。こうすれば買うときに迷わないし、ストックする場所もきまってくるからスペースを合理化できる。
 もっとも、気に入った日用品を何年も続けて購入、使用できるかというとそうでもない。「これがいいから、続けて使おう」と決めたら、まもなくメーカーの都合で発売中止になった、などということはしばしばだ。娘には「父が愛用し始めると、すぐにその商品は発売中止になる」といって笑われる。メーカーにも都合があるのだろうが、私は大いに迷惑する。
 スーパーのコーナーなどで、よく「本日限りのご提供」などと叫びながらキャンペーンをやっている。私はどうしてほかの人が「本日限り」などというキャッチフレーズに飛びつくのかわからない。人生は長丁場なのだから、「本日限り」の商品などに用はない。それよりも永続的に安定した品質で提供してくれる商品の方がよろしい。

 

5-2.消耗品の日付け管理
 050512、050619、050724、050826 050930・・この数列が何であるかお分かりだろうか。これは私が新しい歯磨きチューブを使いはじめた日付である。これをご覧になると私が歯磨きチューブを約1ヵ月とちょっとかけて使い終わっていることが分るだろう。毎日適当に使っているのだから、もうちょっと数字がばらついてもよさそうなのだが、かなり規則性があることが分る。Misehajimeruno_2 私は洗面台の棚に小さな手帳とマジックペンを置いておいてある。そして歯磨きチューブ、洗剤、入浴剤など消耗品を使い始めるときに、その日付を記録する。容器に書ける場合には、容器に直接記入する。こうしておくと、どのくらいの期間で一つのパッケージを使い終わるのか分り、いま手持ちのストックが何ヵ月分に相当するか判断できる。
  ちなみに、私は常用の消耗品をかなり余分にストックしておく。いつぞや遊びに来た友人が、戸棚をあけて「店を始めるのか?」とびっくりしていた。「ラコニック主義なら、当用買いの方が合理的ではないか。どうしてそんなに洗剤やトイレットペーパーなどを大量にストックしておくのか?」といわれるかもしれない。だが私の考えはこうだ。こうしたものは腐らないものだし、あまり値段の張るものではないし、メーカーは勝手に、不意に発売中止にすることがある。かりにそういう事態が生じた場合には、次の商品を選択するためのリードタイムが必要だ。 それにまた室内の、不断使用しない収納部分にムリに空きを作っておく必要はない。それにまた買い物の不便ということがある。食料は鮮度が重要だから毎日買わなければならないが、買い物のたびにティッシュペーパーやトイレットペーパーをぶら下げて歩くというのは不合理だ。いずれは使うことになる物資は、まとめ買いで届けてもらったほうがいい。
 日付管理の件についてもう二、三ご紹介する。たとえば、シーツや布団カバーなどをクリーニングに出す。そしてクリーニングが戻ってきたときに、その日付をラベルに書いて、ビニールカバーの上からペタリと張っておく。こうすれば、いつ布団カバーを取り替えたのか見当がつく。別に他人に迷惑をかけるわけではないのだから、布団カバーなどいつ取り替えてもよさそうなものだが、日付の目安があると、自分自身に安心感がある。
Zubon_2 私は下着、靴、靴下、Yシャツ、ズボンなども標準化している。さすがにブレザーは標準化しそこなったが、ズボンの標準化には成功した。ちなみに、私のズボンはサイズも形も色も統一されている。色は原則として黒だ。黒のズボンであれば、少なくともブレザーとの色合わせを心配するというストレスから開放される。
 おそらくいつのことかわからないが、私は色彩感覚が良くないので、洋服の色合わせのことで人に「滑稽だ」といって笑われたことがあったのだと思う。なるほど私には色彩的なセンスが欠けている。だとしたら、いちいち色彩の問題で悩まなくていいようにすれば快適だ。そこで50歳台の後半まで、私は仕事着を紺のスーツに統一していた。  あるとき老後のことを考えて、黒ズボンとブレザーに切り替えた。というのも、「かりに私が70歳まで生きるとして、そのときに毎日紺のスーツを着ているだろうか?」と考えたのである。というわけで、私は上衣をブレザーに切り替えることに決めたのだが、このときに、ズボンを黒色で標準化した。なお10年ほど前、紺のスーツはまとめて処分してしまった。
 さて黒ズボンに統一すると、どれもまったく同じに見える。けれども季節に合わせて買って着ているのだから、生地の厚さはそれぞれ差異がある。統一しておいて、自分で見分けがつかなくなるというのはいかにも冴えない。そこで私はズボンの生地の厚さの順に管理番号をつけている。着るときにチェックしやすいように、前川の右のベルト位置に油性マジックで番号を書き込んでおく。朝起きたとき、気温や天候の具合を見ながら、「今日は3番にしよう」「今日は5番にしよう」などと決めるのである。

 
 

5-3.白の効用
 ズボンの色の話が出たところで、色の選択について。私が使っている食器はすべて白無地である。シーツやふとんカバーも真っ白だし、タオルもワイシャツも白で統一している。要するに、「自分には色彩センスがない」という自覚とコンプレックスがあって、有彩色のものや、柄物を選択する勇気が出ないのである。それと、白になじんでいるせいか、白い色の方が精神的に落ちつく。White 「白いものは汚れやすい」という人がいる。げんに百貨店で白いものを買おうとすると店員が必ず「白だから汚れやすいですよ」などという。私にはこの言葉の意味が分らない。おそらく白であろうと、灰色であろうと、茶色であろうと、汚れることに変わりはない。ただ、白いものが汚れるとそれが気になるということなのである。「気になる」ということはいいことではないか。汚れは清潔さに対する警告である。それは「洗いなさい」という指示である。
  私がここに引っ越す前、私はステンレスの鏡面仕上げの流し台を使っていた。これも買うときに「見た目にはきれいですがね、水滴が残ってもあとがつきますよ」といわれた。「それならいつも気にして磨くだろうから、なお結構」といって手に入れた。ということで、私は白いもの、光るものが好きだ。それは私になすべきことを教えてくれる。
 ところが白無地の食器を買おうとしたり、白いふとんカバーを探そうとして町へ出かけてごらんなさい。あるいは、ごくプレーンなデザインの道具を買おうとして探してごらんなさい。それは至難のワザであることがお分かりになるはずだ。ちなみにわが国の大手百貨店では、白い既成のふとんカバーは一枚も売っていない。私が使っているものはみな特注で作らせたものである。これほど私の求めているものと、げんに得られているものとの間に食い違いがあるのは、やはり私の色彩感覚がおかしいせいだろう。
 探しても見つからない商品の代表選手は来客用のスリッパである。スリッパではずいぶん苦労した。私が求めるスリッパは、単色で装飾のないビニール製で、履いたときにつま先部分が出る形式のものである。つま先が出ないものはたとえ利用頻度が少なくても細菌の巣になる。布製でつま先が閉じているものは、どうやっても清潔にはできない。 色彩音痴、デザイン音痴である私の「世の商品」に対する言い分はこうだ。日用品に関してメーカーはもっと「清潔」を心がけた商品、デザインを指向すべきである。スリッパにこだわって言うならば、メーカーの担当者は、自分でも履いてみて、スリッパの先が時間の経過とともにどのような衛生状態になるかテストすべきだ。

 
 

5-4.私の三種の神器
 せんだってこのコーナーで、お掃除ペーパーにつくゴミの話をしたが、そのゴミの量を一日0.3グラムとご報告した。するとある人から、「0.3グラムなどという微量をどうやって計量したのか」と質問があった。これに関して、私の生活を支える三種の神器についてご説明しておく。私の生活における三種の神器とは、「顕微鏡」「微量計量器」「ストップウオッチ」である。私は、自分がくわしく調べたい現物があるとき、この三種の神器を頼りにする。3treasure  顕微鏡は実体顕微鏡で、ふだんは100倍の倍率で使っているが、もっと細部を見たいときには交換レンズを使えば240倍にまで上げることができる。微量計量器はコンマ以下5桁までの微量を測定できる。この微量計量器は、秤の上の空気が動いただけでも反応するから、秤を囲むように小さなガラスの箱がついている。その箱の脇についているドアを開けて、検体をのせるのである。本当はこれほどの精度は不必要だったのだが、ついつい欲しくなり買ってしまった。ストップウオッチは、どこにでもあるアナログ式のものである。このほかに、筒型の重量計や細かい寸法をはかるマイクロメーターも持っているが、これはめったに使わないので、私の三種の神器には入らない。 「お前はなぜそんなものを持っているのだ?」と質問されるかもしれない。だが、それは質問するほうが変なのだ。「どうして君は自転車を持っているのだ」とか、「どうして君はピアノを持っているのだ?」とか尋ねる人がいるだろうか。もし持ち主が誰かにあえて聞かれれば、「好きだから」と答えるだろう。私も顕微鏡で物を見るのが好きで、何かと細部を確かめるのが好きだから持っているだけのことだ。
  私たちの生活は科学的世界に属する事物に依存し、科学は細部に関する認識を基礎にしている。近代的な天文学はガリレオの使った望遠鏡から始まったのだし、生物学や化学の発達も顕微鏡の存在なしには考えられない。もちろん、それらを駆使して研究をおこなうのは、専門の学者や研究者たちの仕事だ。だが、そうだからといって私たち素人が顕微鏡をのぞくことを禁じられているわけではないし、微量を検知することを禁じられているわけではない。それにまた、科学の本を読むことだけが科学に親しむことではないはずだ。
 「神は細部に宿る」といわれる。植物の葉や花や顕微鏡でのぞくだけでも、驚くほど美しい、非日常的な世界を見ることができる。それは自分だけが発見し、見出し、楽しめる世界である。同じ大きさに見える葉や木の実でも、測定してみれば、大きな重量のバラツキがあることがわかる。議論する前に、現物に当たり、現物に聞いてみる、これは研究者でなくても、人間としてすべき、ごく当たり前のことではないか。
 今のマンションに越してきたとき、洗濯機の調子が悪いことに気づいた。さっそくメーカーの担当者に来てもらった。私は黒い下着についている小さな白い斑点を示して、「どうしてこんな繊維くずが付着してしまうのか?」とたずねた。担当者は、その下着の白い斑点を見て「これは洗剤の結晶ですよ」などといっている。彼は私の使っている洗剤の品質が悪い、といいたいのである。だが、100倍程度の顕微鏡でも、こうしたムダな議論を粉砕するには充分である。そのメーカーでは、直ちに新品の洗濯機と無償交換した。 この話には後日談がある。交換してもらった洗濯機にも同様の欠陥があり、この型のものは性能が悪かったのである。私はこの洗濯機を使用する権利を放棄し、ずっと安い洗濯機を買った。その結果、洗濯時間は3分の1に縮小し、洗い上がりの問題もひとまず解決した。

 
 

5-5.先入れ先出し
衣類はきちんとハンガーにかけていさえすれば、その間に自らの本来の形を復元するようにできている。続けて同じものばかり着たり、ハンガーにかけないで放り出しておけば、どんなにいい衣類でも型崩れを起こし、品質が早く劣化する。歯ブラシ1日3回、同じ歯ブラシを使うよりも、3本の歯ブラシを朝、昼、晩と分けて使ったほうが長持ちする。同じことが靴や靴下や下着についてもいえる。
 そこで、「先入れ、先出し」の原則を用いて、使用するものをムラなく回転させるのが合理的ということになる。またすべての物の鮮度管理という点でも合理的だ。たとえば、冷蔵庫の中のものなど、気がついたら賞味期限をすぎていたとか、カビが生えていたなどということがあるのではないか。けれども、「先入れ、先出し」の原則を維持していれば、同じ冷蔵庫の管理に関しても物の置き方が変わるし、必要以上を買い込むこともなくなる。
 冷蔵庫の関連でいっておくと、私は赤い卵と白い卵を毎回交互に買うことにしている。よく「卵にまで番号を入れるのか」などとからかわれることがあるが、そんな手間のかかることはしない。新しく買ってきた卵と残っている卵を識別できればいいのだから、「赤白交互買い」で十分なのだ。それにまた賞味期限ラベルのついた卵も売っている。近頃はたいていの食品に賞味期限が記されているから、その数字を見ながら使用順を決めればいい。
Sakiire

たいていのものの「先入れ、先出し」には、数字管理の必要はない。 置き方、おき場所の管理だけで十分にできる。たとえば私は洗顔用のタオルを60枚、これも無地の白色、同じサイズ、同じ仕様のものをきめて使っている。平均して一日3〜4枚のタオルを使う。そこで、60枚のタオルは15日程度で一回りすることになる。私の場合、タオルを8つにたたみ、小口を右向きにして引き出しに入れておく。こうするとタオルは7〜8枚ずつの山になる。その山ごとに順次引き出しの中を移動させ、一番右側手前に本日使うタオルの山を持ってくる。乗せるときには上に積んでいき、出すときにも上から出すのだから、厳密には先入れ、先出しになっていない。この場合、一山ごとの先入れ、先出しとなる。
 下着の場合、たとえばパンツの場合は1シーズンについて同じ物を7〜8着を回転させる。下着はいずれも洗濯した後、筒状に巻いて、引き出しの中のケースの一番奥に入れる。このケースは100円ショップでまとめて買ってきたもので、ケースごとに下着の種類を区分して入れる。着用するときには、一番手前のものを引き出す。下着のたたみ方は、シャツであろうとパンツであろうと、筒状に丸めておくこと、決して二枚重ねないのが私の流儀だ。重ねてしまうと、先入れ、先出しがやりにくくなる。
 たとえば、夏から冬へと季節が変わって夏用下着をしばらく使わなくなると、私は筒状に丸めた下着に輪ゴムをかけておく。これで荷捌きが楽になる。その状態にしてから所定の引き出しに格納する。三寒四温といった季節の変わり目が問題だ。このような場合に備えて、引き出しの中にバッファーのケースを置いておく。つまり、端境期のためにきちんと分類できない下着は、このケースの中で管理する。

 
 

5-6.自分のためだけのベッド
 ベッドの話をする。何しろ人生の大半を寝て過ごす私たちにとって、ベッド、寝具は非常にもっとも大切な「物」ではないだろうか。人生の目的は、好むと好まざるとにかかわらず「寝ること」にあるようにも思える。私たちに昼間の努力のすべては、夜間快適に、安心して眠れるようにすることにあるとさえ思える。そうでなくても、私は眠りが下手なので、ベッドには自分の考えを100パーセント反映させている。
 子供のころ畳とふとんの生活をした記憶がのこっているせいか、私は毎日畳んだり、敷いたりする日本式の「ふとん」が好ましいと思っている。けれども、今になると布団の上げ下ろしは不便に思える。家具店や百貨店では、畳式のベッドも売っている。だがサイズが小さく、ベッドの下にムダな空間があるのが気に入らない。収納の引き出しつきのベッドもあるにはある。ところが、そのようなベッドは、サイズが気に入らない。あるいはクッションが気に入らない。どのベッドを見ても、この条件がよければ、あの条件が合わないというように、自分にぴったりのベッドがない。いろいろ試した結果、私はついに自分専用のベッドを作ることにした。図面を書いて、親しい内装店の人に依頼したのである。すごい値段になるのではないかとびくびくしていたが、市販のベッドの1.5倍程度の値段でできた。
 というわけで、私は自分の設計したオリジナル・ベッドを使用している。このベッドは畳敷きで、その上にふとんを敷く。このふとんも百貨店であれこれ注文をつけて、オリジナルを作ってもらった。既製品のふとんはふわふわしすぎているように思われるので、薄く、固めにしてもらったのである。ベッドの横には引き出しをつけてもらった。ここに常用の下着や靴下を入れるのである。したがって、朝起きてそのままベッドに腰掛け、足元の引き出しをあければ、その日に着用する下着が、引き出しの最前部から取り出せる。
 百貨店でオリジナル寸法のふとん、それにシーツやふとんカバーを作らせたときも、高くつくのではないかとびくびくしていたが、既製品とあまり変わらない。高級な既製品のほうが――たとえば、立派な新婚用寝具など――はるかに高額である。むしろ金額の問題よりも、特注条件をめぐって、百貨店の担当者とのコミュニケーションに大いに苦労した。Departmentstore たとえばふとんをしまっておく収納用カバーは、既製品には存在するが、オリジナル品には存在しない。規格外のものを取扱うという概念が彼らにはないのである。私がオリジナルの収納用カバーを買いたいといったとき、女性店員の答えは「当店ではお取扱いしておりません」という、そっけないものだった。私はすぐに上司を呼んでもらって説得にかかった。
 私はまず「どうして百貨店の値段がスーパーよりも高いのか、あなたは知っているか?」とたずねた。彼は「知りません」という。私はいった。「それは百貨店がお客のわがままを聞くからである。百貨店の売り場面積が広く、たくさんの品物が並んでいるのは君たちの手柄ではない。君たちの手柄は利用者のわがままを聞いてやり、利用者を喜ばせることにあるのだ。実際君たちはトップにもそのようにいわれ、部下にもそういっているのではないのか?」。こんな調子で脅したり、すかしたり、設計のねらいを説明するという苦労の末、やっと私の寝具一式が完成した。
 もっとも、枕の問題はまだ解決してない。結論からいうとどの百貨店にも私の希望する枕がない。例の売り場には枕の相談コーナーがある。寝具メーカーの社員が出張していて、希望すると頭の形や、寝たときの姿勢などを測定し、詰め物の素材などを説明し、彼らの「理想」をすすめてくれる。しかし枕の好みに関する個人差は、彼らの想定の範囲外にある。だから私にはまったく合わない。だいいち彼らの推薦品の多くは大きすぎて、寝ながら本を読むのに適さない。寝具メーカーは、私がベッドの中で本を読むことをまったく計算に入れていないのである。枕に関しては、結局のところ近くのスーパーから安い小型のものを買ってきて、詰め物の量を加減したり、補助的なクッションを工夫して自分に合った条件にしている。

 
 

5-7.槍が降ろうが白ワイシャツ
 私は雨が降ろうと槍が降ろうと、毎日白いYシャツを着ている。これも「自分には色彩センスがない」という避けがたい事実を踏まえ、あれこれ検討した結果、白で標準化したのである。私にはセーターやスポーツシャツ、Tシャツなどが似合わない。おそらく色彩センスの欠如と持って生まれた体型という二つのハンディのためだ。自己判断によると、ニュートラルな白Yシャツのときが、いくぶんましなであるような気がする。そこで、私はYシャツは何年かおきに10着ずつまとめて発注する。このときに、製造年月日と管理番号を襟のうしろに刺繍してもらう。この製造年月日と管理番号を見て、自分がその日に着用するものを決めるのである。Yariyari
  もっとも最近は管理番号のほうをあまり重視しない。製造年度で管理している。Yシャツを製造年別に底の浅いプラスチックの書類ケースに積み上げる。このケースに、シャツをの向きを交互にすると4着置ける。Yシャツがクリーニング屋さんから戻ってきたら、年月の分類別にケースの上に置く。取り出すときには、かならず下から取り出す。ケースが浅いから、取り出すのは簡単だ。こうすることによって自動的に「先入れ、先出し」ができ、同じものばかりを着ないですむ。
 白Yシャツにはメリットがたくさんある。どんなTPOにも即応でき、その場と服装とのアンマッチについて心配をする必要がない。亡くなった妻がよく「Yシャツ姿では窮屈でしょ。家ではもっとくつろいだ格好をしたら」といっていた。けれど私のシャツは、何度も試行錯誤の結果到達した、私にとっての究極デザインであり、寸法と生地である。
 たとえば、通常のYシャツの第一ボタンの位置は私には上すぎる。つまり第一ボタンをするとひどく首を締めつけられているような気がする。きっと体にも悪いと思う。そうかといって、ボタンをはずせば、襟元が広がりすぎ、冬など寒い。そこで私のYシャツの第一ボタンは、標準よりも4センチ下につけてもらっている。これだけの工夫で、ノーネクタイのとき首を絞めなくてすむし、それにまた襟元が開きすぎるということもない。同じく、Yシャツに関していうならば、袖口のパイ、袖の筒の太さ、胴回りの布のゆとり等に関して私は細かな注文をつけ、すべてその型で標準化してもらっている。
 私は「着るものでわが身を締めつけるほど愚かなことはない」と思っている。この考えが強すぎるせいか、私はネクタイを締めるのがへたくそだ。複雑な締め方を知らないし、もっとも簡単なやり方でも、じき曲がったり、襟元が開いたりする。そこでフックで止めるタイプの蝶タイで間に合わせることが多い。これだと失敗が少ないし、首にかかるストレスも少ない。同じ理屈で、私は胴体を締めつけるズボンベルトを用いず、原則としてサスペンダーにしている。人が見てどう思うか知らないが、自分自身には快適だ。ノー・プロブレムである。

 
 

5-8.パンツたずねて三千里
 私はパンツについて可能なかぎりの商品を試した。というのも、私の見解によれば、何が快適でなければならないといって、下着、それもパンツほど快適でなければならないものはないからである。しかるに、私の基準によれば市販品で私の要求を満たす快適なパンツはいまのところまったく存在しない。百貨店やスーパーなどの紳士用品の売り場はいつも注意して観察しているが、下着メーカーは何十年にもわたって私の要求を無視し続けている。
 「それならばオーダーもの」、ということで百貨店とかけあったがどうしてもオーダーのパンツを作ってくれない。やむなくインターネットで調べてみた。数は少ないが、やってくれるところはあるらしい。だが、いくつかのサイトから判断するに、オーダーの下着は趣味性の強いものばかりで、私の要求にはほとんど触れていない。私はごく普通の、当たり前の、快適なパンツが欲しいのである。ところがそれがないのだ。
 市販品の「何が気に入らないのか」といわれるだろう。理由はいろいろあるが、一つだけ大きな問題点をあげろといわれれば、私は「ゴムの締めつけが強すぎる」と答える。ちなみに私にとって快適なゴムの強度を測定してみると、胴回りにかかる圧力が500グラム程度のものがよろしい。500グラムの圧力であれば、どんなに跳んだりはねたりしてもパンツがひとりでに脱げてしまうなどということはない。さほどの圧迫感もない。
 もちろんこれは、パンツの自重との関係による。かりに圧力500グラム、自重500グラムのパンツがあれば、パンツは「自由」となり、人の動きにつれてすみやかに落下するだろう。幸いなことにパンツの自重はたいてい100グラム以内だ。だから自重との差400グラム以上を確保できれば、パンツは胴の位置に留まっていてくれるのだ。
 しかるに市販されているパンツのゴムの、胴体にかかる圧力は、私が使うMサイズのもので、1800グラムある。Lサイズのものを買っても圧力は1500から1600グラムはある。たとえLLサイズを買っても圧力はほとんど変わらない。どのタイプのパンツでも、高級品であろうと、低級品であろうとゴムベルトの圧力はほとんど同じだ。Pantuzuka ほかの人が着用した場合、どのように感じるのか知らないが、私の場合、市販品をそのまま着用すれば、体が上下にちぎれるような気がする。健康にいいはずがない。市販品は「殺人パンツ」なのである。世間の男性が、よくあの1500グラム以上のパンツの圧力に耐えていると、私はほとほと感心する。同じことが靴下の「口ゴム」についてもいえる。靴下についても、語るべきことはたくさんあるが、とりあえずここではパンツの話に限定する。
 私はパンツを買ってくると、ゴムベルトの部分にはさみで、約5センチおきに大きな穴をあける。はさみを入れた部分ではゴムベルトの幅が5ミリ程度になる。それから筒型の重量計でゴムの圧力を測ってみる。圧力が500グラムにまで下がれば、安心して着用できる。これまでいろいろな方法でゴムの圧力を下げる方法を試したが、この「穴あけ方式」以外はことごとく失敗した。この方式に到達する前に、私が実験のために捨て、あるいは切り刻んだパンツは数知れない。「パンツ塚」を建て供養しなければならないほどだ。

 
 

5-9.普段着とよそいき
 私にはプライベートなときの普段着がないかわりに、よそ行きもない。出かけるからといっても、人が来たからといっても特別に着替えもしない。要するに配慮するのは主として温度に対してだけである。人がいないからといってYシャツを脱ぐわけでもない。だいいち私の場合、Yシャツを脱いでも代わりに着る物がない。普段着、よそ行きがないということは、要するに「一張羅」がないということだ。「モーニング」「タキシード」「喪服」を一張羅といえば、一張羅だが、これらは例外だ。要するに下着や洋服の選択はすべて天候に依存する。
 少年時代の私の家は貧しかったので、母は子供に粗悪な生地の洋服を着せ、破れたらつぎあてるという方法で対処しなければならならなかった。このような条件下では色彩センスなど育つはずがない。この洋服コンプレックスは、私の洋服に関する態度決定に影響した。私は自分でお金を使えるようになると、少々ムリをしても、名の通ったテーラーで洋服を仕立てさせるという方法でコンプレックスを克服することにした。
 だから今日私が着ているものは、ズボン、Yシャツ、ブレザー、コートなど、みな同じテーラーのもので、過去30年以上にわたって、寸法、仕様がほとんど標準化されている。これについても、人に「保守的なデザインだ」といわれたことはあるが、着心地がいいので、私としては満足している。かりに気に入らないものがあるとすれば、とことん直してもらうか、いさぎよく処分する。
 私の計算によれば、私がいくら長生きをしても、今手持ちの洋服を全部着つぶすなどということはできない。私が死んだあとで、誰の寸法にも合わないような洋服が残ったとて何になろう? だから、私はよそいきも普段着も区別する必要がない。それよりも日々の暖かさと着心地の方がはるかに大切だ。これ、すなわちエピキュリアンの思想なのである。Kiteokeba 流通関係者の次のような話を聞いたことがある。「デパートの紳士服売り場に、平日一人で買いに来られた中年男性は要注意です。次の日曜日にはかならず返品になる。なぜかというと、奥さんに『どうしてこんなものを買ってきたんです?』と叱られるからです。そして奥さんと一緒にもういちど品物を選び直しです」。事情はわかるような気がするが、それほど世の中年の男性諸君に主体性がないとは思えない。
  私は、洋服を含め身の回りのものに関してはすべて自分で決定し、店員の助言は別として、他人の容喙を認めない。誰かに相談する癖がつくと、相談なしでは買い物できなくなくなってしまうのではないかと恐れているのだ。だからこの点では、亡くなった妻から見て私は手のかからない亭主だったはずだ。 「あなたの奥さんは、冷蔵庫の中のものまでチェックされて、大変だったのでは」という人がいるかもしれない。この点についてもいいわけをしておく。妻の支配権にかかわる領域は、私には治外法権であった。冷蔵庫の中を見て、何か意見をいいたくなると困るから、なるべく見ないようにしていた。それに妻の名誉のためにいうならば、彼女の管理が悪くて生活に支障をきたしたことは一度もなかった。

 
 

5-10.我慢は美徳か
 ある朝タオルで顔を拭いたとき、タオルにちょっとした臭気を感じたことがあった。洗濯機のドラムに顔を突っ込んでにおいを嗅いでみたが、どうやら洗濯機はシロらしい。引き出しの中のタオルを調べてみると、本日入れたものには匂いがついていない。これは引き出しそのもの、おそらくは木材から出ている匂いであるらしい。気になりだすと気になる。
 私は試供品としてもらった香水の細長いガラス瓶があったことを思い出し、このガラス瓶のふたを取って、ビニールテープで、引き出し内側の、目立たないところに貼り付けてみた。こうすると、引き出しの開け閉めに応じていい香りが出てくるに違いない。これは大成功だった。今では、私のタオルに香水のいい香りがかすかについている。この成功に気をよくして、トイレの中の小さな観音開きの扉や、下着を入れる引き出しにも香水の試供品を貼り付けている。エピキュリアンたるもの、快楽を得るための工夫は惜しまないのだ。
 誰もがやっていることだろうが、住まいを快適にするために、ちょっとした工夫が有効であることが多い。たとえばシステムキッチンの場合、たいてい調味料入れの、タテに細長い引き出しがついている。ところがあの中に調味料のビンをいくつか入れて引き出すと、ビンがみんな倒れてしまう。私は引き出しの中に小さなプラスチックの仕切りを入れた。これで勢いよく引き出しを開け閉めしても中の小瓶は倒れない。
 キッチンの引き出しに限らず、大きな引き出しの中にはたいてい仕切りがない。深い引き出しをそのまま使えば、中身を雑然と入れることになり、下に入れたものを取り出せなくなる。中身が引き出しの出し入れでがたつくと、何もかも入り混じってしまう。こうしたことを防ぐにも仕切りが有効になる。私は台所の引き出しについては、プラスチックの仕切りを特注制作したし、その他の引き出しには100円ショップのプラスチックかごや書類ケースを入れている。扉つきの収納棚にも100円ショップのかごやケースが大活躍する。
Hanger
 皆さんは毎日仕事で持ち歩く書類かばん――アタッシュケースや、コンピュータなどを入れる布製のかばん――を、室内のどこに置いているだろうか? 改めて見直すと、住宅には書類かばんの置き場所がない。いっておくがデスクサイドの床に置くのはご法度だ。どんなスミに置こうとも床の神聖性は冒されるし、邪魔なものは邪魔だ。そうかといって、収納棚などに格納したのでは、すぐ持ち歩くのに不都合だ。私はこの問題で長い間悩んだ。
 最終的にかばんを「洋服かけ」のパイプから吊るすことを考えつき、2つのS字型の金具を組みあわせてかばんを吊るしていた。こうすれば、洋服を着替えるときに一緒にかばんを持ち出せるし、かばんを床に置かずにすむ。しかし2年ほど前、100円ショップで上下が自由に回転するS字金具を見つけた。これを見つけたときはうれしかった。これだと金具一個でスマートにかばんを吊るせる。金具の向きを途中で90度変えれば、かばんは洋服と平行に並ぶ。この金具が100円とは安すぎる。
 私の湯沸しポットは水を入れようとしてふたを全開にすると、上ぶたの内側の水滴がポットの後側外部に流れ出す。この水はうっかりするとコードの接合部分を濡らすこともあるから大いに危険なのだが、メーカーはこんな欠陥商品を平気で売っている。私はふたをあける角度や速度を幾度も工夫してみたが、この水垂れ問題を解決できなかった。ところがあるとき、この問題を非常に簡単な方法でクリアした。どんな方法かって? これは読者の皆さんへの宿題にしよう。
 一般的には「我慢は美徳」と思われている。私は我慢を少しも美徳と思わない。それは問題解決を先送りしていることであり、問題解決に対する精神的怠惰を意味するに過ぎない。我慢をしなければならないときこそ工夫のしどきである。それにまた自分が発明、発見した工夫、問題解決法には、人にはいえぬ満足感がある。私はこれからもさらに、身近な工夫のネタを拾って過ごすつもりだ。

 
   
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