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私の生活術
 
第6章 ハウツウ散歩

6-1.運動不足のツケ
 12、3年ほど前になるが、私は体調を崩してしまった。なぜかひどく寒がりになり、身体のあちこちが痛むようになった。はじめに薬屋に行って「体が冷えて仕方がない、何かいい薬はないか」とたずねたところ、その薬屋の親父はなかなか賢かった。「それは悪い兆候だ。その証拠に死人の体は一番冷たい」といってくれた。そのころはたとえば、シャツの縫い目や、ゴム編みの部分が身体に食い込むような気がしてその部分がひどく痛くなる。私はシャツを裏返しにして着ることを思いついた。また、靴下のゴム編みの部分を切り取ることを思いついたので、早速実行した。現在でも下着を裏返しに着る方法は続けている。皮膚の痛みはすっかり取れたが、裏返しに着たほうが快適であることは間違いないし、私が下着を裏返しに着ていてもそれを気に病む人はいないからだ。
 ちかごろではゴム編み部分のない靴下がだいぶ売られるようになった。これは明らかに進歩だ。しかし、これは前章でも述べたことだが、男性の下着に関してはメーカーはまったく怠惰であって、本質的な快適さにはほとんど無関心である。これは消費者である男性諸君の鈍感さにも関係があるかもしれない。Photo_2  さて、当時の私は悪寒がますますひどくなり、夏でもベッドに電気毛布を敷いて、さらに足元には湯たんぼを入れて寝るほどになった。それでもまだ仕事は続けていたが、いささかつらかった。会議が終わった後、お客さんに挨拶しようとして頭を下げたら、バランスを失ってそのまま床に倒れ、動けなかったこともある。とうとう大嫌いな病院にいって症状を訴え、相談した。 あちこちたらいまわしにされて検査を受けた。ところが不思議なことに、あれこれ検査しても「別に大きな異常はない」「よくわからない」という。いっておくが、これは都内でも名の知れた大病院である。これでは、例の薬屋の親父の診断以下ではないか。要するに病院は病人の苦痛よりも、検査データを重んずるらしいのだ。私は執拗に自分が何らかの病気であることを主張し、結局「自律神経失調症らしい」ということになった。
 最近は、自律神経失調症に対してはホルモン剤を投与するなどの治療法が実用化されたらしい。私のころにはこれといった治療法や養生法はなかった。仕方がないので、しばらく漢方医のもとに通い、「冷え症」の薬をもらって飲んでいた。いずれにしても体調不良のため日々怏々として楽しまないので、自分なりに思いつく原因と症状を100枚以上のカードに書き出し、KJ法で分析してみた。
 すると、ごく単純な「運動不足らしい」という結論が出た。そこで健康回復のメニューのひとつとして毎日散歩することにした。当時私は歩けば5分というような場所に行くにもクルマを使っていたのである。運動といっても、はげしい運動はする気になれないし、長期的に続けられなければ意味がない。散歩なら継続できそうに思えた。
 ところが、今から考えるとおかしいのだが、散歩といってもそれまで散歩などしたことのない私は、どこをどう歩けばいいのかわからない。近所の学校の周りを歩いて、自分としてはずいぶん歩いたような気持ちになり、帰ってから歩数計を見たら、たったの800歩しか歩いていない、などということもあった。たった4000歩しか歩かないのに、翌日脛の筋肉が痛んで参ったこともあった。

 

6-2.樹木の名を覚える
「散歩なんて、どこでもいいから歩けばいいのだから、何も問題ないじゃないか」といわれるかもしれないが、ただ「歩く」という目的以外に目的のない散歩は案外つらい。私のようなせっかち人間には、無目的に何かをするということがつらい。だから毎日欠かさずに歩くには、それなりの方法が必要になる。ラジオを聴きながら歩いたり、詩句を暗記しながら歩くという方法も試してみたが、どうもぴんと来ない。
 そのうちに、せっかく外の世界を歩くのだから自然を観察するのがよかろうと思いつき、私は歩きながら街路や公園などに生えている樹木の名を覚えることにした。これはうまくいった。見かけた木の形を記憶にとどめ、葉っぱなどはちぎって持ち帰ってくる。家に帰ってから植物図鑑で木の名を調べるのである。私は中学生の頃に、蝶の採集に熱中していたことがあったので、そのときのことを思い出して実行した。
 はじめのうち現物から正しい木の名にたどり着くまでに手間取った。それにいったん覚えたはずの木の名が出てこない。いつも同じ木の前に立ち止まって、「えーと、これは何だっけ。ケヤキだったか、シラカシだったか」などといっている。その「ケヤキ」という名さえ出てこないこともある。しかしどんな愚か者でも、同じことを継続していれば覚えるものである。62konoki しだいに覚える木の名が多くなり、それとともに散歩の距離も伸びた。また歩くこともほとんど苦にならなくなった。当時私は世田谷等々力に住んでいたので、10分ほど歩くと駒沢公園にたどり着く。はじめのうちは遠く感じた駒沢公園までの距離もさほど感じなくなり、しまいには公園の中をぐるぐる回って帰るようになった。公園の中の主な木には名札がついている。これには助かった。新しい名の樹木を追いかけ、その外観や特徴をつかむ。花どきには花を鑑賞し、新芽の美しさを鑑賞し、紅葉、そして冬を越す植物の姿を観察する。するといつの間にかかなりの距離を歩いている。
 ほかの人はどうか知らないが、私は自分自身のことに注意を向けているときには何ごともうまくいかず、外部に注意を向けているときには物事がうまくいくという気がする。体調が悪いときにはどうしてもすべての注意は「自分」に向かってしまう。何かに夢中になってときは「外界」に注意が向いている。アランが「遠くを見よ」といっているのはこのことだと悟った。 次に私は自分なりの樹種カタログを作ることを思いつき、木の形や、葉っぱや、花などのスケッチをカードに記し、木の名を記しておくことにした。原則として1枚のカードに1種類の樹木の名前を記入し、樹形や葉や花の形などを記入してゆく。自分が好きな樹木に関しては、1枚のカードで足りなくなり、1種類で数枚になることもある。私の樹木カタログは次第に増え、300種類程度になったところで一応頭打ちとなった。私の散歩見聞の範囲、それに私の観察のレベルでは、これ以上の樹木の数を増やすことができなかったのである。このカードを集積したノートは、今でも私にとって最良の樹木辞典である。もちろん自分の見聞範囲のことだから偏りはある。けれど、これは世田谷を中心とする都内の樹木をかなりカバーしているはずだ。
 カタログ作りに平行して、私の家の近所に生えている巨木、銘木の地図、「ツリー・マップ」を作ることにした。大きな模造紙に日ごろの散歩圏内の白地図を作り、そこに見当をつけて樹木のスケッチを記入する。自分なりに樹木の格付けを行い、所定の格付けに達しない樹木は記入しない。このマップに記入されるには、ともかく樹木が大きく年功をへていること、形がすぐれていること、たとえサイズは小さくとも都会にはめずらしいもの、などという条件が必要である。格付けの審査員は私一人だから、独断と偏見で審査する。マップを仕上げると、私は色鉛筆で着色し、タイトルをつけ、地図の端に署名して大いに悦に入った。
 このマップ作りは、散歩のためのいい材料になった。というのも、まずどこに何があるかを調査しなければならないわけだから、どうしてもまんべんなく歩かなければならない。樹種と場所を覚えてきたつもりでも、あとで自分の記憶の確信がぐらついたりする。すると再度同じところへ出かけなければならない。というわけで、このマップ作りをしている期間は、私は歩くことよりも調査のほうに夢中になった。

 
 

6-3.好きな木、嫌いな木
 樹木を見慣れてくると、樹木の個性と美しさがわかるようになる。それにまた、自分の好みが分ってくる。たとえば、私の好みはいわゆる広葉樹系であることが分った。はじめはカシやスダシイ、タブなど、目立つ常緑樹に惹かれたが、そのうちに常緑の大木はうっとうしいという感じがするようになった。反対にコナラ、クヌギなど、昆虫が好む木が好きになった。嫌いな木もはっきりしてきて、たとえばアオキなど、木に罪はないのだが、なんとなく憎たらしく思える。
 それにまたみごとに成長した巨木には迫力があり、一種の風格が生じる。昔の人がそれぞれの土地の巨木を「御神木」として崇めた気持ちがよくわかる気がしてきた。そこで私は自分がひどく気に入った木には勝手に固有の愛称をつけた。いずれも公共の樹木、あるいは他人の家の樹木だが、そんなことはどうでもいい。63castol 私は何本かの自分の「お気に入り」の木の監視役だ。それぞれのコースに「お気に入り」があるから、毎日それを見、その変化をチェックして帰ってくる。というわけで、私がもと住んでいた家の近所には、「カストール」「ポリュデウケウス」「ヘクトール」などと私に命名された大樹が、今でも亭々として茂っているはずである。
 あるとき私は、日ごろ歩いたところのない芝近辺の住宅地にまで足を伸ばしていた。するとちょっと開けた広場があって、その一角にケヤキが7、8本が立っていた。ところが、このケヤキはかわいそうに地上5メートルほどのところで一律に切られてしまっていて、枝がなく、もちろん葉も一枚もない。根本の幹周りはどれも1メートル50センチぐらいはある。私の銘木マップに載せてもいいくらいのサイズだ。
 もしこの木が、根本のところで切断されていたなら、私はあれほど心を痛めなかっただろうと思う。ところが、このケヤキはいずれも地上から5メートルほど立ち上がったところで切断されているのである。なぜか、この光景はひどく残酷なものに感じられた。おそらく、これらの木たちは近隣住宅の日照を妨げたために、処刑されたに違いない。私は熱狂的な環境保護信者ではないが、このときばかりはケヤキの遺体が晒し者になっているような気がして、暗澹たる気持ちになった。
 それと同時に、私は自分の心境の変化に驚いた。なぜならば、数年前までは私はどれがケヤキでどれがクスノキかも知らなかったのである。おそらくその時だったら、この広場にやってきてこの切られたケヤキの姿を見ても、何も感じなかったに違いない。これらの木があることにさえ気づかなかったかもしれない。私がやったことは単に散歩するということだけであり、便宜上「木の名を覚える」ということだけだったのだ。しかるに、私はいつの間にか樹木愛好者になっていたのである。

 
 

6-4.消えたセンダン
 これも白金の目黒通りを散歩していたときのことだが、すばらしくいい香りがすることに気づいた。ふと見上げると大きなセンダンの木に花が咲いていたのである。これは紫色の、どちらかといえば地味な花だが、その香りは格別である。単に「いい香り」というだけでなく、香りが上品で格調高い。要するに「栴檀は双葉にして芳し」といわれるだけのことがあるのだ。以来私はここを通るたびにセンダンの木に注意していた。秋には落ちている実を拾って帰ったこともある。センダンに限らず、私は小さな葉を持つ喬木が好きだ。64sendann ところがこのセンダンはまもなく消えてなくなってしまった。当該地に建設計画が始まったのである。切られたのか、あるいは単に移植されたのか、そのところは分らない。しかし、私は自分の財産を、誰かに勝手に持っていかれたような腹立たしを感じた。その木のオーナーが聞いたら「余計なお世話だ」というだろう。しかし年功をへたいい樹木は、かならずしもそのオーナーだけの持ち物ではない。というのも、その木がそれだけに育つには、現在のオーナーの努力だけでは足りないからである。それは前の代の人の環境づくりや、太陽や水や周囲の人々の配慮の賜物でもあるのだ。
 白金のセンダンほど立派なものではないが、中原街道に面した薬科大学の前にもセンダンの木が生えていた。この木も今はない。木があったところにはマンションが建っている。五反田近辺の高速道路わきの安全地帯には立派なアキニレが生えていたが、これも工事のためになくなった。アキニレに関しては、大崎陸橋の側にも二三本の、葉つきのよい比較的大きな木が生えていたが、これも開発工事のために姿を消した。
 私はほかにもセンダンの木があるところを知ってはいるが、目黒通りの木は都内にはめずらしい立派なものだった。アキニレもセンダンよりは数は多いが、一定の大きさのものになるとめったにお目にかからない。もちろん何の木がどこで、どんな運命にあおうと、私が心配する必要はないのだし、たとえ心配したところでどうにもなるものもない。だが、「木の名を知った」ということだけでこれだけ感情移入ができるようになってしまうというのは、われながら驚きだ。子供たちに下手な環境教育をする前に、木や草花や昆虫の名を覚えさせることの方が効果的ではないかとも思う。
 というようなわけで、わたしはいつの間にか散歩常習者となり、今でも午前1回、午後1回、一日最低10000歩になるよう散歩の習慣を維持している。おかげで体調はかなり回復した。自分としては医者の薬よりも、散歩の方が効果的だったのではないかと思っている。2年ほど前から住まいを世田谷から大崎に移した関係で、美しく大きな木を毎日見る楽しみがなくなってしまった。引越しをしていちばん残念に思うのはこの点である。

 
 

6-5.お正月の散歩
 私の仕事場はしばらく戸越公園の近くにあった。そこで戸越公園の近くも散歩した。平塚の交差点付近には、私の行動範囲の中では唯一見かけるハナノキという植物が街路樹として数本植えられている。これはカエデの仲間で、春先に葉の出る前に一瞬だけ花が咲く。赤くてきれいな色だが小さく地味で、雄花と雌花とが別だ。私はこのように地味で、よく見ると美しい花が大好きだ。この木の花どきは「一瞬」というのはおおげさかもしれないが、花が見られるのはいいところ1週間だろう。極端な季節限定品だ。このタイミングが難しいために、私はその下を通りながら2、3年ハナノキがあることに気づかずにいた。
 珍しい樹木が花をつける時期、あるいは美しい新芽を出すとき、そのタイミング狙って現場を訪れ、ねらい通りの景色を見るのは、また別種の楽しみである。昨年は、わざわざ桐ヶ谷にあるハクウンボクの花を見に行ったのだが、タイミングが遅れたために花はすでに実になりかけていた。こんなときには樹木に申し訳ないような気がする。せっかく招待されたコンサートを聴きそこなったような気分である。65shogatu 私は日曜日もお正月も関係なしに仕事をする。いまは毎日がほとんど日曜日だから何ら問題はないが、昔から日課は日曜であろうと土曜であろうと、平日と同じように実行する。動物には日曜日はない。だから、牛や馬を飼っている人には日曜日も祭日もない。日曜日だからといって、牛に餌を与える仕事をしなかったらどうなるか。私は「私」という動物を飼っているわけだから、平日と同じ日課で自分自身をメインテナンスするのである。
 というわけで、私はお正月も日課にしたがって散歩する。お正月の散歩はひじょうに気分がいい。午前中はほとんど人が通らない。そこで私は、戸越界隈の、お正月だけの観察散歩をおこなうことにした。つまりお正月飾りの有無、種類などを記録することにしたのだ。この観察はお正月時期しかできないから季節限定メニューだ。ここにあるのは、2002年から3年間の平塚二丁目付近の、戸建ての家におけるお正月飾りの有無と、種類別分布状況である。区分と命名は私にきめたもの。
 ちなみに、「松飾り」というのは、松の枝を門に打ち付けたり、結わえたりするもの、「正面飾り」は、わらで作ったシンメトリーの飾りで玄関の正面に配置される。正面飾りの高級品にはミカンがついている。「リース」の形状は多様だが、いずれにしてもリング状になっているものである。「輪飾り」は、わらで作られた小さな注連縄。小さいリングに長い二本足がついている、あれだ。
 これはまったくいい加減な調査だ。戸建てといっても、お店をかねた家もあり、本当はアパートかもしれない家も混じっている。だから、対象の定義が厳密でない。それに正月で人通りが少ないのをいいことに、私の日常の散歩コースに沿って人の家の玄関を覗き込み、観察結果をコソコソと小さな手帳に記録していくのだから記録は不正確だと思う。前年と同じコースを歩いたつもりだが、そうでもなかったらしい。なぜか2004年度のものはサンプル数が多くなっている。いずれにしてもサンプルのとり方も正月飾りの定義も、いい加減なのだ。それにまた数はごく少ないのだが、一戸で複数の飾りをつけているものがある。これはダブルカウントしたから、数はかならずしも戸数と合致していない。Deta この正月飾りを見ながら歩いたとき、私は「年々正月飾りをしない家が増えていくのではないか」という仮説を持った。また、伝統的な「正面飾り」よりも、たとえば「リース」のような、なにがし洋風の飾りが、年々増えていくのではないかと思った。ところが、この3年間の、あまり厳密でないデータを見ただけでも、私の予測はみごとにはずれていることがわかる。ただこれで見ると、この地域の家では、3件に1件が正月飾りという習慣を放棄しているということ、この地域では松飾りが主流である、ということは分る。
 私はこの正月飾りの観察を通して、地域に長年住んでいる住民は、少なくとも代替わりをしないかぎり、正月飾りのような伝統的な習慣を変えることはないのだ、と思うようになった。習慣の変化が生じるのは、おそらくよそからの住人の流入と、世代交代のときであろう。あと数年後、まだ私がしぶとく生きていたら、同じところを同じように観察して回ってみようと思う。

 
 

6-6.「チョウ」の目撃記録
 これも2003年の9月はじめに思いつき、その年の10月末まで続けた短い観察記録がある。それは飛んでいる蝶の目撃記録である。私は中学生のころ蝶の採集に熱中した。あれから55年以上たつのだがいまでも蝶の形と名前を覚えていて、飛んでいる蝶を見ても、たいていはその蝶の名が分る。そこで、これも例によっていい加減な方法で調査をスタートした。自分がその日散歩で見かけた蝶の名前と個体数、その日の天候、個体を見た場所を、帰ってきてからエクセルのシートに記録しておくのである。たとえば、「9月6日、晴れ、アカタテハ 2、たけのこ公園付近、アベリアの花」という具合である。
Monshiro_2 この調査を思いついたのは、その年の8月の末に田舎を旅行することがあって、そのとき、田園地帯に蝶の姿がほとんど見られないことを実感したからだ。これはあくまで感覚でものをいうのだが、田園地帯よりも東京都区内の方が、一定空間にいる蝶の密度が高いのではないか。農薬が田園の昆虫たちを抹殺したのだと思う。戸越銀座付近など、都心に近く、家々が密集し、人の数は多いのに、多数の蝶が飛んでいるのを見かける。そこで都内に見かける蝶として、どんなものが棲息しているのか、ある程度観察してみようと思ったのである。
 この調査は年間を通して同じ場所で実行しなければ意味がない。季節によって飛ぶ蝶の種類が違うからだ。私はこれを秋の2ヵ月弱しかやらなかった。10月末、二三日雨が降った後、蝶の姿が見えなくなってしまったし、翌年の春には私は引っ越すことになってしまった。そんなわけで、ごく限られた、秋の一時期の記録に過ぎない。
 私のエクセルシートから蝶の種類と個体数を拾ってみると、ヤマトシジミ13、モンシロチョウ8、シロチョウ4、セセリチョウ5 イチモンジセセリ3 アオスジアゲハ3、ナミアゲハ3、ルリシジミ3、アカタテハ2、モンキチョウ2、タテハチョウ1、スジグロチョウ1、クロアゲハ1となる。セセリチョウとイチモンジセセリが別々になっているのは、セセリであることは分っているのに、どの種類か特定できなかったからだ。同じくシロチョウ、タテハチョウなどというのも、具体的に名前を特定できず、科名だけを記したものである。
 もちろん、この観察結果には何らの価値もない。散歩のコースで、私がはじめに見かけたモンシロチョウが、私を追い越して2匹目の固体として私にカウントされた可能性があるし、同じ固体が何日にもわたって見られた可能性も高い。見かけた蝶はいずれもごくありふれたものばかりで、とりたてて新しい発見はない。ただ、東京の住宅街は、思っていた以上に人間と蝶が共存できる空間だったのだということが分ったし、アカタテハやモンキチョウを見つけたのはうれしかった。

 
 

6-7.蝶への思い再燃
 ある日私は中原街道で、1匹のゴマダラチョウをみつけた。これは飛んでいたものではなく、路上に横たわっていたのを拾ったものだった。よく見ると、どこにも傷んでいない。寿命が尽きてから間もないのか、乾燥してもいない。私は家に帰って発泡スチロールで応急の展翅板を作り、標本を作った。展翅板とは、蝶の羽を水平に広げて標本を作る台である。
 その後、大崎でアオスジアゲハ1匹、さらにもう1匹のゴマダラチョウを路上で採取し、展翅標本を作った。また2006年に入って、前翅に美しい紫色の金属的な光沢をもち、後翅にかすかな突起を持ったシジミチョウを見つけ、これも持ち帰って標本を作った。これも陸橋の上に横になっていたものだ。このシジミチョウはかなり損傷していたが、とても美しい蝶だ。私としては始めて見るもので名前が分らない。手持ちの図鑑を当たったが、よく分らない。3 そこで私は標本の写真をとり、郷里にいる昔の蝶仲間、H君のところへ送って同定をしてもらうことにした。写真を送ってから3日目には、さっそく返事が来たので、その一部をご紹介しよう。「蝶の同定。『ムラサキツバメ♀』です。・・近似種に『ムラサキシジミ』もいますが、後翅に突起がありません。♂は全翅ムラサキ色ですが、♀は前翅中央のみがムラサキ色です。・・東京という高層ビル、アスファルトジャングルの大都会で捕獲されたのはたいへん珍しいことで・・」とある。私はすっかりうれしくなってしまった。久しぶりに、昆虫少年に戻ったようで、胸のときめきを覚える。
 友人H君からの情報とインターネットからの情報などを総合すると、もともとこのムラサキツバメは南方のチョウで、かつては西日本だけに見られたものらしい。ところが近年、地球温暖化が原因かどうか知らないが、関東地方にも移り住むようになったようだ。私が子供のときに住んでいたのは東北の町だったから、ムラサキツバメは見ることも採取することもなかった。この蝶の発見とH君からの手紙は、私の蝶に対する関心に再び火をつけてしまった。
 私のマンションの隣のビルの前にアベリアの植え込みがある。ご存知のように、アベリアは夏から秋にわたって小さな花をつける。日当たりがいいところでは冬でも花が咲いている。甘くいいにおいがするので、蝶や蜂たちが集合する。見ていると、蜂やシジミチョウ、それにセセリチョウなどに混じって、明らかにヒョウモンチョウが飛んでいる。私の中では、ヒョウモンはかなり格付けの高い蝶である。
 注意してみると、中には羽の先端に黒と白のぶち模様がついたものが混じっている。この蝶が飛ぶときには、風車の飾りのように白い部分が回転する。「あっ、あれはツマグロヒョウモンだ!」。私の胸ははげしく高鳴った。これも南方系の蝶で、私の田舎にはついぞ見られなかった種類なのである。私はどうしても「生きているあの個体が欲しい」という欲望を抑えることができなくなってしまった。 Kontyuboy 「ああ、捕蝶網があれば、すぐにでもつかまえられるのになあ」。「ちょっと待て。これまでキミが入手したのは生きた個体ではなかった。しかるに、あれを採ればキミは環境破壊をすることになるのではないか? いま飛んでいる蝶を捕まえて、キミの良心は痛まないのか?」。「いやいや、もう10月だ。彼らの産卵はすでに終わっている。彼らの使命は終わったのだ。キミが捕まえなくても、あのチョウは間もなく寿命を終えるのだ」。
 私は心の中で上のような問答を何度も繰り返した。思いはますますつのる。あの蝶が欲しいという気持ちをどうしても抑えきれない。私は釣具店で小さなタモ網を手に入れ、網を柔らかい布に取り替え、手製の捕蝶ネットを作った。現在、私の標本箱にはツマグロヒョウモンが雌雄ペアできれいに展翅されて収まっている。かくして私は70歳の、罪深い昆虫少年となった。

 
 

6-8.ケータイのオリンピック
 大崎に来てから、植物、蝶とともに私の散歩中の観察対象の一つとなったのが、「人間」である。私が散歩で遭遇する人間の個体数が格段に多くなってきたからだ。品川、大崎、蒲田にかけては地理がとても複雑だ。がんらいひどい方向音痴である上に、地形が複雑で、道路が込み入っているので、私はまだ付近の道路を完全には覚えきれない。それに人の歩く路面が十分に確保されていないところが多く、危なくて仕方がない。そこで私の散歩コースは安全を最優先に考えている。
 ちなみに一番気に入っている散歩コースは駅前の通り抜け、駅の品川よりの陸橋を渡り、ビルの中を通り抜け、目黒川沿いに出るというものである。これだとゆっくり歩いて30分弱の距離があり、多少の植物を見て、買い物ができる。クルマにとくに気をつけなければならないのは1、2箇所ですむ。もうひとつのコースは五反田方面に向けて「本屋めぐり」をするもの。これもまずまず安全で、帰りに買い物ができる。
 どのコースを選ぶにしても、否応なしに目に入るのは「歩く人」である。つまり、私は散歩に際して、つねに人ごみの中を歩くわけであり、人の後をついて歩くか、平行して歩くか、反対方向から来る人を避けながら歩くか、ということになる。人を意識しながら歩く割合が高くなるので、いきおい観察対象は「人」になるわけだ。
 通行人を外見上の特長からいくつかの類型に分類できる。これは昆虫学の分類でいえば、「目」というクラスの分類になる。ちなみに、蝶や蛾は昆虫の仲間では「鱗翅目」に属するし、蜂やアリなどは「膜翅目」、ハエは「双翅目」、バッタは「直翅目」である。そこで通行人に関していえば、最近とくに目につくのが「ケータイ目」である。この「目」に属する連中は、ケータイを持ち、あるいは操作しながら歩くというはっきりした特徴を持っている。
それにまた、「ID目」というのがいて、この連中は首から身分証をぶら下げて歩いている。どうやらこの身分証がないと自分のオフィスにも戻れないらしいのだ。欲張ってひとりで「ケータイ目」と「ID目」を兼務している個体もある。
 「ケータイ目」について。先だっても、エレベータで一緒になった若いお母さんは、片手にベビーカーのハンドルを持ち、片手でケータイをせわしなく操作している。彼女はケータイ操作をしながら、エレベータを降り、そのままの格好で歩道に出て行った。これはかなりの離れ業ではないかと思う。普通の路面でも、駅のコンコースでもケータイをしながら歩いている。今日もかなり離れ業の人を見かけた。この人は駅の階段を下りながら、ケータイを操作し続けているのである。その人を見ている私の方が、もう少しで階段を踏み外しそうになった。
68ketai ここで私の提案なのだが、「ケータイ・オリンピック」というのを開催する。あるいはオリンピックの種目に「ケータイ・レース」というのを創設する。参加者はケータイをしながら、歩いたり、走ったり、障害コースを進んだり、泳いだり、滑ったりする。それでタイムを競うのである。ケータイの操作レベルも得点のうちに入れる。所定の文章を打ちながら動作をおこなう「規定種目」、それに自由な文章作成能力を競う「フリー種目」などがある。
 文章も判定され、「芸術点」なども加味される。当然のことで、途中で転んだり、躓いたり、ぶつかったりする選手は失格である。この競技をやれば、日本人が上位入賞すること間違いなしだ。何しろ、選手の底辺層が分厚い。史上もっとも最近出現した新種の人類「ケータイ目」を遇するには、オリンピックで認めてやるぐらいのことをしてやっていい。

 
 

6-9.人ごみの中の人間探し
 「道を譲る」という観点で「歩く人」を見ると、また新しい人間分類上の「目(もく)」が見えてくる。たとえば狭い道ですれ違うとき、機械的に直進し、少しも相手に譲る気配を見せないのは「トノサマ目」である。ちなみに、トノサマバッタが所属する「直翅目」の仲間は、いったん飛び出したら、途中でコース変更なんかできない。
 雨傘をさしたまますれ違うときに、傘をまったく傾けることなく、強引に突っ込んでくる。この連中は雨傘を甲羅に見立てて「鞘翅目」と呼んでいい。鞘翅目とは、カブトムシやクワガタが所属しているグループである。この仲間ははなはだ鈍感だ。めったに自分が傷つくことはない。夏休みの子供たちに大いに人気がある。
 私の分類では、相手との距離を正しく目測し、適当な距離で相手に道をゆずり、あるいは傘を向こう側に傾けて相手に対する配慮を示す種属、両側から入り口にさしかかったとき、ドア脇によけて相手を優先させる種属、エレベータに乗るとき、あたりに人がいるかどうかを確認してからボタンを押す種属、これが本来の「人間目」に属する。だが残念なことに、この「目」に属する固体は一日に2、3しか見ない。絶滅危惧種なのかもしれない。
 私は子供のころ母親にこう教えられた。「狭い道ですれ違うとき、年上の人に道を譲りなさい。また女性や、体の弱い人、小さな子にも道を譲らなければなりません。それから、歩いている人のすぐ前を横切ってはなりません。危ないし、失礼だから」。母は私に「人間」となる方法を教えた。私はこの教えを守って生きてきた。だから、私は人ごみの中ではなかなか進めない。誰かと連れ立って歩くとき、私はいつも一番遅れる。 69diogenes 古代の哲学者ディオゲネスは、白昼にランプを掲げて「人間はどこにいる?」と叫びながら人ごみの中を探しまわったという。またディオゲネスと同時代の大哲人プラトンは、「民主主義の世の中になれば、ロバや子犬までもが往来の真ん中を、大手を振って歩く」といって警告している。おかげさまで、われわれの都市は民主主義を謳歌している。プラトン先生が、今日トノサマバッタとカブトムシがわがもの顔で闊歩しているのを見たら、何というであろうか。
 駅のコンコースなどで、ある人はケータイをしながらこちらにまっしぐらに進んでくる。ある人は目をこちらに向けているにもかかわらず直進してくる。私が相手のコースをよけているのに、わざと近寄ってきたりする。こんなとき、私は人間の形をした生き物が恐い。精神科学者によると、意識的に制御することなく機械的に決まりきった動作をする神経システムを「ゾンビ・システム」というのだそうだ。もしかしたら、私はゾンビが徘徊する町を歩いているのかもしれない。
 ラルフ・エリスンというアメリカの作家の小説に「見えない人間」というのがある。おそらく、他の歩行者にとって、小柄な老人である私は「見えない人間」なのだ。そもそも私は彼らの視界に入ってさえいないのだと思う。かつて私は母から「年上には道を譲りなさい」といわれたのだが、このぶんでは、私は誰にも道を譲られることなく一生を終えそうだ。もっとも私はいまさら、往来でトノサマバッタやカブトムシと争う気にはなれない。それよりも、つねに先に身をかわし、迂回し、相手に譲れば、それだけ歩数計の数字が増えるし、敏捷性が身につく。 先だって新幹線の中の通路で、わが国を代表する女流ピアニストXさんとすれ違った。先方は私のことなど知るわけもないのだが、私は彼女のファンである。じつは新幹線で彼女の姿を見かけたのはこれが二度目だ。彼女が大きな荷物を持ってこちらに進んできたので、私は急いでこちら側の座席側に入って、尊敬をこめて道を譲った。彼女は私の目を見て、深々とお辞儀をし、「すみません」といいながら通っていった。私はますます彼女を好きになってしまった。私は彼女を「人間目」に同定する。
 いずれにしても散歩のための散歩、それも漫然と歩く散歩など、私にはできない。散歩そのものを目的にしていたのでは、私の場合は長続きしない。そうかといって、厳密なルールをきめて歩くというのも疲れる。そこで、何となく、周囲の自然や世の中をきょろきょろ見回し、自分勝手な発見と分類を楽しみながら歩くのが性に合っているようだ。

 
   
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