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私の生活術
 
第7章 「.ねばならぬ」への抵抗

7-1.世間の「ねばならぬ」
 人間は各自「自分が好きなこと」、あるいは「自分の夢」を実現すべく行動している。とくに仕事上の義務から解放された老年期には、人は他人様にご迷惑をかけないかぎり、ひたすら「好きなこと」のためだけに生きていいのだと私は考える。その「好きなこと」が、人々に喜ばれるボランティアという人はじつに模範的だ。
 私はこの点利己的で、まったく模範的でない。つまりボランティアには関心がない。私は自分がしたいことは犠牲を払ってもする。それがたまたま他人の役に立つからといって、口が腐っても「してあげている」などとはいわない。だから、ほかにすることがなくて時間つぶしにやっている「ボランティア」など、奉仕されているのは明らかにご当人だと私は思っている。
 それにしても、定年の時期になっても「自分が何を好きなのか」「何をすれば自分が満足なのか」を知らないようでは話にならない。「若くして求むれば老いて豊かなり」とゲーテは言った。これは若いうちに稼いでおけば老人になったときリッチに過ごせるという意味ではない。若いうちにあれこれ学んでおけば、老年期には心豊かな日々を過ごせるという意味だ。「老いて豊かなり」とは、引退後に「楽しい日々が過ごせる」という意味だと私は解釈する。
 ところが、人が「したいこと」は、これからご説明する三つの「ねばならぬ」に深く関係し、あるいは制約される。先日も、あるところでお茶を飲んで店を出ようとしたら呼び止められた。「お勘定がまだなんですが」。私はそれと気づかずに無銭飲食をするところだったのである。ごらんのように、「物を買ったら、お金を払わねばならぬ」。これは当たり前だ。もしもあの時私が金を払わずに駆け出しても、とても逃げ切れなかったろう。「人を殺してはならぬ」も同じだ。これは法律できめられている「ねばならぬ」、あるいは「・・してはならぬ」である。これを「法的ねばならぬ」と呼ぶことにしよう。
Okane これに対して世間一般常識としての「ねばならぬ」、あるいは「するものだ」「するのが当然」というのがある。これはかならずしも法律で規制されていない。たとえば、「結婚式にはフォーマルな装いで出席しなければならぬ」、あるいは「フォーマルで出るものだ」というのは、法的規制ではない。「人は結婚しなければならぬ」というのも法的規制ではない。「結婚したら子供を作らねばならぬ」というのも同じだ。このように法的規制はないが、ある種の社会的なルールに似たものを「慣習的ねばならぬ」呼ぶことにしよう。
 もう一種類ある。それは「今日はお掃除をしなければならぬ」「春になったから、冬の洋服をしまわなければならぬ」「自分は100万円、貯金をしなければならぬ」・・という類のもの。これは他人には関係ない。あくまでも、自分が自分に言い聞かせている「ねばならぬ」であって、たとえこれを実行しなくても、誰にも咎められない。これを「私的ねばならぬ」と名づけることにしよう。
 私的な「ねばならぬ」は原則として非公開の「ねばならぬ」である。別に実行しようがしまいがまったくの勝手だ。誰にも咎められない。あなたが「東大の入学試験に合格しなければならぬ」と考えようが、「あの娘と結婚しなければならぬ」と考えようと、それはあなたの勝手だ。それが実現しなくても、責任は追及されない。では、上の3つの「ねばならぬ」のうちもっとも重要なものはどれか? 「法的ねばならぬ」だろうか? 「慣習的ねばならぬ」だろうか? それとも「私的ねばならぬ」だろうか? 私は「私的ねばならぬ」がもっとも重要だと思う。

 

7-2.私的「ねばならぬ」の重み
 たとえばあなたが職場で上司に命じられ、引き受けた仕事は、私の考えでは「法的ねばならぬ」である。雇用は法的根拠にもとづく関係であり、上司があなたに発した命令は決して依頼や嘆願ではない。なるほどその仕事ができなかったとしても、あなたは直ちには罰を受けないかもしれない。けれど、あなたの評価は下がり、そのような命令違反や失策がたび重なれば、いずれ減給か、クビかになるだろう。雇用者にはそれだけの権限がある。
 これに対して、あなたが日曜日の朝、自分に向かって「今日中に、この仕事をしなければならぬ」というのは、あくまで、あなたが自分に対して立てた計画のことである。これは「私的ねばならぬ」だ。「私的ねばならぬ」には程度がある。だが「なんとかやっておきたいな」とか、「できたらいいな」というのは、「ねばならぬ」には入れないほうがいい。それは単なる希望または夢想であって、意志ではない。
 私が「私的ねばならぬ」と言うのはあくまでもはっきりとした意志であり、自分に対する約束としての「ねばならぬ」である。私がたまたま「これをしなくっちゃ・・」といっても、それは軽いもので、単に思いついた懸案事項を口にしただけのものかもしれない。いや、実際にはこのケースの方が多いかもしれない。何もかも「ねばならぬ」と解釈していてはくたびれる。 けれどもあなたが本当に「ねばならぬ」と考えるものは、あなたが本当に「したいこと」、あるいは本気になって「すべきでない」と思っていることではないのか。もしそれがあなたの「肯定=したいこと」に関係しているなら、それはあなたの人生の目的や夢であるはずだ。また「否定=すべきでない」に関係しているなら、それがあなたのモラルなのだ。
 私のモラルに関していえば、私は法律に触れるから人を傷つけたり、殺さなかったり、盗まないのでもない。私は「人を殺してはならぬ」「盗んではならぬ」「買ったら払わねばならぬ」と、心底から思っているのであって、法律に規制されてやむなくそうしているのではない。だいいち、あなたの側に「俺は、単に法律が禁じているから人を殺さないだけだ」という人が座っていたら、ずいぶん気持ちが悪いではないか。Houritu 私は法律だからといってかならずしも忠実に守ろうと思っていない。たとえば、制限時速50キロと表示が出ていても、白バイが見えなければ60キロで走ったりする。夜中に、クルマも人も見えない赤信号を無視して横断歩道を渡ってしまうのも同じだ。この点について、私にはあまり罪の意識がない。要するにこの場合の「法的ねばならぬ」は、私自身の「私的ねばならぬ」として引き受けられ、きちんと登録されていないのである。
 一方、私は「結婚式には、礼服で出かけなければならぬ」と思っている。これは「慣習的ねばならぬ」に対する迎合のように見える。けれど、私はこの場合、「習慣的ねばならぬ」が、「私的ねばならぬ」に合致していることを認める。というのも、例外的な服装をすると、主催者に迷惑をかける可能性があるし、私自身も居心地がよくない。礼服の人たちだけのところでは、こちらも礼服でいることで自分を目立たなくし、忍者のように気配を消してしまうことができる。この場合には、世間常識に従うことには大いにメリットがある。
 法的なものにせよ、慣習的なものにせよ、規制を受け入れるに際しては、それを「自分のもの」にしてから受け入れるのがよいと私は思う。とくに「慣習的ねばならぬ」に関しては、ただ単に「そういうものだから」とか「そうしないとおかしいから」ということで、無反省に盲従するのは、皆さんはどうか知らないが、私はイヤだ。「慣習的ねばならぬ」は、往々にして抜きがたい先入観として、私たちを不当に縛っていることが多いからだ。

 
 

7-3.30年床屋知らず
 たとえば、洋服も下着もわざわざ裏返しに着る人はいない。これは洋服と下着に関して「表を表にして着なければならぬ」あるいは「着るものだ」という無言の約束事、あるいはルールがあるからだ。「いや、そんな約束などない」という人があるかも知れない。しかし習慣的ルールは生活の中にごく自然に組み込まれているために、意識されていないだけかもしれない。もっとも、上衣を裏返しに着るのはホネだ。だが下着なら裏返しでもまったく平気だ。誰にも迷惑をかけない。そして、先にも述べたように裏返しの方が、明らかに膚に快適なのだ。
 男性用衣服は右ボタン、女性は左ボタンと相場がきまっている。この「相場」が、「慣習的ねばならぬ」であり、先入観だ。もっとも衣服は、ある意味では性のシンボルだ。だから、こうした違いは重要なのかもしれない。それにまた、夫婦で同じ洋服を着用しようという人でもなければ、ボタンの左右を問題にする人はいない。こんな習慣や先入観は無害なものだ。
 話は変わるが、私は過去約30年間、床屋、あるいはこれに類した整髪サービスを利用したことがない。「整髪は床屋でするもの」という「常識」を、私は30年以上拒否し続けているのだ。私は鏡を見ながら伸びすぎた髪を自分で切る。家内が元気だったときは、彼女が私の手の届かないところをカットしたり、ひどい不ぞろいを直してくれたりしていた。今はやむなく1人でやっている。私は俳優ではないから、多少の不ぞろいや不細工はどうでもいい。どうせ自分に見えないところは気にならない。
 床屋を利用しなくなったのは、私がせっかちで、順番待ちができないこと、それに待ち時間も含めて、散髪してもらっている時間が惜しくて仕方がなかったからだ。さんざ待たされ、見知らぬ人間に頭をいじくり回され、最後には金まで取られる。それで自分が映画俳優のような美男子になるならまだしも、鏡を見ても散髪前とどこも変わっていない。こんなにデメリットの大きな「慣習」に従ういわれはない。
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 私は30年以上床屋に行っていないが、かりに30年とし、散髪料金を1回3000円、月1回床屋に行くとする。またそこで仕上がるまでに90分かかるものとする。すると、私はこれまでに108万円の現金支出でトクをし、540時間の時間を節約したことになる。もっとも時間の場合は、自分でカットする時間を差し引く必要はあるかもしれないが、これは床屋まで往復する時間よりはかからない。別に床屋に恨みがあるわけではないが、よく考えれば、このように身の回りには「慣習的ねばならぬ」から生じる無駄が多い。
 同じような理由、つまり手間がかかるから、という理由で私は頭を洗うときにシャンプーを使わない。何もかも洗顔石鹸で済ます。母親にも、家内にもよく「だからあなたは、いつも頭をかいて、フケを回りに撒き散らしている」といわれた。いつぞや、「フケとりシャンプー」というのを無理やり使わされたこともあるが、目立った効果はないのですぐやめてしまった。「よく噛んで、ゆっくり食べなさい」というのは百万遍も言われたが、これも実行していない。

 
 

7-4.「ねばならぬ教育」のあやまり
「みんなが塾で勉強しているのだから、うちの子供も塾へ行かなければならぬ」「有名校に入学しなければならぬ」「テストでは優秀な成績を残さなければならぬ」などという「ねばらぬ」は、往々にして親の虚栄心の産物だ。これらの「ねばならぬ」は子供の性格形成、能力形成、進路決定など、要するに子供の将来に有害に働くと私は思う。子供の教育に際して、親の見栄に結びついた「慣習的ねばならぬ」は早く追放すべきだ。 ちなみにわが家の場合、娘が「塾なんか行かない」といい、私も塾のことなど念頭になかったので「行く必要なし」と結論した。それでとうとう彼女は塾には行かずじまいだった。そのことが彼女の勉強や進学にとって大きなハンディになったとは考えていない。私の家内も「子供を塾にやらなくちゃ」などとつまらぬ意見を吐かなかったのは、エライ。
 家内は毎朝娘に「早く起きなさい」と金切り声で叫んでいたが、「勉強しなさい」とはいわなかった。私たちはよく「自分たちだって、子供のころろくすっぽ勉強しなかったのだから、いまさら子供に勉強しろ、なんていえないね」と話し合った。自分の過去の不勉強を棚に上げ、息子や娘に勉強を強いる親がいるとすれば、それは自己矛盾だ。それに親が勉強すべきだと思うなら、自分がいますぐ自分の勉強を開始すべきではないか。
 子供の教育に関して私が家内に頼んだのは、「子供にはいつも暖かいものを食べさせてやってくれ」ということだけで、彼女はその通りにしてくれた。私の考えでは、コンビニのお弁当を食べながら塾通いをするよりも、母親の手作りの暖かい夕飯を食べたほうが、ずっとましな学校生活を送れる。そうでないとしたら、学校にはそもそも存在価値がないのだ。
 子供に理想的な教育を与えたいと望むのは、どの親も共通の願いである。そしてげんに、教育ママ、教育パパがいることもたしかだ。だがその教育熱心はいったい何のためだろうか。たとえば、有名な私立小学校に入学させるためには、名門幼稚園を選ばねばならず、その名門幼稚園に入学するためには、特別な塾に通わせなければならないという。ここには、「法的」でもなく、「社会的」でもなく、さらには「私的」でさえない、特殊で理解しにくい「ねばならぬ」が存在する。その「ねばならぬ」は主として親の――それも主として母親の――見栄のための「ねばならぬ」だ。
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 かりに、名門幼稚園、名門私立小学校、中学校、高校と進み、名門一流大学に進んだ子供がその後どのようになるのか考えてみよう。つまり、何のためにそれほどの苦労をして立派な勉強をしてきたのか? それは大多数の結果から類推するに、大企業に入社するためである。ただのサラリーマンになるためである。「ものすごい勉強をして、立派な経営者になる」とか「立派な学者」「立派な芸術家」というなら話は分る。たとえば、立派な経営者ならば収入も多いだろうし、社会的な信用も得られる。だが、大企業のサラリーマンになったところで何だというのか。
 会社の社長を一国一城のあるじにたとえるなら、社員は家臣であり、もっと露骨にいえば「奴隷」ではないか。もちろん「奴隷」から出発してでも、重役や社長になるなら立派だ。誰にでもチャンスは与えられているし、実例もある。だが数の上では例外的だ。「企業のサラリーマンだって充分価値がある。なにも出世しなくてもいい。幸福であれば、それでいいではないか?」。私もこの意見に賛成だ。それなら、なぜあれほど「お受験」のために子供を制約し、苦しめる必要があったのか。
 私の見るところでは、人々の社会的地位や収入と、その人々の学校時代の成績との間には、何の関係もない。むしろ学校時代に勉強なんかできなかった連中の方が、大胆に事業を展開し、おおかたの優等生よりもずっと金持ちになっている。これを要するに、家庭における子供の教育に関して、親たちは何ひとつ分っていないし、その試みはまったく成功していない。ただの奴隷とその妻に、教育に関して子供に助言するほどの見識はないのだ。

 
 

7-5.教育ママたちへ
 親たちの教育熱心は、別に悪いことではない。それに親が学校の選択や進路の選択に関してそれなりの情報や意見を持っていることは、たぶん必要だろう。なにしろ、子供には何もわからないのだから。だが、過剰な「ねばならぬ」には問題が多いのだ。
  アランは、どの港からどっち向きに船が出ようとも、かならず所定の目的地に着く、といっている。げんに私の家の窓から、羽田を離発着する飛行機が見える。飛行機は風向きによって離陸する方角、着陸する方角がちがう。南向きに離陸しようが、北向きに離陸しようが、大阪行きの飛行機は大阪に着く。だから「出発方向を間違えたら、一生の不覚」とばかりに、親が幼稚園の「お受験」のために狂奔するなどは、愚の至りだ。Oosaka 教育ママたちが、子供の勉強を手伝ってやり、熱心に教えているという話も聞く。親が子供の学校の宿題を見てやるというのは、いいことだ。親たちが、もう一度原点に立ち返り、子供の教科書やノートに対する尊敬を取り戻す、これまたいいことだ。だが、親が子供を強制して勉強を教えるというのは気に入らない。というのも、親が子供に教えられるのは親が子供の勉強についていけるところまでだからだ。 自分の知識、能力が追いつかくなると、そこで自分の役目をほうりだし、「あとは塾で勉強しなさい」ということになる。そこで私が子供なら内心こう思うだろう。「うちの親もたしたことはねえな。教えられるのはここまでか。それにしては、たいへんな鼻息じゃないか。あの程度の知性で、本人は一人前の社会人だと威張っているのだから、はやり勉強することに意味はないのだな」。
 だから子供の勉強を見てやるつもりの親は、自分が、子供が成長して大学の卒業論文や修士論文の段階になっても、自分が子供に助言できるかどうか自問すべきだ。J.S.ミルは、学校に行かずに父親から教育を受けた。ミルの父親はあれほどの大学者を自らの手で育てた。ミルの父親にも負けないほどの自信のある人なら、子供を自ら教育し、あるいは学校教育のあり方や、カリキュラムにもおおいに注文をつけたらよかろう。たかだか小学生低学年までしか教えられないくせに、親が子供の勉強を督促したり、学校に注文をつけたり、子供の宿題にくちばしを入れるなどもってのほかだ。
 あ、いや、これは思わず演説に力が入ってしまった。いずれにしても、私が言いたいのは、子供たちを教育するに当たって、親たちがさしたる定見もなく、「ねばならぬ」を振りまわすのはやめたほうがいいということだ。つまらぬ会社の「奴隷」となるために血道をあげて勉強をする必要などないのだ。勉強は学校時代にだけするものではない。親が、自分ではテレビばかり見ているくせに、子供に「本を読みなさい」などというのは、あんまりだ。
 「私が失敗したので、せめて子供には」などと、いかにももっともらしいことをいう親もいる。だが本当に親が敗残者ならだれにも忠告する資格はない。それに「失敗した」とはいっても、就学時の子供を持つ程度の年齢の親なら、いくらでもやり直しできる。失敗したと思ったら自分がやり直せばいいではないか。見果てぬ夢を子供に託すのは結構だが、自分のダメな資質が子供に遺伝しているという件についても、忘れないようにしよう。

 
 

7-6.祭祀習慣への反逆
 私は長男なので「家」の祭祀に関する慣例的オブリゲーションを負っている。げんに、家内が亡くなるまではわが家には「仏壇」があり、家内は常識的で温和な人だったから、いつも仏壇には香華が絶えなかった。だから私は家内が亡くなるまで、彼女が仏教の習慣に従う人だと思っていた。ところが驚いたことに、彼女はキリスト教会で葬儀をして欲しいと娘に遺言していたのだった。娘が小さいときから近くの教会に通っており、そこでキリスト教による葬儀の方法を見知っていたらしい。あるいは彼女が通った高校が、キリスト教系のミッションスクールであったことと関係があるかもしれない。
 私は宗教に関してはまったく無定見な人間なので、亡妻の意志を尊重して教会で葬儀を行うことに何の異存もなかった。父のときも、母のときも、それに親戚の葬儀もみな仏式だった私にとって、プロテスタントのキリスト教による葬儀の次第はたいへん新鮮で、印象深いものだった。私が一番感心したのは、牧師さんが葬儀の前日に亡妻の生前の人柄について丁寧なインタビューをしてくれて、その結果を翌日のスピーチの中に取り入れてくれたことだ。故人が、どれほどいい人柄だったか、生前にどんな善行をしたかをわかりやすい言葉で、列席した人々に紹介してくれたのである。それに音楽も私になじみのある音階で、ありがたかった。
 仏教のお経にも、それなりに貴重なメッセージがこめられているのだろうが、残念なことに私には分らない。それに故人の俗名はほんの一二回、読経の途中で唱えられるだけで、人柄の紹介などはまったくしてくれない。だいいち、お布施はしっかり取られるし、葬儀費用もかなりのものだが、事前のインタビューなどしてくれない。そんなことはないのかもしれないが、遺族から見ると、あの僧侶にとって、死者はもはや個性も人格もない「仏」に過ぎないという感じがしてしまう。Buddhist  妻の葬儀が終わって一段落してから、私は改めてわが家の「仏壇」と対峙した。私は自分が今後も仏教とまじめに付き合って行くのかどうかを自問してみた。答えは「ノー」だった。そうかといって、私はいまさらキリスト教徒になろうとは思わない。キリスト教であれ、仏教であれ、イスラム教であれ、私はどんな宗教にも帰依しない。私は自分の魂をどの宗教にも売る気はないのだ。 であるとすれば、単なる仏教的慣習に過ぎないものを通して死者の思い出を持ち続けてゆくことに、果たして意味があるだろうか?
 私にとって意味があるのは、いまは仏となり、蓮の台の上に乗っているかもしれない父母でない。あるいは紫雲たなびく天国のきざはしを散歩しているかもしれない妻ではない。私にとって意味があるのは、生きていたときの父母の思い出であり、妻と共有した楽しい日々の思い出である。私は「思い出」との間にどんな宗教的仲介者をも必要としていない。「仏壇とはおさらばだ」と私は思った。
 次に私が考えたのは、「私がわが家の仏教的習慣を捨てることに関して、誰かに迷惑がかかるだろうか?」ということだった。だがこの件に関して、第三者が私の精神生活に容喙する権利があろうとは思われない。問題は私の親族との意見調整である。幸いなことに私には交際のある親族が少ない。まず私は娘と弟に相談した。娘は私の意見に同調してくれた。気のいい弟は、自分が仏壇を引き取って、管理しようと申し出てくれた。
 私の叔父、叔母はわが家に来たとき、彼らはわが家に仏壇がないことにすぐに気づいた。叔母は「あなた、宗旨替えをしたの?」と聞いてくれた。この宗旨替え、というのは「キリスト教にでも改宗したの?」という意味なのである。私は「まあ、そのようなものです」と答え、私は自分の考えを説明した。もとよりものわかりのいい叔父叔母はすぐに納得してくれた。彼らはみな常識的な仏教徒なのであるが、自分流の「ねばならぬ」を私に押しつけようとするほど分からず屋ではないのである。あるいは、「納得してくれた」と思ったのは私だけで、彼らは私のドグマにあきれ果てていたのかもしれない。ま、それはどちらでもよい。

 
 

7-7.私流の死者供養
 母がなくなったとき、 私は小さな冊子「母の思い出」を作り、数少ない親族、それに母の知人、友人たちに配布した。そのときに、母の若いときからの写真を時系列に整理し、彼女の事績をまとめた。晩年の母が好きで人にも教えていた紙人形や、木目込み人形の作品などの写真などを収録した。また彼女の生涯の年譜を調べて編集した。この編集作業を通して、母が戦中、戦後を通して、私たちをどのように苦労しながら育ててくれたか、また母の知性や才能がどのようなものであったか、改めて残された資料から知ることができた。私は母の息子であることをひとり誇りに思った。
 なるほど、仏壇に日ごろ香華をたやさないことも、ひとつの死者供養、先祖供養のあり方だろう。だが私は、親しいものが親しい死者の歩んだ人生をたずね、その苦労のあとを理解し、偲ぶことは、それ以上にいい死者供養だと考える。「掃墓の精神」という言葉がある。墓参りをし、いまとなっては何もしてやれない死者のために、せめて墓を清掃して帰ってくることは意味深く、敬虔なことである。だが、亡くなった人の魅力や価値がどこにあったのかを理解しなくては、墓参にも仏前の灯明にも意味がないのではないだろうか。それは、作家の作品を読みもせずに、有名な記念館を訪れ、感心して帰ってくるようなものだ。
 という次第で、目下のところ私は妻の写真の整理、妻と相前後してなくなった親友の写真と年譜の整理を、少しずつ実行している。また近ごろも、父の遺品を整理し、多くは写真とスキャナにおさめ終わったので、遅くなってしまったが、これから私は父の人生をたどってみようと思っている。おそらく、かなりの発見があるはずだ。
 写真はいずれもJPEGのデータに変換し、それをパワーポイントのアルバムとして編集する。未整理のプリント写真の山では、手のつけようがないし、かりにアルバムに貼ってあっても、それだけではどうにもならない。写真アルバムはなぜか重いし、かさばる。そして古い写真は台紙からはがれないし、無理にはがそうとすれば、破れてしまったりする。そのまま放置しておいても変色が進むだけだ。私は思い切ってアルバムを破棄し、データだけを取扱うことにした。
 年代を調べながら、パソコン上で写真を編集し、レイアウトしてゆく。その時代の手紙や資料があれば、それらの映像も編集する。たとえば、家族関連の写真を編集しようと思えば、「祖父母を含めた一族の歴史」という観点からも編修できるし、「父母」という観点でも編集できる。また「妻の一生」という観点からも、「自分史」、あるいは「子供の成長」という観点からも編集できる。紙焼きの写真だったら、古い写真は1アルバムの1箇所にしか使えないが、パソコン上の映像なら、何度でも使えるし、拡大縮小も自由だ。要するに編集のコンセプトあるいはタイトルに沿って複数のアルバムを、かなり立体的に編集できる。Old_friend このようにしてなくなった家族や友人の古い写真や資料を中心に事跡をまとめ、編集する作業は、私流の供養のあり方である。私はまだ何とか生きているが、この私も遠からず彼らの仲間入りをするだろう。だが、いま彼らの価値と魅力を発見し、再評価するのは私のつとめである。写真の中で彼らはいい顔をして私に語りかけてくる。この作業をしていると、死者の世界と生者の世界が渾然一体となって、じつにいい気分だ。できあがった作品をひとり鑑賞していると、「あの世」がそれほど異質で遠い世界ではないように思えてくるのである。

 
   
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