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私の生活術
 
第8章 終末の下部構造

8-1.快適な室温は?
 フランスの哲学者アランは人間の営みを「上部構造」「下部構造」という図式で表現した。「上部構造」とは私たちの知性と理念の部分である。自分の考えであり、理想であり、趣味であり、余暇の過ごし方である。これに対して「下部構造」とは、食事、健康、経済、安全など、要するに日々の生命活動を維持することである。本章では、終末を迎えた一人の老人の下部構造についてご報告する。
 私はどちらかというと頭でっかちの人間だ。アランの分類に従えば「上部構造」にばかり気をとられている。そうはいっても、食事をしないわけにかないので、前回述べたように、何とか日々を食べつないでいる。北原白秋の短歌に、「現身(うつしみ)の人の日ごとに取り馴れて食(とう)ぶる飯(いい)を我も食(とう)ぶる)」というのがある。「下部構造」の悲しさを歌った、じつに身につまされる一首ではないか。
 下部構造の一つである健康管理に関していうならば、私にとっては室温管理が最大のテーマの一つである。10年ほど前にひどく体調を崩したこと、その後散歩をすることでいくぶん体調を回復したことはすでにご報告した。それでも私は同世代の健康な人にくらべれば、かなり虚弱である。だいいち、「寒がり」という体質は変わっていない。他の人がシャツ一枚で快適だというとき、私には上衣が必要だ。原則として冷房装置は私の敵だ。家族でハワイ旅行をしたことがあるが、私だけ風邪をひいて帰ってきた。ハワイが常夏の国などとはとんでもない偽りだ。あそこは冷房がききすぎて寒いところだ。しかも暖房設備のない、はなはだ未開野蛮の地である。Photo 現役時代、クライアントの会議室が猛烈に冷えて参ったことを思い出す。新幹線で「マニュアル通りの室温にしろ」と車掌を怒鳴りつけたことも。また事務所でスタッフと仕事をしているようなときも悲惨だった。なにしろ、冷暖房のスイッチをたえず見張っていなければならなかったのだ。けれどもスタッフのほうからすれば、「自分たちの方が悲惨だった」という。ある日、私は快適な室温で仕事をしていた。すると、一人のスタッフが暑さのあまりのぼせて鼻血を出した。だが、命に別状はなかった。
 いまの私の部屋は日がさしてさえいれば冬でも暖かい。床暖房も入っているので、寒さ対策はまずまずである。私一人のときには、夏でも冷房装置をまったく使わない。しかし、お客さんが来るときには、ホスピタリティの精神からしても、冷房をつけないわけには行かない。そこで、私は下着などで武装してから冷房を入れる。だが、日当たりのいい夏の日には冷房が充分にきかないらしい。せっかくわが家に来てくれたお客さんが、かなり忍耐力をためされている。
 誰かと空間をシェアするということは、室温をシェアするということである。こんなことは温度の感覚が同じである人々の間では、何の問題にもならない。私のように平均からはずれた人間がいると問題となる。考えてみれば、騒音や、光など、環境からの刺激に対する許容度も人によって相当のバラツキがあるはずだ。人と仲良くやるためには、できるだけ平均的であるほうがいいにちがいない。だが、私の友人たちにはもうちょっとの間、ご辛抱いただくほかはない。

 

8-2.食事のラコニック主義
私はいまでは酒もタバコもやらない。昔はタバコも吸ったし、酒も飲んだ。けれどもタバコはかなり早い時期にやめ、酒は10年以上前にやめた。タバコは風邪をひいたときに喉が痛くなるのでやめた。その後タバコを吸いたくなると、喉の痛みを思い出すようにしたところ簡単にやめられた。酒は体調が悪くなったときに、飲みたくなくなってしまった。今でもまったく飲みたくない。
 酒とタバコはやめられたのに、なぜか食事はやめられない。ただし、食事のスタイルはここ数年で大きく変わった。家内が亡くなったからだ。家内が亡くなってからしばらくは娘が夕飯を作ってくれていた。彼女も次第に仕事で多忙になってきたので、今では何か特別にきめたとき以外は、三食とも別々にまかなっている。
 大崎に移転してから、出来合いのお弁当やお惣菜、それに加工食品を利用することが多くなった。どう計算してみても、自分が素材から調理するよりも出来合いを買ったほうが安あがりなのだ。それに買う場所、食べる場所がいくらでもある。だからいまの私の「食スタイル」をひとことでいうなら、外食、調理済み食材、素材からの自作による「ミックス食」といったところだ。
 自分で作るというと聞こえはいいが、油っぽいものや手がかかるものは一切作らない。「一体何を食って生きているのか」といわれても、あまり自慢げには答えられない。私は料理の腕自慢でないし、グルメでもない。食事の支度から後片付けまでを、可能な限り短時間で終了し、自分の「好きなことに」に時間を使いたいだけなのだ。
 私は「食べること」は定時定量で大切にするが、「食事を楽しむこと」はまったく大切にしていない。定時に何か口に入りさえすれば、何でもいいのだ。それに私はたいへん小食だ。たとえば、朝はリンゴ2分の1に牛乳一杯。昼は少々の野菜とパン一枚で間に合う。夕食もご飯一杯に少量のおかずがあれば、充分満腹し、満足する。もちろん多少空腹を感じる場合がある。医学的にどうなのかは知らないが、私は多少の空腹感こそ健康のしるしだと信じ込んでいる。食事におけるラコニック主義である。Brasil 「奥さんに亡くなられて、満足な食事をしていないのね」と、私を気の毒がる人がいるかもしれない。実際その通りだからひとことも反論できない。だが私はいくら山海の珍味を盛られても、それほどは胃袋に入らない。ヴァイキングとかビュッフェ方式の場合私は不利だ。外国に行くと、この小食は、関係者に対する失礼にさえなる。本場のイタリア料理など、メインディッシュに入る前に満腹になり、あとはただ見ているだけだ。
 だいぶ以前にブラジルを旅行したことがある。軽く食事を済ませようと思い、レストランでスパゲティを単品で注文した。すると、洗面器ほどの大皿にスパゲティが盛られてきた。死に物狂いになって食べたのだが、少しも中身が減らない。とうとう降参して、「もう満腹だ。皿を下げてくれ」といいたいのだが、言葉が通じない。レストランのボーイは、幾度も「本当にいいのか」というしぐさをしたあと、両手を広げ、首をすくめるゼスチュアをしてから皿を持っていった。テキは、客が「こんなまずいもの、食えるか」といっていると思ったのだろう。あのレストランには悪いことをした。

 
 

8-3.病院とのつきあい
 私の目下の健康問題は、便秘と、腰の痛みである。便秘に関しては自分に合う薬を見つけたので、これを10年以上愛用している。この薬は夕食後寝るまでの間に飲まなければならないのだが、ついうっかり忘れてしまうことがあるし、自分でも飲んだのか、飲まなかったのかわからなくなってしまう。この薬は缶入りのものと、個包装入りのものの二種類がある。少々割高につくが、私は個包装のものを利用する。「あれ、きょう薬を飲んだっけ?」というようなとき、屑篭の中をかきまわして、赤い個包装の袋が出てくるようであれば、薬を飲んだことは間違いないのである。
 腰の痛みには度重なる原因がある。若いとき、鉄棒から落ちてしたたかに腰を打ったこと、その後何度も転んだこと。その結果として幾度も「ぎっくり腰」になった。長時間座っていると腰が痛くてたまらなくなる。ひどく痛むときには、気功や鍼の先生のところへ行く。すると、いくぶん楽になる。また長時間は座れないので、約1時間おきに立ち上がって違う種類の仕事をする。たとえばデスクワークしたあと、部屋の中を歩きながら読書する。
 私の腰の痛みに関して、いわゆる西洋医学系の病院まったく役に立たない。腰が痛くて「いわゆる病院」を訪ねたことは何度もあるが、治してもらったことは一度もない。治療実績という点では、気功や鍼の方がはるかにすぐれている。最後に都内でも名高い総合病院の整形外科をたずねたときのことをご報告する。さんざん待たされたあげく、レントゲン写真を撮られ、さらに待たされたあげく医師とのご対面となった。その医師は、「あなたの腰痛は治りません。なぜならば・・」と、写真を指しながら縷々のたまわった。
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 私は「あなたの仕事は患者を治すことなのか。それとも、そこにえらそうに座ってレントゲンの説明をするだけなのか」と質問した。私としては、ごく穏やかに言ったつもりであるが、他人が聞いたらそうは思わなかったかもしれない。当の医師はもちろん、付近を歩いていた看護師もその場で固まってしまったから。
 いくら怒ってみても、相手は治し方を知らないのだから仕方がない。人間はいつまでも健康でいられるに越したことはないが、いずれは誰しも病院行きとなり、ついにはお陀仏となる。モリエールのドン・ジュアンは神も信じないし、医術も信じない。彼が信じるのは2足す2が4になることだけである。もっともモリエールの時代の医術といえば、血を抜き取ることと下剤をかけることだけだった。
 西洋医学もあの時代にくらべれば、いくぶん進歩したかもしれない。だが、私たちもドン・ジュアンの潔さにならって最悪の、地獄堕ちの覚悟だけはしておかねばならない。病院の医師にできることは、せいぜい検査結果の説明程度なのだから。という次第で、私は病院を信用していないし、病院がきらいなのでほとんど行かない。

 
 

8-4.娘をケチにする
 哲学者アランは「下部のものが支え、上部のものが照らす」といった。これは、上下構造の役割分担とバランスの大切さを指摘している。どんなにすばらしい理想や夢があっても、経済条件がととのわなければ「下部構造」が不安定になる。そこで上部構造としては、下部構造として「経済の健全性」を考慮しなければならないわけだ。
 私は金持ちではない。だが、毎日のくらしに困るほど切迫しているわけではないし、借金もない。日々つましくやっていれば、自分が生きている間ぐらいは何とかなるだろうという程度だ。もっとも大きな社会変動や災害があればひとたまりもない。そのときには、じたばたしても仕方がないし、もう充分人生を楽しんだのだから、安んじて運命に身を任せようと思う。ただし、与えられている条件下で、やりくりをするのは私の日々のつとめだ。
 預貯金の管理に関しては、私は普通の人がしていることをしている程度だ。いや、それ以下にちがいない。というのも私は金融商品や利殖にはまったく関心がないからだ。利殖の才があり、またそれが好きな人はそれをやればいい。私は利殖が不得手だし元手もない。もっと別にしたいことがあるからやらない。
 ただ、私は家内が存命中から預貯金の管理を含め、金銭管理は自分でやってきた。ご主人が給料袋をそっくり奥さんに渡し、お金のことは奥さんに一切任せ、ハンコと通帳の置き場所も知らないというご主人の話を聞くとびっくりする。私は家内の経営能力を信用しないわけではなかったが、自分の管理能力の方がましだと思ったので、全体の財務管理は自分でやった。家内には毎月定額の生活費を渡し、その範囲内での管理を任せた。ただし彼女に支給したぶんの使途や残高については一切関知しなかった。
 娘に関しても同じ方針で対処した。娘が高等学校を卒業したとき、私は彼女を連れて市中の銀行にいった。そして自分で口座を開設させ、その口座に大学を卒業するまでに必要な資金を入れてやった。そしてこう申し渡した。「毎月仕送りをする方法もあるが、学業中に想定される予算をまとめて渡す。お前の学費、交通費、衣服費、旅行費用、あるいは買いたいもの、食べたいものは、この口座から、自分の判断でまかないなさい。早めに資金を使いすぎて口座がゼロになっても、追加や補充はいっさい認めない」。この結果、娘は極度のケチになった。最近聞いたら株で儲けた、などといっていた。まずまず金銭管理能力がついたようなので、結構なことだと思っている。
 私はいま、かつて家内にしたのと同じ方法を自分自身に対しておこなっている。私は収入を管理する口座と、引き落としや引き出しなどに使う家計管理口座を別にしている。振込み手数料は取られるが、収入管理口座から家計口座に、毎月定額を移すのである。これは私の考えでは、「自己年金」であり、過去の自分が現在の自分に支払っている月給である。この月給は、私が生前の家内に手渡していた「生活費」に相当する。この「月給」の範囲内で暮らせていれば、まあ、何とかなるだろうというわけだ。かりにこの口座の残高が増えるようであれば、私は楽譜や本など、「お楽しみ」のための投資余力を持つことになる。Salmon 人生とは各自の「高齢化戦略」「老化戦略」である。「人は何のために生きるのか」といわれれば、私は「各自が好きなことをするために」と答える。けれども「人は何のために働くのか」と聞かれれば、迷わずに「老人になったときに困らないために」と答える。若いときに働くのは、その時々を生きのびるためであるが、同時に老後に向けて活動していることは間違いない。ひとたびサイフを出て行った金は故郷を忘れる。してみれば、お国の年金だけを当てにして老齢期を迎えるという戦略は、あまりにも楽天的すぎるのではないだろうか。

 
 

8-5.グラフィック家計管理
 だれでもしていることとは思うが、私も家計簿をつけている。食料や日常品の買い物をしたときに、かならず領収書をもらって帰り、それを自分で作ったエクセルの表に打ち込む。そのあといらない領収書は捨ててしまう。私の家計簿の費目は「食費」「雑費」「教養」「健康」の4つだ。はじめは「被服費」の項目があり、「交際」と「教養」は分かれていたが、まもなく4項目で間に合うことが分った。
 家計簿は単なる現金支出だけの記録だ。だから、別に支出全体の管理とバランスシートの管理が必要になる。そこで、口座引き落としや税金の振込みなどを含めた月間の支出を管理するために、月別の「年度支出管理シート」を、これもエクセルで作成している。月が替わったところで家計簿からの集計結果、それに通帳の記帳結果から、数字を記入する。なお、郵便受けに入っている水道、電気、ガスなどの領収書からも、随時このシートに転記しておいて、通帳と照合する。こんなことも、おそらく誰もがやっている通りだ。
 年間支出シートの項目は、大きく分けて電気、ガスなどの「エネルギー関連」、NHKや電話会社などの「情報関連」、マンション管理費や、改装などなどの「住宅関連」、そして家計簿からの「日常支出関連」、それに「納税」とに分かれるが、記入するときには具体的な項目が分るようにしている。このシートを見ることによって、自分がどのように、「年間予算」を実行しているかがわかる。
 バランスシートに関しては年間2回、預貯金の残高確認をするだけだ。家庭では複式簿記などやる必要はない。クセノフォンが「家政論」で示しているように、年単位で財産の棚卸しをすれば、それですんでしまう。これは負け惜しみでいうのだが、私のように財産のない人間は、管理がはなはだ容易で明快だ。
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 ただ数表を作っただけでは面白くないので、私は月間の費用の構成比や動きをグラフに表現して楽しんでいる。ちなみにトレンド・グラフという点からいくと、人生の後半における活動は、すべてが「ゆるやかな下降線」というトレンドによって示されるし、またそのことが――いささか淋しくはあるが――自然の摂理であり、これに逆らってもまったく意味がないことが分る。もっとも、今後何かと「健康」関連の支出が増えるだろう。私のきらいな病院への支出も増えることになるだろう。それもまたやむを得まい。
 人間は誰しも一個の「負債」として生まれてくる。すなわち、自分で稼げないうちから費用を必要とする生き物としてこの世に出現する。そして費用を使いながら生きる。ある人はつつましく費用を使って、ある人は途方もなくたくさん使って、ある人はそのことを知りながら、ある人はそのことを知らずにこの世を去る。ほかの人はどうかわからないが、私は自分の意識がはっきりしているうちは、自分がどの程度の費用を使いながら生きているのか、しっかり目をあけて見ておきたい。

 
 

8-6.カードレス、サイフレス
 あなたはこれまでに何度サイフを盗られたり、失くしたことがあるだろうか? 私の場合は1回だけ。20年ほど前に出張に出たときに、持っていたサイフをなくしてしまった。どこかに置き忘れたのか、スリにやられたのか、いまだに分らない。いずれにしても現金とカードが入っていたと記憶する。カードはすぐに止めたので被害はなかったし、現金もあきらめられる範囲の金額だった。その後用心深くなったことはたしかだ。本当は失くしたわけではないのに、「失くした!」と思い込んで、冷汗をかいたことは何度もあった。
 ところで、クレジット・カード、キャッシュカードをはじめとして、私たちは何種類、何枚のカードに依存して暮らしているだろうか? 最近ではJRも地下鉄もスイカで間に合うようになったが、それでも自動車の運転免許証、健康保険証、病院の診察カード、印鑑証明カードなど、それに各種のお店の割引カードなど、カードの種類にはことかかない。
 だがカードが多いということは、それだけ盗難にあったり、紛失したりする危険が大きいということではないだろうか? そうかといって、必要なときにカードがないと困ることがある。ようやく仕事を卒業する時期が近づいたので、私はカードならびにサイフとの付き合い方を見直すことにした。これから日々痴呆化してゆくにちがいない自分を、もはや信用しないことにしたのである。Wallet まず現金やカードの入れ物である「札入れ」を持ち歩かないことにした。通常の散歩や買い物の時には小銭入れしか持たない。小銭入れの中には原則として3000円以上は入れない。かりに1万円札を崩してきたときには、小銭入れの中に3000円弱を残して、残りは手元の引き出しに入れてしまう。かりにどこかで悪いやつに「金をよこせ」といわれた、「ハイ」といって、その小銭入れごとプレゼントするつもりだ。
 カードに関してもラコニック主義を貫くことにきめた。私はまずクレジット・カードを一種類に限定し、他はすべて解約した。次に、このカードも持ち歩かないことにした。私のカード類はみなデスクの引き出しにまとめて入れてある。カードを必要とする外出のときには、外出目的を確認し、移動コースをきめて、そのために必要なカードだけを持参する。帰ってきたら、すぐに「定位置還元」をおこなう。これで衝動買いをしないですむ。私が決定的にぼけてしまうまでの間は、ひとまずこれで大丈夫だろう。

 
 

8-7.腑抜け市民の告白
 下部構造という点で、一番大切なのは「安全」にちがいない。「マズローの法則」でも冒頭にくるのは「安全性の欲求」だ。安全に関して私がとくに気をつけているのは何だろう? おそらくそれは「火事」を出さないようにすることだろう。自分が不注意のため焼死するのは仕方がないとして、マンションでご近所に迷惑をかけるのはまずい。私が実行しているのは、鍋をかけたままレンジの側を離れないことだ。この点からいっても、「テマヒマのかかる料理には物理的リスクが伴う」という真理が出てくる。
 住まいにおける盗難予防に関しては、私は何も心配していない。本好きの泥棒が入ってきたら困るが、おそらく泥棒には貴重な図書の値打ちはわかるまい。私には稀覯本を集める趣味はないが、雑多な蔵書の中には、いくらか「お宝」クラスの初版本なども混じってはいる。私の友人が「お前のところから、いつかは、あの本を盗んでやるぞ!」と泥棒宣言し続けていたが、残念なことに、その友人も数年前に亡くなってしまった。そうと知っていれば、彼にあの本をプレゼントして置けばよかった。
 ところで、私は若い頃から他人とケンカばかりしていた。どう考えても自分が正しいと思うときには、相手が誰であろうと、突っかかっていく。とくに相手が自分よりも権力があり、力も強いときには、なおムキになる。それにまた私は制服を着て威張っているやつがきらいだ。私は早くから自分のこの欠点に気づいていた。これは明らかに「リスク」であると思った。 そこで私は自分が独立開業したとき、当時司法試験を合格したての若い弁護士の先生と、ひどく安い料金で顧問契約を結んだ。先方も「開業ほやほや」だったので、私の「言い値」で契約してくれた。私は顧問弁護士の先生にいった。「私は誰とでもケンカをするので、かりに私が係争に巻き込まれたら、助けてください」。
 あれから35年ほどたつ。弁護士の先生とはこんにちでもお付き合いがあるが、幸いなことに、私はこの先生に本格的にお世話になるような事件には遭遇しなかった。この間、私自身も多少は進歩した。自分の背中にかならずしも正義の女神がついているわけではないこと、それにケンカをするにも、「迂回」という方法があることに気づいたのだ。ただ、弁護士の先生への顧問料金は過去一度も値上げしなかったので、本当に申し訳ないことをしたと思っている。 ただ、私の正義感も自分が直接の当事者でない場合には、まったく発揮されないのはどうしたことだろう。これは自分でも情けないと思うのだが、道端で誰かがいじめられていても、私はその人をかばったり、止めに入ったりしない。私が見て見ぬふりをする卑怯者になることはまちがいない。私にはこの種の勇気がないし、公民性のかけらもない。 Terrified あるレストランで女性と二人で食事をしていたときのことだった。一人の酔っ払った暴力団員風の客が言葉を荒らげて、何か怒鳴っている。今にも周囲に暴力をふるいそうに見える。みんな恐いから、首をすくめて食べている。私は自分の食事もなかばに、まだ食べかけている女性を立たせて、逃げるように金を払って出てきた。このため相手の女性には「加藤さんは、ずいぶん恐がりなのね」と軽蔑され、大いに面目を失した。
 ついでだからこの件も告白しておこう。朝早く散歩をしていると、道端に倒れている人がいた。酔っ払って寝ているのか、それとも病気で倒れているのか、もう死んでしまっているのか、それはわからない。こわごわ近寄ってみると、顔が土気色だ。ピクリとも動いていない。親切な人なら、声をかけるとか、揺り起こすとか、要するに助けようとしたにちがいない。「親切なサマリア人」の話もある。まっとうな市民なら、「倒れている人がいる」といって、警察に届けたにちがいない。
 私はそのまま帰ってきて結局何もしなかった。そして自分に言い聞かせたのである。「あの人は、要するに自分の意思で、あそこに寝ていたのだ。私がおせっかいをする必要はない」。ごらんのように、私は自分が当事者でないときには、一切の係わり合いを恐れる、まったくの腑抜け市民なのである。

 
   
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